カテゴリー「自分のためのべんきょう」の8件の記事

238.新しいホームページへ引っ越します

新サイトアドレス  こちらです  Please Click!

こちらです(2019.5.18 open)Please Click

 

5年間、

このステキなホームページとブログにお世話になってきました

自分で自分のサイトを「ステキ」なんて言っちゃうのは、

このサイトが、私の作ったものではなく、

幼なじみの天才プログラマーくんが作ってくれたものだからです

 

彼は私には全然わからない世界を自由に泳ぎ回れる人で、

片田舎で密かに営んでいた私の「どんぐり学舎」に

こんな素敵な形で光を当ててくれました

 

看板もなく、広告も出さない私の教室が、

絶対にあり得ないほど遠くの方々にまで、

知っていただくきっかけとなりました

 

市内、県内に限らず、むしろ、県外、中には、国外の、

「どんぐり」やってみたい、

子育てのことで話がしたい、

という、「仲間」が、このサイトのおかげでたくさん集まりました

たくさんの人たちと、つながることができました

 

PCの内部にいつまでも詳しくなれない私が操作できるのは、

ブログの更新のみなので、

ホームページ内容の改訂についてはいつも彼に頼りきりでした

新しいサイトでは、私でも操作できるシステムになっているので、

教室の情報など、更新がこまめにできるかと思います

 

これまでどおり、

メールフォームもありますし、

ブログの更新もしていくつもりです

最近はフェイスブック(ブログよりやや手軽)に文章を書くことが増えてしまって、

ブログの更新が滞っているのですが、

できるだけ議題の提案として、

みんなで「深く考える」きっかけになるよう、書いていきたいです

 

私は、答えなど持っていないし、私が正解でも全然、ありません

糸山先生の足もとにも及ばないできの悪い弟子ですが、

糸山先生を尊敬し、16年間追いかけてきました

追いかけても追いかけても追いつかなくて、

勉強しても勉強してもわからないことは山積みのままなのですが、

なぜだろう、自分の子育てで迷ったことは一度もありません

不安に思ったこともありません

そして、

いま、目の前にいる16歳と12歳の娘たちは、

エネルギー満タンの、キラキラした目をしていて、

やっぱり私なんかが操作しなくてよかった、

育ちたいように育ってもらってよかった、と

心から思えるのです

 

情報が溢れ、不安だらけの子育て環境ですよね

それでも私が不安じゃないのは、

どんぐりを学び続けているからかもしれません

ちょっとかじったくらいじゃわからないんですよ

深く、深く考えて、学び続けるんです

学べば学ぶほど、

子どものことがよくわかるし、

親としてどうしたらよいかもよくわかるはずです

 

子どもの勉強のことや、

親子関係での悩みも、ほとんどありません

習い事もしないので家計にも優しいです(笑)

「でも、なんにもしないのは不安です」とよく相談されます

いいえ、

こんな時代だからこそ、「なんにもしない」ことの素晴らしさが、

「なんにもしない」ことの背景にある親の賢さが、

すべて、子どもに表れてくることでしょう

 

「なんにもしない」のは、本当に「なんにもしない」のではありません

こどもは「なんにもしない」んですけど、

むしろ、この情報社会に押しつぶされないで「なんにもしない」を貫くために、

親は、普通以上に勉強しなくてはなりません

 

そんな暇はないの、生活で手一杯だよ

そういう声もよく届きます

 

それならば、自分の心の奥の方の、「本当の声」を無視せずに、

ちゃんと聞いてみてください

----なんのためにそれをするのか?

 

子どものためですか

子どもの目は輝いていますか

親のためではないですか

もう、誰のためなのかわからなくなってはいませんか

 

心配しなくても、子どもは逞しく、本来はとても優しくて賢いのです

そして、おとうさん、おかあさんのことが大大大好きなんです

 

子育てを頑張る必要なんかないんです

産まれてきてくれた奇跡を、ただただ感謝し続けて、

毎日、元気な笑顔をバロメーターに

 

わからなくなっちゃうほど色々あって押しつぶされそうなら、

ひとつずつ、置いていきましょう

産まれてすぐの、はだかんぼの赤ちゃんの頃みたいに、

胸に乗せて、重みと、体温と、速い鼓動を感じたあの時みたいに、

親に、ならせてもらえたことを

心から感謝して

 

新サイトアドレス こちらです  Please Click!

 

 

 

 

《2018年 11月1日投稿》

 

223.「文章題」の非現実性 子どもの思考をせばめる

最近読んだ本から一部引用してご紹介します
文章題」の非現実性  

 子どもたちは学校では「答えを出す」ということを、何かしら「正しい手順」に従ってとり行う厳粛な儀式のように考えてしまいがちです。授業では、どういう種類の「問題」のときは、どのような「答えの出し方」に従った”儀式”をとり行うべきか、まず、その模範を「例題」で示されます。そこで、”儀式”の執行に当たっての注意すべきところが説明され、そのあとは、「応用問題」や「演習問題」で、儀式の練習をするだけです。
 算数の「文章題」も、本来ならば、「足す」とか「引く」とかの演算操作の本当の意味を、現実の問題状況の中で考えさせるというところに主眼があるべきでしょう。ところが、多くの場合、「文章題」の文章は、私たちが日常用いる文章とは異質の、いかにも奇妙な文章であり、まともに「文章から意味を引きだそう」などと考えるとわけがわからなくなります。いわゆる「文章題」とは、「答えの出し方」という儀式(計算のしかた)がきまっていて、それを先に覚え込んだ人が、自分がどの儀式をとり行うべきかを決めるキイ・ワードが、必要最小限に埋め込まれた「文章」なのです。(ちなみに、文章題の文章からそういうキイ・ワードを「ひろい読み」することを指導する先生さえいます。)
 慶應義塾大学大学院生のN君は、通常の日常言語で書かれた文章ならかなり複雑な文章でも理解する電子計算機システムを開発し、そのシステムに、算数の文章題の文章を入力してみたところ、「理解デキマセン」という判定が出てきてしまったのです。たとえば、

「あめが7つあります。4つもらうと、ぜんぶでいくつになりますか?」

という文章を計算機に入力しますと、まず、「もらう」という語でひっかかります。「もらう」ということばは誰かが誰か他の人から「もらう」ということなのですが、この文章の中には、登場する人物が全くいないのです。さらに、最初の文章、「あめが7つあります」ということが、ただそこにあるだけなのか、それとも、誰かの所有物なのかがわかりませんので、あとで「ぜんぶ」という語が出てきても、はじめの7つとあとの4つを合計してよいかどうかの判断ができないのです。したがって、計算機は「コノ文章ハ、理解デキマセン。」と答えてくるのです。

 また、同じく慶應義塾大学大学院生のT君から聞いた話ですが、

「花子さんはあめを7つ持っていました。おばあさんからいくつかもらって、あわせて12こになりました。おばあさんからいくつもらったのでしょう。」

という問題文をある子どもに見せたところ、いつまで待っても答えてくれません。そこで、「何がわからないの?」と聞くと、「おばあさんからいくつかもらって」というところを指して、

「どうしておばあさんがいくつくれたかわからないの?」

と質問したそうです。そこで、「おばあさんはあめを紙の袋に入れてくれたのだよ。おばあさんが帰った後、机の上で袋をあけて、自分がもっていたのとまぜちゃったので、おばあさんがいくつくれたのかがわからなくなっちゃったのだよ。でも、お礼の手紙を書くのに、どうしても、いくつくれたのかがわからないと困るでしょう?」と説明すると、

「ああ、そうか。それなら5つだ。」とすぐに答えられたそうです。

 ところで、この子どもがどのような「式」で答えを出したのかは聞きのがしましたが、もし仮に、(ほとんどの子どもがそうするように)

7+5=12   こたえ 5

と書きますと、これは通常は「誤答」とされてしまうのです。正解は、

12-7=5   こたえ 5

でなければならないというのです。なぜなら「式」というのは、求めている答えが常に式の右はしに出てくることが鉄則とされているからです。そして、7+5=12と書くこども(ほとんどの子どもがそう書く)を、どのようにして12-7=5と書かせるか、教師の指導のウデの見せどころとされるのですが、たいてい失敗するのです。

