カテゴリー「中学生のこと」の25件の記事

237.自分で考えさせてよ

中学生が、定期テストの前に学校から配布されている

「テスト範囲表」です

どこの学校もほとんど変わらない内容の、このようなプリントが

テスト期間2週間ほど前に配布されます

 

DKにはいろんな中学校の生徒さんが来ているので、

テスト範囲や学校の進度を把握するために、

「テスト範囲表」が配布されたら

持ってきて見せてもらうことにしています

 

見る度に「おえ~」となるのは私だけ…?

 

26年間、この「テスト範囲表」を見続けてきましたが、

年々、情報量が増えています

どんな情報量か、って…それは、

特に右側の欄の「テスト勉強のアドバイス」です

数学

ワークの問題や授業で使ったプリントは、できるようになるまで何回も取り組みましょう。特に間違えた問題については、できるように復習しておいてください。

国語

授業で配られたプリントやノートの見直しをしましょう。単元テストや文法ドリル、漢字テストなど見直しておきましょう。

理科

教科書を何度も読み、用語や実験した内容をよく整理しておく。ワークや問題を繰り返し解く

社会

教科書やノート、資料集をよく見て、学習したことを自分なりにまとめておきましょう。

ワークや単元テストをよくやり直して、できる問題を増やしていきましょう。

夏休み前の範囲は特に念入りに復習しておきましょう。

英語

教科書の内容を暗唱できるまで繰り返し音読練習をしてください

 

※注※この中学校の範囲表は、手元にたまたま写真が残っていただけで、むしろ、他の中学校のものより記載が少ないかもしれません。特にこの中学校の範囲表に特定して書こうとしているのではありません、悪しからず…

 

毎回、これらの範囲表を見る度に、

最近の天気予報の「余計な一言」を思い浮かべます

「今日はあまり気温が上がらず、最高気温は20℃前後となります。上着を1枚持っておでかけになるとよいでしょう」

「夕方から大気の状態が不安定になり、お帰りの時間帯に傘が必要となるかもしれません。折りたたみ傘をお持ちになるとよいでしょう」

ごめんなさい、きっと、きっと、このお天気お姉さんの一言を頼りに、

朝の身支度を調えて準備なさっている方もいるのだと思います

それでも、

上着を持っていくかどうか、傘を忍ばせていくかどうか、

それに、帰りの時間帯って誰のことなのかわかりませんけれど、

とにかくそういう判断は、自分ですべきなんじゃないかな、と思うのです

 

「上着を持っていくとよい」と何気なく誰かに言われただけで、

実際は気温が上がって上着なんか持っていったら邪魔だったり、

本当に肌寒くて、上着が活躍して助かったり、

そういうのが、「自分の判断」ではなく、誰かの助言だったということが

いちいち私たちの脳の働きに影響している気がしてなりません

なんでも誰かのせいにしたり、

なんでも自分で考えずすぐに手元で検索したり、

そうやって、いつも誰かの判断を仰ぐ現代人たちは、

誰かに言われたから責任は誰かのせいにしていつも苛立っていて、

自分のせいじゃない、ってむかついていて

天気予報のひとこと、に限らず、

エスカレーターや駐車場のエンドレスの自動音声アナウンスなども

なにかと細かな注意書きなども…

些細なことが集まって、いつの間にか、みんな自分の頭で考えるチャンスをなくしてる…

予想最高気温とか、予想最低気温とか、降水確率とか、

そこらへんまででもう、充分なんじゃないかと

県内、市内一律で同じ気温や天気のわけもないし、

それでもまあ、目安にする都市の気温や天気で、

あとはまあ、空を見上げて、空気を吸って、

ん、なんだか雲行きが…

って話じゃだめかなあ

もちろん、天気予報がなによりも重要なお仕事の方は別として

(それでもそういう方ほど、上着を持っていったほうかよいか、

キャスターの言葉に左右はされないでしょうけれど)

話が大きくなりそうなので中学生の話に戻って…

 

とにかく、中学生にも自分で考えさせてほしい

勉強の仕方なんか自分で考えさせてほしい

先生に教わった方法だけが正しい方法じゃないことは、

先生自身も知っているはずです

自分で考え、工夫して、あれこれ試して、時には失敗して、

逆戻りして、あれ~?って考えて…

それでも、もがいてもがいて自分の勉強法を探していく

 

素直な子はこの範囲表に忠実に勉強を進めようとしますが、

書いてあることはごく当たり前のことです

テスト範囲が発表されたら、

その範囲の教科書や問題集、範囲内で行ったプリントなどは

全部解けるようになっていることは当然のことです

繰り返し練習をするのだって普通です

スポーツ選手が、練習を欠かさず、試合前は特に念入りに調整を重ねるのと同じです

何もしないで望んだら、そりゃ、勝てるわけはないのです

…よい点数をとりたいなら、ね

それができればよい点数がとれるでしょうし、やらなければやらないなりの結果なのでしょう

 

それで、ことこまかなこのような範囲表をただ眺めているだけ、

もしくは早々に紛失(カバンのどこかにあるのさ)した数人の生徒、

テスト前日になっても「提出課題」の範囲が終わっていない現実

 

さすがに、提出物は中学校では成績に最もひびくので、

「あのさあ、素朴な疑問なんだけど…」と彼らにインタビュー

「なんでこんなに具体的に提出課題について書いてあるのに、

今の今まで取り組んでこなかったの?」

彼らが口を揃えて言うことには、

「どこから手をつけたらいいかわからん」

にゃるほど…

手ごわいな…

「これをやれ」とページ指定

さらに

「こんな風にやれ」とやり方まで指定

それでも

「どこから手をつけたらいいかわからん」と生徒に言われてる

そんな範囲表とアドバイスの存在感やいかに

さらに、重大なおまけとしてこの範囲表の課題にくっついて提出義務があるのが、

「テスト勉強計画表」というもの

テスト2週間前からの勉強計画、勉強時間、内容をことこまかに記録して提出

目標点を書き、反省を書き、提出が義務づけられます

 

こんなに、なにからなにまで指示して、いちいち反省させて、

それでも、生徒たちの「やる気」は引き出せていない

やる気になってくれないからますます指示を細かくして、よりわかりやすくしようとする

より細かな記載が増えれば増えるほど、

生徒も、わたしも、「おえ~」ってなる

 

でも彼らに言いました、わたしは

「こんなの、ゲームだと思えばいいじゃん。

どうせやらなきゃいけないなら、ひとつずつ攻略していけばいいじゃん。

それでも『どこからやれば…』なんて言い訳して逃げ続けていたら、

一生ゴールにはたどりつけない、そう思わない?」

 

新しい問題集なんか買わなくていい

新しい勉強法なんて知らなくていい

先生の書いていることはごもっとも

普通に学校の授業を活用し、学校の教材をフル活用し、

当たり前のことをすればいい

 

でも大人はこうやって、

子どもたちから自分で考えるチャンスを奪っています

 

どうせひとりではできないだろう、

どうせ指示を出さなきゃやらないだろう、

そう決めつけて

 

できないかもしれない、やらないかもしれない、でも、

こんな風に先回りしてあれやこれや、全員に当てはまらないアドバイスを明文化するくらいなら、

個々にフォローが必要な生徒をつかまえて助言すればいい

自分の勉強の仕方を見つけようとする子には課題が邪魔で、

なにから手をつけたらいいかわからない子には負担が多すぎる

 

小学校の宿題と同じです

 

もっと子どもたちを信じて

もっと子どもたち自身に考えさせて

 

学校だけじゃなく、ご家庭でも

《2018年 10月5日投稿》

235.漢字練習をしてはいけない

16日(月)

長野県の箕輪町で糸山先生のSmart Donglishを受講してきました

DONGLISHの受講は大阪以来でしたが、

その前後からずっと教室で実践しているDONGLISHによる英語理解法、

これから何度でも、できるだけ糸山先生の直接の講座を聞きたいと考えています

今回は英語の話ではなくて、

最後の最後に長野のどんぐりチーム「チーム六文銭」スタッフさんが

設けてくれた質疑応答の時間に、

最初に手を挙げて質問した勇気ある中学生の言葉から、

糸山先生がお答えになった部分について

 

その中学生は

「漢字はどれくらい練習すればよいですか」と質問しました

糸山先生はなんと答えたと思いますか

「漢字は練習なんかしちゃだめ」と

答えました

「漢字練習なんかしたって、思考力はつきません」と

 

もちろん、どんぐり理論には「IF法」という記憶術がありますから、

漢字でも、英単語でも、正しくIF法を実践すれば「覚える」ことはできます

 

ただ、やはり漢字練習はしてはいけない、という言葉の裏側にある、

糸山先生の真意に近いかどうかはわかりませんが、

私は峠を越えて帰宅する長い道のりのなかで、ずっとそのことを考え、

自分なりの理論を見つけ出しました

 

それは、その講座の翌日、自分の教室で中学生と勉強している時でした

数学の計算問題に苦戦している生徒の様子を見ていて、

いつもその子がしている、「似たような問題を見て真似て解く」(類題法)を封印してみました

類題法で解ける子は、似た問題を探すのが早く、それはそれで力だとは思うのですが、

その先、じゃあ、次は自力で解いてみよう、という気持ちになるかどうかに個人差があります

テストの時は類題法は使えないのに、練習で類題ばかり探してどうするのさ、と思うのですが、

いつまでも、例題や類題を探しては真似て解き、

ちっとも自分の頭を使っていない様子に気づいたのです

 

ここの部分はなぜこうなるのか、わかる?などと尋ねると、

結構前の段階から「きちんと」理解していないことがわかったので、

少しさかのぼって、基礎的な部分をしっかりと考えさせてみました

考えている時の子どもは、類題を探し、真似て解いている時とは別人の表情をします

理解できたところで、最初の問題に戻ると、自力で解き始めました

ゆっくり、つっかえつっかえですが、類題を頼ることなく、最後まで解き、正解しました

何にも見ずに、自分で考えて解けた!と嬉しくて、次々と問題に挑戦しました

「まるつけてください!」と自信満々にノートを差し出すも、ミスが多発しているのですが、

その時の表情はいつもの、

「はずれたか~」という(当てずっぽうや真似っこした場合の)表情とは違い、

本当に悔しそうで、「わかっていたのになんでこんなこと書いたんだろう…もう一度解きます!」と

なんだか本当に、別人のよう

 

その後、生徒たちと話していて、見つけたのです

もちろん、ずっと前からわかっていたことだけれど、やっぱりそうなのか、と

その子の顔を見て思ったのです

 

いまさ、その問題を解いている時にさ、自分の脳がガクガクガク~って動いていたの、わかった?

私には聞こえたよ、脳がガクガクガク~って動く音

(ほんとに!?って顔をする生徒)

あのさ、英単語とか、漢字とか、覚えたいでしょ

覚えよう、覚えよう、って努力しても、なかなか覚えられないでしょ、

それってさ、脳が動いてないからかもしれないね

考えようとしていない、っていうか

たとえばさ、重たい岩とか、おもりとか、そういうのを持ち上げたいとするでしょ

持ち上げる練習を毎日、こつこつとすれば持ち上がるようになるかもしれないよね

その場でずっと、さ

でも、他のこといろいろ…たとえば、泳いだり、ボール投げたり、走ったり、登ったり…

いろいろなことしているうちに、筋肉がついて、力持ちになってて、

それから持ち上げてみたら案外ひょいって持ち上がるかもしれないよね

通勤する駅でさ、階段の上り下りが大変だから、って

毎日駅に通って階段昇降の練習をひたすら続けてもさ、

そりゃ、いつかそのおかげで上り下りが楽になるのかもしれないけれど、

それより普段、ウォーキングしたりさ、ハイキング行ったりさ、自転車こいだり、

そんなことして少し鍛えるだけで、階段なんて楽勝!ってなっているかもしれないよね

何かを覚える努力、って、そういうのと似ている気がするなあ

覚えるためだけに力を使う・力をつける、っていうよりも、

力がついていれば覚えることもそう困難ではない、っていうか

それより心配なのは、

覚える努力だけで疲れちゃったり、イヤになっちゃったり、力を使い果たしてしまって、

考えるための力が残っていない、っていう状況で

考える時、脳が動くんだよね、「なんだろう」って「思う」ってことは、

脳が、「なんだろう、だってさ、探せ、探せ、どこかにあるかもよ!」って脳内を探るんだよね

(その時音がするんだよね、ガクガクガクって(笑))

たとえすぐに解決しなくてもさ、脳が、答えを探そうとして動いた軌跡は、残るんだよね

それが、あとでつながっていくんだよ

(うん、実はそれがどんぐりなのだ!…それでもって、12歳までに仕上げたい思考回路なのだ…)

