カテゴリー「小中学生のこと」の23件の記事

225.新緑を抱く、大木の根のように

4月

新年度

新学期

 

子どもたちは新しい教室に向かい、新しい先生に出会い、

新しいクラスメイトと過ごし始めました

 

親御さんたちも、新しい先生の様子を見て、これからのこと、

考えていらっしゃる頃かと思います

 

家庭学習は家庭の責任です

生活全般について、食事中のマナーや、対人マナーも、

家庭の責任であるように

 

ただ、それだけのことを、しっかりと伝えて、

宿題で子どもの思考力を破壊したり、

親子関係や大切な放課後の自由時間を崩壊させたりするのは

避けたいですね

 

ただでさえ、学校では、子どもたちを統率するために、

子ども本来の自由さ、気ままさを許さず、

とにかく一律にまとめようとあの手この手でいろいろな指導がなされています

 

少し待ってあげればできるのにな…

最初からそんな風にしめつけないで信じてあげてほしいな…

外部から見ればそう感じるようなことも、

たくさんの子どもたちを「まとめる」ために学校の先生達が考えた策は、

もう、どうしようもないことなのかもしれません

(本当に、人の話を聞かない、周囲を思いやれない子どもが多いのは事実ですから!)

 

新学期始まってすぐの、

次女(6年生)の算数の復習テスト、裏面の少し難しめの問題で、

次女は理路整然と3つの式を立てて、正答を導き出していましたが、

添削では「×」

それは、模範解答は式をひとつにまとめていて、次女はその式を3つに分けていたから

全く同じ式なのですが、次女は3段階に分けて、思考順に式を立てたからです

(写真を載せようと思ったのに破棄してしまいました…とほほ)

それでも、先生の評価は、「×」なのです

 

このような例は珍しくはなく、いちいち先生に質問したり相談したりすることも

よほどでない限り、今はしていません

新学期早々、どういう先生なのかよくわかりました、という程度です

ただ、子どもとはよく、よーく、話をしています

あなたの方法は、正しい

全く間違っていない

×ではない

しっかりと考えられていて、何も間違っていません、と伝えます

Qノート(わからん帳)行き以外は見たら破棄するので、

100点でもその日のうちにゴミ箱行き

だから、「間違ってないなら貼らなくていいか」とすぐに破棄してしまったのでした

 

親がどっしりと構えることです

それには、親が勉強し続けること、アンテナをはり続けること、

そして、

不安な気持ちを(子どもの前では)表に出さないことがなにより重要です

 

4月、親御さんからの連絡が相次ぎました

「新学期になって、疲れているようです」

「家に帰るとぐったりしています」

「だから、ちゃんとどんぐり問題ができないかもしれません」

 

大丈夫ですよ、そんなことは私に伝えなくても、言葉にしなくても、

心配は要りません

 

私は、随分長いこと、子どもたちを見続けてきました

何月に何があって、その頃こんな風に子どもたちがなりがちだ、などと、

これまでの傾向も覚えています

それだから何を対策するか、ってこともなく、

何月だろうと、その子にとって何かあった場合には異変を感じることもありますから、

私は、基本的には一年間、まったく態度を変えずただただ、子どもたちを待っています

 

まだ未完成でお披露目できないのが残念ですが、

庭に移転した新しい教室は、

ドアを開けたら庭なので、

私は、ドアの近くに座って、教室になかなか入ってこない子どもたちを見守ります

庭にはいま、ヒヨコが3羽いて、子どもたちはヒヨコに夢中です

 

さてと、と私が机に向かうと、誰からというわけでもなく教室に入ってくる子どもたち

教室にクロッキー帳の入ったバッグを放り投げて庭に出ていた子どもたち

それぞれが、バッグを持って好きな場所に座り、

どんぐり問題を始めます

 

1問、じっくり取り組んで、それでおしまい、となってもいいじゃないですか

「今日は1問しかできなかったよ、しかも、お宝…」と

しょんぼりする子に、

「いいじゃない、いいじゃない、なにがいけないの」と笑って言います

 

大人は、不安な気持ちを前向きな方向に転換させることが、できるはずです

疲れているんだな、学校で大変なんだな、と感じても、

子どもの前では言葉にしなくていいのです

そんなことより、家が安心できる場所で、家が楽しければ、

ちょっとくらいのことで子どもは負けません

 

理由はわからないけれど、目を腫らして教室に来る子も時々います

寝ていたのか、泣いてきたのか…

無理しなくていいのに…とぎゅうっと胸が苦しくなると同時に、

いつもよりゆっくり、やわらかく声掛けをします

 

ねえねえ、あのね、どう思う?って、学校ともどんぐりとも全く関係のない質問をしたりします

しょうがないなあ、って私のために真剣に考えて、答えようとしてくれます

 

あれ、これってどうやるんだっけ、と作業の手を止めると、

みんな寄ってきて「貸してごらん!!」って代わってくれます

やいのやいの言いながら、みんなで作業を仕上げてくれます

 

私は黙って、任せます

本当は私があとですればいいのだけど、子どもたちに任せてみたりします

 

それから、ゆっくり、どんぐりを解く子どもたち

 

どの子の作品にも、その時のその子が表れます

どの子の作品にも、私は心を動かされます

 

すごいね、っていう言葉は言わないようにしています

糸山先生も、おっしゃっていたので

 

私はまず、子どもたちの作品を味わいます

それが正答でも、誤答でも

「わああ…」

子どもたちはそんな私を不思議そうに不安そうに見ているけれど、

それでも、誇らしげです

「素敵だね」

私がよく使う言葉です

だって本当に素敵なんだもの

 

子どもたちはみんな、それぞれの環境で、小さいなりに一生懸命がんばっています

新しい環境に自分をあわせようと努力している子もいるし、

合わせられなくて苦しんでいる子もいるでしょう

 

ただただ順応するのを待てばいいケースもありますし、

親が奮起してどうにかしなくちゃならないケースもあります

 

それは、本当に、それぞれの、子どもと、その環境によるので、ひとことでは片付けられません

 

ただ、共通して言えるのは、

親はどっかり構えていること

心配いらないよ、ってがはは!って笑って迎えること

全然関係ない話や、作業で、子どもたちを癒やすこと、楽しませること

 

宿題を完璧にやらせたり、忘れ物をして先生に叱られた子をさらに叱ったりするのが、

親の役目ではありません

 

親だけは、

急がせない、強制しない、失敗も許す、笑顔で抱きしめる、くだらないことで一緒に笑い続ける

 

そんなことができるのです

 

不安な気持ちを、子どもに伝えても、…伝えようとしなくても伝わってしまうから、

そこは役者になり…

子どもは親の不安を自分の不安に重ねて、

どんどん、どんどん、重い日々を過ごすことに

 

そんなかわいそうな目に、遭わせなくて済むように

 

大人になって、残るのは、「厳しくされてできるようになったこと」ではなく、

「許してもらった失敗」の方なのですから

 

春ですよ、

固かった木の芽が、やわらかく、ほぐれて

明るい色の新しい葉が、日々成長しています

街路樹でも、公園の樹でも、立ち止まって見てみてください

新緑の葉は、まるで子どもたちのように、

傷つきやすく柔らかいまま、それでも太陽をめがけて精一杯に伸びています

みんなでいっせいに

そっと両手で包むと、なんだか温かい

感触も感じないくらい柔らかいけれど、確かに葉脈には水が流れ、光合成も始めている

小さくても、立派な樹木の葉なのです

 

大きくなあれ!どんどん伸びよう!

私たちは大木のように地面に根を張り、

若葉が伸びるのを見守ろう

風が吹いても、雨が降っても、地面のことは心配しないでね、って

しっかりと根を、まだまだ地中深くへ伸ばしながら

《2018年 4月29日投稿》

181.通信講座の問い合わせについて

※7月3日午前11時、問い合わせメールをくださった中学1年生の保護者の方、

 どんぐり学舎のアドレスからも送信できず、他、2つのアドレスから試しましたが返信が送れません

 セキュリティの解除については問い合わせフォームのページに詳細があったと思います

 返信をご希望ならどうぞ解除して、その旨再度連絡をお願いします

 

通信講座の問い合わせが連日届いており、

できるだけ「ご家庭でどんぐり」、そして、「中学生の独学」の手助けになれば、と

日々丁寧に返信をしているつもりですが、

問い合わせいただく方の情報が交錯して私も混乱してしまう恐れがあります

 

つきましては、

通信講座のお問い合わせを頂く際には、以下のことを明記していただけますでしょうか

①お子さんのお名前、学年

②保護者の方のお名前

③お住まいの地域(都道府県+市区郡まで)

④連絡先電話番号

⑤(中学英語ご希望の場合)学校で使用している教科書の名前

 

そして、

数日たってもわたしからの返信がない場合には、

メールボックスでいただいたメールか送ったメールが迷子になっている可能性もあります

申し訳ないのですが「返信が来ないよ」と再度メールを頂けますでしょうか

お手数ですがよろしくお願い申し上げます

 

上記個人情報は悪用など絶対にいたしません

ただ、たくさんのお名前と問い合わせメールを、より判別しやすいように整理しているので、

そのために必要な情報だとご理解ください

 

どんぐり学舎

D→K Room

 

泉聡子

《2017年 7月4日投稿》

180.どんぐり学舎 & D→K Room でりばりー

通信講座はじめます

どんぐり学舎では、

ご家庭で、親子でどんぐり式(通称)で学びたい、

または、

どんぐり学舎に通いたいけれど、物理的に困難、

さらに、

小学生の間、どんぐりを自宅で親子で取り組んできたけれど、

中学生になって、できるだけ独学で高校入試を目指すまでのサポートが必要

という生徒さんのために、

どんぐり学舎、およびD→K Roomの授業をおうちまで宅配するデリバリー、

つまり通信講座をはじめます

 

ご希望の方、ご検討中の方は問い合わせフォームから「通信講座希望」と明記の上、

個別にご連絡ください

 

