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133.子どもたちにかけられた暗示

長年、こんなことばかり考えていると、

目の前で子どもに起きている現象が

それはもう、はっきりと、形や色までついて見えてしまうような

そんなときがあります

特に、

最近は生徒さんの人数が多くて、

いろんな子に毎週、必ず、会える、という

定点観察…というか、その子自身の数年の変化、進化、

そして、

親御さんとの付き合いも長くなると、

なるほど~そういうことか~と、突然見えることも増えるのです

形や色まで見えるというイメージは、

わたしの持つ独特の感覚なのだと思います

どうしてもなんでもイメージ化してしまうので

こういう表現になりますが、

もっと具体的に言えば、

なぜこの子はこうなのか、という理由が、

はっきりとわかる瞬間がある、ということです

これは、

職業病、というべきか、プロの技、というべきか

とにかく

自分自身も年齢を重ね、経験を重ね、ありとあらゆる出会いと別れをくり返し、

こういう目を持つようになったんだろうなぁ、と

感じるほかありません

 

親御さんはたいてい、もちろん、

たとえばわかりやすく言えば子どもの問題行動や成績のよしあしについて、

まずは自分の責任だ、と思う方は少ないです

それどころか、子どもの努力不足や知能の低さなどを疑って、

「やればできる」

などと無責任な言葉で子どもを責め続けています

 

わたしとしては、最初からその子の特徴を見つけて分析していますから、

言葉がけも、教材の扱い方も、

実はちょっとずつ、生徒さんによってカスタマイズしています

実はすごく、すごーく、繊細で、大切な気遣いなのですが

それは私が生徒さんにとって他人であって、

毎日一緒に暮らしているわが子とは違うからであって、

自然と、

週に一度しか会えない小さな恋人たちのように

この時間をいかに有意義に、大切に過ごすか、ということに、

当たり前のように神経を使っているのです

こんなことを言葉にするのはなんだか嫌になってきて、

お笑い芸人さんが「今のネタがどうして笑えたか」を説明しているみたいな

そんな気分になってきたのでいますぐ記事を削除したい気分ですが

(ここ最近そんなことばかりしていました…)

がんばって書き続けるとします

 

さて、実はただ一緒に笑ってふざけているだけ

または、問題をしている時はただ黙って見てるだけ

みたいに見えるわたしですが、

こつこつ、こつこつと、

子どもたちひとりひとりとの信頼関係や、

人間同士として当たり前の関係を築きながら、

その子自身の心の豊かさや、思考力をいかに伸ばすか

(正確には、自然と育つことをいかに邪魔せずそっと導くか)

ということを

かなり真剣に、深刻に、丁寧に、全身全霊で、毎日やっているのです

 

これは、

すごく当たり前で簡単なようでしょうけれど、

実はとても困難な方法なんだと、

年度替わりのこの時期の、わたし自身の心身の疲労具合を見て、思います

 

そして、これをさらに困難な方法にさせるのが、

「子どもたちにかけられている暗示」です

 

わたしよりずっと、

子どもたちに近い存在が最低でも2つ、あります

それは、学校の担任の先生と、親御さんです

 

もっと、もしかしたら、祖父母の方や、他の習い事の先生など、

その子への影響力を持った近い人物がある場合もあるかもしれません

 

でも、間違いなく私との週1の時間よりも

長く、濃い時間を子どもたちと過ごしているのが、学校の先生と親御さんなのです

 

その存在が、

わたしと同じように、子ども本来の心や頭脳の自然な成長を大切に思い、

かける言葉や見せる態度を少しでも意識してくださっていれば、

週1で、会う度にまたリセットされている…という状態は避けられるのだと思います

 