 私はこういう「指導」には絶対反対です。実をいうと、12-7という引き算の計算を、「7,(ひと息入れて)8,9,10,11,12」と数え上げて答えは「5」とするやり方は、場合によっては、計算法として大変合理的なものであり、正しいものであり、「引き算」と「足し算」の関係の理解に役立つ重要な考え方なのです。そして、ほとんどの子どもが、引き算を時と場合に応じて「数え上げ」で行う(つまり、「引き算」を「足し算」で行う)ことをいつのまにか自分で発見しており、そのことが、後に、授業で「引き算」と「足し算」の関係を教えるときの重要な助けになるのです。それを、「答えは常に式の右端」という奇妙な「儀式」をおしつけることによって、ごく自然に「おばあさんからもらったあめの数」を「数え上げ」によって(すなわち、「必要なだけの足し算」で)解くことを否定してしまうことは、大変な誤りだと思います。  

 このように、私たちは「答えを出す」ということを、問題にされている状況の事態をしっかり認識させずに、「答えの出し方」の儀式を反射的にくり出させることによって解かせてきました。かつて、文章題の典型とされた「つるかめ算」(「つるとかめがあわせて20匹います。足の数はあわせて50本です。つるは何匹ですか?」)においても、「つるとかめの合計」を数え、さらに「足の数」まで数えた人が、どうして「つるの数」がわからないのか、考えてみるとあまりにも非現実的な状況なのです。このように、ものごとの「ありそうな事態」を考えさせたり、「当然こうなっているはずだ」という事態の必要性を考えさせずに、形式だけで教え込もうとすれば、「算数ぎらい」や「数学ぎらい」が生まれるのは当然でしょう。 
引用を終わります
この部分を読んだ時、子どもの本質を、
ここまでわかっている「教師」は
この世にどれくらい存在するのだろうか?
と背筋が凍り付きました
「あめが7つあります…」などという算数の文章題など見慣れています
つるかめ算だって、あまりにも有名です
それでも、「おばあさんはいくつくれたか自分でわかんないの?」って、
「つるとかめが合わせて20匹いるってわかっているのに、
どうしてつるの数を聞くの?」って
立ち止まってしまう子どもがいても不思議はない、
ということも知っています
それが、奇妙な子どもってわけじゃないことも、
その質問が、
その子にとってその先の「算数」への大事な足がかりとなることも、
また、 そんなこと何にも気にせず、
「これが算数でしょ」ってあっさり強かに解いちゃう子がいることも、
そんな風に諦めて、ちゃっちゃと解けたはずの子たちが
中学生になって数学で躓くことが多いことも、
私は、知っていました
先日、生徒の漢字テストの間違いに
「こうごう」
という言葉がありました
前後に文はなく、
こうごうの、「ごう」の部分が空欄になっていて、漢字で書かせる問題でした
中学生に見せて「どう思う?」と聞いてみたら、
「前後に文がないんですか、それじゃ厳しいですよね」と言われました
小学校高学年だし、まさか「咬合」とか「香合」とか…ってこともないか、と、
たぶん「皇后」だよね、ということになったのですが…
それから、同じく漢字の問題で、
「夏」という字の、
上部と下部をくっつけて×になった小学校低学年の子からの話題で、
その場にいる生徒たちと議論になったのですが、
「絶対くっつけろ、って教わった!」
「いいえ、つけちゃだめ、はみでちゃだめ、って教わった!」と、
結構バラバラでした
この「バラバラ」さが物語っているのですが、
もう既に、小学校の漢字についてのこのような議論には結論が出ています
SNSの発達が影響しているのですね、うちのこはこれで×だった、減点だった、と
親御さんが不満に思ったり、疑問に思ったりして答案の写真をアップしたものが
段々と拡散され、問題視されてきたのでしょう
以下、文化庁のサイトより
 漢字の字体・字形については,昭和24年の「当用漢字字体表」以来,その文字特有の骨組みが読み取れるのであれば,誤りとはしないという考え方を取っており,平成22年に改定された「常用漢字表」でも,その考え方を継承している。
 しかし,近年,手書き文字と印刷文字の表し方に習慣に基づく違いがあることが理解されにくくなっている。また,文字の細部に必要以上の注意が向けられ,正誤が決められる傾向が生じている。
要するに、フォントによっては子どもたちが混乱するような筆順や、
ハネ、突き出る出ないなどの違いが生じており、
現実としては教育現場がこのように「バラバラ」になるのも
無理はないのかもしれません
でも、
「バラバラ」が物語っているのは、あまりにも教育現場での教師の学び合いや、
子どもたちのための共通認識への努力が不足しているのではないかということ、
もちろん、
漢字ひとつについて議論し合うような暇はない!と言われればそれまでですが、
それでは本末転倒です
実際、「夏」についての質問をしてきた子は隣のクラスの友達に聞いてみたら、
隣のクラスでは全く反対のことを徹底されていた、という事実も発覚しています
…たいした問題なのでしょうか?
そもそも、細部にこだわるな、という指導が国から出ていて、
そんなことより漢字を使えるように、 活用できるように、
ということを目標としているというのに、
一生懸命書いて赤ペンでバツ!!って書かれる生徒の、
気持ちはどうなるか想像できないのでしょうか
これも、漢字嫌いをつくる一端を担っているのではないでしょうか
それより、それだけ細部にこだわる先生だったら、
さぞかし完璧な字体で板書ができることでしょうから、
たくさんの「夏」を大きく板書して、
みんなでいろんな「夏」を真似っこして書いて遊べばいい
ふうふう汗かいてる「夏」
かき氷がのっかってる「夏」
そんなことして遊んで書いているうちに、「夏」という字がどんな字か、
印象に残るでしょうし、
先生が美しく、細部に至るまで正確に書いてあげれば、
そんな字に憧れて、子どもたちも正しく美しく書くようにするでしょう
赤ペンで×をつけるよりもっと、大切にすべき経験があるのではないかと
集団にいっぺんに勉強を教えなくてはならない学校の先生には、
いちいち板書して文字で遊ぶことや、
「おばあさんがいくつかくれました」の背景まで話してあげることは困難なことです
それでも、もしかしたら、そこで躓いている子どもがいるということ、
算数の文章題を「合わせて」「ちがいは」などのキイ・ワードを見つけさせることで
解かせるなんてしていたら、絶対に後で混乱する、
そんな明確なことを知らずに、教えてはいけないと思うのです
親も、知らなくてはなりません
テストの点数だけで子どもを見るのではなく、
日ごろの言葉で、感触で、
子どもがどのように物事を理解し、獲得しているのか、
観察しておくといいのです
たとえテストの点数が低くても、その高低で評価することなく、
何をどう思ったのか、ということを読み取ってあげてほしいのです
そして、 なぜこれでは×なの?と感じたら、訴えていいのです
先生が悪いのではなく、 そのような教材を使うしかない現実も知りつつ、
家庭で本当に賢い子を育てる方法も、模索してみてほしいのです
0MX02
しんたろうくんは そらをとぶ おさかなを きのう みました。 おさかなは あかいおさかなとあおいおさかなが いました。 あかいおさかなが 3びきいたのですが あおいおさかなは  なんびきか わかりません。 そのひの しんぶんで きのうの おさかなは みんなで 8ひきだったことが わかりました。 では、あおいおさかなは なんびき だったのでしょう。
~どんぐり倶楽部 良質の算数文章問題より~
《2018年 3月15日投稿》

222.電子機器と学力・シンポジウムに参加して《4》いつでもつながれることの意味

さて、シリーズ化して書いているこの「シンポジウムに参加して」の記事ですが、

そろそろまとめに入りたいと思います

今回は

「無料通信アプリ」について

の講演内容をまとめ、感想を書こうと思っています

無料通話アプリといえば、あれですよ、あれ

…って、私はしていないので、知らないのですが…

Lから始まる、みんなやってる、あれですよ、あれ

このブログ内では、「アプリ」、としておきます

 

川島教授によると、

首都圏のママの間でささやかれる、「子どもからスマホを取り上げると偏差値が10上がる」

という都市伝説があるそうです

どこから出た伝説なのか?と調査してみると、まんざら嘘でもなさそうだ、と

川島教授は興味を持ったそうです

 

前回も書きましたが、子どもたちが電子機器を持つと、「マルチタスク」といって、

ひとつの使い方に留まらず、多様な使い方で存分に楽しんでいることが多いそうです

音楽を聴き、ゲームをし、ネットを見て、アプリで通信をする…

それがマルチタスクです

いかにもすご技のように感じますが、実際には、ひとつのことに集中する力を欠いていきます

中でも、最も子どもの学力に影響するのは、やはり例の、あの、「アプリ」なのだそうです

なぜ、あのアプリが最も影響するのか、様々なデータがとられていました

 