始める前に、個別に打ち合わせをしましょう

 

通信講座を受講できる方(お互いに意味のある講座にするために)

・どんぐり倶楽部のサイト、糸山泰造先生の著書などと読んで、

 どんぐり式教育法(通称)を学んでいる方、または、学ぼうと思っている方

・学習系の他塾と併用しない方(勉強はどんぐり一本でやっていこう!という方)

・どんぐり学舎のホームページおよびブログに目を通してくださっている方

 

通信講座内容

①「どんぐり倶楽部良質の算数文章問題」の添削

  問題は「どんぐり倶楽部」より各自購入

  ご家庭で取り組んだ答案を送っていただければ、添削いたします

     添削料  1問につき500円 (2019年1月現在 1000円)

 

②中学生のための英語語句順訳添削

  学校で使用している教科書の語句順訳を添削します

  a D→K Roomオリジナル英文法解説書による文法解説

  b   D→K Roomオリジナル整序問題による文法演習

  c   教科書本文語句順訳添削

      教材費・添削料込み  1レッスン 5000円(仕上がるまで指導)    

 

③中学生のためのQノート添削(小学生も可)

  Qノートの提出先がない中学生のため、解説いたします

  ※Qノートとは、どんぐり倶楽部「わからん帳」のどんぐり学舎での呼称です

     添削料  1問につき500円(解決するまで指導)

 

④作文達人講座(小4~)

  オリジナル作文達人講座冊子代   ¥500

  作文添削 1作品につき        ¥2000(完成するまで)

  代筆ではありません

  作文の書き方、魅力的な文章の作り方へ導きます

 

添削方法

A方式  メールに答案、作文の写真を添付

B方式  答案、作文を郵送(受講料の他に往復の郵送料がかかります)

 

支払い方法

添削後の後払いです

振込手数料は各自ご負担願います

手数料軽減のため、1回ごとではなく、ある程度まとまってからの入金で構いません

 

振込先口座はメールでお知らせします

《2017年 6月20日投稿》

175.学校とは、勉強とは

「知的修練の売り場」かあ…

どっきりしました

まさにその通りだ、と思いました

誰の言葉だ?と思ったら、

”心の灯台 内村鑑三”

上毛かるたでおなじみの、

群馬県民なら小学生から大人まで誰でもそのお顔を知っている、あの方

でも、

内村鑑三が何をした人か?と聞いても、知っている人は少ないかもしれません

ここには「明治のキリスト教思想家」とあり、

代表的著書の『代表的日本人』から引用されているらしいし、

中学校の歴史の教科書には、与謝野晶子の『君死にたまふことなかれ』とともに、

第一次世界大戦に対する反戦論者として内村鑑三の名前が挙がっています

では、いったい内村鑑三は何者だったのか?

…ひとことでは説明できません

 

高崎で生まれ、

札幌農学校で水産学を学び、クラーク博士の影響でキリスト教信者に

農学士として卒業するも

新島襄が作った安中教会(これもグンマ、新島襄もかるたでおなじみ)で知り合った女性と

結婚して離婚して渡米

今度は養護学校で働いたり、大学で医学と生物学を学ぼうとしたけれど、

新島襄のすすめで伝道者に

その後、帰国しいろんな学校で教員をしたり、新聞記者をしたり、

足尾銅山鉱毒事件に関わったり、非戦論者になったり…

その間、聖書研究に没頭した「キリスト教思想家」

 

その生涯と、教育にかかわる場面だけでも取り上げると壮絶で、

意見が合わず転々としたりするわけなのですが…

とにかく私の印象では、

いろんなことを一生懸命勉強して、いろんなところで一生懸命働いて、

生涯、教育や、人生について、そして、キリスト教について考え続けた人

 

自分が受けた教育も、自分が教壇に立った経験も、

彼の人生をたどるだけでいったい何人の歴史上の著名人が現れるのか?というくらい、

激動のさなか、歩んできた人のこういう言葉は、

じっくり考えてみると興味深く、しかも的を射ていると思うのです

 

教育は、これに精進すればこんな見返りがあるという論法で

なされるものではない

次の世代が正しく、そして確実に生き延びられるよう、

自らのもてるあらゆる知恵を伝える事にある

 

家庭も、学校も、みんなここの部分をしっかりと持っていたら、

勘違い教育は生まれないのではないでしょうか

「見返り」とは自分に戻ってくるものであり、

「次の世代」とは自分が生きた後の世代のこと

学問とは、自分のためだけにするものではなく、

自分のあとを生きる世代に生きのびる知恵を伝えるためにするものだ、と

言い換えてみると少しわかりやすいでしょうか

 

自分さえよければいい

技さえ身につければいい

点数がとれればいい

成績がよければいい

高学歴ならばいい

一流企業に就職できればいい

勉強を頑張った見返りに得るものは、

それなりの評価であり、それこそ「自分の実力」

でも

自分さえよければいい

技さえ身につければいい

と、

そのことだけで鍛錬した結果得た「実力」は

私から見ると、ものすごく危険で、傲慢なものに見えます

 

ふと、

テレビの国会中継が目に入り、少しの間見ていると、

国会議員という大義名分を背負っている人たちの中にさえ、

自分さえよければいい

という深層心理が(深層ならまだかわいいか)、

自分たちが何に支えられて、なんのために存在しているか

すっかり忘れて簡単にマイクの前でとんでもないことを言ってしまう言動が、

半分寝ていて、「もう一回質問してください」なんて平気で言ってしまう行動が、

これ、みんなの目指すところなのか、

これ、子どもたちの手本となるのか、

この人達、子どもたちの…次の世代の事、真剣に考えているのか?

と疑うしかないような自体は続いています

 

最高学府まで一生懸命勉強したはずの

人たちでさえ

 

じゃあ、一生懸命勉強するのはいけないことなのか

高学歴はいけないのか、上を目指してはいけないのか

いいえ

そんなことを言いたいわけではありません

そこを目指すのは自立した人間の意志ならとても素晴らしいこと

どんぐり的には中学生からはほぼ自立した人間ですから、

そこから先、自分の能力をどう生かしていくかは、自分次第

眺めていると頼もしく、楽しいものです

(もう、その時点では眺めることしかできないんですよ)

 

なにがいけないのか

 

率直に言うと、

親や、先生が、子どもに考えるすきも、感じる余裕も与えず、

闇雲に、強引に、牽引することです

これはもう、負の連鎖としか言いようがなく、

すっかりとそのレールで教育されてきた親や教師で溢れかえっている現代、

「そうじゃない」って気づく人の方が珍しい状態ですよね

 

でも、身近に出てきている様々な問題は、

やはり人間として育つはずの部分が育っていない、

勉強をする前にふくらませておくべき部分がふくらんでいない、

だから、

後からいくら情操教育を意識したって、興味関心をひこうとしたって、

そう簡単には子どもは振り向かないし、

もはや、目の前に人参をつるすか、厳罰を与える事でしか

動かなくなっている

鉛筆も、体も、心も

動いているように見えるでしょう?でも本当に、自分の意志か

心も一緒に、動いていますか

 

私たちは

ヒトとして生をうけ、ヒトとしてヒトの子を育てています

動物なら自力で歩け、餌をとれるようになれば独立するのが普通ですから、

いつまでもいつまでも「子育て」をしていると思っているのはちょっと違います

ヒトと他の動物とは生物学上の分類は同じようでも、

圧倒的に違うのは社会を形成して文明を発達させてきたことです

知恵を働かせ、自分たちの住む町を、国を、努力と工夫を重ね、構築してきました

他の動物と比べて、こんなに頭がよくて器用なのに、

子育てに関してはかなり不器用で、屈折してきているのがよくわかります

 

親や先生に与えられるストレスが原因で、

同類を攻撃するヒトの子

生きるため、防衛のためでなく、同類を殺傷するヒト

(その場合、残念ながらやはり育った過程になにかある…)

自分たちで作った文明の利器に振りまわされて、理性を失っているヒト

自分たちで作った機械が壊れて、直せなくて近づけもしない、ヒト

 

暴走を止めるのは、誰か

わが子を一緒に暴走させないために、どうすればよいのか

 

自分さえよければいい、って育てなければいい

世界はヒトだけのものじゃない、って知ればいい

 

周囲が見えない他者を感じない(世界に親しかいない)乳幼児期から自然の中で

風や気温や葉っぱや土を感じて、

子どもが感じたことを「そうだね」って共感してあげるだけでいい

 

みんなみーんな生きていて、

みんなみーんな優しいね、って知ればいい

安心して、周囲に視野が広がってきたら、

いろんなものに名前があること、みんな意味があること、

一緒にいっぱい話せばいい

小さなできごとに傷ついたら、どうしたらいいだろうね、って

話せばいい

一番近くにいる大人が、

優しい気持ちで、あたたかい気持ちで、包んでやれば、

自然と優しく、あたたかで、そして賢い子に育ちます

 

熊が冬眠から目覚める頃ですね

先日ドキュメンタリーで、クマの子殺しのことを見ました

クマのオスは、自分の遺伝子を残すため、冬眠明けのメスを探します

メスは冬眠中に子どもを産んで育てていますが、

オスはそのメスに自分の子孫を生ませたいために、

自分の子でない子グマの命を狙います

母グマが必死にわが子を守ろうとする姿と、

オスグマが執拗に子グマを狙う様子を実際の映像で見て、

いったいどうしてこんなことをするのだろう…と考えてしまいました

自分たちの「種」を残すためなら、同類の子を殺す事は、マイナスなのではないか

そういう動物は他にもいるようなのです

ヒトの場合、

ほとんどの場合、そんなことをすることはありません

野生動物は無知だから?

…そこまで調べていないし、

実際にクマにインタビューしたり、

精神鑑定をしたりした人はいないと思うのでわかりませんが、

それがクマの生き方なのでしょう

それがクマが生きるためにとる手段なのでしょう

「同種」などとヒトが決めたモノサシで、勝手に見ていますが、

彼らにとって「種」とは「自分」なのかもしれません

みんなで生きていこう、という種もいれば、そうでない種もいるのでしょう

 

以前も書きましたが、

恩師が話してくれました

 

地球上、どんな気候でも環境でも最大限に分布し、

生きている生物はなにか知っていますか?