わかりやすく、具体的な例を挙げると、

A君は大抵遅れてきて、まず黙って部屋に入ってきて、

かなり乱暴にバッグや文具を音を立てて置き、

鉛筆の持ち方、線の引き方、全てが「雑」そのもの

わたしはわざとゆっくりと優しい言葉をかけ、

心の中で「なにがあったのかな~」と思ってはいても理由は聞かず

ただ、いつもと変わらない態度で見守るのみ

なかなか取りかからなくても何も言わず、

ただ、他の子に影響するような言動がない限りは、

「大丈夫だよ~ 落ち着いたらでいいよ~」と

心の中でなだめるのみ

特に言葉はかけません

時間とともに、A君は思い出したかのように「いつもの」感じに戻っていきます

もう、時間も終わりに近いです

でも、

急に一生懸命考え出します

わたしはただニコニコ見守っています

ずっと、同じ態度で

「できた~!」と嬉しそうにわたしの顔を見るA君は、

部屋に入ってきた時とは別人です

そうして、挨拶もせず、乱雑に入ってきたA君は、

「おじゃましました~ありがとございました~!」と

ちゃあんと机を整えて、にこにこ手を振りながら帰って行きます

…と、毎週同じです

わたしとしては、この別れ際のA君が「ほんもの」のA君だと思っています

穏やかで、優しくて、一生懸命な、A君

でも、翌週、また仏頂面で、乱雑なA君から始まります

 

もったいないなあ…と思いませんか

要するに、

毎週毎週、リセットされていて、また、いちからのスタートになってしまうのです

 

なにが違うのでしょう、また別の例を書いてみます

 

B君は「こんにちはーーっ!」といつも元気に入ってきて、

「せんせい、せんせい、あのね!!!」と

1週間分のわたしに話したいことをはじめる前にできるだけ伝えるぞ!という

きらきら、くるくるした目がかわいくて60分間ずっと聞いていたいくらいです

ぎりぎりまで遊んできたのか、ほっぺも赤いし息も切れているんだけど、

よっし、はじめるか!となるともう終わりまでほとんど喋りません

「もっと難しいのやりたい!」と

挑戦する気持ちが芽生えてきたのも最近

「どうせなら最初からこういう風に描いていこう」などと独り言

自分で工夫して、整然と絵図を描くようになっています

1年前とは別人です

毎週、毎週、どんどん子どもらしく、どんどん生き生きとしてくるB君

 

ふたりとも、低学年の男児です

 

なんとなく、背景に見えるのは、

つい1時間ほど前までいた学校で何をしていたのか、何を言われたのか、

学校からの帰り道、そして、お母さんに車で送ってきてもらう間に、

何をしていたのか、何を言われたのか

そう、私より彼らに近い2つの存在、学校の先生と親御さんが、

この子にどんな言葉をかけ、どんな態度を見せたのだろう、ということ

 

あー、ばーちゃんちでテレビ見てたんだな

あー、スナック菓子かカップ麺かなんか食べてきたんだな

あー、怒られながら連れてこられたんだな

あー、車を降りる時に「ちゃんとやりなさいよ」「がんばって」などと言われたんだろな

そんなのはまだわかりやすい方です

そして

あー、学校から帰って、一息ついて、お母さんと笑いあって安心して来たな

あー、ぎりぎりまで外で走り回って楽しんできたな

あー、このあと宿題やらなくちゃとかいう心配してないな

あー、お母さんが台所でたてていたいいにおいを思い出して幸せそうだな

あー、今日はお父さんが休みで、嬉しくて仕方ないんだな

なんて

こっちも幸せになってしまうくらい、

子どものためにナチュラルにがんばる親御さんの影もちらほら

 

そのくらい、明らかに、違うんです

 

とにかく、なにかよい言葉掛けをしようとか、

なにかよい行動を示そうとか、

そういう足し算を考える前に、

絶対に、言ってはいけないこと、してはいけないことを

もう一度確認して意識して気をつけていただきたいのです

 

学校の先生にも申し上げたいけれど、

…集団の子どもをまとめるってそりゃあ困難なのでしょう

だけど、だからこそ、絶対に言ってはいけない言葉や、絶対に見せてはいけない態度を

あまりにも、出しすぎていると思うんですけどね…

それを、全く気にもせず、研究もせず、一度教室に入ったら自分の城、

問題が起こらなければ監視もされず、

特に低学年なら子ども自身が疑問に思うこともなく従いますから、

自身の言葉や態度を振り返るチャンスもないのがよくないところ

多くの家庭の宝、子どもたちを預かる教育者として、

そんな甘い環境で城主に君臨して満足しているのは、

よくないと思うんですけどね…

…というか、子どもたちの一生を左右するような、

そんな現場である自覚をもって、自分の一挙手一投足を日々省みて、

謙虚に、勉強、研究し続けることが義務だと思うのですが…

まあ、管理職にもよりますよね

斎藤喜博先生のような校長先生はもういないのでしょうか

(学校の教師で、斎藤喜博を知らないとしたら失格だと思います)

