カテゴリー「日々思うこと」の22件の記事

239.「どんぐり学舎 最初のブログ」最後の投稿

2013年から2018年秋までの

 

「どんぐり学舎」最初のブログを最後まで読んでいただき、

 

本当にありがとうございました

 

 

 

ひとつ前の投稿でご案内した「新しいホームページ」も実は、

 

2020年1月いっぱいで閉鎖になります

2019年5月18日までで引っ越しします

 

 

それまでに、また新しいホームを作って、引っ越さなければなりません

引っ越し先新サイトURLは

https://donguri-gakusha.net

です!

 

それで、どうにかしてこれからも、

 

ひとりよがりのブログをこんな風に、

 

書き続けていきたいな、と考えています

 

 

 

インターネットがなかったら、

 

こうして私の勝手な言い分を

 

会ったことのない誰かに発信することも不可能でした

 

 

 

もちろん、最初は、塾生さんや周囲の、

 

会ったことのある方々に向けて書いていましたが、

 

「読んだよ」とメッセージを送ってくださるかた、

 

「読んでいるのでまた書いてください」と励ましてくださる方が少しずつ増え、

 

私のこのブログへの想いも少しずつ変化してきました

 

 

 

今はただ、

 

色々な想いを抱えてこの世界を生き抜いている人たち、

 

それは、ちいさい人たちや、とりまくおおきい人たちみんなに向けて、

 

できれば、

 

建設的で、前向きな気持ちで、書いていきたいのです

 

 

 

あれもダメ、これもダメ、と悲観すればきりもなく、

 

正直、今の子どもの育つ環境は、勉強面はもちろん、遊びの面でも、

 

あまりにも多くの問題を抱えています

 

 

 

私たち大人にできること、すべきことは、それぞれの立場で違ってはいても、

 

将来、必ず大人になる今の子どもたちの心と体を、

 

どんな風に守り、育てていけるのかは、

 

共通の課題として学び続けなければならないと考えています

 

 

 

20~30年後には彼らがこの世界の中心となり、

 

また、彼らが子育てをしている

 

 

私たちが生きている間になんの変化もなくても、

 

焼け石に水だなんて思わず、いつか生まれてくる私たちの曾孫たちのためにも、

 

その親たちが笑顔であるように

 

その祖父母たちがおおらかであるように

 

 

今できることは、目の前の子どもたちが、幸せな子ども時代を送ること

 

彼らが親となり、祖父母となる時に、

 

子ども時代は幸せだった、と目を細めて空を見上げるように

 

 

 

だから今、

 

思い切り遊ぶ子ども

 

思い切り学ぶ子ども

 

彼らのためにわたしたちは、できるだけの力を発揮すべきだと思うのです

 

 

 

 

これからもどんぐり学舎をよろしくお願いします

 

 

これからもブログを書き続ける場所を探します

 

そして、

 

いつでも私はどんぐり学舎にいます

 

ブログやメールも素敵な手段だけれど、

 

会って話せたら、もっと素敵

 

 

顔を見て、話せる時間を、これからは作れたらなあ、って考えています

 

 

 

5年間このブログを読んでくださって

 

本当にありがとうございました

 

 

 

 

どんぐり学舎

 

D→K Room

 

DSS(どんぐり・しぜん・すくーる)

 

 

 

代表

 

 

泉 聡子

 

(群馬県高崎市在住)

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231.YouTubeばかり見ていてもユーチューバーにはなれない

とある小学校で、

消防署に見学に行った時、

消防士さんが「将来、消防士になりたい人!」と聞いたら

し~ん

「それじゃあ、何になりたいの?」と聞いてみたら、

ほとんどの子が

「ユーチューバーになりたい。」と答えたそうです

 

小学生同士の話題も、「ユーチューブ」というワードの出てくること、出てくること

「まだ見てないの?」「今日、見てみるね」

夕べのテレビ番組!というのと違い、いつでも、同じものを見ることができる、

そんな共有の仕方があるそうで、とにかく、子どもたちの周辺の会話には

よく出てくるアイテムのようです

 

スマホやタブレット、ゲーム機を寝室に持ち込み、

夜更けまでユーチューブを見ていて学校で寝不足を訴える子も少なくないとか

そこまで夢中にさせる魅力ってなんだろう

 

大人や大人に近い子たちが好きなチャンネルはさておき、

小学生が見ている動画ってどんなものだろう?

私は全然、知らなかったので、情報を仕入れてからちょっとのぞきに行くと…

なんだろう、

ただ、「なにかしている」動画

ただゲームをしている

ただ外で遊んでいる

ただ実験している

字幕が出て、音楽がかかって、効果音が鳴って、

まるでテレビのバラエティ番組を見ているようで、

でも、テレビより制約がなく、自由度が高いせいか、

勝手気ままな雰囲気と、クオリティの高低差もすごい

なにより、わたし個人的に見て思ったのは、

テレビに出ている人の顔や声の美しさ、魅力ってすごいんだな、ということ

長い時間、その人が喋ったり、何かしたりしているのを見ていられるのは、

動画にたえうるルックスがあるせいなんだな、と、

YouTube動画は途中で、見ているだけで疲れてきました

長くは見ていられません(おばさんだからかな)

 

そして、これのどこが、小学生をひきつけるのかな…考えてみました

 

実業家の堀江貴文氏が、プロ野球団やテレビ局も買える、とテレビで話していた当時、

近い将来、インターネットは、誰でもテレビ番組を作れるツールになる、

と言っていたのを思い出します

自分で撮影した動画を、インターネットで配信して、ある程度視聴者がついて、

それに広告主がお金を払うだろう、と

司会のタレントは「想像もつかない」と遠い目をして反応していたし、

聞いている私も信じがたかったけれど、

実際、まさに、今の時代にその通りになっています

 

かつて、「ハンディカム」という8ミリビデオカメラが大流行した時、

学生時代、やっとのことで入手したそのカメラで、

(スキーのフォームチェックのためという大義名分…)

私はよく、「何気ない光景」を録画しては、あとで被写体みんなで見て楽しんでいました

たとえば、友達の部屋でカードゲームをしている光景、

飲み会をしている光景、ものまね大会をしている光景、

ドライブしているところ、高原でお弁当を食べているところ…

色々な観光地でジャンプした瞬間止めて、次の場所で着地するところから撮影すると、

瞬間移動したような映像が撮れたり…

字幕を入れられる機能があったので、時々それを使ったり…

(当時の私の友人たちは、うんうん!と苦笑しながら思い出していることでしょう)(笑)

 

今や、ハンディカムは見かけないけれど、

ほとんどの人が手元に写真、動画を撮影できる端末を持っている時代ですから、

そんなことは誰でもできるのですが、

当時はあまりそんなことをしている人はいなくて、

でも、

誰か他の人に見せる目的なんかなくて、

ただ、私が録画して、時には固定して自分も映りこみ、

それを、後日そのメンバーでただ見るだけ

今ならそれを、SNSにでもアップして、または、

世界中に発信するサイトにアップして楽しむのでしょうか

 

自分たちで見れば確かに面白いのですが、

他人に見せるのはこっぱずかしいし、当事者以外が見て何が楽しいのだろ、と思うので、

(ほらほら、よく、よその家の子どもの成長のビデオを見せられる苦痛とか言われている…)

今の流行にはいまいち共感できないのですが、

ああ、そうか、と思ったことがひとつ

 

一緒に遊んでいるつもりになれるのか、と

 

やっぱり、子どもたちは遊びたいんだ、って

誰かと一緒に遊びたいんだな、って

それが、なかなかできなくて、

動画を見て、楽しんで、まるで自分も一緒に遊んでいるような気持ちになって、

それで満たそうとしているのかな、って

それだから、芸能人である必要はなくて…

 