まず、「もともと学業成績の低い子が好むアプリなのではないか」という説を検証していました

それには、追跡調査が必要です

仙台市の追跡調査は5年目に入ったそうです

まだまだ、継続中だそうです

さて、アプリを使っている子の学業成績は、やはり、最初から低い傾向があったようです

でも、

もともと学業成績が高かった子が、アプリを使い始めたケースを追ってみると、

やはり、成績は下がっていったそうです

そして、もともと使っていたが、やめた、という子の場合は、

少しずつではあるけれど、学業成績が上がっていく傾向があるようです

確かに、「アプリを使っている子」と「使っていない子」の偏差値の差は10ほどで、

前述の都市伝説には裏付けがあったようにも読み取れました

ただ、

生活習慣、というものは良い方から悪い方へは簡単に転落するのに対し、

悪い方から良い方へ、というのは大変困難だそうで、

アプリ使用に関しても、同じです

しかも、学業成績の悪い子ほど「アプリ」が大好きで、使いたくて仕方ない

という傾向も否めないそうです

その傾向は、残念ながら、大人の場合はその生活水準とも同様の相関があるようですよ

ジャンキーな食生活と似ていますね…

 

そこで、いったい、「アプリ」が実際には脳にどのような影響を及ぼすのか、

教授のチームは実験を行ったそうです

大学生に、実験内容を伏せて、スマホを預かり、

脳内を測定する機械を装着してもらいながら勉強してもらい、

途中で、彼らのスマホの「アプリの着信音」と「アラーム」を交互に鳴らしてみたそうです

すると、

「アラーム」の音にはたいした影響が出なかったのに対し、

「アプリの着信音」にはかなりの動揺が出たというのです

集中力がなくなり、そわそわと、気になって仕方ない、という状態に脳もなっていたそうです

ここで、検証されたのは、

「社会不安が強い方がアプリの着信音に強く影響される」という事実でした

つながっているからこその、不安…なんとなく、わからないでもないですね

 

「アプリに着信があった」ということを、脳は気にし続けていて、

今やっている作業や勉強から、気持ちが逸れてしまう、もちろん、脳の働きもそちらへ

これが、「ながら勉強はうまくいかない」ということの、脳内診断結果なのだな、と

 

マルチタスクをしながら勉強している子どもたち、「これが今時の子なのねえ」と思いきや、

はかどっているつもりの勉強時間がもしかしたら脳内では空回りで、

無駄になっているのかもしれません

自分では、「めちゃめちゃ集中して頑張った!」と思っていても…

もったいないですね

仕方ない、脳内がそう言っているのですから

ながら勉強は不可能だ、と

 

でも、

スマホを肌身離さず持ち歩き、食事のときも、入浴のときも気にし続け、

ベッドに入っても握りしめている…なんて、今に始まった話ではないですよね

随分前に、スマホ中毒や「アプリ」中毒が話題になり、

各地で、親子の攻防もありましたね

私が気に入っていたのは、

Pass The Salt

という、この動画…

何度見ても笑いがこみ上げてしまう…素敵なお父さんです

よその家の食卓をのぞき見したことはないので、わからないのですが、

時々、外食でよその家庭の食事風景を目にすると、

全員がスマホを操作しながら料理を待っていたり、

幼い子どものいる家庭でも両親がスマホ、子どもたちはゲームをしながら待っている、という光景も

珍しくはないですね

 

さかのぼると、私がまだ独身だった頃、

幼いお子さんがいる知人の家で、食事を御馳走になった時、

食事中もテレビがついていたのですが、お子さんの席はテレビの真正面、特等席で、

もちろん、ずっとテレビから目をそらさないものですから、

食事は自分でスプーンですくっても口には入らず、こぼしていて、

まあ、客人がいたせいもあるでしょうが、その時は、叱りもせずに、ただひたすら、

親が、子どもの口に料理を運んでやり、食べさせていました

それでも、子どもは、自分の気に入らない食べ物を口に入れられると怒り、

親に指図して気に入ったものだけを食べさせろ、と幼児語で怒鳴っていたのでした

同じお子さんと次に出会ったのは、幼稚園に上がるまえくらいだったか、

自家用車の中から親御さんに声をかけられて、近寄ると、チャイルドシートの前には大きな画面が

車に乗っている間も、テレビを見せ続けているようでした

私がどうこう言える関係ではなかったので、黙っていましたが、

そのあと、お子さんの教育には大変苦労したようでした

どんな話を聞いても、私はちっとも驚きませんでした

当たり前じゃないですか、生まれてまだ数年後の食事風景が、私の脳裏に焼き付いていましたから

これが現代だったら、テレビなんてものじゃないでしょうし、親はスプーンで食事を与えつつ、

スマホ画面を見ているのかもしれませんね

この家庭の場合、生まれてすぐからずっと、親子の間には「電子機器」が介在していたのです

 

さて、川島教授は力説していました

「家族で食事をする、ということが、世界でいちばん、大切なことなんです」と

強めの語気の裏には、もしかしたら、東北の震災被害者の方が身近だったり、

…なにかしら背景があるのではないだろうか、と感じさせられました

毎日、当たり前に家族で食事をしていると、わざわざそんな風に思いもしないけれど、

そう、家族で食事をする、という時間は、本当は、かけがえのない、一番大切な時間のはずです

 

でも、

さっきの動画のお父さんとは逆で、

昨今、実際に、食卓でスマホを使うのは、子どもが先ではなく、大人の方です

家族で食事中でも、「アプリ」の着信音に反応し、スマホを手に取ってしまう親の姿は、

「私は家族との食事より、アプリの方が大切です」という手本を、

親が子に、見せてしまっているのです、と教授は言いました

「だから食事中は電源を切ってください」と

そしてもちろん子どもたちにも

「勉強する時と、寝る時は電源を切るように」と

切れない人は、きっと、スマホ中毒なんです

その自覚は全く、ないのでしょうけれど…

「自分だけは、違う」と思っているのでしょうけれど

 

もう、親から言っても聞かないのだそうで

それは、親自身が率先して使っているからで

だから、川島教授は子どもたちに直接、データを見せて考えさせるのだそうです

 

何のためにスマホを使うのか?

何のために「アプリ」を使うのか?

使うことによってどんな影響があるのか?

グラフの読み取り方だけ教えて、あとは考えさせるのだそうです

 

それでも、

「つながっていたい」のはなぜなのか

実験に協力してくれた学生さんも、きっと、

大切な誰かからの「アプリ」呼び出しだったのかもしれませんし、

食事中に気にするほどの重大な連絡を、親御さんは待っていたのかもしれません

たとえば恋をしているヤングだったらば…私だって、片時もスマホを手放せないかも!

 

でもね、昔はなかったんです

出歩いている先で個人個人が他の誰かとつながって、話をすることはできなかったのです

相手の寝る時間や仕事、食事の時間を考えて電話をする時間を考えたり、

顔を合わせた時にここぞとばかりに色々な話をしたり…

時には待ち合わせ場所を勘違いして、なかなか会えなかったり…

…それで、よかったのです

もっと、心がグラグラする日々だったなあ…と、遠い目…

 

たとえば、緊急時、携帯電話のおかげで大事に至らなかった、

命が救われたことは数知れずあるでしょう

たとえば、聾唖者の方にとったら、携帯メールの普及は世界を明るく広げたことでしょう

だから、「いざというときのために」あった方がいい、というものかもしれません

でも、

過ぎたるは及ばざるがごとし

やっぱり、みんな、使いすぎていて、頼りすぎていて、

本来、大切にしなければならないことを忘れてしまっています

 

私たちは、ひとりひとりが自分の人生を生きていて、

みんなで支え合っている部分もあれば、自力で踏ん張っている部分もあり

それでも、

いつでも誰かとつながっている、っていうことは、

通信アプリとは違うと思うのです

そんなものがなくても、

連絡を取り合っていなくても、大切な人はいつまでも大切で、

ことあるごとに思い出します

 

やっぱり私たち人間は、まだ、機械を介しては本当の「生きる」ことを営めない

そんな結論に、わたし自身は至りました

 

こんなことを書きつつ、こうして機械の前に座って、

日々、欠かさずお世話になっているわけで

 

それでも、

この春、少し、自分の周りの「電子機器」を整理整頓してみようかな、って思っています

 

だって、春になったら、忙しいんだもの

たくさんの新しい家族を迎える準備を始めなくてはならないし、

読みたい本も積んだまま

時間は、限られている

人生の折り返し点をとうに過ぎて、私は、やっぱり、

「機械」さんにはいざというときにだけ、頼らせていただく、という生き方を、

これからは貫きたいな、なんて考えています

 

目の前に家族がいるのに、どうして他と「つながりたいのか」

どうして機械に依存するのか

ダメ!っていうまえに、取り上げる前に、

気づいてあげてくださいね

 

じゃないと、心の中まで、機械に入り込まれてしまいます

《2018年 2月28日投稿》

221.電子機器と学力・シンポジウムに参加して《3》ICT教育の光と影

ICT教育ってなんでしょう?