だからさ、

何にも考えないでできる「作業」みたな勉強は、しない方がいいってことなんだ

脳は、「作業」で済むならそれで終わりたいんだ

結構なまけ者なんだよ、脳は

記憶の話でも、したでしょ、一度覚えても、使わない、ってわかると

奥の奥へしまいこんでしまうんだよ、って

だから、自分の脳をそんな風に、なまけ者に育てない方がいい、ってことだ

同じ単語を書くにしても、単語じゃなく英文を書くのさ

漢字もそう、文章を読んだり書いたりするのさ

そうすると「考える」じゃない

考えているときだけ、脳が動いて、軌跡を残す、っていうことを忘れないでね

夏休みの学校の宿題もね、「作業」っぽいの多いみたいだけど、

どうせやるなら、脳を動かしながらやろうよ

考えながらやろうよ

「へ~そうなんだ」「これってなんて読むんだろ」ってね

すぐに答えが出なくても、いいんだよ、考えればいいんだよ

そのうち、答えが知りたくなるんだよ

そしたら聞けばいい、調べればいいんだよ

そんなことをしているうちに、いつの間にか、漢字も英単語も、

覚えることができるようになっているんだ

重りを持ち上げたり、階段をのぼったりするのが楽になるのと同じでね

 

神妙な顔をして聞いていた生徒たちですが、

妙に納得した様子で、

次の質問に答えていた私が書いた英語の例文を見て早速質問するのでした

 

My mother  isn't  in the room,

私の母は  ない  その部屋の中に

(母はその部屋にはいません)

 

「じゃあ、どこにいるんですか!?」

 

…そこ???(笑)

 

漢字練習をしてはいけない

小学生はなおさら…ね…

《2018年 7月20日投稿》

234.「わからない」を楽しむ

条々

一、諸国百姓、過多な、脇指、弓、やり、てっはう其外武具のたぐい、所持候事、堅く御停止候。

 

某中学校の中2の歴史の期末テストに、

秀吉の刀狩令の穴埋め問題が出題されました

てっはう(鉄砲)の部分が空欄で、適語を書き入れなさい、という

 

中学生の定期テストが終わると、DKRoomでは、「一次データ」のチェック、として、

問題と答案を見せてもらって、私なりに分析しています

点数はあまり気にしないのですが、その子がどのようにテスト前過ごしていて、

どのような問題にどのような答え方ができたか、またはできなかったか、ということを

分析しています

その後、Qノート(わからん帳)収録作業にかかるわけですが、

とにかく最初に答案を見せてくれる時の生徒たちの表情は、

次のテストまで冷凍保存しておきたいくらいフレッシュな悲喜こもごも

私がなにかしてやれることはないけれど、

今のその気持ちをちゃんと次に生かせるように、ノートは作っておこうね

そう話して、答案を返却するのです

一番大事なのは、その「悔しさ」

…たぶん、一生懸命準備して臨めば臨むほど、悔しいはず

あまり悔しがっていないとしたら、それは、本気で立ち向かっていないのだろうな

例によって、テスト予想問題などは作らないし、学校からの課題でめいっぱいなので、

とにかくその課題をなんとかしてから、鍛えておきたい部分、

不安な部分があれば私に要望するように、

とテスト前は構えて様子を見ています

四半世紀も塾の仕事をしていると、事前に配布されるテスト範囲表を見れば、

予想問題や、必ず出題される問題など、頭に描けますが、

それを生徒たちに最初から伝えることが

彼らの力をつけることと相反することであることは承知しています

「予想問題あります!」「的中してこんな高得点をとらせました!」

という塾の広告や看板をみるたびに、

そういう商法なのねえ、まあ、企業だから仕方ないんだけどねえ…と同業者ながら、

全く別の世界のように感じます

とはいえ、「テスト前だって特に勉強しなくていい」とは私は思いません

学校の先生からの出題範囲表と提出物期限は、

君たちへの挑戦状だぞ、と

どうせなら果敢に立ち向かって、堂々と挑んでいこうよ、って

それは、「よい点数をとるため」の努力ではなく、

これから先の人生、…高校入試などの大きな試験や、その他、

自分の前に課題が積まれた場合の、

自分の切り抜け方を模索するための、大切な練習期間だと話すのです

 

それでも、

私の前では「そうだ!よっし、やるぞおお!!」って目を輝かせていたはずの子が、

家に帰ると急にしょぼぼ~んとやる気をなくしてしまって、

あれよあれよとテスト期間に突入し、答案分析では「完全なる準備不足だわ…」

となる場合もあります

…っていうか、テスト前どころか、授業で習った時点で最初からわかっていなかったんじゃん!?

って、ばれてしまうこともあります

それで、とんでもない点数や、順位表がばーん!と出されて、

それをみた親御さんは…落ち込んだり、ショックで寝込んだり…(とまではいかないか…?)

テストの点数と、そのデータが、数値化されて、相対評価されて、

まるで、その子自身の値段をつけられて、価値を決めつけられて、

好ましくない成績の場合は、その子は「出来が悪い」と太鼓判を押されたような…

そんな錯覚に陥り、子どもを責めたり、自分を責めたり、

右往左往してしまうかもしれません

 

いやいや、

どこで目覚めるかはその子それぞれ

中学校のテストで人生が決まるわけではありません

人生が決まるとしたら、

そのようなテストの成績によって、親に人格否定されてしまうような、

そんな悲しい事実でしょう

そんなきっかけで、自分には価値がない、と子どもが親からの暗示で思いこみ、

いつか社会の荒波にもまれた時に、自分自身を見失うことになりかねません

 

わが子をそんな苦しみの渦の中へ、

追いやりたい親はいないはずです

 

「家に帰るとしょぼぼ~ん」の原因は、どこかにあるはずなんです

ただ単に、話を聞いて理解することはできても、

ワークブックや教科書の文面から生き生きと読み取ることが困難な子もいます

今、私が音読したりおしゃべりしたりしてそれをいつでも見聞できるような、

塾生だけでもそれを見て独学できるような、そんなものを作れないかしら…と

本気で考えていますが、

今、流行の動画学習とやらも、いかにも役立ちそうで実は脳にはしみこまない、と

先日ある脳科学者の講演を聴いて、確かに…と思う部分もあり…

(ほら、スマホで検索したことってすぐに忘れるけど、試行錯誤したり、

みんなで本で調べたりしたことは忘れない、みたいな)

 

それで、DKでは、教室に来ている間は、できるだけ、議論したり、試行錯誤したり、

そんな風に時間を過ごしているのです

 

それで、刀狩令に戻ります

その子は、その空欄に入るのが「鉄砲」なんじゃないかな、と漠然と思ったものの、

現代の銃の保持率を思い出したり、当時の百姓と銃、という絵が浮かばなかったりして、

躊躇して、別の言葉を入れてしまったのでした

 

そこで、その子が進化し続ける脳を持つ子である特徴として、

「本当に鉄砲を持っていたんでしょうか」と私に尋ねてきたところです

確かに、

豊臣時代の百姓が、どれだけ銃を持っていたのか…私にもイメージはわきません

ただ、ポルトガル人が種子島に持ってきた鉄砲は、その後も南蛮貿易で輸入され、

日本の鍛冶屋さんも作れるようになり、どんどん普及していくのですが…

そこまでは歴史の専門家でもない私にわかる限界でした

でも、そこからさき、「百姓の銃の所持率」については、

どんな資料集にも載っていないのです

新美南吉の『ごんぎつね』では、兵十は最後、ごんを火縄銃で撃ちます

…兵十は確か百姓です

でも、銃を持っているのですね

あの物語の時代設定はいつなのだろう…

挿絵ではちょんまげしてるし…お歯黒とか出てくるから、江戸かなあ…

居合わせた生徒たちと話しますが、みんなわかりません

 

ここからが、私の宿題になります

インターネットや、書籍で、調べるだけ調べ、その後、中学生向けの解説を書き、

翌週に渡します

私への宿題は毎週課されます

 

実は、刀狩以降も百姓は、鉄砲を農具として所持していたそうです

特に、17世紀後半からは農機具が開発され、農耕地も拡大され、

そこから問題になってきたのが、

害獣駆除、だったのです

そう、百姓にとって農作物を荒らす野生生物たちは、鉄砲でやっつける対象でした

それが、百姓にとって鉄砲が農機具だったと言われる所以です

今とちがって、鉄砲を所持するのは簡単なことでした

ある村の記録が残っていて、283戸の中で82挺もの鉄砲が

結構な割合です

江戸時代には、武士より百姓の方が鉄砲を所持していたと言われているそうです

武士の鉄砲は城内で保管されていますから、簡単には持ち出せません

百姓は農具として家の中に置いていたわけです

ただ、19世紀までは

「鉄砲相互不使用原則」というものが、しっかりと守られていて、

武士も、百姓も、決して相手に鉄砲を向けなかったそうです

どんなに重い年貢を課され、生きていくのもやっと、という状態になって、

ついに一揆を起こす時も、決して鉄砲は人にむけなかったそう

…19世紀までは…

 

ハンターさんが銃を所持するために受験する試験のためのテキストには、

日本で銃が普及していない理由は、秀吉の刀狩令のおかげです、

というような記述があったそうですが、

実は、それは間違った常識のようです

だって、その後、少なくとも江戸時代には、

3戸に1挺くらいの割合で百姓の村に鉄砲があったのですから

それじゃあ、今のように、勝手に銃を保持しなくなった、

それどころか、無許可で持ってるだけで犯罪、ってなったのはいつ…?

ここからは私の好奇心でした

なんと、銃に関する法律が整ってきたのは第二次世界大戦以降だそうで

1965年に銃砲刀剣類所持等取締法ができ、それを改正しながら現在に至る…と

それでも、時々起こる、銃を人に向ける恐ろしい事件を知ると、

銃を農具として所持していた百姓が、

どんなに苦しくても決して人には向けなかった、という時代の人々のことを、考えてしまいそうです

 

私は全科目サポートしていますが、

全科目それぞれの、専門家と比べたら知識量はとても少ないと思います

だから、私が生徒たちに何か「教えて」あげられるとは思っていません

私はただ、生徒たちと一緒に考えたり、

こうして、離れている間にも、彼らならこれをどう考えるだろう、と何か提案することを考えたり、

生徒からの質問を持ち帰ってできるかぎり調べてみて、

それを次の回で話し合ったり

そんなことくらいしかできないのですが

 

私が子どもの頃、この役目は父がしていました

夕食の後、私がなにか質問すると、父はすぐに地図や百科事典を食卓に広げ、

調べて、読み上げながら、ああでもない、こうでもない、と話してくれました

父はそもそも博識で、雑学王!と子どもながらに尊敬していましたが、

たぶん、私が受け継いだ部分は「調べてみたい」という好奇心や意欲だと思うのです

そして、実際に私が子どものころは、目の前で調べる姿を見て、

どうやらあの分厚い本に大事なことがたくさん書かれているようだ、と知ることになります

重くて子どもには持てないくらいの百科事典ですが、

持てる年齢になるとしょっちゅうひとりで引いては読んで、

周辺の関係のない項目を読んだり、挿絵だけ追って読んだりして遊んでいました

 

たぶん、スマホで調べたことが定着せず、辞書で調べたことが定着するということではなく、

議論すること、またはひとりで調べているにしても、その脈絡や歴史まで追究して調べ尽くすこと、

そういう「姿勢」がキーなのだと思います

 

子どもに何か質問されて、それをスマホで調べたとしても、

子どもが積極的に調べたがる子になるようにするには、

スマホの画面を見せたり、タブレットを渡したり、そう安易にするのではなく、

…せめて、少し演出を加えたらいいと思います

たぶん、スマホで調べても、「お父さん(お母さん)すごい!」と思う子どもはいません

でも、百科事典と辞書を並べてあーだこーだ説明してくれる父を、私は、

すごい!って思いました

あんなに重い本で、あんなに小さな文字なのに!!って(笑)

 

前述の生徒は、言葉の意味がわからない、くらいのことは自分で国語辞典で調べていますが、

それ以上の「わからない」になると私に投げかけてくるのです

もっと知りたい、ちゃんとわかりたい、という気持ちが、いつも研ぎ澄まされている感じです

 

私は毎週、宿題を、うきうきしながら書斎に持ち帰ります

わからないから勉強する

わからないことを前向きにとらえることができれば、

その子は確実に、伸びます

 

私が毎年「わからない」からなんとかしたいな~と思う1番の大きな宿題は、

「わからない」を楽しめず、逃げてしまう生徒をどうするか、ということです

私は決してあきらめない

だから、あきらめないでほしいな

生徒さん本人はもちろん、

親御さんたちにも

《2018年 7月3日投稿》

228.d-a-u-g-h-t-e-rを1分で完璧に覚えたふたり

たくさん書くと、

「あー勉強した!」「こんなに書いたから大丈夫!」「自分、がんばった!」って

つい思いこんでしまうのが落とし穴

 

う~む

でも途中で

何を書いてるんだろう…文字がばらばらに…

 

※ゲシュタルト崩壊か…みなさんも一度、お試しあれ!

  わたしなんかこの10回目でもう崩壊。

 

たくさん書いて覚える努力は涙ぐましいこと

歯を食いしばって机に向かって頑張っている子どもの姿に胸を打たれ、

「ああ、わが子が頑張っている…」と親御さんも思いがち…

 

でも、その努力が、泡のごとくすぐに消えてしまうくらい、

ほとんど身につかない勉強法だと知ってしまったら?

 

歯を食いしばって机に向かって頑張っている子どもの姿は、

どう見えるでしょうか

 

その努力と時間は…本当に必要なのか…?

もし、効果がないならもっと他のことにその労力は生かせるのでは…?