わたし自身、楽しみ方がわからないのでいい加減な分析なのかもしれませんが、

もしかして、この方の言っていることなら

小学生や、その周辺の人たちへの説得力はあるのかな

 

スマホは中学生まで持たなくていいと思います。

ゲームや動画で満足して、遊び方がわからなくなりそう。

僕はめっちゃ外で遊びました。

ガラケーを持ったのは高校で、スマホは大学に入ってから。それくらいでいいと思います。

子どもの時に体を動かして、モノを作ったり、足を運んだりする経験が大事です。

SNSでは、嫌な情報を公開されるリスクもあります。

情報を開示した責任は自分にあって、一度出た情報は取り消せないので、

出てから後悔しても遅い。未然に防ぐしかないです。

その意味で、SNSは危険いっぱいの代物です。危険性を理解した上で使うのが大事です。

(ユーチューバー はじめしゃちょーさんのインタビュー記事より)

こちらが全文

 

ゲームもテレビも、スマホアプリも、動画サイトも、インターネットそのものも、

それらの開発者さんは最初から、

小さな子どもたちの生活リズムを乱してやろうなんて、

昼夜逆転の不登校児を増やしてやろうなんて、

視力を悪くして眼鏡屋さんと一緒に一儲けしようなんて、

子どもの情緒を不安定にさせてキレる子を増やそうなんて、

勉強嫌いの子を増やそうなんて、

望んでいるはずはありません

 

開発者さんたちや、人気ユーチューバーさんたちの思考力や、発想力、行動力は、

凡人ではない、素晴らしい才能に溢れているし、

自分の力を存分に発揮なさっている

 

そういった大発明の恩恵を、「楽しむ」という形で本当に受けとめることができるのは、

早ければ早いほどいい、というわけではなくて、むしろ、

はじめしゃちょーさんの言うとおり、

実体験がたくさんあって、本物の交流がたくさんあって、外でめっちゃ遊んだ上での、

その世界

満を持して!ということなのではないでしょうか

 

ほんのいっとき、「静かにしていてくれるなら…」と与え始めてしまったスマホやゲーム機、

それでも、開発者さんや出演者・制作者さんの才能は子どもの好奇心などすぐにさらっていきます

本当は、

野山に連れて行って1日放置しても同じ反応をするのですが、

エアコンの効いた快適な家の中で、同じ様な「楽しみ」を味わうことができたら、

わざわざ汚れたり、虫に刺されたり、遠くまで出かけたりせずに楽しめる方を

大人でも選ぶかもしれません

「野山なんかいやだ、何にもないし、汚いし、めんどくさい」って

そんな子どもも珍しくありません

(子どもの本音でしょうか?もしかしたら、親御さんの気持ちの代弁かな?)

そして、ずるずると、はじめしゃちょーさんの言っているような、

「危険性を理解した上で使う」という原則も、揺らいだままになっています

 

とにかく、ユーチューバーや、ゲーム開発者になりたい小学生に言いたいのは、

ユーチューブばかり見ていてもおもろいユーチューバーにはなれない、ということ

ゲームばかりしていてもゲーム開発者にはなれない、ということ

ユーチューブで見た面白いことを動画に撮ってユーチューブにアップしても、

それはただの真似っこで、ユーチューバーではありません

 

そして、はてさて、今から10年後、6年生が就職する頃に、

ユーチューバーという職業は、どっちに転がっているでしょう

きっと、

はじめしゃちょーさんのような方は、

その時に、また、自分の才能を生かすことができる仕事の仕方を、

いち早く見つけ出しているのだと思います

それが、本物の思考力を持った人の、人生を楽しむ生き方なんだろうな、と

《2018年 6月7日投稿》

224.親の役割、わたしの役割

先日、福祉関連の仕事をしている人からこんな話を聞きました

福祉サービスを受けている方とその御家族からの細かい注文が多く、

本来、すべき仕事よりもそれらに気を遣って大変だ、と

たとえば、

「呼称」が決まっていて、間違えると苦情を言われ、厳しく注意されるとか、

「洗髪の仕方」「シーツの整え方」などがニーズに応じて異なっていて、

間違えたら大変な苦情を受け、やはり厳重に注意されるとか

訪問する福祉サービスでは、掃除の仕方にも細かな注文があり、

…それらの注文が、あまりにも現実離れした理不尽なものであるのですが…

その手順や仕上げを間違えるとまた、苦情を受け、注意されると…

それが、珍しいケースではなく、かなり多数のユーザーがそうらしいのです

 

介護や、看護の現場では、もちろん、利用者さんや患者さんの症状によって、

個別に気をつけるべきことがあり、必要以上のストレスをできるだけかけないように、

細やかな気遣いやスタッフ全員での情報共有のために明文化する部分はあることでしょう

 

それでも、

ちょっと待ってくださいよ

特に介護の現場では、

家庭で過ごせなくなったり、家庭生活に手伝いが必要だったり、その段階になって、

福祉サービスを利用することになったはずです

自分ではどうにもならなくなったり、家族ではケアしきれなくなったり、

特に高齢者の介護では、相談にのってくれ、介護を代行してくれる福祉サービスは

とても重要な役割を担っています

それでも、

まるで立場が逆転したかのような、現場の介護スタッフへの厳しい注文は、

いったい、どんなところからそうなってしまったのか…理解に苦しみます

お金を払っているんだから当然だ、とでも…?

どこかから聞こえてきそうな声です

そんなことでは、誰も介護の仕事をやりがたらなくなり、

誰もその人を心をこめてケアしよう、なんて思わなくなってしまいます

基本的には家族のことは家族でケアしよう、その段階で、必要なプロの手を借りよう、

そして、協力しながらやっていこう、

それが本来の福祉サービスのありかたではないでしょうか

 

「いくら大変だからって、年をとったからって、家族を、そして福祉の人を、

なんだと思ってるんだ!」と

話を聞きながら愚痴っていたら、

ふと、子どもの教育に関することも思い浮かんできました

 

いま、教育サービス業があまりにも多様化していて、

まるで「それらありき」のような、そんな世界になってきています

本来、

子どもの教育は家庭でするもので、学校にあがる前に基本的な習慣は身についていて、

それから学校に送り出し、

子どもを見守り、育てていく

その上で、子どもに関して困ったことがあれば先生と相談し、家族で工夫し、

その子がいちにんまえに成長するまで、自主的に生きていくまで、

そうなれるように逞しく育てる

それが本来のあり方だと思います

 

以前、子どもを出産したばかり、という方から相談のメールをいただいたことがあります

「子どもの教育に関して、不安で仕方がない」と

まだ言葉も発しない、おむつをしている乳児を抱えて、

「教育が心配」という若いお母さんの心中を思うと、

この世界の残酷さに嫌気がさします

 

いつから、子どもの教育は「外に出ていって」しまったのでしょう

そして、「家庭では抱えきれない」深刻なものに、なってしまったのでしょう

 

時代が違うのよ、って?

今は、教育サービスでしっかりと子どもを鍛えておかないと、生きていけないよ、って?

お金と時間をかけたもの勝ちだよ、って?