最近、新聞の見出しで見ませんか?

ICTとは、Information & Communication Technology=情報通信技術

…これを、教育に導入することをICT教育と言います

具体的には、

インターネットやデジタル機器(タブレットなど)を

学校の授業に取り入れることなどを指します

最近、新聞やニュースでこの言葉をよく見かける理由は、

政府が2020年に、全国の小学校にデジタル教材を導入する、

つまり、教科書やワークブックなどをタブレットに置き換えていく、と決定したからです

2年後です…

さて…

そもそも、「デジタル画面が子どもの目に与える影響」について書きましたし、

もう、すでに、害も出ている昨今ですが、

いくら家庭で気をつけていても、

今度は学校で朝から晩までデジタル画面からの光線を浴びて帰ってくることに…

この件について、

シンポジウムでは川島教授は、

「韓国は先にICT教育をどんどん取り入れて、そして、既に失敗して反省しているというのに、

日本はなにをしようとしているのか、理解に苦しむ。」

と発言していました

 

韓国のICT教育?噂には聞いていましたが、私はいろいろと、

シンポジウムのあと調べてみました

このサイトがとてもわかりやすかったので、ぜひ、御覧になってみてください

これは、NHKのサイト内で、

2014年9月8日に放送された「クローズアップ現代」学びを変える?~デジタル教材革命~

という番組を書き起こしたものです

 

シンポジウムで川島教授は

「タブレット学習では、興味を持って見ることは見るのだけど、

後で調べると全く頭に残っていない、という事態になっている。」

と言っていました

 

この番組内でも韓国の学校の先生が

「タブレットだと、わかったつもりになっているだけで頭になにも入ってないでしょう」

「確かに子どもは授業が楽しかったと言うかもしれませんが、内容は身についていない。

それがICTの限界です。」

そして

韓国の教育評論家の方が

「資料を検索すると早く結果が得られますよね。でもそれは、誰かの力で得られたもので、

自分のものではありません。

他の人が解決したものを借りると、問題解決能力が落ちてしまうのです。」

そして、ICT教育を盛んに行っていた期間の調査では、

韓国の子どもが1年間に読む本の量が過去最低を記録したグラフを提示して、

「子どもたちが全く本を読まなくなってきているのが、本当に深刻な問題です。

ICT教育はごく一部にして、もっと自分の力で学ぶ機会を増やすべきです。」

と言っています

これは、ただの想像や憶測ではなく、

実際に、2010年から約2200億円もの予算を投じてICT教育を普及させ、

実践した韓国の教育関係者の意見なのです

(もちろん、全く反対の、よかったよ!という意見を持った方もいるのでしょうね!

それも読んでみたかった!)

現在はどうなっているのかというと…

デジタル教科書開発の縮小化が進んでいるそうです…

お時間がある方はこちらの資料も参考までに…

教育分野における先進的な ICT 利活用方策に関する調査研究(株式会社富士通総研)

世界中の…いろんな国で活用されているのですね…

まさかフィンランドまでとは!

上記資料、私もまだざっと目を通しただけで、くまなく読んで感想を書ける状態ではないのですが、

ひとまず、クロ現の記事に戻りますと、

韓国ではICT教育を普及させたものの、

 ●子どもの学力に目立った成果が表れていない

 ●資料を検索すると簡単に結果が出るため、問題解決能力が落ちる

 ●子どもの読書量が減る

 ●能動的に学ぶ姿勢が失われる

などといった理由から、徐々にICTの学校での使い方について

反省をふまえて改善しようとしている状況のようです

 

シンポジウムでは、川島教授は断言していました

ICT教育は、成功しない。

 

確かに電子機器は子どもの興味をひく作りになっており、

音も出る、絵も動く、ゲーム的要素も満載で、なんだかわくわくする

なんなら、クロ現の画像によれば、数学の空間図形などが浮かび上がる!?

これまで自分でイメージできなかったものを、代わりにイメージしてくれる、

より、「わかった!」が多くなる

クイズ番組みたいに、効果音で正解!不正解!ちょっと楽しそう

すでに、家庭に普及している有名なタブレット教材もありますね

 

川島教授が「ゲーム」について話したとき、このようなことを言っていました

ゲームは、やりはじめは脳が活発に働くが、すぐに「慣れ」て抑制がかかる

ゲームをしている子どもは夢中で、興奮しているように見えるが、それは、

「目で見る」「手を動かす」という作業をしているのみであって、

実は脳内は「寝ている」「ぼーっとしている」

「考えて」いるようで、実は考えてはいない

(反射、のようなものでしょうか…)

だから長時間できる

リラックスしている、楽をしている、そうでなければ、長時間できないのが脳である

そして、これはテレビよりも強く脳に影響するのだ、と

それから、

紙の辞書と、スマートフォンでそれぞれ学生に英単語の意味調べをしてもらい、

脳の働きを調べてみると、

紙の辞書を引いて調べている学生の脳は活発に働いているのに対し、

スマートフォンで調べている学生の脳には抑制がかかり、

前頭前野は「寝ている」状態だったそうです

また、これは「電子辞書」でも同じ事で、

脳はやはり働かないのだそうです

とにかく、「楽で便利だ」と思う時、脳は働かない、だから、

一番面倒くさいことを選ぶといいですよ、と笑いながら言っていました

 

自分の脳が、ちゃんと働いているか、寝ているか、なんて、実際に起きて活動している間に、

気づきませんよね

でも、

もしそれが、「勉強しているとき」だったら、

いかにも「勉強してる」って雰囲気で、一生懸命時間と労力を費やしているのにもかかわらず、

脳内は眠っていて、一切身についていないのだとしたら…

結構、悲劇ではないでしょうか…

「わかった!」つもりになっていて、いざ、テストになってみたら、「あれ…?」なんて…

ひとつ、

思い出してみてください

よくスマホで「検索」する方なら、

最近、何かについて調べませんでしたか?

たとえばレシピとか、たとえば言葉とか、たとえば乗り換えのことだとか

それに案内されて、無事にことをすませたとして、

数日たって、どれだけそれらを思い出すことができますか?

スマホ画面に出た検索結果を読み、なるほど~!と満足し、

そこでは一瞬満ち足りたはずなのに、脳内に残っているものはなにかありますか?

検索履歴を御覧になり、ぜひ、内容をどれだけ思い出せるか試してみてください

 

前述した「空間図形」の例で考えてみても、

確かに、「自分でイメージできなかったものが再現される(しかも立体的に!?)」なんて、

まさに未来の教科書!夢の教科書ですね

家庭用ICT機器のCMでも、小学生が画面の図形を自在に動かして

「わかった!」と嬉しそうに言っているのを見たことがありますが…

…でも、ちょっと待ってください

「自分でイメージできなかった」→「コンピュータにイメージしてもらった」=「わかった!」

という式は、成り立つのでしょうか

それは、

「自分で肉じゃが作れない」→「母に作ってもらった」=「作れるようになった!」

という式と似ていませんか?こんな変な式は成り立ちません

韓国の教育評論家の方も言っていたじゃないですか、

「他の人が解決したものを借りると、問題解決能力が落ちてしまう」と

 

だから、どんぐりは先に解説をしないし、

だからどんぐり問題には挿絵もないし、

だから私は中学生にも先に解説して類題を解かせるような、

「わかったふり」がしやすい授業などしないのです

苦しくても、出口が見えなくても、一生懸命探り続けることで、

その、探っている最中にも脳内はあらゆる箇所を働かせ、

考えている

生き抜こうとしている

その力を、封じ込めるようなものは子どもたちには不要だと考えています

 

もし、ICT教育を子どもたちのために

本当によい方法で活用できている学校や国があるとしたらそれは、

そういった機材を与える前に子どもたちがすでに、

考える力を持っていたり、心身共に頑丈に育っている、

つまり、スペックが高い状態である、という可能性があります

うまくいっている国があるとしたら、これから一生懸命調べてみようと思います

それでも、小学校低学年からなんて…考えられません…

 

それから、

国内でもICT教育を積極的にとり入れている自治体があり、

ある関係者に聞いた話ですが、

クラス全員のタブレットが、全て正常に動くとは限らない、という問題も大きいようです

たとえば

落として画面が割れてしまっても、

しばらくは代替品がもらえず、割れたまま使っているとか、

子どもが勝手に操作したり、一斉にするはずのことを間違えてしまってリセットしたり、と

電子機器ならではのトラブルはあとをたたず、授業どころではない、と…

 

なんで教科書と、ノートだけじゃダメなんだろう

どうして自分でイメージできないことをコンピュータにしてもらおうとするんだろう

立体!?