 

どんぐり倶楽部・糸山先生の編み出した「IF法」(イメージフィックス法)は、

小学生の漢字はもちろん、中学生の英単語にも活用できます

 

「英語、ぜんぜんわかんない。」

まだ英語の授業が始まったばかりの中1が言い出しました

「確かに。」

中1の最後にDKに入ってきた中2も共感しています

おいおい!

「まず単語がムリ。」

「確かに。」

…おいおい~中2!

 

そんなわけで、裏紙に大きくdaughter、と書いてふたりに見せました

「なにそれ」

「ドーター。娘、っていう意味だよ。」

「ああ!なんか、ゲームのキャラクターでそういう名前のがいた!女だった!」

「そうでしょ、娘だからドーターっていう名前だったんじゃない?それ」

「そうだ、そういえばムスメだったかも」

(似顔絵だからサークルCは不要?国民的娘さん♪)

 

「じゃあ、これを今から覚えます。2年は有利だな、もう知ってるでしょう」

「知らない…覚えがない…」

……おいおい!!(笑)

「む!それなら1年と同条件だな、ほぼ!(笑)」

 

ここで中1の泣きが入ります

「そんなに長いの、絶対ムリ…」

そりゃそうだ、今、やっと「I 」だの「you」だのを習い始めたところ

「そうかな、じゃあ、実験してみよう」

 

はい、じーっと見ましょう

娘、という意味の単語です

ドーターって発音します

8文字もあるね

じーっと見て…

 

(かくす)

目を閉じて、頭ん中で書いてみて

「ムリ!!!わかんない!!」

いいから、わかるとこだけ書いてみる~

「あれ~?まんなかはどうだっけ…」

 

(見せる:2回目)

はい、もう一度よく見ていいよ

※食い入るように見る二人

よくわからなかった部分を特によく見ておくといいね

文字の順番、ローマ字読みで自分流に覚えたっていいんだよ

ご自由に…

 

(かくす)

目を閉じて、また頭ん中で書いてみて

「……」※今度は黙って再現しているらしい二人

 

(見せる:3回目)

はい、最後だよ

どうかな、もう覚えたかな

「う~ん…」

「むり~」

 

(かくす)

最後、頭の中で完璧に書いてみて

 

はい、では紙に書いてみて

娘、ドーター 英語で。

 

中2:さくさく書くも書き上がると不安そう

中1:「むり~」って言いながら書くので、

小学校の頃から言ってるでしょ、ネガティブ発言禁止~!

 

で、答え合わせ

 

ふたりとも、正解。

 

目を輝かせる二人

自分の力に驚いている二人

難しくてややこしい英単語を、自力で、しかも、何度も練習なんかしないで、

一度も書かずに1分以内で覚えちゃった二人

 

すかさず私がいつもする「夢の中で出会う人」の話をします

 

人間の脳は、一度見たものは全部覚えてしまうらしいよ

だから、夢の中で知らない人が出てくることあるけど、実は、

どこかで見たことある、すれ違った時に顔を見ただけ、くらいの、

無意識のうちに脳が覚えた人の顔みたいだよ

でもさ、

今日、学校の行き帰りですれ違った人の顔、思い出せないよね

一度見たものは覚えているはずなのに

どうしてでしょう

脳は、本当に必要なものだけを使いやすい部分に置いて、

それ以外のものは奥底にしまい込んでしまうんだよ

自分が「必要だ」って意識していなくても、毎日会う人の顔は自然と覚えてしまうよね

それは、何度も目にすることで

脳が「これは必要な情報」として画像保存するからなんだ

一度会って、何日か後にまた会ったら、

「あれ、この人どこかで…」って曖昧に思い出すことあるよね

同じ場所、同じ時間帯だったら思い出すの早いでしょ、

それは周囲の景色や時間帯ごとインプットしてあるから

でも、違う場所、違う時間帯、違う状態でたまたま見かけると、

「どこかで会ったことあるような…」でついにどこの誰だか思い出せないこともあるよね

それは、同時に記憶した他の情報が一致していないから

脳的には再現が難しい、情報不足なんだな

 

英単語や漢字もさ、一度こうして覚えたら、時々ちらっと見るだけでいいんだよ

それは、毎朝、毎週通学路で会う人と同じなんだよ

せっかく覚えても、長い期間目にしなければ、脳は、

「いらない情報なんだな」と勘違いして奥底にしまってしまうんだ

この、脳の奥底っていうのが無限に深くて、

なかなかその領域に入り込んでしまったものを簡単には掘り出せないんだよ

せっかく覚えたのに、その領域にいっちゃったら、いやでしょ?

 

ウンウン

 

だから時々見ればいいの

だから単語集を私は作ったの

目を通せばいいの

英語、日本語、って順番に

余裕があればCD流しながら

書かなくていいの

見ればいいの

一度、こういう風に(IF法で)覚えたら、もう、書かなくても脳に刻まれているんだから

発音を聴きながら、目を移すの

英語→日本語 英語→日本語って

脳の中では何が起こっていると思う?

みんなが、目を動かして、耳で聞いているだけで、

脳の中では、

目は「今、《daughter---娘》  これを見ている」

耳では「daughter」って聴いている

その情報がどんどん脳に送られるの

一度に情報がインプットされるの

バラバラじゃなく

 

だから、思い出す時も一度に出てくるのさ

 

さあ、どうしたらいいか、わかってきたでしょ

たくさん書かなくても覚えられることがわかったでしょ

覚えたいとき、なかなか簡単に覚えられない時に使える技を知ったでしょ

 

全科目で応用が利くからね

ウンウン!と、ちょっとやる気の目の輝きを見せた二人でした

 

行ったり来たり、色々あるけど、まあ、一緒にがんばろうよ

 

ところで、

「英単語練習は無駄」「漢字練習は無駄」って、

そこが強調されがちなのですが、

そうじゃなくて、

「英単語練習しなくても覚えられる」「漢字練習しなくても覚えられる」

と、脳の特徴を利用して少ない時間と労力で覚えることができるのが、

IF法なんです

 

方法も簡単で、特別な教材や道具も要らないので、

教えると「なんだ、そんなこと」と特に大人は軽視しがちですが、

糸山先生がこの「方法」を確立、説明するまでにされた研究を思うと、

こんな風に勝手にブログで紹介したりするのも気が引けるし、

(でも、著書でもサイトでも公開されているので大丈夫かと…)

糸山先生が講演のたびに実演してくださるのが本当に楽しくて、貴重で、

どうしてもっと流行しないのだろ、ま、流行しても困る…糸山先生が特許とってないし…

誰かがなんちゃらメソッドとかいって、テレビか何かで紹介したらどうなるかな…なんて、

密かに思っていたりもするのですが…

 

それでも書きたい、書かせたいなら、何度も書いて練習したって、別にいいのです

ただ、そのことによって

●時間がたいそうかかる

●手が疲れる

●何を書いているのかわからなくなってくる

結果、英単語そのものや、漢字そのものが嫌いになってくる、という「悪影響」について

深刻に訴えているのです

 

それがわかるのは、金森先生のワークショップかもしれません

ワークショップに行けない人は、ご自身で書いてみるといいです

同じ単語を、何度も、何度も

覚えることはできるかもしれません

IF法と同じ効果は、出ると思います

書いて覚えても、書かないで覚えても

でも、翌日の脳内は、翌週の脳内は、翌年の…

それを研究した上で、糸山先生は公開しているのです

どうか軽視しないでくださいね

 

さて、そうは言っても、「宿題」で出されるのが漢字や英単語の反復練習です

小学生の宿題アレンジ、宿題制限については今回は置いておき、

中学生の宿題で英単語が出てきたらどうしたらいいのさ…ということについて

 

私の長女の場合、毎月1冊の英語のノート提出が2年間義務づけられていました

初めは放っておいたのですが、あまりの労力の無駄遣いに、本人も疲れが出てきました

それで一度だけ、アドバイスをしたのです

「縦に練習してごらん」と

しかも、そのノートは「英語」で埋まっていればよい、というので、

英単語ではなく、英文を書いていけばいいじゃない、と

たとえば、

ノートの一番上の行に

I have two oranges in my bag.

と書いたら、

3行あけて、4行目に

She has three apples in her bag.

3行あけて…

と、まずは見本の文を丁寧にノートの最後まで書いておき、

あとは1ヶ月かけて、上の英文を見て縦に書いて埋めていく、

という方式です

英単語を横に練習しても途中でスペルミスをするからね

単語を書くなら下に書いてすぐ上を見て確認できるようにした方がいいよ、とも話しました

 

英単語は縦、

漢字練習は横に

宿題アレンジの参考になさってください

 

どうせやるなら意味ある方法で

 

ちなみに…以前にも書きましたが、

DKにいた帰国子女の男子中学生、

英語ぺらぺら(当然)なのにappleとかyesとか、

ノートに練習する宿題をさせられていました

 

学習支援ボランティアで小学校に入っていた時、

漢字練習は偏や旁ごとに乱暴に殴り書き、

算数の宿題は先にできた子のをみんなで書き写して終わりにしていました

これどうにやるの?と質問されたので、

1問でいいからゆっくり一緒にやってみようか、と黒板で説明しようとすると、

「そういうのいいから、答えだけ教えてよ」と言われました

そんな子たちも、たまたま担任の先生が通りかかると、別人のように姿勢を正し、

宿題を真剣にやっているふりをしていました

あなたが出した宿題を、さっきまでこんな風にやっていましたよ、なんて告げ口したら、

この子らがまた叱られるんだろうな、と思うととても伝える気にはなりませんでしたが

 

いったい、学校は宿題をなんのために出し、

その宿題を見てどう判断するのだろう…とがっくりした2つの出来事でした

 

何度書いても覚えられない、

机に向かうも長くは集中できず、テストの結果もいまいち

その原因は、どこにあるのか、

それは、大人が思いこんでいて、改善しようとしない、

間違った勉強法で子どもを追い詰めているからかもしれません

《2018年 5月9日投稿》

227.塾依存症にしないために

塾業界にしてみたら、塾依存症の親子が増えるのは幸いなことですが、

塾っぽいことをしている私は、

依存症の親子を増やさないことを目標に毎日試行錯誤しています

 

進学塾では、「塾のおかげで成績が上がった」と生徒たちに言わせ、

「塾のおかげで合格できた」と体験記を書かせて広告に使います

少子化の影響で、塾生数を増やすことは難しいので、

1人の塾生からいかに多額の利益を得るか、

ということが塾業界で企業が生き残る道です

もちろん、そんなことは生徒さんや保護者の方にあからさまに言えませんから、

企業努力を重ね、魅力的な授業やイベントを多数用意しています

塾で働く労働者の待遇も、昔から問題視されていますが、

今、喜んで塾に就職する若者もあまりいないのではないかと思います

私の経験では転職者の多い業界で、

とりあえず大学を出ていれば、ましてや、

名門大学の肩書きがあれば簡単に就職できる業界だからです

名門大学を出ていれば、優れた塾講師にみんななれるのか?と

一度は立ち止まって考えてみていただきたいけれど

 

転職者が多いのは悪いことではありません

子どもたちを社会に送り出す礎を築く手伝いをする仕事

…教師やその種の職業…を志すならば、

教育現場以外の社会経験を積んでおくことは、その先生の魅力につながると思います

私が出会った「学校の先生」の中でも、度量が深く、魅力があった方々に共通するのは、

偶然にも「一度企業に就職した」という経験でした

 

さて、少子化のさなかの業界で、いかに「塾依存症」にさせるかと努力を重ねる企業と、

おもてだっては「自主的に勉強する子どもを育てる」なんていう

美辞麗句を掲げている学校や家庭

いずれにせよ、何も知らずに簡単に流れてくる大量の情報を全て鵜呑みにしていたら、

親子して依存症まっしぐらですので注意が必要です

 

小学校時代は「宿題が出ないと勉強しない」と悩む保護者さん

そして、近所の計算教室などに放り込み、

とりあえずなにかさせておかないと、と焦ります

通信教材も積極的に取り入れ、

先取りしたわが子が学校の授業を台無しにしていることなど知るよしもありません

学校も学校で、「もう知ってる」と言われると

その子に合わせてしまう傾向は強くなっています

知る喜び、学ぶ喜びを学校で味わわせるには、周囲が騒がしすぎますよね

今や理科の実験も、家庭科の手技も、動画で見せて済ませる時代です

 

幼稚園生で「自分の名前も正しく書けません」というお悩みメール

「当然でしょ、文字は1年生で習います」といつも返信しますが、

いつのまに幼稚園でひらがなや、

ともすると英文字や漢字まで習得しなければならなくなったのでしょうか

 

そうやって先取り、先取り、でやってきた子が、中学生になってもまだ、

成績優秀で他よりだいぶ秀でている、という状況を、私はほとんど見たことがありません

 

6年生までに中1英語を予習させる有名な英語塾がありました

当時、その英語塾がある地域の進学塾で中学生を教えていた私は、

その英語塾出身者の中1の英語の成績の良さを知っています

教科書は丸暗記していて、単語ももちろん全部書けますから、

学校の定期テストは2学期くらいまでは全員ほぼ、満点でした

私は、全く英語を習ってこなかった子に丁寧に基本を教えながら、

先取りしている子たちが「学校の授業が退屈だ」となめきった会話をしているので、

少し難しめの教材などを準備しておいて渡していましたが、

その時の反応を見て、確信がありました

3学期まで持たないだろうな…と

案の定、3学期になると、暗記していたはずの英文も忘れてしまっているし、

単語のつづりもあやしくなってきました

そもそも教科書範囲ではない夏休み明けの実力テストなどですでに

「実力がない」という洗礼をうけていた彼ら、

当然、「こんなはずじゃなかった」とやる気をどんどん失っていきます

ついに、

学年末テストでは「英語は中学生から」という生徒と成績が逆転してしまいます

 

その英語塾は倒産しました

 

それでも、どうですか?