果たして、そうでしょうか

 

時代が変わっても、子どもは変わりません

親またはそれに準ずる存在が近くにいれば、

それらの人々の愛情を受けて、ひとりの人間として成長していくだけです

昔からそうだったように、

頭を使うのが得意な子もいれば、体を動かすのが得意な子もいます

手先が器用なのが自慢の子もいれば、

誰にもみつけられない珍しい生き物を見つけ出すのが得意な子もいます

写実的な絵を上手に描く子もいれば、

想像画をいつまでも描いていられる子もいます

数学なら任せてよ、って子もいれば、外国語に夢中になる子もいます

なにも、それら全てを身につけたスーパーキッズだけが、

この世の中を生き抜けるわけではありません

 

いよいよ四半世紀、(25年間)、わたしは、この仕事をしてきたことになります

これまでいろんな親子、子どもたちと出会って、別れてきました

大事なのは、「その先」だということも、たくさんの子どもたちの成長を見てきて知っています

 

四半世紀の最初の頃は、進学塾に勤め、その後補習塾のような個人塾を営んでいたので、

「苦手な部分を克服したい」「もっと成績を上げたい」

などという要望から入塾するケースが多かったです(当然ですよね)

だから、

逆に、「克服できない…」「成績が上がらない…」という事態になると、

「塾を変えようか…」という親子の結論に至ることも多かったように思います

当時、同業者仲間でその話になると、

「親御さんが一番わかっていない」と同じ結論に至りました

子どもはただ、親の言いなりで塾に入り、親の見ていない塾の授業中だけが息抜きの場となり、

集中しない、集中しているようにみせかけているだけのことがあります

口うるさく、先回りするタイプの親御さんの場合は、たいていそんなお子さんです

たとえば親子面談で、子どもに質問しているのに親御さんが先に話し出すような、そんな関係性です

つき合いが長くなり、子どもと話すと、親への不満や悩みがちょこちょこと出てきますが、

それらを率直に親御さんに伝えれば、生徒と自分との信頼関係が崩れます

だから、言えないままのことがほとんどです

子どもも、親には言えずにいます

「成績が上がらないのは塾が合っていないからだ!」と親に言われれば、従うのです

それで、あっさりと転塾していきます

「塾ジプシー」とその頃、そういう親子のことを呼んでいました

ダイエットと同じで、始めて数週間、長ければ数ヶ月たっても目立った効果は見られず、

ようやく生活習慣が変わって、いよいよ効果が…??という時にやめてしまうような、

そんな感想を持ちました

私たちは「はい、わかりました」と親子の背中を見送るしかありません

 

最近の親子の動向を見ても、周囲の情報に振りまわされて、

本来、親としてすべきこと、考えるべき事があるのに、それらがわからなくなってしまい、

どうしたらよいか…と塾に駆け込む例も多いようです

子どもにしたら、自分で努力して探して来た塾や勉強方法ではないので、

わけもわからないまま、親の言いなりになるしかありません

だって、親に胸を張って威張れるような成績をとっていないことが原因なのだろう、と

子どもはわかっているのですから

 

親に胸を張って威張れる成績って、そもそもなんでしょう

なんでそんなに成績にこだわるのでしょう

中学生になると、急に成績が数値化され、順位が出され、見せつけられます

200人いれば、1位と2位と…199位と200位がいるのが当たり前です

それを、学校は家庭に見せて、親の感想まで書かせます

全員が超優秀な学校であっても、200位がいるのです

順位をつけたいのなら、そういうことになります

 

巷にサービスが溢れているからといって、

自分ですべきことを放棄してよいわけではありません

お金を払ったから、って、責任が全て転嫁される分野ではありません

だって、家族のことなのですから

家庭を持った以上は何より優先して考えるべきです

高齢者福祉の話から、私はまた職業病で、つい子どもたちのことを考えてしまいました

 

だって、同じじゃないですか

同じよりもっと、単純でわかりやすいではないですか

 

子どもの教育は家庭の責任です

学校や、塾のせいではありません

 

じゃあ、私はなんのためにいるのか、

それは介護サービスの方々と同じです

 

プロとしての知識と経験を持ち、家庭ですべきことを、

親が実践できるように、

子ども自身が実践できるように、

寄り添い、サポートするだけです

 

両輪です

 

片方の車輪だけ動いても、違う方向に行ってしまいます

それぞれの車輪が別の方向に進もうとしても、やはりうまくは進みません

 

なかなか難しいとは思いますが、

もし塾を選ぶとしたら、そんな塾を見つけてください

 

自分ではできないから誰かに任せよう、なんて気持ちで、

塾を選ぼうとすると、まんまと術中にはまります

 

できないはずはありません

私たちがいくら頑張ったって、親御さんの代わりにはなれないのですから

でも、もし「手伝って!」と頼まれれば、たとえば私なら、

親御さんにはわからないこと、私にしかできないことで、

生徒たちの勉強の悩みを解決しようと努力と工夫することができます

 

親には親の、

私にはわたしの役割があります

 

そして、主人公は子どもたちです

同じ場所から、丁寧に見ていきましょう

何度も申し上げますが、小学生にとっても、中学生にとっても、

最も大事なのは「心」です

心豊かに育っていれば、何にも心配要りません

それは、学校のテストの点数や、順位表を見ていても、

わからないことですが

《2018年 3月22日投稿》

215.インフルエンザについて忘れられないこと

インフルエンザが大流行しています

わが子は学級閉鎖が明けて、今日から登校していきましたが、

今日から学級閉鎖のクラスもあり、なんだか学校自体が大丈夫なのかな…と心配です

 

私が心配しているのは、インフルエンザが恐ろしい病気だからではありません

 

もちろん、「ただの風邪」「ただの擦り傷」でさえ、こじらせれば重病になり、

命の危険に及ぶこともありますから、

どんな小さな病気でも、どこかに大変に目に遭われた方がいると知りつつ書きますが、

インフルエンザ自体は、「健康な身体の人」が感染しても、

死に至るような重病ではないということが前提です

 

そんなインフルエンザですが、感染力の強さは、この流行の仕方で一目瞭然です

感染した人は高熱を出し、咳をしたり、体の痛みを訴えたりして、

明らかに普通の風邪と違っていますし、

集団の誰かが発症すれば蔓延する状況を見ても、

やはり「普通の風邪」とは違うのだと感じます

 

問題は、その感染力の強さと、「出席停止」という決まりです

インフルエンザに感染したら、学校には行けません

「出席停止」となり、解熱したらまた病院に行って「治癒照明」をもらわないと再登校はできません

 

”発症した後5日を経過し、かつ、解熱した後2日(幼児にあっては3日)を経過するまで ”

と、学校保健安全法施行規則にあります

潜伏期間は1日~2日と短く、だからあっという間に流行するのだと言われています

そして、発症後1週間ほどは、周囲への感染力を持つと考えられています

 

そして、「学級閉鎖」や「学年閉鎖」など、組織自体を休止する決まりは、

自治体によって違うようですが、

だいたい2割程度の欠席者が出た場合に適用されるようです

 

「なんで感染していない、健康体なのに学級閉鎖で外出も自由にできないの!?」と

いう方もいますが、

もし、クラスで蔓延していて、学級閉鎖になって、その子は閉鎖直後には健康でも、

ウィルスが潜伏していたら…?