空をみてごらん

学校の校舎をみてごらん

ぐるりと走ってまわってきてごらん

お豆腐を切ってごらん

折紙をたたんでごらん

落ちている木の枝をぽきっと折ってごらん

 

こんなに教材に満ちあふれている、世界があるのに

 

2020年までに、偉い人たちの中に、頭と心が健全で素晴らしい方がいてくれて、

阻止してくださることを祈って

 

すごい勢いで導入されようとする理由を解明するヒントは…産業界、だそうです

《2018年 2月21日投稿》

219.電子機器と学力・シンポジウムに参加して《2》ゲームは1時間以内?

この話題になった時、

キターーーーッ

と思ったのは私だけではなかったかもしれません

 

もう、私たちの業界では知らない人はいないデータ、

今回紹介されたのは仙台市のデータでしたが、

全国学力調査の成績とゲーム・スマホ時間との相関を調査した文科省のデータもあります

 

どのデータを見ても、明らかなのは「長時間使用ではいくら勉強時間が多くても学力は劣る」

ということです

 

そして、他のデータでも見たことがありますが、

「スマホ1時間未満使用の場合、全く使用していない子と比較すると若干学力が高い」という

興味深いデータです

同じ、2時間勉強している子のうち、「スマホ利用なし」の子よりも、

「スマホ1時間未満利用」の子の方が、「1点」ほど点数が高いのです

 

(これは、データを貼付させてもらおうかと色々探しましたが、

それぞれのグラフに特長があって、読み取り方によってはいろいろな解釈ができます

そして、最近の文科省のデータでは「利用なし」の子の方が、

「1時間未満」の子よりも平均点は高くなっていましたので、

はっきりとしたデータは個人の検索にお任せするとします)

色々な出典のグラフなのでコピーはできませんが、

リンクを貼りますのでこちらのサイトで紹介されているグラフだけを

参考に御覧になってみてください

 

それなら!と、

「1時間以内ならスマホをいじっても学力に影響はないのね!」と拡大解釈するのは、危険です

 

たとえば、数日くらいの賞味期限切れの食品を、「食べても害はない」とはいいますが、

「食べた方がいい」とは言いません(ムダにするとかそういう問題はさておき)

自分の健康に自信があって自己責任なら食べちゃっても、

誰かに積極的に食べさせたいとは思わないはずです

幼いわが子には?

自分だけは食べちゃったとしても、幼いわが子には、ちょっと、ねえ

それが親心

 

かつて、川島教授の研究は「テレビ視聴の脳への影響」「ゲームの脳への影響」

だったようですが、

今では「スマホ利用の脳への影響」に絞られてきているように見えます

それは、スマホでテレビも見ることができるし、ゲームもすることができるから

マルチタスクというそうですが、

ヘビーユーザーの子は、スマホ一台を、

あらゆる用途にくるくると切り替えて自在に使うのだそうですね

じっとゲームだけをするのではなく、ゲームをしながら動画を見たり、

その間に無料通話アプリなどで着信があれば応答したり…

一見、ものすごい回転の速さで特別な能力とも思えますが、

大学生への実験の結果、この

メディア・マルチ・タスキングは注意力を低め、単純な作業さえも長時間できなくなる、

という事態を生んでいるそうです

 

さて、1時間未満利用の話に戻しますが、

そんなマルチの使い方では、1時間なんてあっという間に過ぎてしまいそう…

スマホを持っていないのでわかりませんが、きっと、そういうところなのだろうと思うのです

 

最新情報を知りたい、誰かと連絡を取りたい、好きな情報を探して気楽に見ていたい…

ゲームを楽しみたい、音楽を聴きたい…

となると、1日1時間、なんて守れそうにないのですね

 

利用1時間未満でも学力に影響しない子がグラフに現れているのだとしたら、

そこの部分なのではないかな、と私は考えています

 

たとえば、有名な説があります

「読書をすると頭がよくなる」

のではなく、

「頭のよい子は読書が好きである」という視点

 

「英語ができるから仕事ができる」

のではなく、

「仕事ができる人は必要に迫られれば英語も習得する」

 

そして、以前林修先生が言っていた、

「子どもの頃にスペックを高めておけば、

語学などはアプリのように、自在につかいこなせるようになる」と

 

スマホ利用(テレビ・ゲームも含めて)があっても学力・思考力に影響がないとすれば、

それは、

家庭環境のスペックが高い可能性が考えられます

 

要するに、

親(または準ずる存在)と子との関係が確立していて、

スマホなどもメリハリのある使い方ができ、

言ってみれば、スマホやゲームなんぞでは揺るがない状態がすでにできあがっている、と

または、親がそこまで管理・誘導する意志がなくても、

本当に家に電子機器がなく、まるで無縁の家庭もあるかもしれません

そうすれば子どもは外で遊ぶか、自分で創作した遊びで暇つぶしをするしかありませんもの

それで、「偶然」思考力の高い子が育っているケースもあるかもしれません

でも、

数値としては、そのような子どもはごく稀であることがわかります

 

つまり、

「1時間未満の利用では学力に影響しない」という断言は全くできないということです

相関と、因果とは違う、とも言われていますが、

まさにその通りで、

データから読み取れることは相関ではありますが、

実際には、子どもたちの生活スタイルや、親の考えかたは

ひとりひとり大きく違っているはずですから、

一概には言えないのです

 

ただ、

「使っている子ほど成績はよくない」という、右下がりのグラフであることは、

誰が見ても同じです

 

川島教授ら曰く「リスクは明確」

それを知っていながら、「考えられない頭になる」というような悲劇を待つのか

知っていて悲劇、知らずに悲劇、とはこういうことなのでしょう

 

このデータを見た人は「知っている」ことになりますから、

この先どうするかは自分で考えるしかありません

 

最後に、

かつてゲーム好きだったお父さんお母さんなら多くの方が知っているであろう高橋名人、こと

高橋利幸さんの「名言」をご紹介します

ゲームしか遊びを知らない人間にはなるな、と名人は言ったそうです

 

そして、あとからどんなことでも意欲的に習得しようと思えば

容易に習得できる「スペック」を高めるにはどうしたらよいか、

これは、多くの方が言っています

 

「外遊び」

 

《2018年 2月16日投稿》

218.電子機器と学力・シンポジウムに参加して《1》メラトニンと視覚

2月の三連休の最終日、

NPO法人ぐんま子どもセーフティネット活動委員会(GKAC)主催の、

 

『ネット・スマホ利用による 健康・学力への影響を考えるシンポジウム

                 ~がんばった勉強がムダになるって本当!?』

聴講してきました

講演はかの有名な東北大学の川島隆太教授、脳科学者です

子どものネットリスク教育委員会代表の大谷良光さんの講演、

そして、川島教授、大谷先生を囲んでのパネルディスカッションも最後にあり、

盛りだくさんの3時間でした

 

講演の内容をそのまままるごとブログに書くのは、

著作権の侵害だという話を聞いたことがあるので、

少し引用する形で、私が見聞きして、感じたことをお伝えし、

今後のGKACや、川島教授の啓発活動のほんのすみっこの一端を担えればと思います

 

3時間、聞いていて感じたのは、

「スマホありき」という前提での話だということ、

スマホが存在しない我が家には、実感としてわからない話だということでした

 

「スマホは1時間以上見ないようにしましょう」

と言われても、

私や、夫が所持している携帯電話はスマホではなく、

逆に、1時間もその小さな画面を見入る機会などありません

周囲のほとんどの友人、知人がスマホを持っている様子を見ると、

スマホっていうのは、1時間くらい平気で見ていられるものなのだな、という

気づきから話を聞き始めたのでした

スマホがないだけでも、ずいぶんと時間に余裕があるのかもしれないなあ~と

今もすごく忙しいけれど、スマホを持ったらもっと忙しくなってしまうのかしら…と

 

あ、ほらほら、このブログだってきっと、スマホで見てくださっているのですよね

 

だから、きっと、スマホさえなければ解決だね、っていうようなことも、

簡単にはいかないのですね

生活必需品となってしまった今、じゃあ、どう付き合っていくか、ということを、

大人がまず真剣に考えなければ、

子どもたちの脳をむしばむ(と断定していましたよ)電子機器は、

私たちの生活のあらゆるところで、思いもよらない影響を及ぼすことになりますね

 