 

それは

ヒトです

 

ヒトは、知恵を絞って、仲間と協力して、

地球上のあらゆる場所に暮らすことができています

分厚い毛皮を持った動物や、

水中でも長いこと息継ぎしないでいられる海獣類のように、

身体的には恵まれて、優れているわけではありません

でも、

ひ弱な身体を守りながら、生き抜くための知恵と工夫と協力を重ね、

地球上で最も最も力を持つ生物となりました

 

でも、

ひとりでは無理だったはず

自分さえよければいい、というヒトには、生きのびられなかったのです

 

人類は何度も、発生しては絶滅し、絶滅しては発生し、

直接の祖先が生きのびて現代人に続くまでは、

何度も絶滅してきました

最後の祖先がなぜ生きのびたのか、それは

ヒトが「思いやり」を持ったからだと恩師は教えてくれました

遺伝子に「思いやり」が組み込まれたからだと

 

私たちの遺伝子に組み込まれている「思いやり」

ヒトがヒトとして自然に生きれば

その遺伝子はすでに組み込まれているのですから、

邪魔さえしなければ、

ヒトは誰でも

ヒトを思いやるはず

 

子どもたちが集まって勉強する小学校とは、

ヒトがヒトとして育つために

あらゆる可能性を広げて、受け入れて、

自ら学び出すための礎を構築する最も重要な教育機関

偏って、決まりきった方法をトレーニングする場所ではなく、

柔軟で、無限大の思考を育み、認める場所

他者に関心を持ち、自分以外の性質を見る場所

世界は広い、自然は大きい、と知るだけで、興味にとどめ、

中学生からは自分の学びへとつなげていく

より専門的に、より具体的に、知りたい事をひとつずつ解き明かしていく

クイズの答えを先に知っていることほど退屈なことはありません

一生懸命考えているのにヒントを連発されるのも

一瞬の優越感は何も生み出しません

ただただ「優越した」という傲慢な経験しか

 

教育者は、知っていなければなりません

ヒトが持っている遺伝子と、ヒトの成長過程を

わたしたち教育者のすべきことは

知的修練を売る事ではありません

 

子どもたちが

真の人間になるために

次世代が生き延びるために

私たちはもっと知っていなければ

《2017年 5月10日投稿》

172.天才児を育てる…って

たまたまテレビをつけたら、

とある塾を特集していました

「天才児を育てる」とかなんとかいう特集で、

小学生対象の算数塾のようでした

 

先生が独自に開発した教材やゲームを活用し、

飽きることなく取り組むことで天才児が育つのだということで…

 

「単純な計算を繰り返すことでどんどん計算が速くなり、

暗算もできるようになって天才児が育ちます」

と豪語する先生の話を、

スタジオの芸能人はほほーう!と頷きながら聞いていました

 

その教室独自のすごいところ!として紹介していたのは、

休憩したい時に自由に休憩できて、外に縄跳びをしにいく子もいれば、

先生が作った大画面タッチパネルの「ゲーム」で気分転換する子もいます

ゲームは暗算を使って敵を倒すというストーリーでした

 

そして、クイズ形式になっていたのは、

子どもたちがプリントを全問正解?すると

先生がバッグから取り出すあるものを与えています、というところでした

正解は

「金券」

でした

塾内通貨とでもいいましょうか

教室の片隅にある文具コーナーにはその通貨での値段が書いてあり、

金券を集めると好きな文具が買える、というシステムでした

「これならやる気がでますね~」「おもしろそう~」とスタジオもわいわい

 

私は「なんだか懐かしい~」と思いながら見ていました

まだあるんだあ、こういう教室…

かつて「物を配る」部分に経費をつぎ込んだ進学塾は、

今でもうちの地域の業界トップクラスですが、

成績別クラスの底辺クラスは無法地帯

親の悩みにつけこんで、子どもは物で釣る、

典型的なやり口に、まだたくさんの人たちが依存しています

そしてこの塾…

いやいや、結構な人気らしい

スタジオとは別の意味で「ほほー」

 

どんぐり理論とは全てが正反対、しかも、

この手の塾のテレビでの紹介は昭和時代から時々思い出したようにあるわけで

そりゃ、「テレビでやってたから正しい」と思いこむ国民性としては

どんどん正当化されても無理はないわけで…

 

子どもは

単純計算なんて年齢、学年問わず教えればすぐにルールを覚え、

反復練習させれば「天才?」ってスピードでどんどん解きます

タッチパネルのゲーム形式に変えたって同じです

子どもがのめり込む刺激形式に変えるだけで、脳の動きは同じです

安易に、容易に正解が出ることを求めますから、

どんどん、「じっくり考える」ことは面倒がるように育っていくでしょう

でも、「天才?」と見紛うスピード・処理能力は、

「もしかして、うちの子…このまま行けば…」と親の期待を膨らませることになります

そして、

時々出現する「文章問題」に対峙すると、考えるのが面倒な子は思考を拒否

すると「うちの子、計算力はあるんですけど、文章問題が苦手で…」という悩み相談

それなら、うちの塾なら読解力を育てる講座もありますよ♪と

あれよあれよと、塾なしでは勉強できない子のできあがり

業界の努力の賜です

 

子どもは

ある程度の褒美をかざした方がやる気が出て、成績も上がる、と

別のところで教育経済学のセンセイも言っていました

そりゃあね、一瞬はね

私がDKでお菓子を賭けて時々やる「超難入試問題バトル」みたいにね

※小学生にはそんなことしません

この教室の金券システムは?

何ヶ月か、何年か、定点観察をしてみたいものですが

間違いなく、

「正解にこだわる」子が育ち、

まるで稲作が上陸して狩猟採集の平和な生活が一変した弥生時代のように、

金券での貧富の差も明らかになることでしょう

そして、

金券を集めるために努力する習慣がつけば、

何の見返りもない努力をすることに抵抗は感じないのでしょうか

え、ご褒美ないの?金券もらえないの?じゃあ、なんでやらなきゃならないの?

そんな悪魔のようになるわけない、と思いたいのはわかります

同じようにしても、みんながみんなそんな風になるわけではないでしょう

 

子どもの特徴をよく捉えています

子どもはルーティンが好き

いつもと同じ、というのを、刺激を求める大人は嫌いますが、

子どもは「いつもと同じ」で安心します

いつもと同じ、このドリルをひたすら解けばいいんでしょ、と

 

子どもはご褒美が好き

私がクロッキー帳の片隅に落書きするだけでも大喜び

学校で小さなシールを貼ってもらっただけでも大喜び

冗談を言ってあげるだけでも

その子が登場する替え歌を歌ってあげるだけでも

そんな些細なご褒美で大喜び

でも

金品は?

エスカレートするとご褒美ありきになってしまう

 

この方式で、本当に伸びる子もいるでしょう

そういう子はどんな方式だってある程度までは伸びるのです

そして、塾側も想定内

全ての子を伸ばそうとはしていないのです

ついてこられる子だけでいい

金券の貧富の差にたえきれず辞める子もいるでしょう

そして、残るは少数精鋭のみ

かつて入塾に成績表を持っていき、優秀な子しかとらないばかりか、

途中で成績が下がるとやめさせる有名な塾もありましたが、

進学実績がよいので入塾希望者は毎年殺到

え?え?ちょっと待って…

そりゃそうでしょうよ、少数精鋭ばかりなんですから

それを脱落させず、無法地帯のような教室で、

とりあえず授業料をいただくために預かる塾もあり

 

子どもの特徴を「悪用」しないでいただきたい

子どもはもっと純粋で、賢いのです

大人がつまらない型にはめようとすればするほど、

子どもはねじ曲がっていきます

本来の賢さも、優しさも、豊かさも、忘れてしまいます

 

計算が速くできる子が「天才児」

難問もトレーニング次第で解けるようになるでしょうが、それを天才児と呼ぶなら、

その子の心が健全に育っているか、ぜひとも観察することを怠らないで

 

もし、計算が速くて難問も解けて、難関校に合格して、でも、

その子がとても病弱で、顔色も肉付きも悪く、ゴホゴホ咳き込んで食欲もなく、

今にも倒れそうだったら

それでも天才児に育ってよかったね!って思いますか?

目に見える健康状態は素人でもチェックするのは簡単かもしれません

でも、

見た目も健康で、頭脳明晰で、挨拶や言葉遣いもきちんとできる

それでも心が成長を遂げていなかったら?

他人を傷つけ、命を粗末にし、

自分さえよければいい、とたとえば道にごみを平気で捨てるような心に育っていたら

 

怖いと思いませんか

 

それでも天才児に育ってよかったね!って思いますか?

