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213.雪が降ったら

明日は関東の平野部にも雪が積もるかもしれない、という天気予報

月曜日は放課後どんぐり

みんなで雪遊びができるかな

 

毎回、授業の前に読み聞かせか、ゲームをしていますが、

先週たまたま読んだのが『ゆきおんな』

 

その前の週に読んだのは、最近買った新しめの絵本で、

私は「たまにはこういうのもいいかな」という軽い気持ちで選んで買いましたが、

こういう、古い絵本と比べると、

申し訳ないけれど、言葉や絵の重みが違って、

この絵本の場合は特に、内容も内容だけに、すごみがあるのです

1969年 第1刷

2016年 第50刷

私がうまれる前からある絵本

松谷みよ子さんが文を書き、

舞台芸術家で画家の朝倉摂さんが絵を描いています

 

最近は小学校での読み聞かせ活動が盛んなせいか、

子どもたちは絵本をよく知っていて、私が新しめの本を選ぶと

「それ、知ってる!」と言われることが多いです

たぶん、本当は知らないんだろうな、という子まで、

「それ、知ってる!」って言うんですけど(笑)

「そうなん?じゃあ…読むのやめようか」ってわざと言うと、

「ううん、読んで、読んで!!」って、もう、可愛いんだから

 

ところがこの絵本を知っている子はほとんどいませんでした

「ゆきおんな」といえば、日本の「妖怪」に分類される存在で、

名前は知っていても、わざわざこのような表紙の本は大人も子どもも、

手にとらないのかもしれません

 

しれ~っと読み出したクラスもあれば、

「こわい話…」と前置きして集中させなければならないクラスもありましたが、

2ページほど読んだあたりから、子どもたちは息でも止めているのかな?というくらい、

真剣に、なんともいえない表情で、引き込まれている様子でした

それは、どのクラスも…どの学年も…

 

私は、読み聞かせの時は子どもたちの方を見ないようにしています

以前、読み聞かせの勉強をした時には、

読みながら、子どもたちの表情をちゃんと見るように、と教わりましたが、

今は、なるべく顔を絵本からそらさないようにしています

そりゃあ、子どもたちがどんな顔で聞いているか、どんな反応をするのか、

見ていたいんですけど、でも、

私が顔を向けると、私の顔を見てしまうし、私の表情を気にしてしまいます

読む本は、時期や、その日の気候、タイミングに合わせて厳選しているので、

私はとにかくナレーターに徹し、

絵本と子どもとの間に流れる時間の邪魔をしないように気をつけているのです

そのくらい、絵本の力を尊重し、信じています

私なんぞにできないことを、絵本が代わりにしてくれる、というくらいに

そのためには、大げさに読んだり、パフォーマンスを交えたり、

読む前や読んだ後に説明や質問をしたりするのは禁物です

ただ、ただ、淡々と、あくまでも日常生活の一部のように、

ひたすら、本を読み聞かせます

 

子どもたちが息でも止めているのか?と感じたのも、顔を見たからではなく、

教室がそういう「空気」になっていったからです

 

遭難する猟師親子、

命を吸い取る雪女…

そんな怖い話が、美しく真剣で神秘的な絵と、地に足のついた言葉遣いで

ずんずんと語られていきます

絵本の勉強で、「セリフに抑揚をつけるな」「声色を変えるな」と教えられたこともありますが、

私は、どうしても演じてしまいます

それでも、男の声は低めに、女の声は高めにいうという程度、

スピードと、高低を使い分ける程度ですが

 

1年後にまた現れた雪女に、

男は、命を吸い取られてしまうのだろうか

文字通り、息をのむ展開です

 

でも、

子どもに媚びるような絵ではなく、日本画のように淡々とした無表情に近い絵で、

驚いているのか、怖がっているのか、寂しがっているのかも、

個人の解釈に委ねられています

 

…どうして雪女は…消えてしまったの?