今回のシンポジウムの特徴は、よく耳にするスマホの危険性とは視点が違い、

完全に、「健康面」「学力面」への影響に的を絞ったものであったことです

出会い系が危険だとか、いじめが生じるとか、そういう問題は別として、

いったい、本当に、スマホ(や、ネット、テレビやゲーム)を使用すると、

身体にどういう影響が及ぶのか、

川島教授の本拠地、仙台市の子どもたちのデータをとって追跡し、

学業成績などとの相関をグラフにして、それを読み解くことで考えていく、という内容でした

 

さて、デジタル画面には「ブルーLEDライト」が主として使用されているそうです

 

*ブルーLEDライトの人体への影響についてはわかりやすいサイトがあります

 ぜひ、御覧になってみてください(ブルーライト研究会サイト

 

このブルーライトを浴びる(デジタル画面を見る)ことで、

睡眠ホルモンとも呼ばれるメラトニンが分泌されにくくなり(朝日を浴びた、と誤認)

脳は覚醒してしまいます

そうなれば、睡眠に障害を来すということは簡単に理解できます

だから、夜にデジタル画面を長時間見ることで、なかなか眠れなくなったり、

体は疲れて眠ったつもりでも、実は脳は休んでいなくて朝すっきり起きられなかったり、

するのかもしれません

デジタルヘビーユーザーの昼夜逆転現象もこうしてエスカレートしていくようです

 

そして、タブレットやスマホの「縦使い」にも実は、

人体に影響する大きな要因が隠されているそうです

それは、より目、斜視などの視覚障害です

小さな画面を両眼で見続けることにより、

焦点を合わせるため、脳は片方の目だけを使うようになってしまい、

画面を離れた時の遠近感をつかむのに支障が出ます

 

これにより、球技(たとえば野球などの小さなボール)に影響が出て、

あまりにもミスが増えてきたため、

スマホ・ゲームを禁止したスポーツチームの指導者もいるそうですが、

これには、私の周囲の子どもたちの状況から見ても、納得がいきました

学校や地域行事で見る子どもたちの身体の扱いが…異様に不器用です…

関係あるのだろうな…と思われます

 

最近、車を運転していると、センターラインをはみ出してくる車が異常に増えています

もしかしたらそれは、大人たちの目も、小さな画面にやられていて、

遠近感がとれず、にぶくなっているのではないか、と推測しています

 

とにかく、多くの大人がスマホ中毒である、と川島教授も言っていました

 

だから、いくら親が言っても、先生が言っても、子どもは聞かないのだ、と

だって、大人は使いまくっているじゃない、と

いつも「無料通話アプリ」やメールの着信音がなっていて、

鳴ると手にするじゃない

家族と食事していても、外に出かけていても、すぐに返信するじゃない

なにか調べる時も、すぐにスマホを見るじゃない

 

そんな大人になにを言われても、聞くはずはありませんよね

 

それでも、電子機器が子どもの心身に与える影響、学力・思考力への影響は

明らかにデータが出ているのです

どうしたらよいのか

考えなくてはなりませんよね

 

まずは、「知ってて悲劇・知らずに悲劇」という大きな違いを生じないためにも、

「いえいえ、とはいってもスマホは手放せませんよ」という方たちと一緒に、

まずは知るところから、はじめないといけないな、と感じました

 

とりあえず、ご自分がスマホ中毒にかかっていないか確認を

子どもに、スマホ依存(しがち)の姿を見せていないか確認を

その上で、

データを読み解いていきましょう

 

まずは、仙台市が作成したリーフレットが公開されているので、

御覧になってみてください

仙台市の子どもの学力とスマホの関係

《2018年 2月14日投稿》

192.襟を正そう、おとなたち

朝日新聞

2017年8月30日(水)

オピニオン&フォーラム欄 『耕論』 「子どものため」って?より 

歌手・俳優の美輪明宏さんの文章

生き様を見せることこそ

私が一番多感だった子ども時代は戦時中でした。長崎の実家はキャバレーのようなカフェや銭湯をやっていて、昼間とは違う大人たちの姿を見て育ったので、かわいげのない、変わった子どもでした。

 普段は立派な身なりの人が意外とだらしのない体で、ヨイトマケのおばさんが立派な体だったり、官職にある人がお忍びで来て、ホステスにいたずらしてヘラヘラしたり。そんな大人たちが「ねばならない」と押しつけていた軍国教育は、長崎にも原爆投下を招いた末の終戦で全てひっくり返り、美徳とされてきた価値観は悪徳になりました。

 私は、そんな大人たちを見て思ったんです。ひとの人格や立派さは、容姿や年齢や肩書きなんかとは一切、関係ない。目の前にいる人の魂が、ただ清らかであるかどうかだけを見るようにすればいい、と。その思いは、今に至るまで変わっていません。

 子どもは、複雑怪奇な生き物です。特に、分別がつく前の幼児は常にくるくると動き回り、何をするかわからない。でも、幼児だと思っても、大人以上の冷徹な思考で人を観察しています。親や教師の心や動き方も、どこかで見ている。この人はあの人が嫌いなんだとか、この人はだらしないとか、ちゃんと勤務評定をつけているんです。だから、そんな大人が「子どものため」と言っても、腹の中でせせら笑う子もいます。

 それなのに、こんな政治で、国が道徳を教科化?笑っちゃいますよ。ヒステリーをおこし、「記憶にございません」と言っていれば大丈夫だと教えるんですか。政治だけではありません。いじめで自殺した子がいるのに、保身に走る教育委員会。金儲け主義で、暴力やグロテスクな表現ばかりの漫画やゲームや映画。お前のためだと言いながら、自分のミエや人生の尻ぬぐいのために、子どもを塾にがんじがらめにする親。大人がやるべきことって、そういうことなんでしょうか。

 本当に愛情をもって子どもを導くには、まずは導く資格があるかどうか、我が身を振り返ることです。特に今は本を読まない大人が多く、言葉遣いもめちゃくちゃ。あいさつや敬語の使い方も子どもに伝わり、人生を左右します。本当に「子どものために」と思うのなら、まず大人が本を読み、日本語の勉強からし直した方がいいと思います。

 「人のハエを追うより、自分の頭のハエを追え」って言いますでしょ。子どもは、親の背中、大人の一挙手一投足を見て育つ。本当に子どものために必要なのは、どんな教育よりも親の生き方、大人の生き様なんです。その上で、時に突き放して苦労から学ばせる厳しさと、時に身を挺してでも守り抜くバランスが、子どもへの真の慈悲になるのです。

 

精神科医 春日武彦さんの文章

大人社会がまず変わって

 「子どものために」という言葉を聞いて、素直に「そうですね」と、他人の子どもについても自分の子のように思える大人がいまどのくらいいるでしょうか。

 昔から、「子どもは社会の宝物」といった言い方があります。頭では分かりますよ。この国の存続には子どもがちゃんと育つことが必要だ、と。

 しかし、今の現実世界では、隣の子のことはよく知らないし、公園で下手に声をかけると変質者扱いされる。隣の子とすらリアルな一対一のつながりがないのに、ひとくくりにされた「社会の子ども」に親身になれますか。

 昔は違いました。私の子ども時代、野球をやっていると、知らないおじさんが「俺にも打たせろ」と言いながらバットを持ってやってきた。しつけをしてくれる近所の大人もいました。地域に共同体があり、よその子とのつながりも感じられました。

 なら昔に戻そうという発想は単純に過ぎます。個人情報の保護が優先される時代では、隣近所にも家族のことを知られない方がリスク管理にかなうとされます。子どもが性的な対象になる犯罪が目立ってきた現実もあります。

 そもそも大人同士ですら、近所でリアルなつながりがない。大人の共同体が崩れたなかで、その社会で宝物のように共有できる子どもなんていなくなったのです。にもかかわらず、「子どものために」と言うのは、大人の社会が崩れていることをごまかすようなものです。

 いまや「子どものために」と呼びかけるのは、大人の共同体が存在しているかのように装い、いもしない「共有の子」のために頑張ろうと言い募るようなもので無理があります。

 いっそ「大人のために」と言った方が自然です。大人が住みやすい社会にするために、まずは大人同士で考え、そのうえで子どもとどう付き合うかを考えるのです。

 精神科医として他人の心の闇を見てきた私でも、道であいさつされたら無条件に「世の中まんざらでもない」と思う。人間の心には単純なところがあって、あいさつ一つで違う世界とのつながりを感じられるものです。他人のえたいの知れなさを埋めるために、あいさつのような無難なこともできない社会で大仰な言葉を吐いても仕方ありません。

