夏休みの宿題で
「漢字練習」
出されていますよね
主に小学生
わたしの生徒さんや、知り合いの子どもたちの中には
「ノート一冊」練習してくる、という
とんでもなく乱暴な宿題を出されている子たちもいて…
これってもう珍しくないですよね
先生、そりゃ、書く方も大変だし見る方も大変ですよ
ただただ、量を書かせたいのはわかるけど、
わたしがボランティアで見ている子や知人の子たちなど、
漢字を漢字として書いていませんが、それでも出す意味があるのでしょうか
そして、子どもたちが一生懸命埋めたノートを、
丁寧に1ページ1ページ、チェックなさるおつもりはあるのでしょうか
(わたしの経験では、夏休みに限らず、間違ったまま練習してもハナマルがつき、
そのままテストに書いて×をもらった、という子は数知れず。
子どもが課題を懸命に受け止めるのと同じくらい真剣に
その提出物を丁寧にチェックしてくださる先生など
ほとんどいないのです)
そもそも、漢字は何のために覚えるのか
そして、覚えるためにはどうしたらいいのか
わたしたち日本人が使っている漢字は
常用漢字1945字…
そのうち1006字が小学生必修
残り939字が中学生で習う漢字数と学習指導要領では決められています
もちろん、それ以降、それ以外で知ることになる常用漢字以外の漢字も使ってはいますが、
まあ、だいだい2000字ほどは義務教育で習得するので、
わたしたち大人は約2000字の漢字を使いこなせることになっているのです
さて、夏休みに入ったので少しだけ塾らしいことをしてみよう、と
実際に入試に出された漢字の読み書きにちょっと挑戦してもらいました
中学部の生徒、全員にです

これは2012年全国公立高校入試で出題されたものの一部です
結果は散々(笑) ※この子はまあまあ
でも、気づいたことがあったでしょう?
あれ?ほとんど、小学生の時に習った漢字じゃん…
ね、そうでしょう?
以下、過去10年間 群馬県公立高校入試で出題された漢字を分析したものです

どうですか?読めないとちょっと恥ずかしいような、基本的な「読み取り問題」で
小学生でも書けるはず…という「書き取り問題」ではありませんか?
もっと詳しく分析するとこうなります