周囲への感染力は持っていることになります

健康な子を家に閉じこめておくのや、予定していた外出をキャンセルするのはつらいことですが、

なにより、周囲への感染を防ぐためには、そういった可能性を無視して行動すべきではないと

私は考えます

 

私の教室はちいさなちいさな教室ですが、色々な町から生徒さんが通ってきています

そして、受験や、大切な試合や試験を控えた中学生もいます

誰より、私が感染したら教室を閉鎖しなければなりません

少し大げさに思われるかもしれませんが、

「インフルエンザ等での出席停止中」「学級閉鎖中」そして「家族に患者がいる場合」には、

残念ですが出席を控えていただいています

これはわたしの教室の方針です

どうしてそこまでするのか、というと、

この時期になると思い出してしまう、そして、忘れることができないできごとがあり、

私はどうしても、「流行を止めよう」と各個が努力することを求めてしまうのです

 

それは卒園式でした

大好きだった園、最後の日、私たち夫婦と娘は、一緒に最後の登園をしました

卒園児は全員出席して、厳かな式と、愛情のこもった会と続きました

何人か、インフルエンザの子がいたことを、

私たちは見てすぐに気づいたけれど、

どうすることもできませんでした

とある立場の方が「せっかくの卒園式だから、全員揃って出席してもらいたい」と

インフルエンザの子たちの出席を許可したことを知りました

確かに、卒園式はとっても大事な行事で、全員出席してもらいたいのは皆同じ気持ちです

私と夫は顔を見合わせましたが、同じ室内にひしめきあう、

明らかに具合の悪そうな子たちと、健康な子たち…

防ぎようもありませんでした

 

卒園式が終わり、小学校の入学準備をしながらのんびり過ごすはずだった春休み、

わが子はインフルエンザを発症しました

他にも、卒園式にいた子たちの発症が耳に入りました

春休みは、短いのです

わが子の「治癒照明」はギリギリ、入学式前日に出されました

ただ、

別の子は、解熱が遅れ、

入学式当日まで「出席停止」だったのです

 

「せっかくの卒園式だから」

という、園の配慮は、

全く健康だった他の子どもの入学式に影響してしまったのです

 

この話は、もう随分前の話ですし、園に一応報告もして、理解もしていただけました

以後、園で同様のことはないと信じています

 

私には、この時インフルエンザにかかった子どもたちや家族に、

なにも落ち度や責任がなかったことを、忘れられないのです

もちろん、卒園式にインフルエンザになってしまっていた子たちにも

 

このように、自分が持っている(かもしれない)ウィルスが、

他の人のなにかに影響するかもしれない、ということを

忘れてほしくありません

感染力は目に見えないし、「たぶん大丈夫だろう」と信じたい時もありますが、

見えないからこそ気をつけるべきだと思うのです

 

子どもを休ませるのは働く親にとっては大変なことです

仕事をどうしたらよいのだろう…悩ましいですね

できれば登校してほしいし、学級閉鎖なんてとんでもない!

この話を始めたら、延々と終わらなくなってしまうけれど、

まずは職場の理解、

そして御家族の協力が必須なのでは

いつも負担がかかる場所は…同じなんですね

なんとかならないものか、

もし、責任ある立場にある方、力をお持ちの方がこのような文章を目にしてくださったなら、

この状況と、

それぞれのご家庭でのご苦労を

どうか知ろうとしてくださり、改善の努力をしてくださることを願います

 

家族への思いやりが

職場での思いやりが

どんどん、どんどんつながって、

世界中が思いやりにあふれたなら…

 

いつか人間を困らせるウィルスは、消滅してしまうかもしれませんね

《2018年 2月1日投稿》

188.どんぐり学舎の親御さんを誇りに思う

短い文章にしようと思います

フェイスブックでつぶやこうと思ったけど、やっていない保護者の方にも届くよう

ここに書きます

 

昨日は、お世話になりました

 

DSS(どんぐり・しぜん・すくーる)ではなく、

金森先生のワークショップ(詳細下記)開催のための委員会

「群馬で本物の学力を育てる実行委員会」のメンバーと、

金森先生との顔合わせ会を

「いつもの川原」で行ったのでした

 

千葉県のどんぐり先生、金森先生と

長野県のどんぐり先生、内山先生が

プライベートで御家族と群馬の川原でキャンプをしているところへ、

私たちがお邪魔してご挨拶する予定でした

 

天気予報は、雨

私の住むところから、その川原までは、車で1時間半くらい

山の天気はわからない、とにかく行ってみよう、

でも、

たぶん、川遊びは(増水していて)できないから、

…と、我が家は水遊びの道具を一切持たずに出かけてしまいました

 

ところが

山の天気は…

わかっているのに、

わかっていたはずなのに、

結果的には泳げたのです

雨は朝まで降り続き、川原でキャンプしていた金森先生と内山先生は、

雨の音と、川の増水の音とでろくに眠れなかった様子でした

それに、いつ、テントのところにまで水が来て、流されてしまうか…

(普段はそこまでの心配がいらない場所…)

私が野営地に着いた時には、雨は止んでいましたが、

川に入れる状態ではありませんでした

 

でも、近くで他に2箇所ほどある候補地のうち、1箇所に行ってみると、

入れなくもない…適度に流れがあって、増水もしていて、危険ではない場所なので、

子どもたちは入りたい、と言い出す始末…

 

次々に、メンバーが到着し、子どもたちはいつものように泳ぎ始めました

勝手知ったる川原

いつもは川底まで透き通っているので、

増水していても、「あそこに岩がある」とわかっている子どもたち

 

毎日、毎日、川や海での水の事故の悲しい知らせが後を絶ちません

今朝も…

雨の後の、増水した川で泳ぐわたしたちを見たら、普通の人は卒倒するでしょう

なんてことをさせているんだ、と批判するかもしれません

 

わたしは、子どもたちに川遊びを諦めさせるために道具を車に積まずに行ったし、

メンバーにも「今日は川には入れません」と断定したメールをまわしました

でも、

結果的には、子どもたちは大満足し、もちろん事故もなく、1日が終わったのです

 

私は、滅多にない3人での会話のために珍しくタープの下で椅子に座っていました

普段のDSSでは私が椅子に座っておしゃべりしている姿など、

あまりないと思います

水に入る準備をしてこなかったのと、せっかくの指導者3人の集会、という喜びとで、

正直、川に入っている子どもたちを見ていませんでした

 

でも、私以外の保護者の全員が、ひとりのこらず、子どもたちのために時間を過ごしていました

こんな集団ってあるでしょうか

天然ウォータースライダーをキリもなく楽しむ子どもたちの移動距離は100mほどでしょうか?

何度も何度も、往復して、見守り、流れた先では川に入って待っていてくれます

過保護に守るのではなく、いざというときに手が届く範囲にいてくれます

何気なく川原に立って、一部始終を見守っていてくれた方も

カメラを構えて追いかけ、ずっと見守ってくれた方も

スライダーに流される子どもたちを追って自らも引きずり込まれてしまった方も

どんどん体が冷えていく子どもたちのために、

火をおこし、暖かいおやつを用意してくださっていた方々も

とにかく昨日は、私以外の全ての保護者のみなさんが、

子どもたちの方を向いて、見守ってくれていた

こんな状況で事故など起こるわけがないのです

 

いつもなら私も一緒に流れ、

一緒に沈み、流れの先に必ず誰か大人がいることを確認しながら一緒に遊んでいます

たまたま、私が水に入れなかった昨日、

私は、どんぐり学舎の保護者の方々が

いつのまにか、私と同じように、

完璧に子どもたちを見守る気持ちと技術を持った保護者の方だらけなんだ、ということを

再認識したのです

そこにわが子がいてもいなくても、

どの子も大切に守る

どの子も大切に思う

 

川ではみんなみーんな笑顔で、

相変わらず最後には顔面蒼白でクチビルも青いんだけど、

でも、心の底からの笑顔で

でもね、ひとりひとりのことが、私にはインプットされているんです

学校で嫌なことがいっぱいあって、悲しい表情をしていた時期があったこと

なかなかうちとけずに自然遊びが怖かったところからスタートしたこと

一緒に泣いた親御さんもいます

 

だから、嬉しくて、いつも、子どもたちが笑っていると、私も一緒に飛び込んじゃう

うちの子どもには、それが当たり前のお母さんの姿だけど、

端から見れば、随分かわった大人だなあ、っていう程に…

でもわたしだけじゃなく、みんなみーんな、

保護者のみなさんがなによりも子どもの安全を見守ってくれる

そして、厳めしい顔じゃなく、しれ~っと一緒に楽しむ雰囲気で、自然とそうしてくれる

みなさん、もう、自然遊び(自然遊ばせ)の達人ですよ!