 地域での礼節を大切にしましょうと言ったら、すごくつまらなく聞こえるかもしれません。「結局、道徳か。」と。ただ、学び手になるべきは大人です。大人が互いのつながりを取り戻さないことには、子どもとのリアルなつながりも取り戻せません。大人同士の壊れた関係を直視し、修復を考える。その方がよほど子どものためになります。

 

 

そうなんですよね

周囲を見ても、メール相談などで一緒に考えていても、思うのですが、

「大人」が、大人じゃない気がするんですよね

でも、外見や、年齢は「大人」だから、こういう指摘をされると傷つくし、腹が立つんでしょうね

しかも「お前に言われたくない!」って私なんか叩かれそうですよね

だから、

ぐっと本物の大人のお二方の意見を引用させてもらいました

わたしも早くかっこよくて優しいおばあちゃんになって、

大人になれなかった大人の方の話を聞いてあげたいな…

 

「大人」になる

って、自分一人じゃ無理なんですよね

結論から言うと、やはり、そのように育てられてしまったんです

 

でも、いつまでも「そう育てられてしまったんだから無理」って

自分以外の、どうにもならないところに責任転嫁していても先には進めないし、

いつまでも楽になれないんです

 

いまや、何でもありで、様々な世界で、大人が大人らしくいることの美学とか、

すでに死語の世界ですけれど、

それって、「女らしく」とか、フェミニストの方々を逆なでするような言葉と似ていて、

大人が「大人」になりきれていないから

その境界線が曖昧だから

「大人」ってなにさ

って

大人が幼稚化しているのだろうな、って感じます

 

文化は多様化し、価値観もそれぞれでいいじゃないの、って世の中は寛容です

 

でも、子どもが思うように育っていない、と気づくや、

「国」が「道徳観」を植え付けようという動きが始まる

メディアなんか今ほどなかった時代だったら、

国からの言葉で子どもは操作できたかもしれない

でも、

子どもたちの情報源は大人には特定できないほど

ただ、

昔から変わらないのは、

子どもは身近にいる大人をよく見ている、ということ

特に親や先生がしていることは、

全て手本になっているということ

 

そんな自覚もないまま、親や先生をしている人が多すぎる

 

子どものせいではありません

《2017年 9月6日投稿》

65.子どもの心が見える本

児童精神科医の佐々木正美先生の著書はたくさん持っていますが

中でもこの薄い冊子は

市販されておらず

(2000年に佐々木先生が行ったセミナーを

「子育て協会」の方が興したものだそうです)

…たぶん、子育て支援のNPOで少し働いていた時に

スタッフを通じて入手した本のうちの1冊なのですが

いつでも手に取れる場所に置いておき、時々はらはらとめくる本の中のひとつです

できれば多くの大人に読んでもらいたいけれど

わたしがこうしてブログで紹介することで誰かの心にとまれば

その誰かと、その近くにいる子どもたちとの関係は

少し変わるかもしれない

そんな気持ちで少しずつ

引用して紹介したいと思います

どこもかしこも引用したい部分だらけなのですが…

 

その前に…

また最近わたしがこの本を仕事机のまんなかにこうしてどん!と置いてみたキッカケは

子どもたちの、心が…

どうなんだろうな~と思う出来事がいくつかあったからで…

 

たとえばとある中学校の先生たちの、現場からの報告として

…具体的ですが…「万引きを罪と思わない子が増えている」とか

…アメリカで問題になっている「リベンジポルノ」も横行しているとか

(用語の意味は…検索してみてください…涙)

かと思えばわたしの身近にいる子どもたちの中にも

「親御さんは絶対知らないんだろうな~」という一面を

友達同士や、

オーラを消して実はそばにいるわたしのような関係ないおばさん

または

ほとんど受け身に徹していてただニコニコしてるだけのどんぐり学舎のせんせい

であるわたし、の前で

思いっきり出しているのを見てしまって

いったい…この子はどう育っているのだろう…

親御さんに伝えるべきだろうか、どうしようか…と思いを巡らせたり

 

そんなとき、わたしはもちろん思うのです

子どもは絶対、悪くない。

 

ごめんなさい、悪いのはたいてい大人なのです。

自分も含め、反省すべきは大人の方で、

身近にいる大人の生き方、心がけ、言葉かけ、その子への愛

間違った方向でないまっとうな愛

それだけが

こどもの心を育てる一番大切な条件なのです

 

だから少し久しぶりに

この本を机の真ん中に置きました

ブログのカテゴリーにも「自分のためのべんきょう」という項目を増やしました

わたしがどんぐり学舎の主催者として

あるいは母親として

社会人として大人として

学び続けていること、理解したいと苦しみながらもがきながら獲得しようとしていること

もし同じように

学びたい人や

もがいている人がいたら

と思って

少しずつ、紹介したいのです

 

佐々木正美先生(男性)は1935年生まれの児童精神科医です

いまから40年ほど前に児童精神医学の臨床訓練を受けるためにカナダに留学した際、

ドイツの精神分析学者エリクソンについて2人の教授から学んだそうです

以来、ご自身では「エリクソンとの出会いがわたしの出発点」とおっしゃっており、

この冊子ではエリクソンに学んだ「こどもの心」についてわかりやすく解説してくださっています

エリクソンの示すライフサイクルモデルは乳児期から老年期まで8段階に渡ってあるのですが

ここでは児童期、学童期、思春期を中心に、乳幼児期も含めた部分で

略しながら、重要と思われることを紹介しようと思います

 

 

人間の発達

発達の順序性

 人間が発達していくプロセスには必ず順序性がある。だから、首のすわらない赤ちゃんにどんな訓練をしても寝返りは打てない。寝返りの打てない赤ちゃんに、おすわりやはいはいなどは期待することができない。

 首がすわること自体が、寝返りを打つための準備-次の発達へのトリガー(引き金)になっているのです。準備状態ができていなければ、次の状態は達成されません。順序性というものはとてもはっきりしているのです。

 算数の勉強とよく似ている。前の段階が習得されていないところに、次の段階は絶対教えられない。整数の概念ができていない人に小数や分数を教えることは不可能だということです。

 首がすわらなければ寝返りはうてないということは、目で見えることなのでわかりやすいですが、人間の社会的人格の成熟という側面は、非常に内面的なものなので、人が見失いがちなのです。

基礎工事の手抜き

 人間は苦しい時にはいろいろあがきますから、一時的に見せかけの前進のようなものもあって、こんな事はどうせできるようになるさと思わせることもあります。けれども、それは基礎工事ができない建物のようなものです。いい加減な手抜き工事を進めていくことはできます。無理に柱を立てて、壁を塗って、急いで屋根を葺いてしまう。しかし、暴風雨やちょっとした地震で家が傾いてしまって使い物にならなくなってしまう。人格でいうと、しばしばそれが17歳頃に起きるということなのです。

 多くの場合、柱の材質の吟味が悪かったというよりも、最初の基礎工事のところがだめなのです。よく理解できないまま、講義や教科書を丸暗記して、何とか試験をパスするようなものです。ちょっとした応用問題を出されるともうわからなくなります。

 わたしはご縁があって、40歳から63歳までの23年間、毎月ある市の保育士の方々と勉強会を致しました。23年も通い続けると、どういうお子さんがどうなっていかれるかが本当にわかります。2歳のお子さんが25歳になるのですから。本当に勉強しました。本当にたくさんのことを教えていただきました。結果として学んだということになります。

 その中で私が最も強烈に学んだことの一つは、親の前ではよい子だけれども、保育園では困った子どもになる、こういう子どもほど、将来はほぼ間違いなく心配だということなのです。

 小さい子を押し倒す、友達に噛みつく。言うことをすぐに聞いてあげないと、みんなで大切に飼っているメダカの水槽をひっくり返してしまう。些細なことで我慢できなくてイライラする。

 実は、些細なことで我慢できなくてイライラするのは親なのです。それでこどももそうなっている。けれども親の前でするとひどいお仕置きを受けます。ですから親の前ではありのままの姿を見せられないのです。

 屈折していますが、「こっち見て、こっち見て」とその子は言っているのです。「おかあさん、こっち見て」「おとうさん、こっち見て」と言えないから、保育園に来た時に「ぼくの方を見て」「わたしのほうを見て」と言うのです。

