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128.自然遊び企画第4弾 県民の日に歩いて遊びに行こう!

去る10月28日(水)は群馬県民の日でした

(去りすぎ…)

学校はお休みですが、大人はお休みじゃない人がほとんどです

どんぐり学舎では「この指と~まれ!」てな具合に、

一緒に遊ぶ人を募って、徒歩で行ける大きな川辺の公園へ遊びに行きました

親御さんは仕事なので、子どもだけを送ってきた方がほとんどでしたが、

何人かの親御さんは一緒に来てくれました

(自然遊び企画では、一緒に遊ぶ!という気持ちの大人のみ参加可能です)

 

川辺の公園まではみんなで歩いたら40分かかりました

特に自然豊かな道を歩いていくわけではないけれど、

歩きながら普段は気づきもしない、気にもしないことを次々に見つけて

笑ってばかりの子どもたち

ちなみに、面識のある者同士ばかりではないのです

初対面の子どもたちもいます

大人企画なら、自己紹介のゲームからスタートしてもいいのですが、

そこは「自然遊び」

人間関係も「自然にね」と、わたしは特に構えずにいました

でも、慣れていないのか、知っている子とばかりつるんでいる子どもたち

知らない子に声をかける方法を知らないんですね(経験がないのです)

年齢の違う子と、交流する機会が少ない子もいます

そして、なにより、

体をつかって遊ぶ経験が全体的に不足しています

 

ボールを蹴ったり、遊具で遊んだりするのは楽勝です

長縄も持っていきました

みんな経験があるし、言葉も交流も特に要りません

だから、あえて、

「人間狩りやろう」と

わたしが提案してみました

それは、「大人数でしかできないけど、すごくおもしろい遊びなんだ」と

わたしが娘たちに以前話していて、

「明日は絶対 “人間狩り” やろうね!」と娘たちに頼まれていたからです

20人弱の子どもでは、あまり盛り上がらないかもな~という不安はありましたが、

結果的にはなんらかの突破口にはなったようでした

人間狩りとは、ただただ、ふたてに分かれてお互いを「狩る」だけの単純な遊び

大人や大きな子も、小さな子がよってたかってねらえば狩ってくることはできるし、

でも、油断すると後ろからひょいと狩られててしまう小さな子

わたしが子どもの頃、よく、たぶん、100人規模での人間狩りはよくやりましたが

ここでも少子化の寂しさが…

でも、ぎゃあぎゃあ、なんだかんだで次の遊びへと展開していきました

夏に川遊びをした子たちも、参加しなかった子たちも、

やはり川辺に下りるとその流れと美しい川砂に魅了されていました

土手があるので、段ボールもたくさん持っていきました

どうやったらうまいこと滑れるか、立ったまま滑れるか、

それぞれが挑戦していました

風の強い中、持ってきたお弁当と、

お鍋ごと差し入れてもらったあったかい芋煮汁を頂きました

 

子どもは、こうやって、なんにもないところで集団で遊んでこそ子どもだ、

人間の幼体として、成体となる前に

子どもが学ぶべきことはここにほとんどあるなあ、と

みんなの様子を見ながら考えていました

 

本当はもっと自然な場所の方がよりよいけれど、

それでも、大勢で、なんにもない川辺や、野原で暴れることは、

本当に本当に大事なことなのです

 

ご飯を食べれば体は自然と大きくなります

ほら、こないだ買った靴がもうきつくなってきた

心だって同じように、いま、ぐんぐん伸びたい、栄養がほしいところ

豊かな心を育てるために、どんな栄養が必要か、ご存じですか?

体を大きくするための栄養は知っていても、

心を豊かに育てるためにどうしたらよいか、ご存じない方が多いみたい

まるで逆のことをして、目に見える、体の成長や、なにかができる、上手、

そんなことばかりにとらわれていませんか

 

みんなで盛り上がって遊んでいても

「おれはやりたくない」と近づいてこない子(まあ、そういうこともあるさ)

突然わたしに近づいてきて、「この遊びはイヤだから、違う遊び、●●がやりたいんだよね」と

クレームを言ってくる子(…うーん。ザ・個人主義。)

サッカーでボールが当たった、人間狩りで腕をつかまれた、と涙目で「痛い…」と訴えてくる女子

(うーん、体を使って遊ぶと、多少の痛みはつきものなんだよね…)

そのつど、

「うん、わかったわかった~!」「そんなこといわず~」「いたいのいたいのとんでけ~!」

って

笑い飛ばすだけの、「無責任」なわたし…

 

でも、子どもは本来、たくましい

たくましく、優しい

そんな彼らの「本来の姿」を呼び覚ましたい

 

…慣れていないだけなんですよね

いつでも親に守られて、いつでも先生やコーチに指示されて、

ちょっとの怪我でも大げさに扱われて、訴えをいちいち深刻に受け止めてもらいすぎて…

子どもは痛いのより楽しい方が勝つ!みたいな、原則みたいなものまでひっくりかえっていて、

楽しむことに慣れていない

できるかできないか、上手か下手か、にとらわれて、自由に体を動かすことにも慣れていない

自分を解放することにも慣れていない

…気の毒になると同時に、

これからももっとこんな風にみんなで遊べたらなあ!!と思ったのでした

 

いつも家族だけで遊んでいないで、親戚の子でも、友達でも、

とにかく複数の子ども同士無理矢理にでも遊ばせた方がいい

大人が指示せず、守りすぎず、子どもが自分で考えるような、工夫するような環境で

できあいの遊び場でなく、なるべく遊具もなく、もちろんテーマパークでもなく、

そんな場所で、子ども本来の姿を見ることができるのは、大人にとっても癒しになります

子どもの姿を見て、自分のことを振り返る人もいるようです

大きな気づきを得る人も

 

疲れ切って帰路40分は、無言だった子もいるけれど、

ハイテンションのまま大きな声でおしゃべりしまくりの子もいました

カラスウリを見つけたり、服にくっつく草を投げ合ったり、元気いっぱいの子もいました

次の企画は軽登山です

せっかくの群馬ですから、登らなくては!

そして、またわたしは、大好きな子どもたちの笑顔と、ちょっぴり苦しんでもそれを乗り越えた時の

素晴らしい表情を見逃さないようにしたいのです

《2015年 11月18日投稿》

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