中学1年生の定期テストで満点をとってきたら、普通の保護者の方なら

「実力がある!」と

思ってしまいますよね

 

「やる気にさせますよ」「丁寧に教えますよ」と

素晴らしい宣伝文句で、呼び込む進学塾や学習塾でも、

定期テストの前には、各中学校から集めた過去の定期テストの過去問をやらせたり、

予想問題を作ってやらせたりしますから、定期テストでなかなかの点数をとってくることもあります

 

もし、なかなかの点数をとってきたら「実力がある!」とやはり思ってしまいますよね

 

さあ、

塾依存症はもう始まっています

 

ある時、大手進学塾の夏期講習を受けてきた知人の子が、興奮しながら私に話してくれました

「この問題、15秒で答えが出るんだよ!」

ほほう、やってみて!

なるほど、15秒で答えが出ました

夏期講習で教わって、その日の授業はその演習を散々やったのだそう

「いい方法を教わったね、一生ものだね」

大喜びで、鬼の首を取ったようなその子のドヤ顔ったら!

数日後、その子に、ふと思い立って、入試によく出る同じ傾向の問題をやってみてもらいました

私は、その「15秒で出る」解き方の意味もわかりましたから、

私がその方法を使って解けば、15秒とはいかずとも、1分くらいで解けるなあ、と思いながら

ところがその子は、「15秒で解ける」方法もすでに忘れかけていましたし、

もちろん、数値や、図が少し違っているだけの入試問題に、

「こんなの習ってない」と全く歯が立ちませんでした

せめて「15秒で出る」意味がわかっていたら…

きっと、塾の先生は教えてくれたはず…と内心、信じたい気持ちと、

いや、そんなめんどくさいことせずに「とにかく覚えろ」とかなんとか言って、

その日の授業では類題方式で何度も解くから

「できる!」って思いこませて終わりにしたんだろうな…

そして、次の授業で再確認など…していないのだろうな…

そんな想像もよぎりました

 

でも、その塾の夏期講習はわかりやすい!と生徒たちの口コミで広まります

一瞬でも、鬼の首をとった優越感は、塾依存症の子を増やすことでしょう

 

いいんです、いいんです、

6年生で中1の教科書を丸暗記させても、

15秒で解ける魔法を教えても、いいんです

定期テスト前に対策を山ほどして、一過性の点数をとらせてしまっても

それが塾の企業努力であり、

その塾の先生方が見つけ出したひとつの魅力溢れる方法なのですから

 

大事なのは、その子に本当の学力が身についているかどうか、

どうやって見極めるのか、ということです

生徒さん本人が自分でわかればもちろんよいのですが、

保護者の方が勘違いしやすいのは、成績が数値化される中学校の学習状況において、

ただただ、点数だけで一喜一憂してしまうこと

肝心の子どもの様子をもう見ていない、という例が多く見られます

だから、数値だけを見て、塾のよい言葉だけを頼りにして、大量の時間とお金をつぎ込んで、

最後の最後で実力不足でした…という結果を見せられることも多々あるのです

 

これは、中学生になって急に気をつけても駄目なのですが、

すでに依存型の学習に慣れきっている場合、

お子さんは、言われたことしかしないでしょうし、

言われたことさえも、面倒がってしまうことでしょう

 

それでも、親子して目を覚ますしかありません

高校や大学に進学するつもりならそれまでに、お金も、時間も、無駄にしないために

 

まだ小学生の親子の場合、「宿題さえやっておけば大丈夫」という神話にも要注意ですし、

小学校のペーパーテストは単元ごとの習得度をはかるものであって、

その子の(入試に対応するような)実力をはかるものではないことも、知っておくといいです

 

塾依存症予備軍は、幼い頃からの習い事でも育成されていきます

自分で考えなくてもできる遊びも同じです

 

すでに親御さん自身が、何かの依存症になっているとしたら、

まずはそこを手放すことから工夫してみると、

お子さんがそうなることは避けられるかもしれません

 

今流行のスマホ依存、ネット依存…

見なければ、知らずに済んだのに…という情報の多いこと

 

私たち親が、一番見つめていなければならないものは、

小さな画面でも、次々に更新される情報でもなくて、

子どもたちのまなざしです

 

私は昔から、「先生のおかげで…」と(お世辞でも)言われるのが苦手です

正直、体を張って毎日頑張っていますから、

そんな風に本気で褒めていただいたら嬉しくて恥ずかしいのですが、

それでも、主人公は生徒自身だとずっとずっと、揺るぎなく思っています

私がいてもいなくても、君は目覚めることができたんだ、って

本気で話します

自分で、気づいたんだ、って

同じように私と話したって、変わらない子は変わらない、

でも、君は変われた、自分の力で躍進したんだよ、って

 

だって、彼らはこれからも、長い人生を生きていくのです

私よりもまだ長く、ずっと、ずっと

ひとりで闘わなければならないこともあるでしょう

誰にも頼れず、途方に暮れることも

そんな時、堂々と生き抜いていくために、彼らを依存症にするわけにはいかないのです

私がいなければ何もできない、なんて子に育てるわけにはいかないのです

 

わが子も同様に

《2018年 5月7日投稿》

209.英語アレルギー

英語に限らず、

「得意♪」「好き♪」な人にとっては、

「なぜそんなこともできないの…?」と思ってしまうことでしょう

長年、中学生と勉強してきてそれでもやはり顕著なのは、英語だけが大の苦手な、

いわば、英語アレルギー

 

まず単語が覚えられない

発音も覚えられない

もちろん、発音することもできない

リスニングも聞き取れない

長文を読むなんてもってのほか

全然、意味がわからない

英語を見るだけで気持ち悪くなる

英語を聞くだけでぞぞぞわっとなる

 

これまで、何度かそういう「症状」のある生徒と一緒に勉強してきました

そうか、単語からか…と気づいて、なんとか単語だけでも、とあの手この手でアドバイスするも、

アレルギーなのですから、脳が受け付けない感じ…

何十回書いても、何百回書いても、覚えられないし、進化もしません

英文の構造をいくら説明しても、

主語がどれなのか、動詞がどれなのか、見分けることができません

日本語よりずっと単純な構造の英文(高校入試レベルまでなら本当に単純明快)なのに…

やっとこさ主語と動詞がわかったら、

今度は主語によって動詞の形が変わることを理解しなければなりません

助動詞が入ってきたらどうなるのか、というルールも覚えておかなければなりません

 

それでも、最近の高校入試は、そういった、

「主語が」「助動詞が」などという文法的な言葉がわからなくても、

全く問題なく解ける問題が増えました

実際、中学校の英語の教科書には文法用語がほとんど載っていません

たとえば2年生で習う「不定詞」の3用法だって、

「名詞的」「形容詞的」「副詞的」などという言葉が載っていません

「~すること」「~するための」「~するために」とそれぞれ訳します、てな具合です

たぶん、英語をもっと感覚的に、もっと言語としてフランクに、との意向なのでしょう、

教科書はカラーでイラストも多く、小難しい説明よりも例文を多用して、

いかにも楽しげに変化してきています

実際に群馬県の公立高校入試問題の英語では、

1/3がリスニング

1/3が読解

1/3が英作文

という構成になっていて、文法問題や整序問題、書き換え問題などはなくなっています

それでも、読解問題の中には文法がわかっていないと解けない問題がありますし、

最後の英作文では自分で英文を書くのですから、

当然のように、正しい英文を書かなくては減点されてしまいます

 

中学校の授業では英語の歌を歌い、英語のゲームをし、

ネイティブのALTの先生が発音を聞かせてくれ、休み時間も一緒に英語で話してくれたり、

私たちの中学時代よりもずっとずっと恵まれた英語の学習環境が整っています

 

それでもふと思うのは、一向に減らない「英語アレルギー」の生徒たちが、

そのような学校の授業中、どう過ごしているのか、ということ

また、どのようにして英語アレルギーは発症するのか、という原因の部分です

 

英語が好きで、興味があって、

ネイティブの人と英会話を楽しむことが大好き!という生徒さんなら、

放っておいても勝手に上達するでしょう

興味があって、楽しければ勝手に獲得する、英語が得意な子たちはみんなそうです

問題は、そうじゃない生徒さんたちのことです

だって、

楽しいこと、好きなこと、って、強要できないでしょう

「楽しみなさい」「好きになりなさい」って命じられても、そうなることはないのです

ただ、中学生にとって英語を勉強することは、必須科目である以上、

趣味ではなく、課せられたこと…

好きになれない、興味がない、アレルギーだから!って、逃げられません

 

私は、以前にも書いたかもしれませんが、20歳くらいで英語に急に興味が出てきたので、

(まあ、それは以前にも書きましたが、レオナルド・ディカプリオの出現のおかげなのですが・笑)

中高生の間は全く英語が好きになれませんでした

小学校の時は、英語の歌を聴いて片仮名で歌詞を書き取って発音を真似て歌ったり、

それなりに自分で楽しんで英語に触れていたと思います

国語の授業で出てくるローマ字の仕組みは面白くてすぐに覚えて、

ローマ字で長々と文章を書いて友達に郵便を出したりしていました

合唱団で♪White Christmasを英語で覚えて、みんなで歌った時は感動しました

もちろん、授業では英語はなかったし、今ほどの環境ではないのですが

それでも「英語塾」は小学校の頃から大流行していて、近所に有名な英語塾があったため、

同級生の多くが「英語って楽しい♪」「英語、大好き!」って盛り上がっていました

中学1年生で初めて学校の授業で「英語」を習うわけですが、

先に塾で習っていた子との格差が激しく、しかも、

申し訳ないけれど、正直、学校の先生より楽しく、本格的に教えてくれるネイティブの塾に

みんな通っているのですから、それはそれは、その子たちの盛り上がりったらなかったのです

先生の説明では理解できなかったけれど、初めてのテストではほぼ満点をとりました

だって、教科書と、宿題に出されるワークからの出題だったのですから

その後も、ずっと、教科書とワークさえ暗記していればほぼ満点をとれました

英語塾に通っていた子たちもほぼ満点だったかどうかは知りません

覚えてさえいれば満点近くがとれる、だから、覚えない子はとれていなかったかもしれません

3年生になり、高校入試のための模試がはじまると、

暗記だけで点数を稼いできた私の本当の実力が露見しました

なにこれ、どういう意味?全然わからないんだけど…

先生に質問しようにも、何がどうわからないか、わかりませんでした

塾にも通っていなかったので、質問できる人もいません

冬休み中、さすがに足を引っ張る英語の成績を立て直そう、と

1年生の最初からの文法説明を参考書で読み、演習問題を丁寧に全て解きました

参考書に掲載されている問題なんて、問題集と比較すると数は少ないのですが、

最初の「アルファベットを書いてみよう」という問題から最後まで、丁寧に、

解説を読みながら全て解きました

それで初めて(?)三単現のSのルールだの、疑問詞疑問文の作り方だの、

自力で獲得し、その後の模試と入試はなんとかクリアしたわけですが…

いったい、3年間の英語の授業はなんだったのだろう…と

ただただ、テストの点数が悪くなかったから誰も心配しなかったというだけで…

自分でもわかっていないことがわかっていなかった、という緊急事態でした

高校生になると「英語が得意♪」という子はさらに増え、

留学経験のある子や、海外旅行に何度も行っている子、洋画や洋楽好きな子が

もっと増え、またまた、そもそも英語なんか好きじゃない私はついていけませんでした

教科書は「Reader」「Grammar」「Composition」「L.L.」と1年生の時から4冊もあり、

先生もテストもそれぞれ別々で、訳がわかりませんでした

1回の授業で10ページも進んだり、「明日までに30個の英文を覚えてくる」など、日常でした

他の教科もハードだったので、英語だけを頑張っていく訳にもいかず…

ついていけないまま、高校生活は終わるのですが…

レオ様に16歳頃にせめて出会えたらね…

なんて…本当に、興味が出るとあっというまで、

もちろん、ずっと英語が好きで、得意だった人にはとうてい敵いませんが、

それでも、英語っておもしろいなあ!奥が深いなあ!と、

今は英語を勉強することが大好きなのです

 

特に、糸山先生のDONGLISHに出会って、さらにパワーアップしました

かつての私のように、

英語が好きじゃなく、意味がわからない子たちに、

日本人が日本にいながらにして英語の基礎を習得するための方法を考えているのです

苦手だったから、考えられる方法がいくつもあります

高校の時の先生方は、皆さんプロフェッショナルで、

英語が好きじゃない、なんて気持ちはないことが大前提でした

そこからもう、私は負けていたんですね

 