《2017年 4月25日投稿》

150.みんないい顔

いろんな個別相談や、

いろんな案件に対峙して、

いろんなことを考えてばかりで、ついついブログの更新が滞ってしまいました

書こうとすると、止まってしまい、

じゃあ、どうなるっていうのさ…と自問自答

でも、結論は見えてる

でも、ケースバイケース…

それでもわたしが書く意味があるのなら…

 

何人かの方から「滞ってるぞ」とご指摘をいただき、

しっかりしなくては、と背筋を伸ばし、今日は

いま目を閉じると浮かんでくる、かわいい塾生ちゃんたちのことを書こうと思います

 

「豊かな思考力と、たくましさと、豊かな心を同時に伸ばす唯一の教育法である」と

20年以上教育業界に携わっているわたしが出したこの結論を、

少しずつ、みなさんの心にとどめてもらうために

伝えるために

 

教室に入った当初は、目がつり上がっている子が多いんです

なんだかわからないけど、他の教育法でやられちゃったのか、

親御さんのガミガミが効いているのか、

それとも「塾」とか「先生」とかっていうものへの無意識の抵抗感なのか

わたしなんにもしてないのに~

と、泣きたくなるくらいとげとげされることが、少なくないです

ほんとに涙がにじんじゃうくらい、痛いことをされることも、ありました

そんな子にわたしがどうしてるかというと、

ただ、ただ、受け入れています

授業のあとはほっぺたが痛くなるほど、笑顔で接してます

描けない、解けない、ちゃんとできない、

自分の弱点をさらす時、ふっと見せる不安げな表情、

わたしに見られまい、気付かれまい、と必死な表情

そこから攻撃性に変わる子がいますが、

それでも、わたしは笑顔で見守っています

そりゃそうだ、最初から弱点を他人にさらすなんて動物的本能としておかしい

防御して当然です

そう本気で思いながら子どもたちを見ています

そして、

いいじゃない、別に、今日できなくたって

そして、言葉にも出します「いいんだよ、今日じゃなくたって」

「この次でいいじゃない。6年生まであと何年もあるよ。

おじいちゃんになってからだっていいじゃない。」

「そしたら先生、死んでるよ」

「そうだね!その前にできるといいね!」

みたいな

その、

「死ぬ」とか、「うざい」とか、「めんどくさい」とかって言葉も、

新入生ほど多用するのですが、段々と言わなくなります

そして、

弱点をさらすことも、時がたつにつれて、

わたしへの緊張感や、壁を取り払ってくれた子から、少しずつ、

抵抗がなくなってくるようです

特に、強いてはいないけど、でも、

段々と、変化していきます

より幼く、より素直に、入ってきた時より月齢はずいぶん戻ったような、

赤ちゃんが笑うようなやわらかで、優しい笑顔を

わたしに向けてくれるようになります

 

そんな子が教室に増えてくると、

新しい子が似たような感じになるまでに時間がかからなくなります

もし教室がもっと広かったら、

体験授業は塾生さんのいる時間帯に同時に行いたいくらいです

そうしたら、みんなが、私ではなくみんなが、この教室のことを

説明してくれるんだろうな

 

でも時々ため息をつく子がいます

「今日、学校で…」

「今日、お母さんが…」

「お父さんが…」

大量の計算をして、頭が疲れちゃった、

先生が言ってる宿題のこと、うちのお母さん全然わかってないよ、

やらないと遊びにいっちゃだめ、って

お父さんが弟にゲームを見せてるの、まだ小さいのに、最悪!

夏休みや冬休みのあとは、

テレビや動画サイトの話ばかりする子も増えます

不思議なことに(わたしにとっては不思議でもなんでもない、必然ですが)

素直に輝いていた目が曇ってきます

冴えていた思考力も鈍り、

他の子への言葉がけもきつくなるか、関わらないようになるか…

はたまた、1時間ただただ呆然とした表情ですごすか…

恐ろしい威力・破壊力を感じます

 

せっかく楽しくなってきたのにね…

せっかくこの場所にも私にも慣れたのにね…

考えられなくなってしまうと、どんぐり問題は苦痛になってきます

もったいないですね…

 

ただ、文章を図解するだけです

でも、

急に数式を書き出す子も突出します

学校で式を習ったから使いたいのでしょうね

使ってもいいんです

道具として計算を使うならば、図解の一部として書くならば、でも

出てきた数字をなんとか式に当てはめようとする、あれをし出したら、

あーあ…とがっくりします

また何かに破壊されてしまった…もったいないなあ…とね

ある子はそれで悶々と問題に苦戦した後、

「結局絵に描いたほうが早いじゃないか!!」と

まっさらから解き直し、ふんふん鼻をならしていました(笑)

まだ低学年ですが、その行ったり来たりもまた重要

素晴らしい失敗と成功を同時に味わった貴重な時間になったことでしょう

 

「あーあ」と思っても

「どこで破壊されたんだ…」と訝っても

わたしはずっと笑顔です

本当によくないことをした場合は、笑顔は消しますが、

そんなことをする子も最近はほとんどいないし、

生徒さん同士で注意し合ったりしてくるので、

まあ、ほぼ、笑顔です

そして、

声の出し方まで気をつけています

話すスピードもです

簡単に言うと、できるだけゆっくりゆっくり

動きも、話し方も、ゆっくりゆっくり

子どもたちは、

その時そこにいる唯一の大人であるわたしの、

全てを見ているから

 

すっごくイライラしながら教室に入ってくる子もいます

怒られながら来たのかな?

学校でなんかあったかな?

でも、

わたしは変わらず、笑顔で、ゆっくりゆっくり声をかけます

帰りには、見違えるように穏やかないつものあの子です

そんな、子ども本来の姿を知っているから、

どの子もみんなそうなんだって知っているから、

もったいなくて、わたしは邪魔できません

 

かつて、未就園児に触れて発達や幼児教育について学んでいた頃、

とある素晴らしい保育をする保育園の園長先生が話していました

「月曜日の子どもたちの状態は、あまりよくないんです」

なぜなら、

保育園に来ていない週末の間に、

あっというまにリセットされてしまう子が多いから、と

保育園では朝から晩まで外遊び、自然遊び、

食事も簡素で、おやつも第4の軽い食事、

歌を歌い、手遊びをし、絵本を読み、決まった時間に午睡

寒くても薄着、暑ければ水浴び、少しくらい汚れても気にしない、

テレビやビデオなど皆無

そんな平日を重ねて、人間らしく、子どもらしい目の輝きを満たして週末へ

…月曜日、

目が曇っている子が多い、と

あまりにも気になる家庭には声をかけ、話を聞いてみると、

週末は、働く親も疲れて食事も外食や買ってきた総菜、

まとめて見たいニュースのためにテレビはつけっぱなし、

買い物がしたいから、と実家に預けると、アニメのビデオ漬け、

甘いお菓子とジュースを添えて…

寝る時間も遅くなり、朝もなかなか起きない…

それで、明けて月曜日…

そんな保育園に入れている家庭もなんですか…とびっくりしながら話を聞いた覚えが

本当にもったいないですよね、

子どもたちがこんなに生きる力を身につけて、こんなに逞しく日々過ごしているのに…

と園長先生も嘆いていました

 

大人にはなんでもないこと、

大人は麻痺してしまって、わからなくなってしまっていること、

ニュースを見るのも、

大人会話も、

大人ドラマも、バラエティも、

スマホをいじるのも、

ゲームももちろん…

子どもはみんな見ていて、

やっと取り戻しつつあった人間本来の強さや賢さや豊かさを

一気に奪われて、大人と同じように麻痺して、わからなくなっていくのです

 

昨日、中学生と話したこと

話していて、ああ、そうか、と思ったこと

中学生の前で、いつものようにナイフで鉛筆を削ってみたのです

別に、特に反応はなし

「ナイフで削ったこと、ある?」と聞くと、

「あるある」とか、「おじいちゃんが削ってるの見てた」とか

それなりに経験があるみんな

つい先日、

小学生の前で削っていたら、

「なにそれ!」「なにしてるん!?」と一時騒然と…

そして究極の一言、「鉛筆って、そうなってるん!?」

※…るん!?は上州弁(群馬弁)(笑)

その時は、どういう意味かわからなかったのですが、

昨日、中学生と話していて、気付いたのです

そうか、小学生は、

鉛筆削りに鉛筆をさして芯をとがらせることは毎日しているけど、

そこに興味がないから、鉛筆のメカニズムを知ろうとしていなかったんだ

ナイフで削った経験がなくても、

鉛筆を破壊したことがあるとか、

不具合で芯だけ飛び出てきてしまうので遊んだことがあるとか、

そんな経験だけでも、鉛筆がなんなのか、知るチャンスになる

それもないとしたら、

「毎日削ってくるように」と先生に言われて、毎日削っていく小学生、

鉛筆がどういう構造で、削るってどうすることなのか、とがるってどうなることなのか、

考えもしないで済む可能性もあるわけで…

たかが鉛筆、されど鉛筆、

これからの子はどんどん、

興味なんか持たなくても勝手に自動的に整えられる時代を生きていくのかな、と

少し不安になるよ…と中学生に愚痴ってしまいました

 

で、

結局、親なんじゃないかなぁ…とやはり思ったのです

「そ、そんなことも知らないの!?」ってビックリするようなことを、

子どもたちは教室でも結構口にします

イマドキの子なんだな~と思うこともあるし、かなりまずいんじゃないか…?と思うことも

興味を持たせる、ってどういう風にすればいいんですか?と質問されることも多いです

なにに興味を示すかなんて、子どもといえど個人差があるし、

具体的にどんな方法があるかなんて、それぞれのケースによって違うものです

でも、

全体的に見てわたしにわかることは、

大抵の場合、親が子どもの興味関心を狭めて、奪っている、ということです

「うちのこ、○○なので」

「うちのこ、○○に興味がないので」

おーーっと!出た出た!また線を引いていますよ!暗示かけてますよ!と

聞いていてわたしは思うわけです

もったいないな~と

 

普通、

子を授かり親になった場合、

わが子を見て子どもを知るわけです

「子どもってこうだよね~」とね

まあ、わが子の周辺の子も知ることになるでしょう

「あの子はこうだな~」とね

何人くらいのお子さんを見て、「子どもって」と定義しているか、

考えてみてください

 

わたしは、数えられませんが、たぶん、仕事で出会った子どもの数は、

えーーと、えーーと、大きな塾に勤めていた時は1年で数百人は出会いましたから、

その後、独立して小規模の教室の時、未就園児に対する副業、どんぐり学舎…

トータルで、

個々の子どもについて研究、議論した数だけで2000人はゆうに超えると思います

その中で、わが子はたったの2人で…

「わが子」のいない素晴らしい教育者もたくさんいますよね

むしろ、「わが子」しか知らずに子ども論や教育論を語る方が危険ではないかと

 