ね、小学校で習った漢字ばかりでしょう
もちろん、「読みかえ」というのがあって、
たとえば「図画」の「画」は2年生で習いますが、
「画期的」(習得は2.3.4)という言葉を小2や小4で読めて書けるか、というと
それは難しいことです
低学年の子どもたちには、あまり身近な言葉ではないからです
だから生徒たちはよくこう言います
「習ってません」
でもわたしはこう答えます
「それはあまり気にしてはいけません」
学校で習うのを待っていたら、たぶん、
とてもじゃないけれど2000文字は使いこなせるようになりません
わたしたちは教科書以外にも、
たくさんの日本語、漢字に触れて生活しているのです
学校で習おうが習っていなかろうが、目の前に出てきた文字に興味を持ち、
どのように使われているのか考えてみる習慣があれば、
2000文字などあっという間に習得できてしまいます
さて、
中学生全員に、試しに挑戦してもらった入試問題ですが
実施する前にわたしはこう言いました
「即答できないものはとばしてください」
ぱっと答えられるものだけ書けばいい、と言ったのです
全員の解答を1週間見て分析して思ったのは、
そもそも、漢字というものが、音意外にも意味を持つ、表意文字だということを
理解していない、ということでした
ひらがなの「あ」や「て」が表音文字なのに対し、
漢字の「編」や「手」には意味がある、「ヘン・あむ」「シュ・て」という音だけではない、
表意文字なのだということを
そして、あまりにも、語彙力に乏しい、言葉を知らないんだ、という事実
「説明の一部を割愛する」
これにはほとんどの生徒が
「わりあい」と書きました
ちょっとまって…「わりあい」って、算数に出てくるあれのことでしょうか
わりあいは「割合」ともちろん書きますが、
おそらく、「割愛(かつあい)」なんて言葉を知らないからこう書いたのだと思うのです
でも、「わりあいする」ってなんでしょうか
「校歌をヘンキョクする」
これは「変曲」と書いた生徒が多かったです
曲を変える…という意味を思ったのでしょうか
確かに「編曲」という言葉は身近ではないかもしれません
でも、たとえばちょっと音楽や演奏に興味のある子には
身近な言葉だと思えます
漢字力は語彙力であって、いくらたくさんの漢字を書いて練習しても
その使い方を知らなければなんの意味もないのです
では、どうしよう…とかつてわたしは、漢字ひとつひとつの成り立ちや意味を調べて
小学校の漢字1006字だけでも分析しようと試みました
趣味で読んでいた白川静先生の著書や、辞書を取り寄せて、
小学校で習う漢字をひとつひとつノートにまとめてみました
でも、
漢字の成り立ちや意味は奥が深く、すべて小学生が知っておくべきこととも、
小学生が理解できることとも、思えませんでした
わたしにとっては興味深かったし、知れば知るほど奥が深くきりもないのですが
それを全て小学生のために伝授することが最善の方法とは思いませんでした
そして上記のように入試に出題される漢字を分析してみると、
100点満点中おそらく16点分くらいの配点であろうこの出題状況
大人のわたしには全て読めて、書ける程度の問題ばかり
大学受験の時の漢字の過去問と比較すると
なんと実用的で頻出の設問ばかりなのでしょう
では、この16点のために、いったいどれだけの努力を重ねればよいのか
小学生の頃からこつこつと漢字ノートに練習し、
漢字テストに向けて必死に練習し、
夏休みにノート一冊練習することで、
漢字力は本当に身につくのか
長年、多学年の子どもたちを見てきて、わたしにはそうは思えないのです
だいいち、漢字を書くこと、読むこと、知ることに興味を持っていない
興味を削がれてしまっている子どものなんと多いことか
文章の中で漢字を使いこなすことに喜びや、楽しさを味わう子も少ないです
目にする漢字がどんな役目を持っているのか、考える習慣のある子も
先日、視点・論点というテレビ番組で
キラキラネームについて論じられているのを見ました
その講師いわく、キラキラネームが日本語を乱しているのではなく、
日本語の乱れがキラキラネームを生んでいる、と
現在の親たちに、
人名漢字に入れてほしいという漢字の希望を調査したところ、
「胱」という文字があったそうです
月が光る…なんと素敵な字づら
でも、小学生でも知っている子がいるこの部首は「にくづき」と思われます
そして、なんといっても「膀胱」の「胱」
それでもこれから名付ける親たちの中には、
そんな意味はどうだっていい、漢字の見た目のイメージで、または音感で、
自由につかいたい、名付けたいのだ、というわけでしょうか
漢字には意味がある
そして、わたしたちは日本語を話す、書く、読む
相手に意思を伝える
お互いの気持ちを伝え合う
そして、意見を述べる
言葉は表面ではなく、文化の一部です
だから表面的な英語を覚えたってちっとも習得できないのと同じで
漢字も同じです
書けば書くほどいやになってしまう
そして、
話す言葉は短絡的
「やばい」「うざい」「きもい」で事足りる
真面目に一生懸命漢字練習をしてきたであろう中学生たちの
結果はこんな感じ
中学で習う漢字はまだ書けないものがあっても仕方がないけれど、
少なくとも小学校で習った漢字は全て読めて、書けていいはずです
今から2000文字をおさらいしますか
使えない漢字力しか持ち合わせてないなら、それしかないですよね
ひとつひとつの文字が、どのような意味を持ち、どのように使われているか、
体感しながら復習するのです
それはそれはとてつもなく手間と時間のかかることですが、
習得できていないならやるしかない
たった16点のためですけれどね
されど、16点のためです
この漢字プリントを終えて、「勘で読めた」と言っている中学生がいました
短い文だけど、文脈で考えたらこうかな、とか、
形声文字の音の部分からしてこうかな、とか
(形声文字…意味を持つ部首と音を表す組み合わせの成り立ちになっている漢字
義・議・蟻・犠など、全部ギと読みますが、部首によって意味が違う)
メールや、パソコンでの文書を書くことの方が手書きより多い時代でも、
どの漢字に変換したらよいか知っていなくてはなりません
このように「勘で読めた」というのは大事なことです
思考力を使っているのですね
知識だけでは太刀打ちできません
さて、これから習得していく子どもたちにはどうすべきでしょうか
漢字は便利で楽しい、興味深いもの
そう、し向けることができたら、あとは勝手に学び取っていきます
そのためには拷問のような練習を絶対にさせてはいけません
ましてや罰として漢字練習をさせるなどもってのほか
子どもたちと会話をしていて思うのです
勉強机に向かっている間だけが勉強時間ではない
わたしたち大人の接し方、生活のしかた次第で、
世界中が勉強机になり、すべてが勉強時間になる
宿題を真面目にやってるからと安心している親御さん
漢字練習やワークをやってる時だけが
学校や塾で授業を受けている時だけが勉強時間だと思ってるお子さん
むしろそれ以外の時間になにを習得しているかが、
結局のところ、底力になっているのです
それ以外の時間にしていることが
せっかくの勉強時間を無にしている可能性があるのです
一生懸命ノートに漢字を書いているから
これで大丈夫、と
漢字力を完全に誤解している人が多すぎるのです
やればやるほど、力がつかない
興味を持つ隙を与えない
そんな勉強は妨げにしかなりません
いいえ、一生懸命書いているし、漢字練習は好きみたい
そうですね
好きなことなら素晴らしい
真面目にサボらず取り組む姿勢も素晴らしい
でも
漢字練習も計算練習も
たいして頭を使わない(思考力が不要な)単純作業を好むのは
よい傾向とは言えません
漢字練習は好きだけど、文章を読むのも書くのも好きじゃない
計算問題はできるけど、文章題は苦手
単純作業を押しつけることによって生じてくる現象です
子どもは本来、もっと自由に考えたいし、学びたい
でも
これだけやっておけ、といわれたら、真面目な子ほどそこに力を費やします
そして、いつか、自由に考えたり、学び取ったりすることに
力を使えなくなっていく
それが漢字練習の落とし穴です