 

わたしはみなさんを誇りに思います

心から感謝しています

昨日は本当にありがとうございました

 

金森先生と内山先生と、おかげさまでゆっくり話すことができました

 

金森先生のワークショップ、成功させましょう

 

いずれ、糸山先生も招致したい、というメンバーの熱意も聞いています

わたしたちなら、みなさんなら、実現できるかもしれません

 

金森先生のワークショップ

2017年11月26日(日)

高崎市

観音山ファミリーパーク

(室内です)

午前と午後、2回開催予定です

詳しくは、「群馬で本物の学力を育てる実行委員会」から発表されると思います

どんぐり学舎は、このWSのサポーターです

 

観音山ファミリーパークは高崎市民なら誰でも知っている憩いの森です

老舗の「群馬の森」と比較すると木々は若く、フレッシュな公園ですが、

子どもたちと1日過ごせる自然豊かな場所です

県外からも、お弁当持参でのんびり遊びながらいらしたら、きっと満足いただけると思います

 

JR高崎駅からのバスもあります

金森先生や、どんぐり学舎のメンバーに、ぜひ、会いにきてくださいね

詳しい告知は近いうちに

《2017年 8月15日投稿》

171.親と先生の共通点

小学校5年生の次女に課される学校の宿題は

その日習ったことを復習し、

明日の授業につながる内容の

1枚のプリント

問題数は多くありません

ここ数日、そのような宿題が出されています

次女がやってみると、2~3分で終わるくらいです

その他、音読カードの記入のみです

このプリントなら、

その日、わが子が学校でどのようなことを習い、

授業でどこまで理解できているのか、親は知ることができて、

いいな~

と思いました

わが子の場合は、新しく教わったことを喜んで話したがるので

そんなおしゃべりをしながらあっという間に終わってしまうのです

もし躓いているとしてもそこで気づいてやれるでしょう

お粗末三点セットよりもずっと、

良質な親子関係と子どもの状況を知るための基盤が

構築されることでしょう

 

宿題制限については、わたしの次女と、

同じクラスの少なくとももうひとり(どんぐりっこ)の

親がそれぞれ、新学期早々先生にお願いしています

事前打ち合わせなどなく、めいめいが、自分の考えを説明したのです

私の場合は、「お粗末三点セット」的な宿題はやらせないこと、

それは、学校で、先生の話や授業を素直に受けてほしいから、

学ぶこと、知ること、考えることを大切にしてほしいから、

と説明してあり、

「家庭学習は家庭の裁量で」

と承諾を頂いています

宿題チェック係については、

「昨年度あった係で決めましょうか」という先生の提案に

子どもたちは宿題チェック係を設置しようとしたようですが、

先生の方から「不要です」と設置しなかったようです

それはもしかしたら、私よりも先にそのことについて先生にお願いをしてくれた

もうひとりの親御さんのおかげかもしれません

とにかく、

今年の担任の先生は(去年担任してもらったどんぐりっこの申し送り通り)

とても柔軟で、子どもたちのことを考えてくれる、と

現時点では予想しています

 

というわけで我が家では、現時点はこのプリントを制限せずやらせています

宿題制限すべき内容ではない、と自分で判断したからです

 

どのような宿題ならやらせてもいいか、やらせるべきじゃないか、

最近多い質問です

宿題にしろ、普段の生活にしろ、遊びにしろ、

わたしの判断基準は一貫しています

 

それは子どもの表情と、親子関係です

子どもの表情と親子の間に、

大切なものだけが介在しているかどうかです

 

宿題をやらせないと学校の先生や周囲になんと思われるか

忘れ物をしたら親がどう思われるか

どんぐりの先生に言われたからやらなくちゃ、またはやめなくちゃ

そんな風に子どもとのことを判断していませんか

そこにご自分の考えはどれだけありますか

 

それは学校の先生も同じです

「宿題は学校全体の方針なので…」と家庭裁量を認めてくれない先生は

そこにご自分の教育方針がどれだけ込められているのでしょう

昨日行われた全国学力調査についての記事が

新聞に掲載されていましたね

「底上げ」とはなんでしょう

以前、「お粗末三点セット」を課す理由を尋ねたところ、

「底上げが目的」と答えた先生がいました

全くできない子ができるように、みんなで同じものができるように、と

 

全くできない子は、大量の宿題を課され、家で泣く泣く叱られながら取り組み、

大量反復練習をする必要のない子にも課されたそれらは

自分で考えたい、もっと難しいことにじっくり挑戦してみたい、

という意欲を奪います

その中間点にいる子たちは、親に言われなくても淡々とこなし、

先生の指示に素直に従い、どんなに大量でもきちんとこなすことでしょう

それで、中学校に行ってもそこそこの成績を取り続けますが、

いざというとき自分で何をしたらよいかわからない

指示を待つしかない、依存型だからです

私の経験上、そういう中間点の子は後伸びしません

 

お粗末三点セットの弊害は

「底上げ」目的としても崩壊していること

大量反復練習を必要としない子への妨害になっていること

ただ真面目で指示を待つマニュアル人間を量産すること

それぞれにあるのです

(もしかしたら本当の目的は…その量産なのかもしれないですね)

 

かつて学校には今の2倍の子どもがいました

先生も2倍いたでしょうけれど、

教室には担任の先生はひとり

生徒はぎゅうぎゅう詰めでしたね

それでも今よりも、先生達はずっと個を見ていました

「ノコベン」「居残り」名前は様々ですが、

テストやプリントで理解していない様子が先生に知られると、

放課後残される子がいましたね

ノコベンでは先生は授業中と違ってちょっぴり優しくて、

丁寧にわかるまで教えてくれて、

たまにはアメ玉なんかくれるんだ、と

ノコベン常連の友達がそっと打ち明けてくれたっけ

いつからでしょう

ノコベンが子どもの差別だとか、いじめの原因になるとか言われ出したのは

先生達の善意も意欲も、

そうやって少しずつ、削られてきてしまったのですね

だから、

今も「オカミのいうことを聞くしかない」と

やっとのことで先生を続けている方も多いのです

 

でも、諦めないでください

先生は親の敵ではありません

親も先生の敵ではありません

先生は、誰よりも子どものことを

親も、誰よりも子どものことを

一番に思っている

それが最強で最高の共通点ではないですか

 

子どものためにそれは必要か

本当に子どものためのものか

学校は、宿題は、勉強は、

そして家の中のそれらの道具、設備、遊び道具すべて

 

そこにご自分の判断はどれだけありますか

迷って、悩んで、考えて、

誰にも答えを教えてもらえない

 

すぐに相談にのってくれて、

すぐに答えを教えてくれる人を求めていませんか

まるでスマホに尋ねるように

 

私は…

尊敬し、最も信頼できる、いつでもなんでも相談したい人に、

悩んで悩んでどうしようもない時に相談することがありますが、

返答をいただけないことが多いです

 

返答をいただけないことが返答だと認識しています

 

自分で考えよ、と言われているのだと

だから

今日もこうして考えます

考えても考えても、わからないことでも

《2017年 4月19日投稿》

162.自分勝手

結局………

 

子どもを変えたい、

子どもを「よく」したい、

子どもに気づかせたい、

子どもを伸ばしたい、

子どもとの関係をよくしたい…

などと

熱望している人ほど、

自分自身のことを全然変えようとしていない、と

感じます

 

子どもは

生まれた時から一番近くにいる大人

(ほとんどの場合は「親」)を

手本にして成長してきました

 

一番近くにいる大人が全ての手本となります

 

その大人が、

子どもの成長について少し気になり始めると、

自分の価値観に合わない様子を見つけると、

自分の理想と少しでも離れていると、

…突然言い出すのです

 

「子どもを変えたい」

 

自分をふり返らずに?

自分を正さずに?

