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234.「わからない」を楽しむ

条々

一、諸国百姓、過多な、脇指、弓、やり、てっはう其外武具のたぐい、所持候事、堅く御停止候。

 

某中学校の中2の歴史の期末テストに、

秀吉の刀狩令の穴埋め問題が出題されました

てっはう(鉄砲)の部分が空欄で、適語を書き入れなさい、という

 

中学生の定期テストが終わると、DKRoomでは、「一次データ」のチェック、として、

問題と答案を見せてもらって、私なりに分析しています

点数はあまり気にしないのですが、その子がどのようにテスト前過ごしていて、

どのような問題にどのような答え方ができたか、またはできなかったか、ということを

分析しています

その後、Qノート(わからん帳)収録作業にかかるわけですが、

とにかく最初に答案を見せてくれる時の生徒たちの表情は、

次のテストまで冷凍保存しておきたいくらいフレッシュな悲喜こもごも

私がなにかしてやれることはないけれど、

今のその気持ちをちゃんと次に生かせるように、ノートは作っておこうね

そう話して、答案を返却するのです

一番大事なのは、その「悔しさ」

…たぶん、一生懸命準備して臨めば臨むほど、悔しいはず

あまり悔しがっていないとしたら、それは、本気で立ち向かっていないのだろうな

例によって、テスト予想問題などは作らないし、学校からの課題でめいっぱいなので、

とにかくその課題をなんとかしてから、鍛えておきたい部分、

不安な部分があれば私に要望するように、

とテスト前は構えて様子を見ています

四半世紀も塾の仕事をしていると、事前に配布されるテスト範囲表を見れば、

予想問題や、必ず出題される問題など、頭に描けますが、

それを生徒たちに最初から伝えることが

彼らの力をつけることと相反することであることは承知しています

「予想問題あります!」「的中してこんな高得点をとらせました!」

という塾の広告や看板をみるたびに、

そういう商法なのねえ、まあ、企業だから仕方ないんだけどねえ…と同業者ながら、

全く別の世界のように感じます

とはいえ、「テスト前だって特に勉強しなくていい」とは私は思いません

学校の先生からの出題範囲表と提出物期限は、

君たちへの挑戦状だぞ、と

どうせなら果敢に立ち向かって、堂々と挑んでいこうよ、って

それは、「よい点数をとるため」の努力ではなく、

これから先の人生、…高校入試などの大きな試験や、その他、

自分の前に課題が積まれた場合の、

自分の切り抜け方を模索するための、大切な練習期間だと話すのです

 

それでも、

私の前では「そうだ!よっし、やるぞおお!!」って目を輝かせていたはずの子が、

家に帰ると急にしょぼぼ~んとやる気をなくしてしまって、

あれよあれよとテスト期間に突入し、答案分析では「完全なる準備不足だわ…」

となる場合もあります

…っていうか、テスト前どころか、授業で習った時点で最初からわかっていなかったんじゃん!?

って、ばれてしまうこともあります

それで、とんでもない点数や、順位表がばーん!と出されて、

それをみた親御さんは…落ち込んだり、ショックで寝込んだり…(とまではいかないか…?)

テストの点数と、そのデータが、数値化されて、相対評価されて、

まるで、その子自身の値段をつけられて、価値を決めつけられて、

好ましくない成績の場合は、その子は「出来が悪い」と太鼓判を押されたような…

そんな錯覚に陥り、子どもを責めたり、自分を責めたり、

右往左往してしまうかもしれません

 

いやいや、

どこで目覚めるかはその子それぞれ

中学校のテストで人生が決まるわけではありません

人生が決まるとしたら、

そのようなテストの成績によって、親に人格否定されてしまうような、

そんな悲しい事実でしょう

そんなきっかけで、自分には価値がない、と子どもが親からの暗示で思いこみ、

いつか社会の荒波にもまれた時に、自分自身を見失うことになりかねません

 

わが子をそんな苦しみの渦の中へ、

追いやりたい親はいないはずです

 

「家に帰るとしょぼぼ~ん」の原因は、どこかにあるはずなんです

ただ単に、話を聞いて理解することはできても、

ワークブックや教科書の文面から生き生きと読み取ることが困難な子もいます

今、私が音読したりおしゃべりしたりしてそれをいつでも見聞できるような、

塾生だけでもそれを見て独学できるような、そんなものを作れないかしら…と

本気で考えていますが、

今、流行の動画学習とやらも、いかにも役立ちそうで実は脳にはしみこまない、と

先日ある脳科学者の講演を聴いて、確かに…と思う部分もあり…

(ほら、スマホで検索したことってすぐに忘れるけど、試行錯誤したり、

みんなで本で調べたりしたことは忘れない、みたいな)

 

それで、DKでは、教室に来ている間は、できるだけ、議論したり、試行錯誤したり、

そんな風に時間を過ごしているのです

 

それで、刀狩令に戻ります

その子は、その空欄に入るのが「鉄砲」なんじゃないかな、と漠然と思ったものの、

現代の銃の保持率を思い出したり、当時の百姓と銃、という絵が浮かばなかったりして、

躊躇して、別の言葉を入れてしまったのでした

 

