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232.sense of wonderと理解力

昔から手放せないこの本、 これについては何度かこのブログでも書いてきたけれど…

2013年の投稿はこちら

子どもたちと山を歩いて、 庭で鶏を眺めて、 そして、

生徒からの質問の、数学の解説を書いている今、

勉強も、みんな、同じ、センスオブワンダーだよねえ…とあらためて思うのです

 

あれ、なんでだろ、って思うこと

説明を聞いて、読んで、ああ、そうか!って思うこと

ただ言われた通りに真似て解くだけじゃなく、

自分の頭の中で、納得するまで考えること

それをしていない場合、 本当に、理解するのは難しいと思うのです

 

いいからこのように解きなさい、と手本を見せられ、 真似て正解してマルをもらう

テストの前にテストに似た問題を教わり、 正解してマルをもらう

そんなことの繰り返しで、すっかりセンスオブワンダーを失った子どもたちは、

次も手本を見せてもらうのをただ待っている

しかも、学ぶことに興味はない

だって、ワンダーがないのだもの

なんでだろう、ってたっぷり思う暇がないんだもの

試行錯誤する暇も

 

学校の授業では、先生も工夫してくださっていて、

新しい単元に入った時にはあれこれと子どもたちと意見交換してくれる先生もいるようです

どのように考えたらよいか、教科書の例以外でも、何か思いつくことがあるかどうか、

問われることもあるようです

 

それでも現場の先生に聞くと、

前のめりで考える子と、そうでない子とくっきり分かれていて、

先生が話し始めると反射のようにあさっての方向を向く子や、

意識が飛んで果てしなくぼーっとする子が増えている…と

 

それは私も感じていて、

四半世紀この仕事をしていると、季節ごとに教室の子どもたちに話す定番の話なんかがあって、

毎年、楽しみにそんな話を出してみるのですが、

「あ、雑談が始まった」とばかりに意識を飛ばし、手悪さが始まり、

それでも聞いているならまだよいのですが、

全く最初から関心がない、という明らかな態度の子が、 年々増えているのは事実です

守ってもらいたい約束事の話などをしている時も同様です

ただ、「話を聞いて、考える」という、それだけのことが、できないような

逆に、私の目を見て、私の手の動きを見て、表情豊かに反応し、一生懸命理解しようとしている子も

 

こんな小さな教室でそうなのだから、学校の教室や如何に…

 

誰が何を話そうが、心を動かそうとしない

感じ取ろうとしない

センセーショナルな演出を加えれば、ともすると子どもたちの関心を一気に集めることが

できるのかもしれません

だから、実験教室とか、動画学習とか、そんなのが流行するのでしょう

でも、どうするのでしょう

世の中常に、サービス満点の、読み手を揺さぶるようなアクティブな刺激ばかりではありません

ただの文章だったり、 ただの書類だったり、 ただの計算式だったり、 ただの講話だったり、

何を読み取ればよいのか、誰も教えてくれない状態で、 読み取らなければならないのです

テレビや動画の見過ぎで、人の話なんか、刺激がなさすぎるのでしょう

 

 

木村さんの家から学校までの道のりは3.6㎞、学校から駅までの道のりは3.36㎞です。ある日、木村さんは7時15分に家を出て7時35分に学校につきました。その後15時34分に学校を出て15時50分に駅に着きました。木村さんは、家から学校までと学校から家までそれぞれ分速何mで移動しましたか。

(ちびむすドリルより)

 

これはごく一般的な算数の文章問題です

 

どんぐり問題をやっていると、こんな親切な文章問題はとっても簡単な問題に感じると思います

でも、このような文章問題を「難しい」と感じるとしたら、

それは、 やはり、読み取れないから

読み取ろうとしないから

いいえ、本人は一生懸命読み取ろうと努力しても、

脳があきらめてしまう

そんな子も何人も見てきました

 

ただ、その場面を思い浮かべればいい

往路と復路で距離が違うこと、 そして往路でかかった時間、復路でかかった時間も違うこと、

そして、問われているのは分速何m、という単位であること

ひとつひとつ読み取っていき、整理して計算していけば、 全く難しい問題ではありません

でも、ひとの話を最初から「意識を飛ばして」聞く耳を持たない脳は、

このような問題を読んでも読み取ろうとしてくれません

その子自身がいくら考えようとしていたとしても、 脳があきらめる方がたぶん、早いのです

「わかんない」という言葉が反射的に出てきて、

もう、その言葉が出てきたら、本当に、脳にはブレーキがかかります

 