先日もラジオで、ママタレントが自信満々に

「男の子って親の命じたことと反対のことをするんです。

女の子は親の命じたことを絶対に守るんですよ。」って

語っていましたけど、

こういうのを、電波にのせて言うんだからみんな影響を受けるわけだよ…と思いました

うちの子って、って言えばいいのにね

それだってその「うちの子」に暗示をかけることにはなるけれど…

最近話題の「教育経済学」とやらの理論も、

パーセンテージが高いからそう言える、という、

そりゃあ、学術的には間違っていない言い方なんですけれど、

(たとえば、男の子には男親の、女の子には女親の指導が合っている、というような)

子どもには性差以外にもいろんな違いがあり、

ひとりひとりの子どもには全部、それぞれの個性と存在意義と権利があるんじゃい!と

全く別の観点からわたしはそれらの話を聞いているのですが

 

とにかく

教育論なんて、ひとつの指針であり、人によってはなんらかのヒントにはなり、

鵜呑みにしなければ、目の前の子どもを見る時のなにか、よいことにつながるならばいいのですが、

それありき、ではどんなよい理論でもうまくはいかないと思うのです

 

わたしはいつも言っています

入塾の問い合わせがある度に、まずは言っています

「基本的には、お家でできることで、ここに通う必要はないんですよ」と

「ここに通うことありき、では、うまくいかないんですよ」と

ここに通わせていたら大丈夫、家でどんな生活をしていても大丈夫、なんて、

そんなことを言う塾があったら、即、いかがわしい塾選手権に出場決定です

 

子どもは、

親を見て育っていて、

子どもは、

衣・食・住すべての環境でできています

子どもが子どもである期間は短く、

親である私たちは、それほど長く子ども中心の生活を続けることはありません

永遠に続くのでは?と一緒に泣きながら少しうんざりした赤ちゃん時代

外出先、絶妙なタイミングで「おしっこ!」と言われへとへとだったあの頃

見事に終焉を迎えたことでしょう

 

わたしたちは、親にしてもらえた

親が親として親らしく生きられるのは、わたしたちの人生のほんのわずかな期間

 

どうせなら、思い切り満喫しませんか

 

結局のところ、うちの教室の塾生ちゃんたちはみんな「いい顔」しています

小さな教室ですから、全員の状態を今からひとりひとり説明せよ、と命じられてもへっちゃらです

そんな規模ですから

そして、頑張ってる親御さん達も知っていますから

頑張ろうとしてもなかなか思うようにいかない、苦しみの中にまだいる親御さんのことも、

わかっています

 

子どもたちの進化のスピードが、確かにそれをわかりやすく反映してしまうのですが、

それだって、

早ければ早いほどいいって訳でもないと思うのです

親は焦ります

あーあ、もったいない、とわたしは心の中で思います

どうすればよいか、方法論は数々示しているつもりです

でも、なかなか実行に移せない、移したいけど、移せない…苦しいですよね

わかっているのに、環境がそれを許さない、というケースも

でもきっとそれも、子どもが背負うひとつなのでしょう

つらいけれど

かわいそうだけれど

 

でももし、

本気で子どもを守りたいなら、

もう一回頑張れるかもしれません

 

誰一人、ここにいる子どもたちの中に、悪い子なんていないし、

本来の姿を取り戻すことはもう無理だろう、なんて子もいません

あとは親御さん次第…という子は何人かいます

 

わたしは、今日も、目を離さず、見てないようで見てる~って笑顔で、

子どもたちを迎えます

大好きな子どもたちを迎えるのです

《2016年 11月9日投稿》

148.宿題免除カードを妄想する

サッカーの審判がポケットからひょい!と出すイエローカードみたいに、

改札でかざすとぴぴっと開くカードみたいに、

どやどやとなだれこんできた捜査員が

ばん!とかざす捜査令状みたいに、(←ドラマでしか見たことないけど)

ぱっと見せるだけで「はい、了解しましたー」と一件落着するしかないような

そんなカードがあったらな…と

毎日、毎日、「宿題」のことで悩んでいる親御さんの相談を受けていて思うのです

 

宿題そのものについて考えてみると、

・漢字練習

・計算ドリル

・音読

という、かの有名な「お粗末三点セット」がどこででもスタンダード

 

漢字に興味があって、いろんな使い方を覚えたくてうずうずしてる子にも、

なかなか覚えられず苦戦している子にも、

おんなじだけの漢字練習の宿題が出ます

 

解き方を理解すれば何度も反復しなくても

すればするほどいやになる計算ドリルも

おんなじだけ与えられます

 

そして、

国語の教科書の「いま習っている」文章の

繰り返しの音読を毎日「家でも」させるための音読です

 

えーーー

この三つの中で、

中学生、高校生になって、自主的に、積極的に勉強に取り組むために

大いに役立つものはどれでしょうか

それから「今話題の」思考力養成には?

 

この話になると必ず出てくるのは、

…これは、計算反復系の教室で育った方も必ずおっしゃることですが

「ちゃんとこなすことで、忍耐力がついたし、基礎学力が固まった!」

という反論です

…それはよかった。おめでとうございます。

 

でも、長年、小中学生の勉強をサポートする仕事をしてきたわたしは

確信しているのです

 

それ「だけ」じゃだめなこと、

それ「ばっかり」じゃだめなこと、

そして、

いま、学校内でのことはもちろん、家に帰ってきてからの環境など、

子どもを取り巻く環境は

数十年前と比較しても別世界、まるで異国のように

わたしたちの育った頃とさえ違います

 

率直に言うと「自由がない」

遊びも、勉強も、「自由」が許されない現代、

子どもたちが学校から強制される「宿題」によって

どれだけさらに「学ぶ」ということに制限がかかるか、

そろそろプロの教育者である学校の先生は、

現実としてしっかりと捉えないといけないと思うのです

 

このことについて、数人の「現役教師」「現役管理職」に

提言したことがあります

 

ある教師は言いました

「その3点セットは、いわゆる底辺の子たちのために始まった」

どう頑張っても漢字が覚えられない子のために、

クラス全員で漢字練習をすることでなんとか覚えてもらおうとしたのが始まりだと

わたしは尋ねました

「それは連帯責任かなにかですか?」

「そういうわけでは…」

「もうすっかり覚えている子にも、10回、20回と書かせることの意味は?」

その教師は、

「各家庭でその子に必要な分だけやってくれればいい。

 そう相談してくれれば喜んで対応する。」と、

いつかテレビの教育特番で、

尾木ママが「どんな先生でもそうしてくれるわ!」と断言していた「神話」を

実際に言ってくれました

(実際には、「どんな先生でも」なんてあり得ません)

 

ちょっと脱線しますが、

帰国子女の生徒がいます

英語が日本語より堪能なくらいです

中学生になり、普通の公立学校なので英語も最初から授業を受けていますが、

ある日その子は英語のノートに中1の教科書の単語練習をしているのです

唖然として聞いてみると、一切のアレンジも免除もない、とのこと

これは私たちが海外の学校で日本語の初歩の授業を受け、

ひらがなの練習をさせられるのと同じ事ではないですか

たったひとりのその子のために、宿題をアレンジすることも免除することも

しようとしないのでしょうか

 

さて、

話を戻します

ある管理職教諭は言いました

「でも、学校が『緩める』わけにはいかない」と

これは、今の子どもたちの環境や、この時代における宿題の意味や存在感について

わたしが話したことに対する返答で、

半ば呆れたような言い方でした

わたしは言っています

相談してきた方には「緩める」ことについて、ずっと、ずっと、言い続けています

子どものために環境を見直すこと、習い事や、メディア接触によって

子どもの自由が奪われているという現実を、伝え続けてきました

できれば、家庭がもっと賢く、強くなって、

DMや、CMや、うわさ話や、流行にまどわされず、

子どもの環境を整えることができていたら、こんな時代にはならなかったのかもしれません

確かに、家庭はどんどん、子どもを追い詰めて、

学校にも「宿題をもっと出して」と要求して、

それに応えて学校も宿題を増やし…とどんどんどんどん、悪循環

そんな時代の変遷を見てきた管理職の先生だからこそ、

「悪いのは家庭でしょ」的な(そこまでじゃないか…)

「学校が緩めるなんて変」という反論をなさったのでしょう

 

ちがう、ちがう

わたしは学校から最初に動き出してほしかったのです

「子どもにもっと自由を」と、

習い事や、テレビやゲームに没頭する時間は危険だと発信し、

宿題も厳選し、翌日の授業が楽しみになるようなものに工夫し、

プロ集団として勉強を重ね、意見を出し合い、

子どもたちを本気で心豊かに賢く強く優しく育てるために

何が必要で、何が不要か、本気で議論してほしかったのです

 

わたしがもし学校の先生だったら

新しく習った漢字を使って言葉や文を作ってくる宿題と、

新しく習った計算なら「1問」だけノートに大きく解いてくる宿題を

出せというなら出すかなあ…

 

でも、よくよくよーーーく考えても、

宿題は不要だな、と思うのです

わたしが出そうとする宿題だって、

それをしたからなにになるのか?疑問です

どんなにささやかな宿題でも、ルーティンになって飽きられます

で、気合いを入れてもっと子どもが夢中になるような宿題を…?

それは、授業で充分なのではないでしょうか

授業そのもので、考えることを経験させること、理解を深めること、

反復練習ではなく、興味を持たせることで習得させること

それが教師の仕事ではないでしょうか

 

少なくとも毎日、宿題を試行錯誤して自作している先生は

ほとんどいません

出来合いのプリントやドリルで、ページを指定して黒板に書いておき、

ひどいことに

翌朝、「宿題係」にそれをチェックさせています

出来合いのプリントやドリルを宿題に出して、

子どもたちの家庭での時間まで管理しておいて、

提出先は子どもたちです

間違えて練習していったのを指摘してくれる先生もほとんどいません

見ていないのでしょう

「見る暇などないのだ!」と怒られそうです

だったら軽はずみに宿題など出さないでいただきたい

出したなら、

子どもたちが一生懸命(親に叱られながらも)埋めてきたその1文字1文字を

ちゃんと受け止めていただきたい

そんなことができないのなら、できる分量だけにしていただきたい

でもそんなことに時間を費やすくらいなら、

毎日毎日、子どもたちが食いついて前のめりになるような、

魅力的な授業をするための研究を怠らないでいただきたい

それが仕事なのですから

 

さて、宿題はまるで諸悪の根源のような書き方をしてきましたが、

家庭で守るべき事を守った場合にのみ、

「宿題免除カード」は使えることになります

 

前述しました

「遊びも自由じゃない」と

いいえ、遊びは自由です

自由にテレビを見て、ゲームをしています

テレビを見ること、ゲームをすること、

それって「自由な遊び」だと思いますか?