 

不可解な終わり方で絵本は閉じられます

大人の事情なのです

切ない、雪女の恋の話なのです

 

絵本がどれだけの力を持っているか確かめるには、

こうして子どもたちの前で真剣に読んでみるといいのだな、と感じます

絵が全てを語ってしまう絵本もあるし、

せりふがわかりやすく登場人物もかわいくて親しみやすいものが最近は多いです

子どもが書店や図書館で手に取るのや、

大勢の子どもを相手に読める本を

一生懸命探してくださる読み聞かせボランティアの方などが選ぶのも、

「とっつきやすい」絵本が多いかもしれません

 

この絵本の中で

おとっつぁんが亡くなったことが読み取れる表現は

「もさくの いきは たえておった。」

そして、

「村の人たちに もさくが しんだことを しらせ、

なくなく、のべの おくりも すませた。」

とあるのです

この辺りを読みながら、

「いきはたえていた、ってことでおとっつぁんが亡くなったとわかるだろうか」

「のべのおくり(野辺送り…遺体を葬儀場まで運ぶこと)の意味はわかるだろうか」

と、0.1秒くらい、よぎるのですが、

誰も「どういう意味?」なんて聞かないのです

私も、もちろん中断して説明するなどしません

読み終わった後に質問もされなかったし、理解できたか確認するようなこともしません

 

何度も比較して申し訳ないけれど

先週読んだ本は、ファンキーな今時の絵本で、

たまにはこういうのもいいかなあ、とは思ったけれど、

読んでいる最中、子どもたちは笑うし、つっこみを入れるし、

私の表情と絵本とを交互に見ているような…そんな気もしたし

とにかく「ノリノリ」で聞いていて、一見、「いい感じの読み聞かせ」のような

端から見れば、そんな風にも見えたかもしれません

 

でも、

打って変わって今週読んだこの『ゆきおんな』で、あらためて、

絵本の力と、子どもたちの本来の心の豊かさや、賢さを垣間見た気がしました

 

意味のわからない言葉が出てきても、大丈夫なのです

もし、尋ねられたら、知っている限り、答えてあげてもいいけれど、

わかっているかどうか、なんて、そんなに重要ではないのです

いつか、全く別の場面、別の状況で、また同じ言葉に出会い、

「ああ!」となることがあるかもしれません

「よくわからなかったなあ…」とたいして思い入れもせずやり過ごしても、

いつか、全く別の場面、別の状況で、

「この光景どこかで…」と

思い出すかもしれません

 

必ず、子どもの心のどこかに、こういう絵本は残り続けます

わははー!と一緒に笑える絵本は絵本で、残るかもしれないけれど、

大人が想像するのとは全く別の状態で、

こういう絵本はきっと、子どもの心を揺さぶるのです

 

私は映画が好きで、できれば毎日1本は見続けたいけれど

今はそこまでは不可能なので、

ひと月に4本くらいのペースで色々な映画を見ています

それでも、全く見ることができない時期があって、そんな時、

映画にとってもお詳しい素敵な方に出会って、

久々に、映画の話ばかりして盛り上がったあとに、

「やっぱり映画を見よう」と、まずは「月4本」から再開したのでした

映画はたましいを揺さぶる、と

どんな映画を見ても感じます

もう、若くはないので、主人公に憧れたり、真似しようとしたりはしませんが、

ただただ、映画の話にその時だけはのめり込み、

泣いたり、笑ったり、怖がったり…考えさせられたり…

ただそれだけなんですけど、

その時の心境はまさに、

心の容器に静かに溜まっていただけの水を、

底の方からぐわっと掻き上げて、ぐるっと混ぜるような、

そんな感じです

容器を誰かが両手で持って、ゆさゆさっと揺さぶる、

そんな感じです

 

揺さぶられた心は、

新しいことを思いついたり、

さっきまで考え込んでいたことに別の視点を加えたり、

とにかくまあ、揺さぶられただけのことはあるな、という変化を見せます

 

非日常だから

創作だから?

 

子どもにとって、絵本も、

日常とはかけ離れた別世界を経験させるのと同時に、

子どもの心の中をくるくるとかき混ぜる役目があるのではないかな、と感じます

 

さて、

明日はこの町にも雪が積もるでしょうか

放課後どんぐりは、たまたま、市街地の公園を予定しています

積もっていれば雪遊びになります

濡れてもいい服装と手袋、長靴かスノーブーツで集まりましょう

暖かい晩ご飯と、お風呂をわかして、迎えに来てくださいね

 

公園だけでいいから、少し積もるといいな


《2018年 1月21日投稿》

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