無理矢理似たような問題を何問も解かせ、説明して、はい、同じように解いて、と言えば、

解ける子もいるでしょう

でも、ずっと付き添って、そのように導くことはできないし、

第一、根本解決にはなりません

結局、 テストの時はひとり、 入試の時はひとりなのですから

 

ただ、感覚が育っていないために脳が思考停止するしかない子どもを、

大抵の大人は責め立てます

「努力が足りない」

「やればできる」

そうじゃないんです

もう、そのような脳に育ってしまった

育ててしまった

だから、本人の努力不足とは違うんです

中学生になって、急に、成績が数値化されて、

突然「子どものせいにする」親たちが急増しますが、

声を大にして、言いたい

悪いのは、子どもじゃない!!

(あ、だから、子どもを責めないで。成績に、一喜一憂しないでね。

ありのままのその子を、愛してね、ってことです)

 

難しいことではないんです

これから子育てをする人なら簡単なこと

もう子育てが始まっている人も、今日から意識すればよいこと

 

センスオブワンダーを育てよう

 

大自然の中で全部を味わって歩こう

大騒ぎするんじゃなく、自然を妨害せず、ただ、お邪魔しまーす、という気持ちを持って

 

それが無理なら

近所を散歩しよう

 

それも無理なら

家で生き物を育てよう

 

それが無理なら

小さな植木鉢に、種を蒔こう

ベランダでいいから

窓際でいいから

毎日、水をあげたり、日に当てたりして、世話を一緒にしよう

それならできるはず

 

動画を見せてもダメなんです

バーチャルペットでもダメなんです

自然が教えてくれるのは、 温度、感触、におい、そして、体を震わせるほどの、心の動き

キャンプが流行していて、

自然体験も流行していて、

週末には群馬の大自然に向かう道路が都会の車で渋滞するほど

でも、車の中ではビデオを見せている

親は大自然のベンチに座ってスマホを操作している

なんならキャンプ場でも子どもたちはゲームをしている

自然が気持ちいいから、と排気ガスをまき散らし、ゴミを捨てながら

 

そんなことをするくらいなら、家で植木鉢に種を蒔けばいい

 

すでに、発芽くらいでは心が動かなくなってしまっている大人の方は、

いま、その状態で子育てするのはとっても危険だと自覚したほうがいいです

 

不安だからってあれこれ取り入れなくていい

 

ただ、子どもと一緒に味わうだけで、子どもは賢く心豊かに育ちます

ただ風のにおいを、

ただ葉の動きを、雲の流れを、

川のせせらぎを、海の波打ち際を、山道のたくさんの植物や生物を、

感じ取るだけ

 

特別な準備など、要りません

ただそこへ一緒に行き、ゆっくり過ごすだけ

子どもの目に映るものを、一緒に自分の目にも映すだけ

子どもが何か言うでしょう

ただそれを、受けとめるだけ

イベントじゃなくていい

むしろイベントじゃないほうがいい

(あ、DSSイベントは基本、何にもしません

ただ、大自然に遊んでもらいます

自然の中で大騒ぎするのが、あまり好きではない主催者でして

ただ、現地の動植物を大切に扱ってほしいな、という願いだけは伝えて…)

 

もし学校の授業を素直に聞き、理解しようと当たり前に努力し、

文章を読んで一生懸命考えるような子に育てたければ

 

人の話を聞き、文を読み理解しようとする、その感覚を育てたければ

 

道具を買いそろえてキャンプや登山をしなくてもいい

ただ山の近くに行って

ただ海の近くに行って

ただ風に吹かれてみて

ただしゃがんで砂や草を見てみて

子どもと一緒に

 

それがセンスオブワンダー

答えなんか探さなくていいんです

 

大人がそのsenseを磨くことで、子どもは今よりもっと、

幸せになります

だって、子どもだって自然の一部

どんな目をしてる

どんな声をしてる

今日、あなたに何を伝えたがっている?


《2018年 6月13日投稿》

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