これまでの子どもとの時間を省みずに?

 

子どもの一番近くにいる大人として

丁寧に、前向きに、

そして貪欲に子どものために親として学び続け、実践している人に言わせれば、

そんな身勝手で、虫のいい話はありません

 

自分にはどうにもできない家族関係の事情があるから

仕事の関係でどうにもしてやれないから

一生懸命やってきたんだから

自分はそういうタイプではないから…

苦手だから…知らないから…

 

でもそれが、子どもにとって納得のいく、前向きに受け止められる理由となるでしょうか

 

子どもには、

それら「大人の言い訳」は全て、

蓄積され、様々な場面で露見してきます

 

もちろん、どの親も一生懸命に子育てをしているはず

そう信じたい

でも、

なによりも子どもの情緒を、なによりも子どもの幸福感を

優先しようと本当に努力してきた人はどれほどいるでしょう

 

いじめや自殺があると責任を問われる「学校」

学力が不足していると躍起になる「学校」商機の「塾」

あれ?

家庭はどこへ?

 

情緒が乱れ、心が安定していない子が

他人にどんな言葉をかけるか知っていますか?

トラブルがおこった時にどんな態度をとるか知っていますか?

幸福感が物や金銭で満たされていると勘違いしている子が

他人にどんな言葉をかけるか知っていますか?

そういう子ほど親の前では別人を演じ、

平気で嘘をつくことを

 

そして、自分のことに置き換えてみると必ずわかってもらえるはずですが、

情緒が不安定で、幸福感が薄い時、

新しいことや難しいことにチャレンジして前進しよう!

人の話をよく聞いて理解して習得しよう!という

意欲が湧きますか?

 

夫婦間や親子間(祖父母)との辛辣な大人の会話を聞かせて

情報収集のため、とニュースやワイドショーを垂れ流し

家族でののしりあい、バカにしあい、言葉遣いも雑で

それでも情緒の安定した心の豊かな子が

賢く優しい子が

育つと思いますか?

 

しまいには今朝の新聞で

赤ん坊に、スマホで子守を、という特集が

だいぶ前から

赤ん坊や幼児をおとなしくさせる「アプリ」なるものが存在するのは聞いていましたが、

記事内のデータで、そういうものを活用している親の割合が少なくないと知りました

 

これについてはあと100行書いても書ききれません

だからそれはまた別の機会に…

 

とにかく大人は自分勝手

子どもは、なんですか、ひとつのハード機器?

自在にグレードアップしたり、ソフトを入れかえたりしながら、

自分好みにカスタマイズできる機材みたいなものですか?

自分でカスタマイズしたくせに、

うまくいかないと外注に出し、またお金を払って修正しようとするのです

それがたとえ表面的な修正であっても、

自分の納得する姿に近づくならば

 

それでも一切、自分が、自分たちが、「手本」となってきたことを省みることもなく

 

赤ん坊の頃から

機械に頼らざるを得ないなんて…

成長と共にますます手がかかるというのに

どうしていくつもりなのでしょう

 

方法を知らないなら

尋ねてください

そんなことをしなくてもやり過ごす方法があり、

大枚払って外注に出さなくても

子どもが情緒豊かに心身共に健康に自分の生き方を

生き生きと目指すために自分から努力する、

そんな風に成長するためのサポートをする方法はあるのですから

 

最初から

あきらめないで

周囲に

流されないで、惑わされないで

 

大丈夫ですから

 

子どもは、いつもあなたを見てる

あなたのことが大好きだから

(おじいちゃん、おばあちゃんも、ですよ!)

《2017年 2月16日投稿》

154.2017年のどんぐり学舎について

今年は、

ブログをもうちょっと軽めに、

短くても自分の思いや、情報を整理して記録するために、活用していこうと思います

ついつい、フェイスブックにばかり書いてしまいがちな昨年でした

ブログだけを読んでくださっている方から連絡をいただくと、

ああ、ちゃんと書かなくては…と反省する日々でした

 

それから、

「無料体験授業」「大人面談」そして、「入塾」に関して、

それから、

「遠方で、通塾困難な生徒さんの通信添削」や「メール相談」においても、

事前にすごくよく調べてくださって、

こうしてわたしが発信してきたことを一生懸命読み解こうとしてくださってから

連絡をくださる方と、

最初から全部まっしろの状態でいらっしゃる方との、

わたし自身の時間の使い方…労力のかかり方…それが、反比例していて、

疑問に思っているので、

そのあたりをしっかりと「仕事」として明確にしていこうと思います

 

これは、

仕事人であるわたし以外の、

人間として、母として、妻として、生きるわたしの

ケジメといえばケジメであり、

双方が得をして前向きに動き出せるための

建設的な改革であると

信じて

 

塾生さんのご家庭においては、座席数に限りがある中、

通塾し続けるとついつい、「あたりまえ」になりがちな色々なことを、

改めて、見直して、そして、やはり学び続けてほしい、と願ってやみません

 

これは、中学生と勉強していると全く同じように感じます

「先生、一次関数がわかんない。」と

単元ごと質問にくる生徒

「先生、この問題をここまで解いたけど、ここからがわからない。」と

解きかけのノートを差し出してくる生徒

客観的にみると、どちらの質問がより生徒のためになるか、

おわかりになるかと思います

わたしは単元まるごと質問してくる生徒の質問には、

答えません

それは、自分では何にも努力も工夫もしないで、

まるごと全部他人に委ねていることになるからです

専門家に委ねれば適確な解説が得られ、その時だけは「わかった」と

達成感なり、満足感なり感じることができるでしょう

でも、

1週間後、1ヶ月後、1年後に本当に自分の血となり肉となっているかといえば

それはないはずです

だって、自分の身を削り、頭脳を駆使して、理解に到達したわけではないのですから

 

大人の「疑問」も、それと同じです

今がよければそれでいいんだ♪

ということばかりではありません

こと、教育に関しては、

知らないでいるととんでもないことに巻き込まれてしまうことが多々あります

 

わたしたちは、気づいてしまった

だから、学び続けなければ

親にならせていただいた以上、

そこを怠けるわけにはいかないのです

 

今年も、ひやひやするようなことを書いてしまうかもしれません

 

でも、

わたしはいつも、子どもたちのそばにいます

大人の事情なんか、正直、興味はありません

 

共感は、できます

わたしもよくいる一般的な大人のひとりです

学校の先生と、近所の方と、身内とつきあい、

役員をしたり、当番をしたり、子どもの送迎をしたり、

サラリーマンの夫の生活リズムと子どものリズムに合わせ、

朝から深夜まで仕事と家事で埋まってる

てんてこまいしながらも、

ごく普通の生活をしている主婦でもあります

だから、

大人の事情に共感はできます

 

「そうは言っても…ねえ…」という言葉を、

しょっちゅう耳にします

 

でも、

子どものそばにいると、

「じゃあ、どうするの?」って言うしかないのです

 

「じゃあ、子どもは我慢するの?」

 

「じゃあ、子どもは蚊帳の外なの?」

 

「子どもは、親のためにあるの?」

 

「子どもは、なんのために生まれてきたの?」

 

子どもは、

誰のためでもない、自分のために存在していて、

わたしたち親でさえも、彼らの人生を妨害することは許されないはずです

 

今年もその位置に立ったまま、

わたしは書いていきます

《2017年 1月12日投稿》

152.報道とイメージ アジェンダに惑わされずに

今朝、新聞を読んでいて気になったコラムは

「高齢ドライバーの事故 統計と報道イメージに差」というタイトルでした

終始、高齢ドライバーの起こす交通事故について書かれていますが、

子どものこと、教育のことでも同じこと、と感じながら読みました

同じ紙面で、「ネットの情報は正確か」という問題提起もあって

まだまだ、「報道」に絶大な信頼を置きすぎている人たちの多さに、

少しだけ、警鐘を鳴らしたくて

 