実際の脳内は全く自由ではありません

子どもがテレビを見て、ゲームをするのは「自由」とはかけ離れています

どんな脳を使いますか

どんな自主性が動きますか

「受け身」の遊びでは、最も大事な部分が麻痺するばかりで、成長はありません

これはもう、何度も書いてきていることで、これからも何度でも書きますが、

今回のテーマから逸れるのでまたいつか…

 

突然出てきた「宿題免除カード」ですが、

まずは「ああ、それね」と学校の先生が知っているということが前提です

そして、宿題以外の環境設定をしっかりと整えたご家庭のみ使えます

 

明らかにおかしな決定がくだされ、明らかにおかしな変更があったことに対し、

「わたしたちはなんにも。お上からのお達しですから」と

平然と言ってのけた先生

実力のある、賢い先生だと思い始めていただけに衝撃的でした

「昔はよかった」と、もうちょっと自由だった時代のことを、

懐かしく話しあったこともありました

それなのに

「おかしい」と言うこともない

言うつもりもない

「お上」からのお達しですから

 

いいですよ、先生達もサラリーマンです

組織の一員として、勝手なことはできないのは百も承知です

教師聖職論…なんてもう古典の話…悲しいけれど

でもね、

「宿題を増やしてくれ!」という保護者もいれば、

「うちは宿題は不要です」

という保護者もいるということ、

それは、「勉強なんてさせなくていいので」という要望かもしれないし、

都会の「お受験」家庭のように、

「もう、そのレベルの勉強は必要ないので」という個人的事情かもしれません

わたしたちのように「反復学習や、闇雲に出された内容ではいや」という

子どもの脳の発達や情緒などしっかりと勉強した上での意見かもしれない

いずれにせよ、

家庭学習は家庭の采配で、責任で

という原則をしっかりと理解していただきたい

 

漢字練習をいっぱいした子が漢字が得意になるなんて、

先生達も信じていません

計算ドリルをきれいに完璧に解いてくる子が、将来数学が得意になるなんて、

もちろん信じていません

現に、宿題を完璧に守り通した子が

中高生になって苦しんでいる姿をわたしは数え切れないほど見てきました

かわいそうに

先生が出した指示を守り続けただけなのに

 

大学入試が改革されるんでしょう?

教育のプロなら誰でも知っているでしょう?

現中2からです

今の小学生は全員、改革後の入試を受けることになるし、

その改革とやらによって、高校の授業が変わってくる時代の

ちょうど波にもまれるあたりです

思考力重視なんでしょう?

暗記や計算だけじゃどうにもならないようなテストになるんでしょう?

考える力や工夫する力が問われるんでしょう?

漢字練習や、計算ドリルをさせている場合じゃないですよ

責任重大なのは小学校の先生です

自分たちのせいじゃないのに「ゆとり世代」と呼ばれる若者達みたいに

結局は子どもたちのせいにするつもりですか

 

大学受験の予備校講師の知人が「高校では遅すぎる」と

Gフォレストの金森先生は、企業の人事部で名だたる大学生達の面接を重ねるうち、

初歩教育に転職

高校受験の進学塾でわたしも「この時点ではどうにもしてやれない…」と

どんなに正してやりたくても正せない勉強面での思考癖、作業癖?

どんなにやわらかくかみ砕いても習得できない脳内キャパ

何度も限界を感じました…

親御さんの中には藁にもすがる思いで、高い授業料を納めてくれる方も

少なくなかったことでしょう

で、わたしはさらに「中学生はもちろん、小学生では遅すぎる」と赤ちゃんとの仕事も経験

 

すべてのはじまりが、すべての未来につながっている

小学校の先生は、子どもが小学生の間だけを

中学校の先生は、中学生である間だけを、責任とればよいわけではなく、

今後ずっと、子どもたちが背負っていく全ての基礎を、

積んでいる状態になるわけですが、どこまで自覚があるのでしょうか

 

この質問に答えられず、対処方法もわからないような教師が出す宿題など、

やる意味はありません

「お上からのお達し」で宿題が決まっているから仕方ない、と

目の前の子どもたちを見放すなら

なんのために教師になったのか自分に問いただしていただきたい

 

あまりにも

宿題に悩む親御さんが多いので

できれば先生達に

議論していただきたくて

 

どうしたらいいか、考えていただきたくて

 

そして、親御さんたちには、

この渦中にいる子どもたちを守るために

もっと強く、賢く構えていてほしくて

 

まどわされず、しっかりと、目の前のわが子を見て

これは、

長年かけて汚染、破壊されてきた環境を浄化するのが困難な環境問題と同じで、

特効薬があるわけでも、一朝一夕で片付く問題でもありません

だって、やはり長い時間をかけて、わたしたちの暮らしが変わってきた中で、

子どもたちの環境が犠牲になっているのだから

まずはそれを大人としてしっかりと受け止めて、

どうか子どもたちのために

うやむやにしないで

 

宿題免除カード

いつの日か誰もが選べる権利として定着しますように

《2016年 9月16日投稿》

136.10年後の職業 AIか、思考力か

入学、進級、あっという間に5月、連休、

家庭訪問に授業参観…学校の様子もまだ落ち着かず

やっと「普段の生活リズム」になってくる頃でしょうか

 

時間の流れはいつもと変わらない、地球も同じ速さで動いているというのに、

わたしたちの周囲は、急に慌ただしくなったり、ひっそりとしたりするものですね

 

子どもたちは相変わらず

漢字練習や計算ドリルの宿題に追われ、学校でもタイムを計ったりされながら

基礎練習のトレーニングの日々のようです

 

大好きな番組スーパープレゼンテーション

録画がたまっていたので深夜、ひとり見続けていました

こういう人たちにとって漢字練習や、計算ドリル的なトレーニングって

なんの意味を持つのだろう

アイディアを形にしたり、思いを力に変えたり、希望を持ち続けたりすることが

こうして実を結ぶ、という「最先端」の成功者の独特の生き方は、

画一的な教育の成果なのか、それとも、

それを超えたところにあるのか

 

アメリカではビル・ゲイツさんやスティーブ・ジョブズさんなどの「成功者」が

大学を中退しているのを例に挙げて、

「優秀な人は中退してる」という都市伝説的なものが横行しているけれど、

それは「中退したから成功した」のではなく「中退しても成功した」だけであって、

だから中退がいいわけじゃない、ちゃんと学位をとって努力している人もいる、と

勘違いしない方がいい、というようなことを、

自身も中退しているというMCの伊藤さん(MITラボ所長)が話していました

 

ほんとに、この手の伝説には辟易するのであって…

 

この話が出た時のプレゼンターはアメリカの(日米ミックスの)男子高校生でした

小学生の時にすでにプログラミングを独学し、(重要なのは「独学」かと)

認知症の祖父とその介護者の伯母のために、

徘徊を直前で止めるための感知センサーを高校生で開発、商品化した少年でした

よし、

じゃあ、

この少年に倣って、やはり小学生からプログラミングを習得させよう

コンピューターを早く買い与えよう

…うーん…

ちょっと違う

そうじゃないんです、この子はやはり、特別なんです

ハーバードを中退した人が全員ゲイツさんみたいではないように、

小学生からプログラミングしたからって全員が成功者になるわけではない

この少年には、

家族の絆が強く、アメリカでは珍しい「祖父母との同居」の環境で、

どうしても祖父と伯母の助けになりたかった、幼い頃からのその強い思いが、

様々な家電に対する工夫や、センサーの開発の動機となったのです

話を聞いていると、

自分自身がコンピューターが好きで、特に「センサー」が好きで好きでたまらない、という

強い思いと、

おじいちゃんのことが大好きで、大切で、たまらない、という愛が感じられました

科学技術の最先端を独学してしまった素晴らしい能力と共に、

ちゃあんと、心が育っているんだな~と

 

こうして、

世界中で有名になるくらいの「成功者」たちの輝かしい実績、そして、

幼少期の教育法など、話題になるたびに例の伝説が横行します

「あれをやらせるといいらしい」「あの人はこれを習っていたらしい」

たぶん、

彼らのような逸材は、なにをしようが、させようが、あの形にたどり着くのではないかと

(それは…スポーツ然り)

親御さんがどのように育てていたかまでは知りませんが、

意図して成功者を育てるために型にはめたり特訓したりしたとは考えがたいです

もちろん、中にはそういう人もいるのでしょうけれど

 

そこで、

いま、わたしたちは子どもたちを目の前に、

なにをすべきで、

なにをすべきでないか

 

10年後、いったい、世の中はどうなっていて、

これから社会に出る、という段階になっている今の子どもたちは

どんなビジョンを持っているのでしょうか

 

AI(人工知能)が人間に、将棋や囲碁で勝利したとか、

スマホに話しかけると自動的に調べて教えてくれるCMとか、

そんな話題からいつも出てくるのは、

10年後になくなっている職業

 

さあ、大変

少なくとも今、多くの大人は「漢字」を書きませんし、「計算」もしません

「漢字」は変換リストから選ぶし、「計算」は計算機でします

サッカーの試合を見ていて相手の国がどこにあるのか気になれば、

スマホで調べるのでしょう

翻訳ソフトは進化していて、同時通訳もできるようになっているとかいないとか

高校生は電子辞書をみんな持っているらしいとか

じゃあ、

子どもたちが今勉強していることってなに?

