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142.わからないから、さがすのです

たぶん、習慣なのでしょう

ボタンを押せば出てくるのが

黙っていても買い物ができるのが

蛇口をひねれば飲める水が出てくるのが

百均でなんでも簡単に買えるのが

座席に座れば目的地に運ばれるのが

座っていれば食事が出てくるのが

言われたことをしていれば

生活は滞りなく流れ、叱られることもないのが

 

たぶん、習慣なのでしょう

学校ではよくわからないまま授業が進み

よくわからないままドリルをやらされ

使い方もわからない漢字練習をさせられ

それをちゃんとこなすことが「よいこ」のあかし

わからないから進まないのに

わかっているからめんどくさいのに

ちゃんとやりたがらないと「わるいこ」と注意される

先生にも、親にも

ちゃんとやらないからなんちゃら教室に放り込まれる

さらにさらに型にはめられ、自由は奪われる

 

自分のやり方でやってみたい、なんて好奇心も

全てにおいて消し去られていく

子どもたちの最初の「生きがい」である「遊び」にまで

それは浸透している

最初から遊び方が決まったおもちゃがどんどん与えられる

開発のスピードと同じくらいの速さで、

加速度的に飽きられていく

気付けば家にはおもちゃの残骸

それは電子ゲームにとってかわる

ソフトは小さくなってかさは減ったものの、

遊び方が決まっている、という時点で

子どもの自由が奪われるのに変わりはない

もっと奥深い部分で、子どもは脳内の自由さも奪われていく

 

高学年になると学習面での優劣がはっきりとしてくる

中学入学が近づくと、親はその心配をあからさまにし出す

さあ、どうしよう

 

ここで「自主性」の押しつけが始まる

 

どうして?生活習慣は小さい頃からの積み重ねでしょ

土台がないのに急に言われてもわかんないよ

自分で考える、ってどうしたらいいの?

自分から始める、って何を始めたらいいの?

 

たくさんの中学生の困惑が渦巻いているのが見える

それでも無理にいろんなことを押しつけられる

大人はどんどん威圧的になり、

先生は恐怖の存在

「内申に響くぞ」

 

先日、とある会場で数百人の中学生を見た

議事が始まるまで10分ほど

水を打ったように静かだった

ある人は褒め称えた

ちょっと皮肉にも聞こえたが

ある人は中学生の間を歩き回りながら、少しでも姿勢が崩れたら注意した

わたしは

ゾッとした

 

同じ会場で、親が集まる日があった

わたしは都合で小学生の次女を連れて行かねばならず、

事前に会場に確認した

「静かにできるなら」と許可をいただき、小学生を連れて行った

「静かにしろ」と叫びたくなったのはわたしたち親子の方だった

うるさくて全然話が聞こえない

うるさいのは親たちだった

 

紛れもなく、親子である別集団のこの2つの、

別の日に行われたこれらの行事が

全て物語っている気がした

 

大人に威圧され、いいなりになるしかなく、

一見、褒められるべき行動をとっている中学生

でもそこには、

始まる前まで少しは気を抜いていても、

議事が始まったらちゃんと姿勢を正して話を聞こうとか、

話している人の顔をよく見て内容を聞き取ろうとか、

自分から考える必要などなく

ただただ、「ここではこうしろ」と命じられたとおりにしているだけ

心から「黙って姿勢を正しているべきだな」と感じてそうしている子は

ほぼいないはず

そんなことを考える余地も与えられず、

こんなときどうしたらよいかなんて、実体験は乏しい

体験する前に、規制されるのだから

 

一方、子どもの体裁ばかり気にしている親の方は中身がないのだ

前で誰かが話していようが、授業参観だろうが、演奏会だろうが、

自分が話したいから話しているのだ

もう「内申に響く」なんて脅されることもないから

(親の私語は子どもの内申に響く、とでも脅せば静かになるかしら)

 

心がない

そして、自分で考えようとしていない

 

親がそうだから、子どももそうなんだ

と思うしかない

 

かわいそうに、まだ自分勝手に騒ぐことが許されない子どもたちは、

そんな親の勝手な態度をどういう風に見ているのだろう

 

おしゃべりが止まらない背後のご婦人方のその日の注目の話題は

塾の夏期講習

のようだ

 

やれ、あの塾のがいいらしい、

うちの塾のは高いけど、高いなりに熱心に見てくれるらしい

あそこは割引制度が…

 

ご自分が通われるのでしょうか

やたら詳しい

 

全然勉強しないから覚悟して放り込もうと思って!!

部活が終わったら朝から晩まで塾にでも行っててくれないとどうにもならない

 

塾講師歴23年のわたしから言わせると

そんなことを言っている親御さんの子で、

夏期講習を生かせた子はいません

夏期講習どころか、入試まで成績も、親子関係も先が見えてしまう

 

身についてしまった生活習慣は根強く、

いくら「今日から頑張ろう」って子どもが思ったって、

簡単には変えられない

だって、生活も、遊びも、

「誰かが決めてくれた」「誰かが作ってくれた」ものばかり

宿題も、塾も、「誰かの言いなりになって」していただけなんだから

 

「なかなか勉強しようとしない」

「自分からやらない」

とわが子に文句を言いたくなる前に、そこのところを考えてみてほしい

誰のせいなのか、考えてみてほしい

 

もう、いちいち親のせいって言わないで!!!と泣きたくなったなら、

もっともっとつらい思いをしているわが子のことを少しだけ想像してみてほしい

 

全然別の話になるが、とある親からの相談を受けた時に衝撃を受けたことがある

学校の宿題と、先生からの暴言に、壊されかけているお子さんの相談だった

わたしなら間違いなく、学校に抗議に向かうか、学校を休ませるか

まずは行動に移すのだろうが、

ひとしきり自分の不満を打ち明けられた後そのような助言をすると、

「でも…」

要するに、学校にどう思われるのか怖い、

しかるべき機関に電話するよう勧めると、

以前に電話をした時に応対した人の態度が悪くて、怖いからできない

親の保身………

どんなアドバイスをしても、全ては「自分がかわいい」に繋がるその親の話は

これが本当に「親」なのか?と疑うしかないようなものだった

 

その子はその後どうなったのか、知らない

 

間違えていたなら今日からやり直せばいい

手遅れ、って思った時点で全てが終わる

だからこどもは「わからない」と言って手を止めるんだ

どこかいい塾を…と模索している時点で子どもの進化は望めない

だからこどもは「ヒントちょうだい」「何算で解くの?」と聞くんだ

 

わからないから模索する

模索するから迷う

迷うから道筋がいっぱいできる

道筋がいっぱいできるから

いろんな場面で、いろんな対処ができるようになる

 

小さいひとたちと暮らしている人はそんな意識を

もう大きくなっちゃった人たちは自分でそんな意識を

 

模索しなくていい機材が

周囲にありすぎますね

すぐに答えを教えてくれる

でもそれはホントに「答え」なんでしょうか?

「答え」が出ることが、全てなんでしょうか?

そのあたり、勘違いさせられていることに、気付きませんか?

 

どうかどうか、人間として、基本的な生活を大切に

目先のことで不安にならず、人間として親元でわが子が

どう育っているのかだけに着目して

 

親も迷って探すのです

そしたら子どもも同じように自分の力で生き抜くでしょう

《2016年 7月1日投稿》

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