朝日新聞客員論説委員

千葉大学教授 神里達博さんのコラムから、

いきなりまとめの段落を引用します

 

ジャーナリズムは、社会問題を議論する場を担う役割もあるし、高齢者が関わる事故が増えていることは事実だ。冒頭で挙げた事件など、悲惨な事故が続いているのも確かである。従って今後も、さまざまな安全対策を講じることは当然、重要である。ただ同時に私たちは、時々立ち止まって、別の角度から自らの思考を点検することも忘れるべきではないだろう。理性と感情のバランスをとり、社会全体にとって良い方向性を模索していきたいものだ。

 

神里先生は冷静に、正確に、

報道されていることと、事実とをデータで比較してくれています

とてもわかりやすかったので、ここで、まとめてみようと思いました

 

自動車事故による死者は過去20数年にわたってほぼ毎年減り続けている

  ●1970年 1万6000人(過去最多)

  ●2015年   4117人( ↑ 1/4にまで減っている)

 

しかし、高齢者の、犠牲者に占める割合は増えている

2015年の交通事故死亡者のうち、高齢者は54.6%(過去最高)

  ●原因① 高齢者が人身事故に遭った際に死に至るリスクが全世代平均の6倍

        ※犠牲者の約半分は歩行中の事故

  ●原因② 高齢者の人数が増えていること

交通事故に関わる高齢者の内訳では、依然として「被害者」の方が多い

 

では、「加害者」になる高齢ドライバーは本当に増えているのか?

高齢ドライバーの運転は本当に他の世代と比較して、危険なのか?

 

(警察庁交通局のサイトより)

 

※第1当事者とは、当該事故において最も過失が重い者をさす(事故原因を作る加害者、ということ)

この統計でわかること→それぞれの年齢層における、事故の起こしやすさの違い

 

見ての通り、免許をとって数年の「若者」と、「後期高齢者」の数値は高い

※15歳ということは…このデータには無免許運転者も含まれているのかも

 

ただ、10万人当たり、という割合なので、

事故の実数でいえば、40歳~44歳の世代が最も多くの死亡事故を起こしており、

85歳以上の3倍を超えている(この世代の人口が多いし、免許保有者の数も多いから)  

 

まとめると、

「高齢者は事故を起こしやすい傾向があるものの、

他の年齢層と比べて著しく運転が危険であるとまでは言えない」

 

ここから、コラムをまた引用します

 

以上のように、報道によってイメージされるリスクと、統計的な数値は、若干の乖離があるように思われる。ではなぜその差が生じたのだろうか。

(中略)

メディアには議題(アジェンダ)設定機能というものがあり、「今どんなことが問題か」を指し示す役割がある。そしていったん、社会的なアジェンダになると、普段ならば優先順位が低いニュースでも、積極的に報じられるようになる。今回も、痛ましい事故が起こったことにより、アジェンダが「高齢ドライバー」に設定され、それに適合する報道が増えたと推測できるのだ。

 

ニュースも、新聞も、嘘をばらまいているわけではありません

(中には、嘘も意図的に含まれているという意見もありますが…)

ネットの情報もそうです

このブログだってネット情報のひとつに過ぎません

受け取る私たちは、この「アジェンダ設定機能」について知っておくべきだと考えます

いま、報道はこれを伝えたいんだな、ここが優先なんだな、と、冷静に

全ての交通事故を毎日正確にもれなく伝えたら、

事実、高齢ドライバーばかりが事故を起こしているのか、実はそうでもないのか、

知ることができますが、

実際、ニュースや新聞で知ろうとした場合、

報道する側にも紙面や時間が限られており、

ニュースを選択する必要があるのですから、

どうしても「アジェンダ設定」しなければならないということなのでしょう

 

冒頭で引用したように、

わたしたちは「自らの思考を点検することも忘れるべきではない」

「理性と感情のバランスをとり、社会全体にとって良い方向性を模索していきたい」

大事なのは、

そういう思考が備わっているのか、ということなのでしょう

そもそも考えることを放棄しているから、受け取った情報を鵜呑みにする

そしてそれを自分の考えだと勘違いしてしまう

もしかしたら、

国民全体がそのようになってくれた方が、

都合の良い方々がそう操作しているのかもしれませんね

 

子どもの環境も同じです

まさか、CMやワイドショーや特集で取り上げられたことを

「本当!」なんて飛びつく人はいないかと思うと、そうでもなく、

どんどん、ぐるぐる、踊らされている人は周囲にたくさん

毎週折り込まれる冬期講習のチラシ、

テレビでもラジオでも流れる計算教室のCM

そして、

有名人が話す子育て法、名門に合格させた親の体験記、

アジェンダ設定どころか、商魂丸出しのそれらの情報でさえ、

飛びつく人があとを立たないのですから、

これはもう、子どもの思考力という以前に親の思考力を豊かにしなくては

踊らされてる!?と感じたらいったん止まって右・左!

流行の服や便利グッズを買うくらいなら踊らされてもかまわないけれど、

子どもに関してはもうちょっと吟味しなくては

もうちょっと、どころか、何をさしおいても真剣に考えなくては

 

知っておくだけで、毎日見るニュースも、受け取り方が変わります

考えるべきことは、たくさんあります

考えれば考えるほど、思考力はまだまだ私たちだって育てられます

答えがどうでるか、なんて最重要ではありません

答えがでなくたって、一生懸命ぐるぐる考えることが大事

 

…って、あれ?

ほら、同じです

子どもたちに、どんぐらーの私たちが言っていることと

《2016年 12月16日投稿》

151.じっくりと、待つこと

今朝、

鉄瓶でお湯を沸かしていてふと思ったのです

 

(思うところあって、お湯は鉄瓶で沸かしています

岩手県の南部鉄瓶です)

 

冬になると、冷え切った鉄瓶

冷たい水を入れて、火にかけても、

最初は周りがしゅーっと白くなるだけで、水まで熱が伝わっているようには、見えません

じきに、水面から湯気が立ちはじめ、いつのまにかぼこぼこと沸いてきます

沸騰してしばらく待ってから、火を止め、厚手のミトンをつけて持ち上げ、

今度は挽いたコーヒー豆に注ぎます

 

(思うところあって、珈琲は手淹れしています

電気のコーヒーメーカーはありません)

 

ホットで飲むための豆は、夫婦してマンデリンが好みです

若い頃はフレンチローストを好みましたが、今はあっさり、

でも、変わらず酸味のない方が好みなのです

最初、少しだけ真ん中に注いで、30秒待ちます

時計を見ていました

鉄瓶はとても重いので、いったんガス台に置きます

8,9,10…

そうだ、今日はいただいた林檎でパウンドケーキを焼こう…

17,18,19…

長女、まだ起きてこないかな~ねぼすけだな~

28,29,30!