最初の方に書きましたが、学校の教科書に文法用語がなくても、

私はしっかり、文法用語を解説しています

スポーツも、ゲームも、ルールを理解していなければ楽しむことはできません

英文法も、ルールですから、全ての基本だとやっぱり思うのです

小学校で先取りせず、中学校から英語の授業だけでやってきた子も、

単語を覚えて、文法をしっかり理解していれば英語の成績で悩んではいませんし、

逆に、先取りしていた子たちが全員、3年生の最後まで英語で上位を占めているかというと、

そのようなことは実際にはありません

 

英語アレルギーに限らず、

苦手な科目がある子の特徴は、逃げてしまうこと、挑戦しないこと、努力が持続しないこと、です

身近に、「英語アレルギー」だったことを自覚している大人が何人かいます

英語からは高校入試が終わっても逃げることはできません

大学進学したいなら、高校3年間も英語を勉強しなければなりません

身近な英語アレルギーの方々の克服法は、なんと、私の中学時代とほぼ同じです

 

わからないから全部まるごと暗記してしまおう

 

数学の苦手な人が、解法ごと暗記してしまう、という方法を薦めている本を読んだこともあります

理解でき、解ける人にとっては「なんとくだらなくて無駄な方法だ」と思われるでしょう

 

でも、

 

わからないから全部まるごと暗記してしまおう

ということを実践できる力は、それなりの力だと私は思います

 

苦手な子は、こういうことを自分からしようともしません

あの手この手で勉強法をアドバイスしても、実践しないのです

 

それでは、どうにもできません

一生、逃げ続けるしかありません

ひとまず単語がわからないことには、その先へは進めません

好きにならなくていい、

楽しめなくてもいい、

逃げないことです

自分の症状を自覚して、自分で対処すればいいのです

そういうことができる中学生になっていることが理想です

 

全ての科目において困らないように備えるのではなく、

困難に立ち向かう勇気と力が備わっていることが重要なのです

力とは、

一番は体力

次に精神力です

 

奇跡の大逆転劇を見せてくれたこれまでの生徒たちのほとんどは、

学力は一番最後についてきましたが、

最初はとにかく体力、精神力の強さを見せてくれました

何度失敗してもあきらめない、長時間集中できる、悔しくて泣いても前を向く

たとえば自分の時間がスマホに奪われている、と気づいた瞬間、

親に返却するような子もいました

みんな持ってるから…

みんなつながってるから…

なんて言い訳していつまでも依存している子とは大違いです

 

強靱な体力と精神力は、

中学生になってからつけるものではありません

何人かの生徒にこのことについてインタビューしてみました

体力と精神力が強いなあ!と感心させられる中学生たちです

聞いてみました、

「どこで培うものなんだろう?」と

その子たちは答えました

「小学校までにできるだけいっぱい遊ぶことじゃない?」

「外で遊びまくって体を作ることじゃない?」

「もう充分、ってほど、自由に過ごすことかな」

「親に放っておいてもらうことかな…」

 

…確かに…

大人はそれを許さない、不安で、そうさせてやれないかもしれない、でも、

強靱な中学生本人たちと、長年小中学生を定点観察してきた私の見解を、

どうか、真摯に受けとめてくださいね

 

わからないから勉強は嫌いだ…?

いいえ、わからないから勉強するんです

わからないことは、悪いことじゃない

世の中、本の中、教科書の中、わからないことだらけ

私だって毎日、首をかしげているんですから

 

アレルギーは自分の体内の反応

誰かのせいではないし、自覚して対処することです

中学生にその発想の転換ができるかどうか

できた子から一抜け、二抜け…奇跡を見せてくれます

 

DKではそんな奇跡を全力で応援します

来年度はどんぐり学舎卒業生専用というくくりをはずし、

もっと通いやすい教室に転向していきます

 

アレルギーの原因については、これからまだまだ、調べてみる必要がありそうです

「好き」「得意」が前提の授業が、アレルギーを増やしていることは

原因のひとつにあるような気もします

まだまだ、探求していこうと思います

《2018年 1月11日投稿》

122.定期テスト勉強をしてはいけない理由

どんぐり学舎では「どんぐり通信」を毎月作って配っています

先月まで「家庭用」だけでしたが、今月から、「小学生版」「中学生版」を復刊しました

これは、

今月、中学生に配布している「中学生版」です

今回のテーマは

『定期テスト勉強をしてはいけない理由』

厳密に言うと、「テスト対策授業」「一夜漬け」「付け焼き刃」が危険だ、

という話です

そして、あまりにも自立していない中学生が多すぎて、

どんな通信を配っても、どんな話をしても、「自分のこと」として受け止めない

こんなの配っても、どれだけ塾生に響くかわかりませんが、

わたしは

伝え続けます

なぜ、自分のこととして受け止めないか、わかりますか?

親が割って入りすぎるからです

小さい頃からずっと、何をするにも親が必要だった今の子どもたち

子ども同士家の外で自由勝手に遊ぶことさえ少なくて、

買い物も黙ってお金と商品を突き出せば、できる時代

そんな環境の中、あれよあれよと中学生です

中学生になったからって、いきなり、「自分でちゃんとやりなさい」って言われても、

そりゃ無理だ

とみんな戸惑っています

20年以上前、初めてこの仕事を始めた時にびっくりしたのは

自分の家の電話番号を知らない子どもたち

親の職業を説明できない子どもたち

水をこぼしてしまったり、トイレを汚してしまったり、

人の物を破損してしまった時、

誰になんといえばいいか、知らない子どもたち

あれから20年

これらの現象はひどくなる一方で

さらになにごとにも「興味がない」という無気力な子どもが増えており…

こんなことを親に報告すれば頭ごなしに子どもを叱るのでしょうけれど、

そう育てたのは、親自身

子どもを叱ったって、なんにも変わりませんし、

中学生になったから急に自立させようったって、

そうはいかないのです

心して過ごすべきは大人の方

それを肝に銘じて、日々過ごしたいものです

決して、何百万円もかけた折り込み広告の文句や数字に踊らされ、

保護者同士のうわさ話に翻弄され、

わが子のことを見失うことのないようにしてください

誰にでもまだチャンスはある

わが子の心を守り、チャンスを発掘し、努力すべきは、まずは大人です

自分の責任を他人任せにし、自立できないのは親の方でしょう

なんてことは

ないと信じて

 

 

どんぐり中学部のみなさんへ

耳にタコ!!

って思われているのわかっているけど、何度も、何度でもこの話をします

何度も話しているけど、まだ納得しきれていない人が多いのと、

理解するのに努力が必要な人もいるだろう、ということもわかるので

でも

これに納得でき、理解でき、実行に移せたら

高校入試に向けても、その先の人生に向けても、

なんにでも通用する無敵な力が

身につくことは間違いありません

だから、どうか、真剣に、わたしの話を聞き、理解しようと努力してみてください

 

まずみなさんにお聞きしたいのです

 

学校の授業や、宿題や、テストでわからないことがあったら、

わかるようになりたい、わかるようにならなくちゃ、と

その日のうちに(その瞬間から遠ざかる前に)

なにかしらの行動を起こしていますか?

先生に質問に行ってますか?

基本テキスト(春に購入した、教科ごとの参考書)で調べていますか?

Qノート(わからん帳)に記録していますか?

 

どうしても覚えられない漢字や単語や公式を、

覚えようと努力するために行動に移していますか?

一覧にして貼ってみたり、手で隠して覚えられるかチェックしたり、

自分なりの工夫でいいけれど、日常的にそのような行動を

起こしていますか?

 

はっきり言いますが、上記のような「動機」「工夫」「行動」がない人は、

力をつけていくのがとても難しいです

自分ではなんにもしないで、

誰かがなにかしてくれる、言ってくれる、指示してくれるのを

待っているようでは、

入試に対応できる力はつかないのです

(…そして、その先の人生にもね…)

 

しつこいほどこの話をしているけれど、

この間もある学年で、とっても大事なことを話しているのに、

全員が、ただぼーっとわたしの「向こう」を見つめてました

「あー、またなんか言ってる」って

わたしの向こう側を…

誰もメモをとらず、誰も頷かず、首もかしげず、

わたしは、お人形に話している気がしてきました

でも、

きっと、学校でも、家でも、いろいろ言われて、飽きちゃったんだろうな

ってわかるんです

大人の話なんてつまんないんだろうな

って

「これが大事」「これだけはわかって」とわたしがいくら魂を込めて訴えても

みんなの心には響かない

そんなの、何十年もこの仕事をしているから知っているのです

 

そして

本当に行動に移す人は、

誰かになにか言われたからではなく、

自分で気づいたからなんだってことも

 

いま、多くの中学生が「なにかきっかけをちょうだいよ」って

ツバメの子みたいに、

巣の中を出ず、動かないで親鳥を待つみたいに、

自分から動こうとしない

自分の頭で考えて、自分のスケジュールを立てて、自分からのめりこむように

学び取ろうとしない

 

毎日授業を受けているのに、

テスト前になると「最初っから全然わからない」と慌てる

そりゃそうだ

授業を受けた瞬間に

疑問をひとつも持たず、なんの記録もしないんだから

頭の中だけで、一度聞いただけで覚えられるのなら、

誰も苦労しないです

 

で、多くの塾は最初っから全部丁寧に教えなおしてくれるのでしょう

わからないところを探すために、

対策問題を繰り返してそれらを潰していくのでしょう

 

でも、

わたしはしません

そして、定期テストのためにわざわざ対策勉強をすることを

むしろ禁じています

それがなぜなのか、耳タコ話ですが、未だにわかっていない人が

テスト前に「勉強しなきゃ」と慌てている実態を最近また目にしたので、

もう一度、説明したいと思います

 

「テスト前だからテスト勉強をしなきゃ」

そんな考えを持ち続けている以上、入試で成功するためには

苦難の道を選ぶことになるでしょう

はっきり言って、そういう人は、入試で失敗する可能性が高いです

 

「えっ…テスト前って勉強するものでしょう?なんでダメなの?」

それが、みなさん中学生にとっても、みなさんの親御さんにとっても

素朴な疑問でしょうね

学校の先生も、定期テスト前の通信などで

「テスト勉強をしっかりとしなさい」とか書いていますよね

中には「これはテストに出すよ」とか「山を張ってみろ」とか

‘予想問題’を配ったりとか、そんな先生もいらっしゃるようです

学校のテストをおろそかにすると「内申点」が下げられてしまう、という

強迫観念のある人も多いようです

でも、

そんな「内申点」や「学校の先生の指示」を守るために、

テスト直前に予想問題を解いたり、山を張ったりして付け焼き刃の知識で臨み、

まあまあの成績を収めてしまったら、どうなるのでしょうか?

満足のいく成績がとれた場合、ほとんどの人がその部分を省みる必要性を感じず、

「終わった、終わった」とせいせいして気分転換してしまうことでしょう

ミスが少なければQノート(わからん帳)に貼付する問題も少なくて済みます

さて、

そのまま、数ヶ月~1年が経過したとしましょう

もう一度、同じテストを何の準備もせずに解いて、完璧に解けるでしょうか

満点がとれるでしょうか

それはあり得ません

「テストが済んだら忘れる」ということは、笑い話になるくらいよくある話、

ごく当たり前のことと思われています

果たして、それでいいのでしょうか?

そのテストの範囲は、「高校入試」とは無関係なのでしょうか

そんなことはあり得ません

このように、1回のテストごとに対策をして、終わったらさっぱり忘れて、

また次のテストで範囲表をにらみながら対策をたてて…と

続けていった場合、高校入試の「テスト前」にはどんな対策をするつもりですか?

 

公立高校の入試問題の出題範囲は、

小学校・中学校の教科書です

では、

小1~中3までの9年分の全教科の教科書を積み上げて、

入試に向けて「テスト対策」をするのですか?

 

「範囲表」のあるテストを受け続けて3年後には、

「範囲表」のない本番のテストを迎えます

それが、高校入試までの3年間

全員に平等に時間は与えられ、

全員が持っている学校の教科書から問題は作成されます

 

狭い範囲のテストでは、対策や山かけなどで簡単に得点がとれてしまうでしょう

でも、入試にその方法は通用しません

一般的な塾では

定期テスト前に対策授業をしますし、

入試の前には入試対策授業をします

膨大な量の問題を解いて、入試に向けての力をつけようという授業なのですが、

それこそ、膨大な時間と大量のお金がかかります

それでも、

その方法でやりたい人はそういう塾に行けばいい

わたしは、どんぐり学舎は、その方法をとっていない、ただそれだけです

わたしは、

一般的な塾の窓に貼り出され、

折り込み広告で毎週のように入ってくる「名門校合格者数」の後ろ側にある、

膨大な時間とお金をかけても不合格だった子もたくさん知っているので

どうしても同じやりかたはできない、と思っているのです

つまり

膨大な時間とお金をかけて入試対策授業を受けても

絶対に合格できるとは限らないということです

そういう場合、一般的な塾では

不合格は受験生本人の問題として「残念でした」と言うしかないのですが

合格した場合は「塾の実績」として堂々と貼り出すのです

不合格は受験生本人の問題で、

合格は塾の実績となります

だって、同じ「入試対策授業」をして、合格者と、不合格者が出るのですから

不合格者数も貼り出すならともかく、

一般的な塾は次年度の集客のためによい実績だけを公表します

どうしても合格者数を自慢したいのであれば、

合格者の割合を公表したらいいといつも思うのです

受講生の●●パーセントが○○高校に合格しました!