そこで、その子が進化し続ける脳を持つ子である特徴として、

「本当に鉄砲を持っていたんでしょうか」と私に尋ねてきたところです

確かに、

豊臣時代の百姓が、どれだけ銃を持っていたのか…私にもイメージはわきません

ただ、ポルトガル人が種子島に持ってきた鉄砲は、その後も南蛮貿易で輸入され、

日本の鍛冶屋さんも作れるようになり、どんどん普及していくのですが…

そこまでは歴史の専門家でもない私にわかる限界でした

でも、そこからさき、「百姓の銃の所持率」については、

どんな資料集にも載っていないのです

新美南吉の『ごんぎつね』では、兵十は最後、ごんを火縄銃で撃ちます

…兵十は確か百姓です

でも、銃を持っているのですね

あの物語の時代設定はいつなのだろう…

挿絵ではちょんまげしてるし…お歯黒とか出てくるから、江戸かなあ…

居合わせた生徒たちと話しますが、みんなわかりません

 

ここからが、私の宿題になります

インターネットや、書籍で、調べるだけ調べ、その後、中学生向けの解説を書き、

翌週に渡します

私への宿題は毎週課されます

 

実は、刀狩以降も百姓は、鉄砲を農具として所持していたそうです

特に、17世紀後半からは農機具が開発され、農耕地も拡大され、

そこから問題になってきたのが、

害獣駆除、だったのです

そう、百姓にとって農作物を荒らす野生生物たちは、鉄砲でやっつける対象でした

それが、百姓にとって鉄砲が農機具だったと言われる所以です

今とちがって、鉄砲を所持するのは簡単なことでした

ある村の記録が残っていて、283戸の中で82挺もの鉄砲が

結構な割合です

江戸時代には、武士より百姓の方が鉄砲を所持していたと言われているそうです

武士の鉄砲は城内で保管されていますから、簡単には持ち出せません

百姓は農具として家の中に置いていたわけです

ただ、19世紀までは

「鉄砲相互不使用原則」というものが、しっかりと守られていて、

武士も、百姓も、決して相手に鉄砲を向けなかったそうです

どんなに重い年貢を課され、生きていくのもやっと、という状態になって、

ついに一揆を起こす時も、決して鉄砲は人にむけなかったそう

…19世紀までは…

 

ハンターさんが銃を所持するために受験する試験のためのテキストには、

日本で銃が普及していない理由は、秀吉の刀狩令のおかげです、

というような記述があったそうですが、

実は、それは間違った常識のようです

だって、その後、少なくとも江戸時代には、

3戸に1挺くらいの割合で百姓の村に鉄砲があったのですから

それじゃあ、今のように、勝手に銃を保持しなくなった、

それどころか、無許可で持ってるだけで犯罪、ってなったのはいつ…?

ここからは私の好奇心でした

なんと、銃に関する法律が整ってきたのは第二次世界大戦以降だそうで

1965年に銃砲刀剣類所持等取締法ができ、それを改正しながら現在に至る…と

それでも、時々起こる、銃を人に向ける恐ろしい事件を知ると、

銃を農具として所持していた百姓が、

どんなに苦しくても決して人には向けなかった、という時代の人々のことを、考えてしまいそうです

 

私は全科目サポートしていますが、

全科目それぞれの、専門家と比べたら知識量はとても少ないと思います

だから、私が生徒たちに何か「教えて」あげられるとは思っていません

私はただ、生徒たちと一緒に考えたり、

こうして、離れている間にも、彼らならこれをどう考えるだろう、と何か提案することを考えたり、

生徒からの質問を持ち帰ってできるかぎり調べてみて、

それを次の回で話し合ったり

そんなことくらいしかできないのですが

 

私が子どもの頃、この役目は父がしていました

夕食の後、私がなにか質問すると、父はすぐに地図や百科事典を食卓に広げ、

調べて、読み上げながら、ああでもない、こうでもない、と話してくれました

父はそもそも博識で、雑学王!と子どもながらに尊敬していましたが、

たぶん、私が受け継いだ部分は「調べてみたい」という好奇心や意欲だと思うのです

そして、実際に私が子どものころは、目の前で調べる姿を見て、

どうやらあの分厚い本に大事なことがたくさん書かれているようだ、と知ることになります

重くて子どもには持てないくらいの百科事典ですが、

持てる年齢になるとしょっちゅうひとりで引いては読んで、

周辺の関係のない項目を読んだり、挿絵だけ追って読んだりして遊んでいました

 

たぶん、スマホで調べたことが定着せず、辞書で調べたことが定着するということではなく、

議論すること、またはひとりで調べているにしても、その脈絡や歴史まで追究して調べ尽くすこと、

そういう「姿勢」がキーなのだと思います

 

子どもに何か質問されて、それをスマホで調べたとしても、

子どもが積極的に調べたがる子になるようにするには、

スマホの画面を見せたり、タブレットを渡したり、そう安易にするのではなく、

…せめて、少し演出を加えたらいいと思います

たぶん、スマホで調べても、「お父さん(お母さん)すごい!」と思う子どもはいません

でも、百科事典と辞書を並べてあーだこーだ説明してくれる父を、私は、

すごい!って思いました

あんなに重い本で、あんなに小さな文字なのに!!って(笑)

 

前述の生徒は、言葉の意味がわからない、くらいのことは自分で国語辞典で調べていますが、

それ以上の「わからない」になると私に投げかけてくるのです

もっと知りたい、ちゃんとわかりたい、という気持ちが、いつも研ぎ澄まされている感じです

 

私は毎週、宿題を、うきうきしながら書斎に持ち帰ります

わからないから勉強する

わからないことを前向きにとらえることができれば、

その子は確実に、伸びます

 

私が毎年「わからない」からなんとかしたいな~と思う1番の大きな宿題は、

「わからない」を楽しめず、逃げてしまう生徒をどうするか、ということです

私は決してあきらめない

だから、あきらめないでほしいな

生徒さん本人はもちろん、

親御さんたちにも

《2018年 7月3日投稿》

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