そこからはどどどっと注ぎ、

夫のマグボトル分、私の分、とボトルに移しておしまい

いい香りです

 

おはよう、とやっと起きてきた長女が話しかけてきます

「昨日学校でね…」

おやおや、夕べも「今日学校でね…」って話していたじゃない

まだ話すことがあるんだね~きりもなや

「蒸らし終わった?ご飯盛れる?」

おっと、今日は仕事の飲み会で、職場の方がいつもより早めに迎えにきてくれる夫

ちょっと急いでいます

「炊けてるよ~」

と鍋の蓋をあけ、ご飯を盛りつけます

 

(思うところあって、土鍋でご飯を炊いています

電気炊飯器は、ありません。味噌汁も、土鍋です)

 

今日は珍しく味噌汁ではなく、

これからの季節、

かなりの存在感で狭いキッチンを威圧してくる白菜くんたちを見過ごさないために

白菜と豆乳のクリームスープです

豆乳は沸騰させると分離してしまうので、家族が食卓に揃うまで弱火で温め続けました

 

(思うところあって、味噌は自家製です

2月に1年分を仕込みますが、親戚に分けるほどたくさんできます)

 

食事が済むとそれぞれが登校、出勤の準備を始めます

わたしは

夫が持っていく昼食を作り終えると、おやつと夕食の準備にかかります

そうだ、さっき思いついたんだった、林檎のパウンドケーキ

(思うところあって、ほぼ毎日、おやつは作ります

基本的にはバターや砂糖を使わず、シンプルな材料と用具で簡単に早くできるものしか

作りませんが)

 

オーブンを予熱

その間に、洗い物、林檎を切って、型に並べて、生地を混ぜて、型に流し込んで

予熱完了、とほぼ同時にオーブンへ

40分焼く間に、洗濯物を干して、書斎のパソコンの電源を入れて、新聞を中腰で読んで、

珈琲も一杯だけ飲んで

2回目の洗濯機を回して、まだ焼けないのでメールチェックだけして、

そしてピー!ケーキが焼き上がりました

型のまま放置して冷ましておき、

わたしは書斎にこもります

 

さて、鉄瓶でお湯を沸かしながら何を思ったかというと

もし電気ポットでお湯を沸かしていたら、この待ち時間はないんだな、ということ

 

もし電気のコーヒーメーカーで珈琲を淹れていたら、

最初に30秒蒸らすとか、こぼさないよう注ぐとか、考える必要も待つ必要もないんだな、ということ

 

もし電気炊飯器だったら…

もし…

 

我が家のようなへんてこりんな昔暮らしは特殊として、

もう、別に、とっても丁寧で、お料理上手で、家事の手抜きなんかしないすごい人でも、

ごくごく一般的に、「待たないでできる用具」を普段、使いこなしています

それが悪いことだとは思いません

 

でも、もしかして、

ふと思ったのです

 

いろいろが、より簡単に便利になっていて、手も汚さず、時間もかからず、考える必要もなく、

なんでもできる方がいいに決まってる、と言わんばかりに進化している環境

 

少し待つ、とか、少し考えて工夫する、とか、そういうことが

日常からどんどん奪われて、どうなっているのか、

考えるのです

 

先日、聞きたいことがあって某役所の観光課へ電話しました

電話口の向こうの担当の方は、「忙しい!忙しい!」という態度が声に表れていて、

こちらが恐縮してしまうほどでした

「観光課なのに…」と内心悲しい気持ちになりつつ、もういっこ聞きたいことあったのに…と

思いながら電話を切りました

 

最近、「ハミデー」と呼ぶ人種が増えています

夫と私で名付けました

対向車線に堂々とはみ出してくる運転手のことです

自分の車線に歩行者や自転車がいる、または、車線に少しかかって路上駐車がいる

すると、遠慮なく、対向車のわたしたちが向かってきているにもかかわらず、

堂々とはみでてくる、ハミデーです

教習所では、障害物のある車線の側が停車してやり過ごす、と

教わったような

せめて少しスピードを緩めて、できるだけはみ出さないように通るとか、

どうしてできないんだろう…といつも話しているのです

障害物がなくても、山道などで平気ではみだしてくるのは、

スピードの出し過ぎで、急ぎすぎで…

 

横断歩道を渡ろうとする歩行者がいたら停車するルールも、

ほとんどの人が守りません

今年9月のJAFの調査では90%以上の車が停車しないことが判明しましたが、

その後も止まる車は増えているように感じません

わたしは敢えて止まりますが、対向車が一向に止まらないので歩行者も渡れないのです

我が家の前に道かかる横断歩道は

道路を挟んだ向かいのお宅に回覧板を届けなくてはならない我が家には必須のものですが、

信号はなく、かなりの交通量なので、渡れるまで10分くらい待ったこともあります

みんな、そんなに急いでどこへいくの…

 

イライラしても損なので、我が家では家族でドライブ中にそんな車に遭遇したら、

「きっともうすぐ産まれるんだね!」が合い言葉です

そうよ、きっと、奥さんに赤ちゃんが産まれるから急いでるんだ、って

そしたら「がんばって!きをつけて!」って気持ちになれるから

 

…それにしても、それにしても、です

 

スーパーで、前のおばあちゃんがちょっとまごまごして小銭を探していただけで、

わたしの番になり、「大変お待たせしました、申し訳ありませんでした」と

いえいえ、そんなに待ってませんし、おばあちゃんに聞こえてしまいますよ…と

恐縮してしまいます

逆に、後ろに並ぶ人が前の人がまごまごしていることで苛ついて、

店員さんに文句を言う場面にも何度も遭遇しました

 

みんな、なにをそんなに急いでいるの

 

鉄瓶でお湯をわかすどころか、

まずは火を起こし、水を汲んできた時代から、

わたしたち人間は生き続けています

生物的には少しずつマイナーチェンジしているでしょうけれど、

なんら変わらないはずです

特に子どもに関しては、

産まれて数年、まだ素の人間として、

これからどう生きていくか、その礎を丁寧に積み重ねる大切な時期

 

忙しい忙しい、のこの環境の中、産まれてきた子どもたちは、

ちょっと列からはみ出ただけで、ちょっと他と違う行動をとっただけで、

「異常がある」「遅れている」と対処されたり、

塾に入れられて、目先の点数を上げるためのトレーニングをさせられたり

親にも、先生にも、

「今のまんまじゃいけないの?」って

聞くこともできず

 

今のまんまでいいよ

って安心させたら、

子どもは自ら探します

自ら、学びます

いつも焦って、子どもを牽引してばかりいたら、

子どもは自分の足で進めなくなってしまう

 

私たちにはもう見えなくなってしまったものを、

子どもたちは見ています

大切なもの、小さなもの、優しくて、繊細なもの

ゆっくり、味わいたいのに、すぐにその場を奪ってしまうのは

大人です

わかってもいないのに、「あなたはこうだから」と自由な道をふさいでしまうのも

 

忙しい、忙しい、のこのへんてこな時代だからこそ、

わたしは「待つ」ことを大切にします

特に台所では

それは、子どもの心身に直接関わる最も重要な場所だと思うから

 

待っていたら、遅れてしまう?

なにに?なにに遅れてしまう?

早くできた方がいい?

早くコーヒーを飲みたい、スイッチひとつでご飯ができるのがいい、

でも、本当は…

 

早さ、便利さと引き替えに、奪われてしまったものはなんでしょうか

少なくとも子育て中のわたしたちは、

今、気づかなくてはなりません

急がなくていい、焦らなくていい、って口先だけじゃなく本気で思わなくては

 

水から、お湯をわかしてみてください

鉄瓶じゃなくても

沸騰したらしばらく待って、火をとめて、

あったかいお茶を淹れましょう

白湯でもいいです

少し冷めたら、ひとくち、ゆっくり飲んでみてください

すーっと、冷えた体にあたたかいものが通る時、

気づきませんか、

私たちの体の中は、

周囲がどんなに忙しくても、変わらないスピードで動き出すんだ、ってこと

ゆっくり食道を通ってきたものを、胃が受け止めて、ゆっくり腸に渡すんです

 

子どもたちも、私たちの体で、1年近く卵から育って、

やっと出てきてくれたと思ってもなかなか自立せず、

自分でご飯を食べたりトイレに行ったりするようになるまで

いったいどれだけ時間がかかったことでしょう!

辛抱強く、ここまで育ててきましたよね

これからも同じです

焦ることはありません

ただただ、大切に

丁寧に

子どもが子どもである間だけは

と限定したっていいから

 

急がないで

焦らないで

《2016年 12月14日投稿》