とね

 

ひどいなあ…と胸が痛むのは、

この地域で人気の、とある中学校の受験コースです

1学年、男女各60人ずつの120名が合格できる人数です

でも、

ある塾では定員の何倍もの数の「入試対策コース」受講者を毎年集め、

「輝かしい」入試実績を掲げています

その学校に入学する子の●パーセント(7割だか8割だか)がうちの塾生です!と自慢しています

それは、そうでしょう

いち早く対策コースを設け、そこの中学に行くならあの塾に、と

今では認知されています

そして、人数制限も入試までの厳選もせず、

どどどっと受験させますから、要するに「分母」が大きいのです

同じ「対策コース」の塾生でも、多くの子が不合格になる、

とわかっていて募集しているのです

不合格の場合のケアをどのようにしているのか、わたしは知りません

都会のように、いくつもの中学を併願して、

どれかに合格できるよう頑張ろう、という指導はこの地域ではなされません

そんなに、受験する中学がないのですから

その中学は、例年、定員に対し5~6倍の受験者数です

もしかしたら、その中学の人気、というより、その塾の集客力によって

競争倍率が上がっているのではないかと

わたしは毎年思っているのですが、

まあ、それも、

「塾」を「商売」にしようとすればそのように、

いかにお客さんを集めて、いかにお金を儲けるか、

ということを考えなくてはならないので、

それは悪いことだ、とか、間違っている、と言いたいのではなく、

相手は商売で、それを、顧客である塾生と保護者が、どう活用するか、ということなのです

入試では結果は○か×かしかない、そのためにお金も時間もつぎ込んで、

「賭ける」ということなのです(もし塾を完全に頼るのであれば、です)

それぞれの「塾」が真剣に経営しているのは、間違いないのですが

 

うちでは

日頃のテストから高校入試直前まで、「テスト対策授業」をするつもりはありません

皆さんひとりひとりの「独学支援」という立場ですから、

わたしから積極的に予想問題を解いて解説したりする授業は致しません

そして、

高校に合格しても「これがうちの実績ですよ」と自慢したり、広告に利用したりするつもりも

一切ありません

これまでも、したことがありません

 

中1から中3まで週1日2時間の授業で、

3年間一律の授業料は頂きますが

それはわたしの夜間労働に対する対価でもあって

法外な金額ではないはずです

 

夏期講習や、合宿、直前講座など、次から次へと集金がある塾と比べると

とっても安いはずです

 

それによって

みなさんの親御さんの負担は軽減されます

夜間送迎の回数、授業料の捻出、そして、なによりみなさん自身にとっての

体力的、精神的負担

 

そして、「与えられる授業」を受けないことで育つ力は、

最初に書いたとおり、

入試を終えても、その先の人生にずっと役立つ力となるのです

 

テスト前にテスト勉強をすべきでない理由のひとつがわかりましたか?

付け焼き刃が危険だと言っているのです

自分で予想するならともかく、誰かに予想してもらうなど、もってのほかだと

 

そして、

言っておきますが、「内申点」が影響するのはこの地域だと、

私立推薦入試と

公立前期選抜くらいのものです

それでも、公立前期選抜では、これまで統一でなされてはいなかった「学力検査」を

H29年度入試から国語・数学・英語の3教科で実施することが決まりました

学校の先生は、みなさんを本気にさせようと、

「内申に響くぞ」「成績につけるぞ」と脅しますが、

本当は学校の先生も、みなさんを希望の高校に合格させたい気持ちでいっぱいなのですから、

そんなに意地悪をするはずはありません

もう、毎日不真面目に、なにごとにも怠けていて、

これは、この子を高校生にするわけにはいかないな、

と思われたらそう高校側に伝えるかもしれませんが、

普通に、真面目に日々のことをこなしていれば、行動面での心配はありません

そして、

結局、

試験当日に何点とれたか?ということが何よりも重要な合格ポイントだということです

内申書のために目の前のテストのための対策を付け焼き刃でし続けて、

本番では全く実力がついていなくて点数がとれなかった、となれば、

いくら内申書の内容がよくても、合格はできないのです

だから、

テストの対策はすべきではないのです

 

わかってきましたか?

 

だから、

目の前のテストのために勉強するのではなく、

最初から、入試に向けての勉強をすればいいのです

1年生の最初から、入試の直前まで、すべきことはそれだけです

テスト前に「間に合わない!」と慌てて詰め込むことによる逆効果と、

その行動がいかに日頃の集中力のなさを表してしまっているか

厳しいようですが、肝に銘じてください

 

定期テストや、実力テストは、

その時点での自分の習熟度や実力をあからさまに知るためにあるのです

テスト前に偽物の力をつけて受けてしまったら

入試までになにをすればいいかわからなくなってしまいます

Qノート(わからん帳)が出なければわたしにもわかりません

 

1年生の最初から、学校の授業をしっかりと受けて、ちょっとした疑問もミスもすべて記録、

すぐに質問して解決して、小テストのミスも全て記録

(まあ、それはQノート(わからん帳)の作り方を参照してください)

その状態だけで大きなテストに臨み、その結果で自分の習熟度を知ります

ああ、もっとここを覚える努力が必要だ、もっとここは練習すべきだった、と

自分で自分の弱点を見つけるのです

それをQノート(わからん帳)に収め、またその日からの授業を大切に受けていきます

それだけをくり返し、入試の前までにQノート(わからん帳)の総点検をします

 

それがどんぐり中学部の入試対策です

もう、全員、入試対策を始めているというわけです

 

「テスト前なんだから」と親は言うでしょう

「テスト勉強禁止なんだもん」と言い返していいですよ

ただし、あなた方にとって中学3年間は「ずっとテスト前」だということを

忘れないでください

毎日を、丁寧にしっかりと過ごすことです

うんざりしますか?

できれば楽をしたいですか?

 

人生は正負のバランスをとって成り立っています

楽を選んだ人にはその倍の苦労がのしかかる時を迎えます

やるべきことをやるべき時にやらなかった人には

やるべきことをやるべき時にやってきた人の数倍、数十倍の苦労がのしかかることになります

お金も時間も体力も、数倍、数十倍、溜め込んで使うような事態になるのです

 

えっ

1年から…じゃあ、もう間に合わない…と困っている2年生、3年生、

それでもやるしかないでしょう

今、気づいたなら今からやればいい

今、時間と労力をなにに使うべきか、自分で気づいたのならいくらでも捻出できるはず

いくらでも努力できるはず

1年からこつこつとやってきた状態に乗っかるまで、やるべきことを片っ端からやればいい

何時間かかっても、何十時間かかっても、失ったものを取り返すのだから、

それは、自分のせいなのだから、やるしかないんです

誰かのせいにしている暇は、ないのです

 

そして、そもそも言っておきますが、最初に書いた「動機」に関連することです

みなさん、高校に進学したいですか?

元も子もない質問ですが、ここもとっても重要です

高校は義務教育ではありません

わたしたち親は、みなさんに教育を受けさせる国民の義務を全うすべく、

小学校・中学校にみなさんを通わせています

でも、

高校から先は、みなさん本人の意思ですすむところです

高校に進学したいなら、そのための努力を自分でするしかありません

その前にそもそも、「高校に行かせてください」と親に頼まなくてはなりません

 

18歳で選挙権?飲酒喫煙?

親の庇護のもと、ぬくぬくと「高校生活」を送った「子ども」が

どうしてそんな大人の権利を行使できますか


「高校」とは、自立した人間が自分の人生の選択をするために行く場所です

具体的な目標はまだなくて、漠然としていても、

まだまだ自分を高めたい、社会に出る前にもっと力をつけたい、と

願う人が通う場所です

自分が決めて、通う場所です

そして、そのためにまた、親にお金を払ってもらわなければならないのです

だから、

まずは頼まなくてはなりません

そして希望の高校で学ぶために、自分がすべき努力と工夫は、

自分の頭で考えて実行に移してきます

誰かに方法を教わって、誰かに与えられるのを待っているだけでは、

一生かかっても力は身につかないでしょう

 

最後に

わたしはなんのためにいるのか

本当は必要ない、わたしという存在

でも、

みんなの独学を支援するために、わたしはここで待機しています

みんなが迷ったり、悩んだり、なにをしたらいいかわからなくなってしまった時に

アドバイスできるよう、ここに待機しています

本当はなんにもしないで、ただ質問だけを受けていたい

(それが一番みんなの力がつく)のだけど、

時には刺激を与えます

自分では絶対にしないような、超難問を一緒に解いたりすることもあります

テスト前に絶対にこれだけは理解しておきたい、と自分で努力と工夫をした子からの

重大な疑問に応えるために一生懸命対応します

全教科、どんな質問でも適確な解説ができるように、

日々努力を惜しまず勉強しています

(絶対に、みなさんの誰よりも、いいえ、わたし自身が受験生だった頃よりも

今のほうがたくさん勉強しています(笑))

だから、なんでも聞いてください

どんぐり中学部のざっくりとした予定では、中3の後半は入試問題を解くので、

それまでに教科書を独学で終わりにしなければなりませんから、

ひとり、独学で予習するための補助要員として待機しています

まあ、その前に、わたしが教科書の問題を全解きしたノートのコピーは皆さんに配ってありますね

それから、学校では絶対にやらない方法で、英語の教科書をとっとと全訳してしまいます

それら、おなじみの、いつもの授業の感じです

 

ツバメの子は、巣の中で卵から孵ると、

狭い中ひしめき合ってただひたすら親鳥が餌を運ぶのを待つしかありません

大きな口を開けて競って餌をもらいます

親はかいがいしく一日中狩りをして、雛に餌を与え続けますが

それは、甘やかしているのでも、ただ与えればいいと思っているからでもありません

雛はまだ自力で飛び、自力で餌をとることができないからです

秋には長旅をしなければいけないので、ツバメは同じくらいの大きさの鳥の中では

異例の長さ、3週間ほど巣の中で雛を成長させます

飛べるようになると巣立ちをしますが、

その後も親が餌を与えながら飛翔訓練をします

2週間ほどして、自分で餌をとれるようになると、

親はさっぱりと雛と別れて次の産卵に向かい、

雛は完全に自立をします

そして、

秋になる頃に川原の茂みに大量に集まったつばめたちは、

何千、何万という群れをなして、南の国へ飛んでいきます

もう、その時には、親は親、雛は雛として、それぞれの翼で、

しっかりと目標に向かって飛んでいるのです

春に産まれた、あの赤ちゃんが、もうすぐ海を渡るのですよ

 

追伸

どんぐり学舎中学部じゃないみなさんへ

上記のことは「ひとりで」もできます

わからん帳の提出先を確保してください

一番いいのは学校の先生です

塾になにかしてもらおう、という期待で塾に行っている子で、

理想的な成果を上げている子はいません

塾に行っても行かなくても、自分で自分のことをなんとかしよう、

という子がめきめきと力をつけています

塾のおかげでもないし、ひとりでは太刀打ちできないことでもないのです

みなさんの独学を応援しています

《2015年 9月15日投稿》

109.テストに出ると思わなかったんだもん

お母さんは勉強を教えないで』という本があります

文庫化もされています

神奈川県藤沢市で学習塾を開いていらっしゃる見尾三保子先生の著書で、

親としても、塾講師としても、大変参考になるご経験が記された本です

 

いま、わたしの住む地域では「1学期期末テスト」の真っ最中で

半数ほどの中学は今日から返却されるところです

毎回、テストの前後に思うのは、この本に出てくるこの文章です

 

基本をつかんでいない子が多い

新しく入塾してくる生徒は、往々にして「数学はすべて基本の応用である」という当たり前のことを認識していない。むしろ、「あらゆる問題の解き方を習って覚えよう」と思っている。