大学を出てすぐに、「先生」として城を持つのですから、

そこで、勘違いせずに学び取ろうとするか、君臨するか、で、

先生の一生も変わるのでしょう…

 

と、

今回は親御さんのために、

わたしが気になる「子どもに暗示をかける言葉」集を最後に

すべて、実体験に基づきます

すべて、子どものいる前で

 

(わたしに対して)

・きょうは疲れているのでちゃんとできないかもしれません

・この子ほんとに暗記力がなくて

・だらしがなくてやる気がないんです

・気が弱くてたぶんダメだと思うんです

・こういうところがダメなんです

・昔から要領が悪くて苦手なんです

 

等々、子どもの欠点を子どもの前で

また、「疲れている」「こういうところがある」など、まるで自分のことのように代弁しますが、

長年見ていて、大抵それは親御さん自身の言い訳であり、子ども自身の思いとは違っています

 

(子どもに対して)

・もっと自信を持ってね (今、自信を持ってないね。と伝わる。)

・がんばってね (今、がんばってないね。と伝わる。)

・やればできるよ (今、やってないし、できてないね。と伝わる。)

 

等々、親としてかけるべき優しい言葉、と勘違いされていますが

( )内のように解釈されていることは実はよく知られています

とにかく子どもはこういう言葉を欲していません

ただ、子どもは優しいので、親御さんがなんとか子どものために、と思って

これらの言葉を自分にかけることもわかっています

だから、「うん、がんばるよ!」「うん、やればできるよね!わかった!」などと、

健気な態度を見せるかもしれません

 

いずれにせよ、これらの言葉はほとんどが、

大人の勝手な言葉に思えてなりません

こんなひどいことをたくさん書くのは初めてかもしれませんね

今、「ひどい…」と胸をえぐられている方も多いかもしれません…

でも、

子どもたちの小さな胸は、もっと傷つけられています

もっと、追い詰められています

もう、そんなこともわからないくらい、麻痺しているかもしれないけど、

元来、優しくて、あったかい、子どもたちは、

大人たちのちょっとした言葉で、

ねじ曲げられ、カバーをつけられ、素直には、まっすぐには、

出てこないくらいになってしまっています

 

動物愛護団体の方々が、過剰な反対行動をおこしているのを見ると

わからないでもない…けど複雑な気分になります

でも

今のわたしは、子ども愛護家?子ども擁護家?子ども研究家?として

どうしても、子どもの立場ばかりを、考えてしまうのです

過剰な言動だと、たとえ思われても

 

わたしもまだ子育て中の親ですし、

立場としてはみなさんと同じ、大人です

でも、子どもは自分たち自身で、

自分たち自身が置かれている環境を客観的に知ることはできないし、

違っている!と訴えることもできません

「それぞれの家庭に方針があって、それぞれに考え方があるから」と

言う方もいますが、

わたしの役目は、

ただ、わが子だけを育てながら語っているのではなく、

20年以上たくさんの子どもたち(親御さんたちとも)と接してきて、

子どもっていうものが好きで、子ども研究が大好きでずっと勉強してきて、

それだからこそ見える物、わかること、

そういうものをこういう視点で発信することなんじゃないかな、と最近、

覚悟を決めているところなのです

 

わが子だけを育てる

それが普通の親です

でも、

痛いところをつつかれるのを避け、自分を省みることもせずにただただ

自分の価値観だけで知らずに子どもを傷つけたり、退化させたりしているかもしれないとしたら

それは、

誰にも監視されない城の主と

同じではないでしょうか

《2016年 3月14日投稿》

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