 

工場はとっくに無人化・オートメーション化

女工さんがわいわい集っていた製糸場はまさに世界遺産

ロードマップはカーナビになり、道行く地元民に道を尋ねる人は希少

学校の教科書もデジタル化!?

某塾が使っている端末のように、丸付けや、解説までしてくれるソフトなら

先生は不要?

膨大な知識と経験でクライアントの案件に挑む弁護士や医師は?

膨大な知識はコンピューターと勝負できるのか?

この症状は、とオペレーターか患者本人が打ち込めば、あらゆる症例が出てきて、

あらゆる治療法と可能性が明示されるシステムができたら、

医師は不要?

 

膨大な暗記は、不要?

そして、大学入試改革が控えています

暗記だけで大学に入れる時代は終わる、と

今は言われています

それこそ、AIロボが東大合格を目指している最中ですがね

 

さあ、人間は、AIに勝てるのか?どの職業が残るのか?

 

昔から、AIが暴走して人間に逆らうSF映画があるように、

どこか、人間は恐れているのではないかと

ワンタッチ(むしろ最近ではノータッチ)で操作できる高度な端末を

まるで支配者のような気持ちで所有するものの

扱い方を間違えると大変なことになるぞ、と、

昔からわかっているのではないかと

 

人間は、膨大な暗記をAIと競う必要などないのです

教師も、医師も、弁護士も、

本当は工場にだって、

人間は必要なんです

 

人間にしかできないはずのことを、

表面的に、機械にやらせることで、

いろいろな弊害が出ていることにみんな気づいているのに

 

それなのに、

漢字練習や、計算練習を徹底しすぎる傾向にどんどんなっている小学校の現状

先生に言われたとおり、徹底的に宿題でまで反復学習をさせ、

それでも足りない、と塾に入れて特訓

 

漢字が好きになる、便利だと思い、使いこなしたくなる

様々な体験を通して、数えたくなる、統計をとりたくなる、算数が必要になる

そんな好奇心を育てる前に与え、詰め込み、考える隙も与えない

心が育つ前に、コンピューターを与え、空虚な万能感を植え付け、

目の前の小さな生き物や植物にさえ愛情を注げない子ども

いいえ、子どもが悪いんじゃない

人間らしく普通に育てようとしない大人が悪いのです

 

センセーショナルな出来事や

突出した人材が

今日もテレビやネットを賑わせていて、

あたかも世の中が、人間が、これからどう進んでいくのか

そのヒントになっているかのように扱われています

 

いいえ、わたしたちは少なくとも「その他大勢」

さあ、子どもたちはまだわかりませんが

「ごく一部の突出した人材」

それが

成功者となるか

犯罪者となるか

いずれにせよ、「一部のひと」

になるか、それとも「その他大勢」になるか、まだわかりません

 

それでも、

なにが起ころうと、どんなニュースが流れようと、

わたしたちは、ずっと、変わらずただ、

子どもを、人間として育てるだけです

 

漢字が速く完璧に覚えられるように仕込むとか、

計算が間違えずに速くできるように練習させるとか、

コンピュータが使いこなせるように育てるとか、

そんなんじゃなく、

その前に、

人間として、当たり前の、

優しさ、思いやり、家族や友達への愛情、

自然との共存、自然への畏敬の念、

そして、自分は、自分である、という自覚に繋がる、

自己肯定感

 

思春期を乗り越え、いつか自分1人で生きていくための

その礎を

わたしたち親は、表面的ではない、もっともっと奥の、深い部分の、

子どもの、人間として持って生まれた大切な部分を、

壊さず、邪魔せず、すこやかに、

伸ばし、育てるだけだと思うのです

 

親はそれだけを意識していれば、

子どもは自ら学び取り、ぐんぐん伸びていきます

親が教えなくても、先生が教えなくても、

学びたいことはいつか自分で学びとるでしょう

最初に教えるから学び取らないのです

大人が「あれがいい」「これがいい」という噂に振りまわされ、

確固たる信念もないまま「与えよう」とするから獲得しないのです

 

子どもの無限の可能性は、AIなんかよりずっと膨大

 

AIに絶対にできないこと

それは、

心を伝えるということ

心を受け止めるということ

 

あれ、もしかして、でも、もうそこで、

AIのようになってしまっている人もいるのでしょうか

というよりまさか、AIに操作されている、振りまわされている人が

 

症状:とりあえずググる

 

対症療法:子どもの前でスマホを触らない

       子どもの体の動き、目をよく見つめましょう

134.新年度に向けて 笑顔でいこう!

どんぐり学舎の2015年度は今週で修了します

今日は6年生の塾生さんたちは、小学校の卒業式を迎えています

さて

新年度からもどんぐり学舎の中学部でやっていくのか?

と、

今回、全員の6年生と個人面談をしました

その前に、ここの中学部がどんなものなのか、

中学生の勉強とはどういうものなのか、散々、話して聞かせ、

それから、それぞれの意志を確認して、最終面談をしました

 

結果的には、

絞り込まなくてはならない人数まで絞れず、

定員オーバーでのスタートになりますが、

ひとりひとりと話してみて、それはどうにもなりませんでした…

 

高校進学も、ここへ通い続けることも、

誰の指図でもなく、自分の意志で決めること

しかも、親の義務の教育は終了するのだから、

高校に行かせてもらいたいなら親に頭を下げて頼むのです

どうですか

そこまでの意志がありますか

 

みんな、わたしの目をまっすぐ見て、

しっかりと意志を伝えてきました

わたしは、信じて受け入れました

 

ここは「塾」ではありません

小学生の思考力養成はもちろんのこと、

中学生にとってはもっと「塾」とはかけ離れた施設です

 

孤独に自分一人で入試に立ち向かう意志のある中学生が

独学を進めるためのアクセントとする部屋です

なんと

教室名も4月から新しくなります

その名も

 

D→K Room  (ディーケールーム)

 

どんぐり学舎卒業生専用サポート付自習室

という名目です

由来は、

どんぐり から クヌギへ

大木に育つイメージです

 

我が家の庭のクヌギは…

そう、娘たちが幼い頃おままごとのあと放置したどんぐり(クヌギ)が発芽した木は

次女の背丈を超えました

すぐに

長女の背丈も超えて、わたしのことも追い越していくことでしょう

なんにも、世話もしていないのに、勝手にすくすくと

好きなように伸びています

 

小学生たちも

中学生たちも

きっと、あんな風にただただまっすぐ空を見上げて、

伸びていきたいんだ

 

毎日、クヌギの幼木を見て考えます

 

年度替わりで、

相談や、悩みがいつもより多く寄せられている気がします

大きくは同じ事を伝えているけれど、

それぞれの事情や環境は異なり、

理想に近づけるには困難なケースもあります

それでも、

どうしよう、どのようにしていこう、と

真剣に悩み、考えることは、

とっても大切なことで、

ちっともマイナスではないと思っています

考えがまとまらなくて、真意を読み取るのが難しい文章が送られてくることもあります

それでも、

わたしにどうにかして伝えようと文章にまとめていることが

伝わってきて、心に響きます

魔法使いではないから、

ぱぱっと解決してあげる、なんて能力は持ち合わせていませんが

それでもわたしに伝えようとしている段階で、

解決への道は拓け始めている

ご自身で拓き始めている

そう感じます

 

中学生にも、大いに悩み、迷い、もがいてもらいたい

そういう経験をさせないと、絶対に、力はつきません

簡単な方法などない

楽な方法などない

でも

自分を高める努力は、本当は楽しいものです

 

悩み、迷い、もがいているからと簡単に助け船は出さない

それは、小学生に対しても同じですが

それでも、ずっと、そばにいる

安心して「もがかせる」

安心させる時点で「甘い」かもしれません

もっと厳しくすればもっと伸びるのかもしれません

でも

わたしがわたしらしく仕事をする

わたしらしく生きるために

そこを曲げることはやっぱりできません

先生が甘いから伸びない、だからもっと厳しい塾に行く

言われたこともあります

それでも

わたしは子どもが自分で伸びる「すごさ」を

あきらめたくないのです

私なんかが牽引するんじゃ間に合わないくらい、すごい伸び方をするのを、

やっぱり、特に、小学生の思考力の伸びを見ていると

震えるほど実感しているのです

 

課題を出し、指示を出し、従わせ、目の前の成績にこだわる指導法では

見えないだろうな

と思います

見えなくてもいい、成績さえ上げればなんだっていいんだ、と反論されるでしょう

そういう塾で働いたこともありますから、

それが誰のためで、なんのためなのかも知っています

 

いろんな塾がある

いろんな勉強法がある

いろんな目標がある

みんな、違う

自分は、どう進むか

自分で、考えるのです

 

中学生も、親御さんも

 

こんなんでいいの?っていうくらい、体も、頭も、自由に遊び倒した小学生は、

やっぱり最強

まっすぐな目をして、自分のために生きることを知ってる

そういう、活力があります

そういう子が増えているどんぐり学舎です

親御さんの表情もどんどん素敵になってる

 

どうか、どうか、

素敵な、春休みを

笑顔で、余裕の新学期を

頭で考えないで、目で見て、子どもの表情を

こんなんでいいの?って思うくらい、

遊び倒してください

中学生もね!