中2のA君が入塾した初日の第一問である。一次関数の直線のグラフの基本を終えて、応用に入る第一日目であった。学校でもほぼこの課は終わっていた。

図について、「Cの座標を答えよ」という問題で、これを見た途端にA君は「先生、これまだ学校で習っていません」と大いばりで答えた。

その意味は、正方形のグラフは習ったことがない、ということであった。すると半年前から通っていて、A君を塾に誘ったB君が、

「お前、ばかだなあ。何言ってんの。応用だよ、応用。」

と言った。A君はきょとんとしている。そこで私が、

「数学はわかるところから解いていくのよ。これも基本のイロハでできるのよ。直線1の式のbはいくつかな?」と聞くと、

A君「えーと…そうだ、3です」

私「そうよね。y切片は3だものね。直線1の式は、y=2x+3だわね。じゃ、次にBのy座標はいくつ?」

A君「…」

B君「お前さあ、Bのx座標はAと同じで2だろ。そしたら2を直線の式のxに代入すれば、Bのy座標が出るだろう」

A君「そうか、そうだよねえ。y=2×2+3=7だから、7だ。Bの座標は(2,7)だ」

私「そうね、そういうわけ。それじゃ、Cのy座標はいくつ?」

A君「…ああ、そうだ。Bと同じで7だ」

私「よしよし。Cのy座標は出たわね。それじゃあ、Cのx座標はいくつ?」

A君「わかんないなあ…」

B君「お前さあ、ABの長さとCDの長さは7だってことくらいわかるだろう。正方形なんだから、BCの長さも7だろう」

A君「なるほど、そうか、2+7=9だから、9だ。Cの座標は(9,7)だ」

B君「全部、イロハを使えば出るんだよ」

と私のかわりに言ってくれた。

これは応用の始まりの問題で、その後何日か、A,B,C,Dランクと応用問題は続く。

それから3週間後に、学校の一学期期末テストがあった。テスト範囲は四月以降の全範囲である。定期テストの前には、私はかならずその範囲に合わせた模擬テストをする。

学校のテストの終わった日、A君が先にやってきた。入ってくるなり、

「先生、先生の模試の問題、一題も出なかったよ」

と言う。私が笑いながら、

「あら、先生は超能力者じゃないから、数値から形まで同じ問題なんて当てられないわよ」と言う。

すると、すぐにB君が駆け込んできて、興奮気味に言う。

「先生、先生、この前の先生の問題、全部出たんですよ。テストやっていて、これもそうだ、これもそうだ、って…」

私はB君は前回のテストの時より、さらに基本をしっかりつかんだな、と思った。A君は不思議だなあ、という顔をしていた。

この「一題も出なかった」と「全部出た」の違い。「理解する学習」を半年も続ければ、A君もB君と同じになる、と私にはわかっていた。

A君の方はショックであった。半年前には2人の学校の数学の成績は同じだったそうだから。

私はA君の肩へ手を置いて、「半年、頑張ろうね」と言った。

 

関数の応用問題なんて、見尾先生のおっしゃるとおり、この問題のレベルは最も易しいレベルです

でも、どんなに難度が上がっても、結局は「基本」が重なってできているのです

でも大抵の場合、ここに出てくるA君と同じように、

「習ってません」とか「知りません」と匙を投げる生徒が多いこと多いこと

基本の問題(関数なら、「直線の式を求める」、というような)はできても、応用がきかないのは、

全く「見えていない」からなのです

そして、「見ようともしない」

「与えられる授業」で育った結果、こういう生徒が増えていきます

この問題はこう解け!と、教えられ、覚え、

見尾先生の言うように、

「あらゆる問題の解き方を習って覚えよう」ということしか考えられないのです

だから「わかりません」と言って、教えてもらうのを待っているのです

これは小学校の文章題で、

「数値」と、「合わせて」や「ちがいは」に線を引き、

「何算かな?」と教え込まれた子が

応用問題に全く太刀打ちできないまま育ってしまうのと同じです

(これは学校公開日などで実際に何度も目にしています

どうやら主流の教え方のようです

これを話すと大抵の親御さんはびっくりします

それじゃあ、違う言葉になったらどうなるのでしょう!?と

知ろうとすれば、知れるのです

そして、知らなければ、わが子はそう育ってしまうのです)

…というか、そんな小学校算数を経て、いきなり中学校の数学へ

いったいどこをどう育てたいのか、理解に苦しみます

 

話はそれましたが、結論から言うと、「与えられる授業」の逆、

「与えない授業」「与えない生活」で応用力は育ちます

最初から方法を教えてしまえば、試行錯誤のチャンスも、

自ら獲得した、という自信を得るチャンスも得られません

かといって、小学校時代はされるがまま、与えられるまま

で、中学校に入って期末テストだから、もう中学生なんだから、と

急に突き放しても、もう手遅れなのです

与えてもらうのを、ただ待っている、

勉強面でも、生活面でも

わが子に関して、そう、感じたことはありませんか?

 

中1の数学で、「累乗」が出てきたとき、その授業で私は、こんな話をしました

 

私「実は小学生の頃から累乗って使ってるんだよ。なんだかわかる?」

生徒A「…えーっ こんな小さな2とか、3とか…初めて見たけど!」

生徒B「小さな2…?あーっ!もしかして、平方センチメートル!?」

生徒C「立方センチメートルが小さな3だ!!でもなんで累乗なの?」

私「平方センチメートルってなにさ?」

生徒A「面積。タテ×ヨコ!」

生徒B「㎝×㎝…㎝を2個かけるから2乗ってこと!?」

生徒C「体積は、タテ×ヨコ×高さで、㎝を3個かけるから3乗ってこと!?」

わたし「そう。2乗することを〈平方する〉と言うし、3乗することを〈立方する〉とも言うんだよ」

生徒「へーっ!小学校の頃から累乗って使ってたんだ~」

 

それから累乗の計算方法を練習したわけなのですが…

先週、数学のテストが終わった日に生徒から問題を見せてもらうと、

『2乗することを(   )、3乗することを(   )ともいう』

という穴埋め問題が出て、

「あー、これ、出たんだねえ」

と私が言うと、(あんまりこれまで見たことない問題だけど…)

生徒「えっ!?それ全然意味わかんなかった!」

わたし「えーっ。累乗のとこに入った時に話したじゃない」

生徒「あー、そういえば!でも、テストに出ると思わなかったんだもん!!」

 

ががーん………

「テストに出ると思わなかったらスルーしちゃうわけ?

どれがテストに出て、どれが出ないか、なんて、誰がその時点で知ってるわけ?」

ぷち説教…

 

そこでこの本も紹介

京都大学卒のお笑い芸人、

ロザン宇治原さんの勉強方法を、相方の管さんが紹介した本で、

有名な一節が

教科書にアンダーラインを引く管さんと、全く引かない宇治原さんとの会話

「なんでラインを引くの?」「重要なところだから」

宇治原さんの意見は「全部重要なところだから線を引いたらきりがない」

というような

 

ぷち説教は続く。

テストに出るから、とか、重要だから、とか、そういうこと言わないで

そりゃあ、テスト直前にそういうことがよぎって、ここも出るかも、これも出るかも、って

貪欲に勉強するのは別にいいけど、

普段の授業も、会話も、全部、自分の理解を手伝うためのアイテムなんだよ

学校の先生も「ここはテストに出す」とか昔から言うけど、

そういう箇所は大抵当たり前に重要なところなんだよ

もう、そんな考えで勉強するようになったら、まずこれから伸びないね

全ての情報を活用する勢いがなかったら、これから先絶対につまずいちゃうよ

 

あまりにも、そのまんまテストに出たのに全く思い出すこともなかった生徒たちに

呆れたり…

それでも「これテストに出るよ」っていちいち説明したり対策したりする塾には

なりたくないし…

さあ、返却週間が始まります

テストは、終わった後が肝心です

Qノート(わからん帳)を作りながら、自分のことを振り返り、

今後のプランを自分で立てるのです

ここでもわたしが与えてしまったら、学びのチャンスは奪われます

受けっぱなしはもっとダメです

 

小さなお子さんを育てている最中の親御さんは知っていてください

与える生活、与える学び、与えられる遊び、だけでは、

子どもの思考力や生きる力は身につかないこと

方法を教えれば模倣してすぐに上手にこなして

まるで天才か!と思ってしまうようなこともあるでしょう

でも、それはただのコピー回路

全く応用は効かず、枝葉が伸びることもありません

スピードや、難しさで誰かと比較したりせず、

わが子が、ゆっくりでも自分の力で獲得していくさまを

じっくりと見守ってあげてください

 

中学生の親御さんはお子さんの成績が返ってきたら、

自分の成績表だと思って見つめてください

決して罪のない(?)わが子をむやみに叱りとばしたりせず、

わが子が「獲得能力」をどれだけ備えながら成長してきたか、

これまでの子育てを振り返ってください

必要なら「育て直し」を

「育て直し」についてはまた

別の機会に…

 

追記

「テストに出ると思わなかったんだもん」と言った中学生のうちのひとりに、

わたしの長女がいます

笑い話でしょう

わたしたちにも「育て直し」が必要みたいです

《2015年 6月22日投稿》

108.トップ校を目指すなら

我ながら珍しいタイトルを最初につけて、

なにを語ろうか、というと…

 

今日から中学1年生の長女の初めての期末テストです

タイトルと長女とはなんら関係はありませんが、

毎年思うのは、中学生の「定期テスト」となるとその準備期間や、結果に

右往左往している親御さんたちのことです

どんぐり式では中学生に塾は不要(小学生時代に育つべきところが育てば。)

ですから、どんぐり学舎中学部も、授業日数と授業時間は最小限にし、

「ひとりで自主的にしなくちゃ意味がないし、成長もない。」というメッセージをこめて、

生徒たちが有意義に自分の力を伸ばしていくためのサポートをするために

ちょっとだけわたしが存在できればいい、と思って開いているのです

ぐいぐい牽引するパワフルな塾とは対極にありますが、

小学部同様、伸び出すととても指導者が追いつけるペースではないほど伸びます

将来、「学校」を卒業しても一生役に立つその技を、

身につけて卒業してほしい、というのが一番の願いです

 

わたし自身も中学生の親デビューをし、

中学生との暮らし、そして、目の当たりにする中学校の現実に、

また、わたしの在り方を見直す時期にさしかかってもいるのです

周囲を見渡すと、中学生の間にはすでに、

今更どうにもならないような問題が降りかかっていることが多いです

 

ゲーム・テレビ中毒や、スマホ、ラインはもちろん、無気力、積極性のなさ、八つ当たり…等々、

寄せられる相談の内容は年々幼稚になっているように感じられます

ずっと、続いている…

今に始まったことじゃないのに…と

まず、親御さんに対してやはり私は思うのです

小学校のうちから…

いいえ、小学校に入る前から意識して過ごしていれば、

こんなことにはならなかったのにね

ただただ流されてきた子どもたちを見ていると、思うのです

いまさら、わたしが、どうにしてあげればいいんだ!?と

これまで関わった教育者の誰も、それについて真剣に指摘してこなかったのか?

と憤りさえ感じるまでに

 

トップ校にわが子を、なんて、声に出して言う人はこの辺りでは少ないです

でも、みなさん実は内心そんなようなことを願っている

みなさん、とは語弊があるかもしれませんが、おおかたそんなところでしょう

だって、そうじゃなかったら、勉強しろとか、テストの成績がどうこうとか、

子どもに言いませんよね

  いいえ、違います、本人がやれるだけやって、全力で頑張ってみて、

  いろんなことに挑戦してほしいから…

  いろんな可能性を広げてほしいから…

言葉はやわらかく、多様に、とにかく子どもを奮起させて、本気にさせて、

納得のいく成績をとらせたい、それが親の本音ではないでしょうか

だったら、最初から、親もそのような生活を心がけるべきなのです

ずいぶん過激なことを書いている気がしてきました

でも、

小学生にしろ、中学生にしろ、子どもは結構真剣に毎日を生きているのに、

周囲の大人に惑わされて、本来の自分らしさや、本当の自分の気持ちを、

どこかになくしてきてしまった子が多いのです

それは、親だけじゃなく、学校の先生や、親以外の親族、全てが、

その子自身ではなく、なんだか全体を見ていたり、その子の表面的な部分だけを

見ていたりするからなのでしょう

だから時々子どもたちは

「もっとちゃんとわたしの本当を見て!」と訴えてくるのです

それは

行動だったり、言動だったり、無言の…抵抗だったり

とんでもない事件を起こす子の多くからも、そんなメッセージを感じざるを得ません

 

この例えが合っているかどうかわかりませんが、

私が若い頃言われて、よく、内心、首をかしげていたことを

最近、時々思い出すのです

 

たとえば高校生の時は、地域内での高校のランキングが現在より顕著だったため、

ランキング下位の学校のひとは上位の学校のひとに

「いいよね~」「あたしたちバカだから~」と

よく言っていました

わたしも、友達に言われました

「いいよね~堂々と制服来て出掛けられて~」

わたしはその時は「なにがいいのか?」と疑問に思うだけでした

「いいじゃない、堂々と着て出掛ければ」と返事するくらいで

 

大人になると、仕事柄、普通よりちょっと早くパソコンや、携帯電話を持ったり、

英語を使ったりするようになり、やはり友達と会うと

「いいよね~」と言われることがありました

「わたしはパソコンも使えないし、英語もわかんないからさ~」と

 

結婚し、妻となり、母となると、

安心、安全な食材を取り寄せ、調味料にも気をつけ、なるべく無添加で手作りの食卓を、と

毎日せっせとごはんを作るわたしに

「いいよね~  いろいろ知ってて。うちはそういうの、関係ないからさ~

もう、暮らしがちがうよね~」と

 

テレビを見せない子育てをしていることを知られると、

「すごいよね~  うちは別にそういうのないからさ~ テレビも勉強だから~」と

 

必要以上に妬まれて、とんでもなくイヤな思いをしたこともありました

(だから聞かれない限り、わざわざ自分から自分のささやかなこだわりを語ることはありません)

 

また、シャーリーズ・セロンの体当たり演技で話題になった『モンスター』

という映画のワンシーンが忘れられないのですが、

ひどい人生を送り、困難の中生きている主人公が「世の中全て知ってる」

(ある意味そうかもしれないけど…)と勢い込んで法律事務所に就職面談に行く場面

もちろん、無資格で無学歴の彼女が採用されるわけもなく、

「君が遊んでいる間に僕たちは勉強して努力して試験に受かってここにいるんだ」と

言い放たれます

以前にもこのシーンのことは書いたかもしれませんね…

なんだか、忘れられないのです

一方、

この主人公にはどうにもならない理由があり、本当に気の毒としか言えないのですが

それでもやはり、誰か、子どもの頃の彼女を救ってやれる大人が

いなかったのか?と大人の責任を追及したくなるわたし目線なのでした

 

トップ校に入ったのは日々の努力と、工夫と、やるべき時はやる、

と決めてメリハリ付けて自分で頑張ったからで

うらやましがられることではありません

 

パソコンは25万円くらいしたし、携帯電話も10万円くらいして、

勤め初めのわたしにはきつかったけど、

必需品だから仕方なく、わたしにはオモチャでも何でもなかったけど、

寝る間も惜しんで使い方を学び、活用して

苦手な英語も必死になって勉強しました

うらやましがられることではありません

 

家庭に入り、食卓の責任者になった時には日々家族のため、

安心で、安全で、健康的で、しかも美味しい食事を毎日つくるため、

つねにアンテナを張り巡らせていただけです

うらやましがられる要素がありません

 

テレビを見せないのも、10代の頃から決めていた子育て法で、

数え切れない本を読み、勉強し、確立したひとつの信念でした

なぜそんなことを指摘されなければならないのか、疑問です

 

自分ではなんにもしないで、周囲に流され、

自分を高めるため、自分の力をつけるため、歯を食いしばったり、投資したり、

本気で取り組むこともせず、

ただただ結果だけを見て、妬んだり、羨ましがったりするのは

本当に残念なことで、

みっともないことだなあ…と感じるのです

 

子育ても、同じです

耳を澄ませば、アンテナを張ってみれば、子どものためにどうすべきか、

発信しているひとはたくさんいます

わたしにはそんな情報ばかりが入ってきていました

 

日頃から意識して暮らすなんて息が詰まりそう、ですか?