エリクソンのライフサイクルモデル

各時代のテーマ: 獲得したいもの   →(矢印以降は)獲得できなかった時の不幸な生き方の典型

     乳児期:基本的信頼…希望!      →不信…引きこもり

     幼児期:自律性…意志!         →恥と疑惑…強迫

     児童期:積極性・自主性…目的!    →罪悪感…抑制

     学童期:勤勉性・完成…適格性!    →劣等感…不活発

思春期・青年期:アイデンティティ…役割!   →疎外…役割拡散・拒否

  若い成人期:親密性・連帯性・生産性…愛! →孤立…排他性

     壮年期:世代性・生殖性…世話!    →停滞・自己陶酔…拒否性

     老年期:統合・完成…英知!秩序!  →絶望…侮辱・屈辱

 

幼児期

自律性が身につく時期

 ロバート・エムディ(精神科医)は、生後6ヶ月から1歳半ないし2歳くらいまでの間の育児が、将来社会的なルールを守って行動できる人になれるかどうかをほぼ決定づける、それほど感受性が重要な時期だと言っています。胎児期の9ヶ月を含めて33ヶ月-生まれた後の最初の2年でほとんど決定的に決まっていると言っています。

 非常に詳細な研究です。4歳-5歳で攻撃的な感情を持っていたら大変危険だということを、とても綿密な追跡調査から言っているのです。科学的な根拠-実証的な研究に基づいて言っているのです。思いつきや想像ではないのです。「母性神話」ではないのです。

自律性を育てるには

 どのようにすれば子どもたちは自分で自分の衝動をコントロールできるようになるのでしょう。ひとことで言ってしまえば、「すぐにできるようにならなくてもいいんだよ」というメッセージを伝えながら、大切なことをコツコツくり返し教えてあげることです。「ちゃんとできるようになるまでいつまでも待っていてあげるから」「何回でも教えてあげるから」。こういう気持ちを子どもに伝えることだと言っていいと思います。

 「誰でもいつかはできるようになるのだから、心配しなくていいのだよ。いつからできるかは自分で決めればいいのだよ」というメッセージを、どう伝えるかということだ。エリクソンは絶えず言っていたそうですself-control autonomyという言葉は本来「自分で決める」という意味なのだとも言ったそうです。なるほどと思います。

 「まだできないの」こんなことは言ってはいけないのです。「何度言えばわかるの」こんな言葉は最悪なのです。

 こちらがコントロールするのではないのです。それは他律です。親の前でよい子で保育園で手のやける子というのは、他からコントロールされている、自律性が最も少ない子です。ほぼ例外なく思春期に困難な子になるということを、23年間通い続けた保育園で嫌というほど教えられたのです。

 これを親に伝えるのが難しいのです。自分は育児が上手だからいい子にしているが、保育園は保育が下手だから難しい子になる、こういう風に思う親がいるのです。勉強会をしてきた保育園では、保育者からは言いにくいので、わたしが憎まれ役を致しました。10年先が見えるような気がする、と。どんなに私を恨んでくださってもいい、間違いだと信じてくださってもいい。けれども、どこかで、あの人が言ったことが正しかったかなと思うことがあったら、思い直してほしいと。何人にも申し上げてきました。

 気持ちを変えられた方と、そうでない方と、思春期・青年期に見事に分かれていきます。

 待っていてあげるのです。まだしたくない、いつするかは自分で決めるのです。「早くできる子がおりこうなのではないのだよ」というくらいの積極的なメッセージでもよいとエリクソンは言ったそうです。そうすると子どもは怠けるかというと、そうではないのです。むしろそういう風に言ってあげた方が、積極的に取り組むようになるのです。

 

(今回の引用はここまで)

気になりますね…「気持ちを変えられた方と、そうでない方と、

思春期・青年期に見事に分かれていきます」

言ってしまったことありますね…「何度言えばわかるの!」

…部屋を散らかしまくっている時だけは…わたし、これを言ってましたね…

でも、言わないように意識しているのです

わたしもただの人間です、自分の欠陥もよくわかっているつもりで、

こういう本もたくさん読んでいますから、

言いながら「これはいかん!」と思っているのです(笑)

他のことではほとんど言わないし思ったこともなかったんですよ

勉強なんかもちろんですけど他の事も、

何回でも失敗すればいつかはできるようになると知っているし、

自分で獲得するしかないのだし(他律の恐ろしさは上記の通りですし)

そんな言葉がどれだけ子どもを追い詰めるか想像できるから

でも、床に物を散乱させたままにしておいたり、

使ったタオルを洗濯に出さずに放り出しておいたり、

わたしの生活にはあり得ない暮らし方をする娘たちに

いらついたんですね、いちいち

幼い頃ならともかく、もう小学生ですから、ちゃんとしなさい!って思っていたし、

ことあるごとに言っていたんです

でも、今は言わないんですよ

床に物が落ちていたら、黙ってビニール袋に集めて、ゴミ袋としてまとめておきます(笑)

それは困る!とだいぶ「床に放置」は減りました

一室、絵本やおもちゃの置いてあるいわゆる「子ども部屋」はわたしの管轄外にして、

自由にさせています

掃除もしません

床になんか落ちていますがそれも放っておきます

いっとき「ゴミ屋敷」などと言ってからかいましたが

それもやめました

なぜだか、先月の終わり、春休みの始まったその日から、娘たちは自分たちで

朝から晩まで数日間その部屋にこもり、

すっかりキレイに片付けて、掃除して、整頓をしたのです

先週、新学期の準備であれこれ自分たちでやっていた娘たちの会話を聞いていたら

「あれ、どこだっけ」

「あれは棚のあそこにあるよ」

自分たちで全部整理したのですっかり把握している様子

元々、旅行の荷造りなども保育園時代からほぼ自分でやらせていたので

今では何にもしてやらなくても完璧にできるのです

子どもは子どものリュックに自分たちで決めて詰めさせ、持たせます

わたしは何も手伝わないのです

片付けない、散らかす、に関しては恥ずかしながら糸山先生に相談したことがありました

その時の禅問答(?)がこちらです

私:部屋を片付けないのが気になります

糸山先生:片付けるほうが気になります。

     年に一度大掃除で綺麗にする快感を覚えるようにするといいですよ。

私:(あまりにも片付けないのは)やはり親に原因があるのでしょうか…

糸山先生:片付けないのが普通。

片付ける方が気になります!?

片付けないのが普通!?と衝撃を受けたのと、

大掃除で綺麗にする快感、知ってる!!と思い出したのと、で

それからあまり言わなくなりました

一緒に本を並べ直して「きれいだね~」と一緒に喜んでみたり

「あれあれ」といらないもの集めをして「すっきりしたね~」と一緒にごろんごろんしたり

まあ、時には爆発もしたのですが、基本、「その部屋」は放っておいたのです

そうしたらこの春、娘たちは進化したのです

自律

したのですね

 

こうして日々たくさんの師匠にヒントをもらいながら、

わたし自身が学びを得ている幸福感

これは、自分から学び取ろうとしていることを

つかみ取っているからなのでしょう

この上ないこの幸福感は子どもたちにも味わわせてあげたい

まだまだ将来が長く豊かに待ち受けている子どもたちにこそ

味わってほしいのです

わたしたち大人が制限することではありません

わたしたち大人が手や口を出して決めてやることではありません

 

どんぐり学舎の保護者の皆様や

もしかしてこれを読んでくださっている方々の何人かのかたは

もうすでに我が子の「幼児期」なんて過去になってしまっていて、

生まれて2年で決まるなんて、いまさら言われても…

と逆に思い悩んでしまいそうですよね

 

(実は18歳でこの理論を学んだわたしは

いつか親になったら最初の2年が勝負だわっ!!

って当時から思い描いていて、実際、意識して我が子のその時期を育てたんです(笑))

 

でも、佐々木先生は書いていらっしゃいます

気持ちを変えられた方と、そうでない方と

思春期・青年期に見事に分かれていきます

子どもの気持ちではありません

わたしたち、大人の気持ちです

わたしたちが変われば子どもが変わるということです

 

あきらめないで一緒に学びましょう

佐々木先生と同じように私も言いたいです

ひどいことを言うなあ、つらいことを言ってくるいやなヤツだなあ、って

思われても仕方ありません

わたしは、目の前にいる子どもたちを守りたい

まっとうに、育てたいのです

だからいつか、わたしと別れた後でもいつか気づいたら、意識してみてください

わたしたち大人が変われば子どもは変わる

逆に言うと、

わたしたち大人が変わらなければ子どもは………

 

少しずつ、また引用、紹介します

わたしも学びながら、心から理解できるよう、読み解きながらお伝えしたいです

《2014年 4月9日投稿》