 

※小学生、各曜日、卒業生が出ますので少しだけ空席が生じます

  予定が合うのを待っていた方はご連絡ください

 

※中学生 1年生は満席です

  2、3年生

  どんぐり学舎卒業生専用の部屋ですが、のびのび育っている子、

  自分の意志がある子には向いています

  興味のある方はご連絡ください

《2016年 3月24日投稿》

127.「めんどくさい」は末期症状

塾生ではなく、

ごく一般的な小学生の算数の勉強を見る機会が毎週ありまして、

「これが普通?」と思うしかないのか…という驚くべき事態が日常で

…親も、先生もいない、いわば無法地帯

子どもの「素」が出ているとしか思えません

言葉遣いの荒さ、モノの扱いの雑さ、周囲への辛辣な態度、

そして算数の問題に向かう際には…

「めんどくさい」の連発

運筆の雑さ、いい加減さ、考えるのがイヤでイヤで仕方がない、という

わたしから見れば「重症」の状態の子ばかり…

そういう問題児ばかりを集めている環境かといえば、そういうわけでもなく

ひとりひとり話すと悪い子なんていなくて

もともと子ども好きなわたしは、どうしても、1mgでもいいから

その子本来のよさを引き出してあげたい…と願いつつ、丁寧に接するのですが…

だから、

「おい、おばさん、早くまるつけしろよ」なんていう子は少なくなったし

大きな声で毒づいている子に近づいて、丁寧な言葉でゆっくり頼み事をすると

黙って頷いてちゃあんとやってくれるし

…あー、でも、先生にはしょっちゅう、叱られているんだろうな…

先生方で、子どもをこんな風に扱うとこうなりますよ~っていうのを

知ってる方はどれだけいるのでしょう

みんな天使みたいないい子たちなのに

口を揃えてお母さんの悪口、先生の悪口…ため息が出ます

 

さて

「めんどくさい」と言われたらどう切り返せばいいの?と

スタッフの中で会話がありました

正直、小学生のうちから「めんどくさい」を常用している子には

未来はない

とさえ思っているのです

もちろん、子どもが悪いのではありません

先生も、親も、その他の周囲の大人たちもこぞって、

その子本来のパワーを、他に使わせておいて、

本当に肝心なことに使えないまで酷使しておいて、

さあやってみろ、と来るわけです

そりゃあ、もう、余力がないのですから、

へとへとの状態の頭脳は「めんどくさい」とネガティブにもなります

これ以上パワーは残っていないのだ!という訴えなのです

 

※子どものパワー、そのキャパシティには個人差があります

  ちょっとのことでパワーを使い果たしてしまう弱めの子、

  なにをしようがさせようが強靱で広大なキャパを持っているパワフルな子、

  それは親が幼少期から見極めることができることなのですが、

  最近では情報過多のせいか、「弱めの子」の親御さんは

  心配で、対策として●●教室だのスクールだの、そういうことをしすぎて、

  さらにパワーを使わせてしまっている例が少なくありません

  まずは自然の状態で、親としてしっかりとわが子を理解しなければ

 

どんなことにパワーを浪費しているか

それは

湧き出る泉の水を強引に吸引して

早く早く、速く速く、多く多く、と無理矢理に

自然と湧き出る力を無視して、強引に太い水道管につないでしまうかのよう

無理に吸引するものだから、泥やゴミが交じって、

確かに水量は多くとれるのだけど、なんだかあまり綺麗な水じゃない…

そんなイメージでしょうか

 

ただ、座ってぼーっとしていればいつまでも楽しませてくれるテレビ

小さなコントローラーで画面の中のキャラクターを自在に操って、

攻撃したり攻略したりして楽しめるゲーム

体力は消耗しません

でも、なんか、それらに多く接したあとの子どもは疲れ切っていますよね

そして他のあらゆることが全部、「めんどくさい」

 

ちょっと手伝って~

「めんどくさい」

この問題やって~

「めんどくさい」

それなのに、「宿題」はやらなきゃ、やらせなきゃ、

やり方はわかっていて、学校でも何度も練習したのにさらに計算練習

何回書いたってただただ惰性で書いているのでは覚えられるわけない漢字練習

さらに

塾で特訓

ああせい、こうせい、と指示されたことをこなす

体を動かすため、スポーツチームへ

やはり

自分の頭脳を使うよりは、指示を待ち、従うことからはじめます

だから

いざ、自分で考えなさい

と言われると

「めんどくさい」

 

大人もいつの間にか、「めんどくさい」世界にどっぷり浸かっています

ご飯を作るのも食べるのもめんどくさい

辞書を引くのも本で調べるのもめんどくさい

子どもと話し合うのはめんどくさい

理由を考えるのもめんどくさい

人と話すのもめんどくさい

あれあれ

そもそも便利でいいね!と開発されたはずのものが、

「めんどくさい」世界を蔓延させるために使われています

そんな大人を見ている子ども

 

お子さんが「めんどくさい」を常用していたら

それは末期症状です

口先だけで、本当はそんな風に思っていない、ただの照れかもしれません

でも

わたしたち大人もつい口にしてしまう「めんどくさい」を

今度は声に出す前に少し考えてみてください

別の言葉に取り替えてみると、気分も変わります

「よっし。やるぞ。」

みたいな

 

そんな親を子どもは見ていることでしょう

 

昨日のある小学生(生徒ではなく前述のとある教室で)

文章問題を解いていました

タイトルに「3桁÷2桁の割り算」

だから、読む問題読む問題、全て、文に出てくる順に割り算の式を立てています

「計算は得意なんだ」と言いながら、

でも、筆算でかなり間違っているので、ゆっくり、指で押さえながら筆算を教えました

教えはじめるとすぐに「めんどくさい」

できていないのに、どうしたらいいか教わろうという時に、「めんどくさい」

そうですかそうですか…

なんとかクリアすると今度は別の子が

「986mの距離を半分まで進みました」という問題で引っかかっている

そうです

「986個のミカンを2箱に詰めました」なら、986÷2と、出てくる順に式にできます

「半分」という言葉でひっかかっています

高学年です

「半分」が、「2つに分けること」ということを知らない訳ではないはずです

これが、思考力の使えなさの象徴です

「なにで割ればいいの?」とその子は尋ねてきました

わたしはジェスチャーで、持っていたペンを見せ、半分、と真ん中へんを示しました

「…ああ、2で割ればいいのか」

また別の子は、とにかく全部式を立てて、最後まで終わりましたが、「答え」の欄は空欄です

「○個ずつ配れて●個あまる」とか、答えを書くところです

確かに、あまりのある割り算だったので、ただ計算で答えが出ても

その後「答え」の欄に書く時に少し考える必要のある問題でした

たとえば6人掛けの長いすに子どもを座らせる、という問題では、

あまった数人も、長いすに座らせますから、6人ずつで15脚つかっても、

あまった子のためにもう1脚用意しなければなりません

計算の答えが「17あまり4」だとしたら、「17+1=18」と式をくわえて、

答え 18脚

となるのです

でも、全部空欄のその子はわたしにプリントをつきだして、

「めんどくさいからここ、教えて」と

「あのね、めんどくさいこと考えている時にアタマってよくなるんだよ、だから

自分で考えてごらん。問題の最後、よーく読めばわかるから。」

「えー!!めんどくさい!いいじゃん!計算は合ってるんでしょ!?」

その後もじーっくり向き合って、なんとか最後まで考え抜いたので褒めると、

「うん、ぼく、T高行ける、って言われたことがあるんだ。計算が速いからさ。」

そうかそうか…

でも、こんなことをめんどくさがってるようじゃ、T高は無理だぞ…

ただ、今の調子でじっくり取り組めるようになれば、話は別だがね…

いじわるおばさん、顔で笑って心でぶつぶつ…

 

小学校のテスト、プリント、ドリル、

びっくりするほど6年生まで密度が大して変わらないのですが、

中学になると急にこんな風になってしまいます

ひーっ

見るだけで「めんどくさい!」ですか

(わたしなんか、挿絵があったり、カラフルだったりする問題集ではやる気がでません(笑)

字が小さくてもスペースがほどよく、整然と問題が並んでいる解説の少ない問題集が昔から好きでした

それは、自分で考えて工夫がしたいからだと思います)

そして、急に、「理由を説明しなさい」だの、「六十字以内で説明しなさい」だの、

考えて、書かなきゃならない問題が倍増(何十倍増!?)します

大きな文字の算数プリントで「めんどくさい」なんて言っているレベルでは、

とてもじゃないけど中学生になったら大変です

では、

中学生になれば自然とみんなそのレベルに達するというのでしょうか

中学生になっても「めんどくさい」病は簡単には治りません

「やれ」と言われた課題を、期限までに終わらせることはできても、

根底に「めんどくさい」がある以上、アタマには入っていきません

 

めんどくさい

でも無理矢理こなす

時間ばかりかかる

余計にめんどくさい

成績は思うようにならない

やっぱりめんどくさい

という負のスパイラル…

 

小学校の時に防げなかったこと、育てられなかったこと、

中学生になって深刻に反映してしまうのが実際です

でも、

なぜか責められるのは子どもの方

成績が数字で出てきて、がっかりする親たち

なんでこんななの?なんで下がったの?

しまいには、

いい点とったら●●買ってあげる

何位に入ったら●●買ってあげる

とあの手この手

どんどん、スパイラルを複雑にして、ほどけにくくしてしまっているだけで、

何の解決にもならないことを

知ってほしいのだけど…

ともかく、やっぱり、子どもが成長すると急に子どもの責任にするのが親

 

小学生以下の子が「めんどくさい」を常用していたら

それは末期症状、と心得て、まずはご自身の暮らしを見直してほしい

大人のめんどくさい病が移っていないか、

なんでも簡単にすまそう、お金で片付けよう、買えばいいや、などと、

安易に問題を解決する傾向はないか

こと子どもと関わる場面では

少し気をつけてみる

全ては無理でも、でも、少し気をつければなにかが変わる

かける言葉も気をつける

子どもは自分の鏡だと思って、

じっくり観察する

ほんとに自分の顔を見るよりずっと、かわいくて、興味深いでしょ(笑)

子どものせいにせず、「めんどくさい」と言わしめる原因を探る

中学生でも同じです

子どもを責めるよりまず、親が自分を振り返るのが先決です

 

どこでパワーを浪費してるんだ?

水漏れを探す工事屋さんのように真剣に

 

無理矢理吸引し続けたら、泉は枯れ果ててしまうかもしれません

でも、

その管を外したら…?

もとの小さな湧き水が、ささやかに戻ってくるかもしれない

澄んだ美しい水がこんこんと、そして、永遠に湧き続けるかもしれません

《2015年 11月10日投稿》