テレビをつけないとか、ゲームを買わないとか、ドリルをやらせないとか、

子どもの前でスマホやパソコンを使わないとか、

できあいの加工食品ばかり食べさせないとか、

添加物や砂糖やトランス脂肪酸ばかりのお菓子を食べさせないとか、

言葉遣いとか、会話の内容とか、遊びの質とか…

そんな、なにからなにまで制限して暮らすの、大変すぎますか?

 

ちっとも大変ではないのですよ

わが子のためなら

わが子が強く、賢く、たくましく、優しく、穏やかに育つためなら

 

普段から親が意識する努力をしていれば、

子どもはなんにも考えなくても自然とそれを身につけ、育っていきます

 

たとえば、

親がきちんとした言葉を使っていれば、

子どもは自然とその言葉を覚えますから、

あとで「その言葉は直しなさい」と注意する必要がありません

友達の言葉を真似たり、影響されたり、流行語を使ったりすることはあっても、

きちんとした言葉遣いを知っているのですから問題ないのです

(そんなこといちいち正して暮らす必要はありません。押さえるべき所を押さえているのですから)

 

たとえば、

親が花や虫や小さな生き物を愛しみ、大切にしていれば

子どもも同じように愛しむようになります

 

たとえば、

親がさまざまなことに関心を持ち、向学心があり、知的生活をしていれば

間違いなく知的な子が育つでしょう

 

もし、わかりやすい例としてわが子を「トップ校に入れたいなら」

中学生になって、受験生になって急に慌てて詰め込んだりお金や時間を掛けたりするのではなく

小学生のうちから、いえ、もっと前から、意識して暮らしてみてはいかがでしょう

あとから詰め込むなんて非合理的過ぎます

子どもをどんどん追い詰めることにしかなりません

だって、

手本を示していないのに、それを子どもにだけ押しつけることになるのですから

もっと深く、もっと丁寧に、目の前の子どもと過ごす時間について

考えていただきたい

 

お母さんだけじゃない、お母さんに全てを押しつけているお父さん、

実はあなたが一番見られている

一番理不尽な手本を見せているのは、いったい誰なんでしょう

今日から生活を見直して、がんばろう、と奮い立っているお母さんの、

邪魔をするのは誰なんでしょう

子どもは全部、見ています

なにも言えない子どもたちを代弁して、強く訴えたい昨今です

 

※追記(本文投稿翌日 6/17)

ここでのトップ校とは、いわゆる上位高校のこととして書いていますが、

単なる象徴であり、トップ校に合格し、入学することを「成功」と言いたいわけではありません

自分が3年間通い、学ぶための高校に向かって、努力と工夫を続ける中学生活です

全ての子にトップ校がふさわしいとはわたしは考えていないので、

それぞれができる最大限の努力と工夫を、中学生にはしてほしい

そのためには、柔軟で多様な思考力を小学生時代に身につけてほしい

その一心で、どんぐり学舎をしています

やみくもにただただ点数や順位に一喜一憂し、上を目指せ!と

子どもの本質を見失いながらも、

叱咤激励する親や教師や進学塾に、訴えたいだけなのです

《2015年 6月17日投稿》

91.大きな選挙。歴史と公民を教えていると…

パーティの席で宗教と政治の話はするな

という外国の文句はなにで読んだか忘れましたが、

多くの大人が波風を立てないために避けたかったそれらの話題は、

最近では波風も立たない無関心の世界の話題のような状態になっており

教科書の歴史や公民を教えたり、入試問題を解説したりするわたしには

「関心がない、ってなに?」「投票に行かない、ってなに?」と思うわけで

その辺の感覚がまるでわからないのです

わたしはただ、

長い年月をかけて世の中がどうやってできてきたかを教えてくれる『歴史』から

わたしたちがようやく得た権利を知っているし、

最高法規の憲法から、三権分立、国会の仕組み、地方自治、経済など、まさに

教科書通りの知識を学ぶ『公民』から、

わたしたちが今手にしている大きな権利を知っているだけです

知っているし、それを行使するのは当然のことだと思っているし、

それを放棄するのは全く意味がわからない、という意味で、

投票率が低いここのところの選挙の意味がわからないのです

 

みなさん、勉強したはずです

年号を覚えさせられたり、人名を覚えさせられたことしか、残っていませんか

暗記科目は苦手だった、と苦笑するだけですか

わたしたちは縄文時代辺りからの人間の歩んできた社会について、

ひととおり、小学校、中学校、高校、と何度も繰り返し学んできました

入試のための知識だけの勉強ではないのは

教えてくれる先生にもよるのでしょうか

 

わたしたち庶民は、「えらいひと」の決めるいろいろな決めごとに左右されながら、

生きてきました

時には急にみんなで耕していた土地に線をひかれて、

それぞれの家が「えらいひと」に米を納めるよう命令されたり

時には着る服や食べるものまで限定されたり、

時には「えらいひと」が勝手に決めた身分制度に従い、

友達も恋人も結婚相手もそれの範囲で選ばせられたり

時には犬を中心とした動物を、極端に保護するような決まりを出されて困惑したり

「えらいひと」が命令すれば家に手紙が届いて、

行きたくないのに妻も子どもも家に残して戦場に行かなければなりませんでした

「行きたくない」なんて言っちゃいけないし、

「行かないで」なんて言えませんでした

「えらいひと」に罰せられるからです

 

わたしたち庶民は、それでも、

時代の先端や海外の事情を

学び取ってくる運動家の方々のおかげで変革していく社会の中で、

ひとつ、ひとつ、権利を勝ち取ってきました

知らなかったことを知っていくにつれて、

「えらいひと」が本当に心から「えらい」わけじゃないんだ

ということも知っていきました

わたしたちひとりひとりが持っている権利について、もっと堂々としていいことも

知っていきました

たくさんの、年月と闘いを経て、わたしたちの家には今、20歳を過ぎた家族分だけ、

はがきが届いています

 

政治には関心がないの

興味がないの

という話を聞きます

 

関心がない???

いま、わたしたちが暮らしている世界の、全ては政治です

歴史の教科書と、公民の教科書に、すべて書いてありますよ

着るもの、食べるもの、目にするもの、歩く場所、走る道、子どもたちの生活のあらゆるものも

全て政治によって決められています

興味がない???

なぜですか?この国に暮らして、毎日、ここで生きている以上、

政治を切り離すことはできないのです

イヤでも、「雰囲気が悪くなるからその話題はやめて~」と言われても、

それ以前の問題なのです

 

もっとわかりやすく言うと、

たとえば以前、「2歳まではテレビを見せない方がいい」と小児科医学会が公言した頃

テレビなどメディアが子どもたちに与える悪影響、ということについて

元マスコミ関係者で全国を講演してまわっているとある有名な先生の講演では、

「テレビを見せない方がいい、と言えば○○省から、

パソコンやゲームを使わせない方がいい、といえば○○省から規制がかかるので、

どこででもできる話ではないのです」

と明言していました

似たような話では、先日行ったとある料理法の講演会では、

テレビ出演なども何度もある講師は

安全に栽培された野菜を使わなければ意味がない、と言いたいところ、

絶対にそれ(農薬批判)だけはNG、と

テレビも雑誌も、規制がかかるのだと話していました

誰が規制を??

 

全て、国、政治です

国=政府の政治なのです

それでも、関心がない、興味がない、関係がない、と

思いますか?

わたしたちは、すでに規制された情報しか得られません

あらゆることに自由で平等で、権利を行使できる法に守られているはずなのに、

もうすでに、そこは自由ではないのです

「考えない」のが普通になるようにいつのまにか

まるで操作でもされているように

無関心な人を増やされてしまったかのようです

 

人体、特に子どもたちの身体に大いに悪影響がある、とされるトランス脂肪酸も、

欧米では使用が規制されているのに

日本ではまず「経済」を守るため、人体への影響はあとまわしです

誰が経済を守りたいか?

そんなこと、これまで何度も問題になって、そのたび、実際に被害にあった人たちだけが

悲しく、つらい闘いを強いられてきました

報道に規制があるため、わたしたちは知るよしもないような…

いいえ、知ろうとすれば知れる

伝えようと努力している人はいる

そこに目を向け、耳を傾けようとしさえすれば

 

規制された報道だけを信じたままでは、

自分から関心を持って深く知ろうとしない限り、

本当の意味でわたしたちはわたしたちの権利を行使しているとは言えません

やっと勝ち得た権利とはいえ、自分の身を削って闘ったわけでもなく、

当然のようにただはがきが送られてくるだけなので、わからなくなっているのかもしれません

 

「知り合いだから」投票して作戦も、

会社を挙げての組織票作戦も、

ひとりひとりがしっかりと自分の権利を行使するつもりがあれば、いくらでも自由にできます

「知り合いだから」

「プライベートで、本当にいい人だから」

と言っても、

わたしたちの投票した数を背負って国会に行く代表の方は、

あの会議場で、また一票を持って国政に多数決で参加します

 

原発をどうするのか

集団的自衛権をどうするのか

憲法は

消費税は

雇用は

医療は

子どもたちの教育は

税金の無駄遣いは

 

たったひとりにいくらお願いしても、その人がどんなに素晴らしい人でも

そのひとが代表でもっていく一票は、どこへ投じられるのか、

そこまで考えてわたしたちは投票しなければなりません

 

わたしはただ淡々と、教科書に書いてあることをわかりやすく説明します

私情や、わたしなりの政治信条や、偏った考えを押しつけるような説明を

したことはありません

でも、

たいていの中学生が一番首をひねるのは「投票率」なのです

なんで?なんでなんで?もったいなーい!!!と

たった一票なんか、何万票のうちのたった一票なんかなんの影響もない

なんて中学生は思いません

学校でも、なんやかんやと多数決をしているんでしょうね

ちいさな規模の多数決でしょうけれど、

国のいろんな決めごとも、基本、多数決なんだよ、というと驚き、喜びます

早く20歳になりたい!と喜ぶのです

 

ドクターX、半沢直樹、「えらいひと」に屈せず闘う主人公が人気を得ます

「えらいひと」はあの手この手で、富と名誉のために、一般庶民なんてゴミのように扱い、

私腹を肥やすことだけを目的に主人公を攻撃してきますが、屈しません

わたしにはとてもあんな生き方はできない…と

多くの人は憧れと、諦めの気持ちでただすかっとした読後感に浸っているのでしょう

でも、

いまはがきを手にしているわたしたちは、主人公のひとりになっているのです

脇役ではありません

「えらいひと」をこの手で選ぶことができる

「えらいひと」よりわたしたちのほうが「えらいひと」なのです

 

ただただ、ちゃんと考えて投票すればいい

好きだから、とか嫌いだから、ではなく、わたしたちの生活全てを託せるかという、

たったひとつの政策だけじゃなくて、全体と、

その人の属しているグループの考え方をよく知り、

わたしたちの家族と、子どもたちのためにどんな未来を構成してくれるのかを

しっかりと考えてまず、絶対に放棄しないで権利を行使しましょう

子どもたちはそんなわたしたちを見ています

 

考え方を押しつけるのではなく、ちゃんと考える機会を与えること

勉強と同じです

それに、

誰よりわたしたち自身が、真剣に考えている姿を子どもたちに見せること

 

14日は、はがきを手に、主人公になりましょう

《2014年 12月8日投稿》