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140.みっつめのヒント 脳と体 武井荘さんの理論

武井壮さんが語った、「スポーツが速く上達するコツ」について

初めて読んだ時からこの理論が大好きで、

心から納得してしまうのです

これは、スポーツに限らず、勉強や、仕事の進め方などにも通じる、

最も重大なことだと考えます

武井壮さんとタモリさんの対談 スポーツが速く上達するコツ

 

わたしたちは、自然界の一部であるにもかかわらず、

自然の中で生まれ育つことはなくなりました

人工的なお産を経て人工的な環境で

人工的な遊びや学びの中で成長します

自分の声を出さず、

自分の手を汚さず、

自分の体を使わず、

よほど考えることも、激しく心を揺り動かすこともないまま、

日常を送ることだってできます

最初は、道具を使うことによって、指が退化したとか、

木に登らなくなって、足の指が短く役立たずになったとか、

そんなレベルだった人類も、

今では、

お風呂にお湯をためている間に蛇口を閉じることを気にする必要もなければ、

電話番号を記憶する必要もない

初めて車で出掛ける先を地図で調べて綿密な計画を立てておくことも

見たことのない食材をどう調理すればよいか、

物知りな人に電話して聞く必要も図書館に出向く必要もない

へたをすれば、少し前になにかで見たけれど、

メールの返事すら、端末の中にある頭脳が予測して作ってくれる

もはや、人類はこれ以上なにを退化させて、

いったい最終的にはどこにたどり着きたいんだ?と

なにがなんだかわからなくなってしまう最先端技術がどんどんあふれています

それなのに

勉強でもスポーツでも仕事でも、

わたしたちはやっぱり自分の体と頭脳を使って毎日を生きています

上手に最先端機器を扱えることは

現代社会において必須能力のひとつなのでしょうけれど、

扱えるだけで、からっぽな能力と体力しか持ち合わせていない人間には

やはり未来は拓けないのではないかと

 

この武井さんの理論を読むと、

自分の体が、自分の脳によって動かされていることを改めて実感できると思います

 

やっぱり、自分の身体を動かす技術を上げておかないといけない。当然のことなんですけど、スポーツやるにしても、何か、いろんなことするにしても。やっぱり頭で思っていることと、実際やっていることがずれていると、なかなかうまくいかない、ということがあるじゃないですか。

よくスポーツ選手が、スランプとかっていうのは、ほとんどそれが原因で、頭ではこうやっているつもりなんだけど、たとえばバットを出すとか、ここを蹴るとか、やっているつもりなんですけど、それとはちょっと、ずれてしまっている。その状態でいろいろ反復練習をたくさんするもんで、反復練習があまり身にならない。

悪い方に固まっちゃったりとか、結果はよくなるんですけど、結果は、ずれたものを、結果をよくしただけなんで。

ずれているんですけど、結果はよくなるんです。反復練習をすると、ずれたまんまでも。たとえば、何球も何球も打つとか、何球も投げるとかとしていると、何か、覚えてきちゃうんで。だけど、それの一番よくないのは、たとえば、1個のスポーツがすごくうまくなっても、他のことやったら下手じゃないですか。スポーツ選手でも結構そういう人、多いじゃないですか。ひとつのことは、すごいうまいんだけど。

これはどういうことかっていうと、たとえば丸があったとすると、丸の中が慎吾君の能力だったとします。(この対談の前に、香取慎吾さんがスポーツ選手になれる、という話題があり。)反復練習するとこれが縦に伸びる。これが記録が伸びている状態なんですよ。中の面積は変わってないじゃないですか。(円が縦長の楕円になるイメージ。)

縦に伸びているだけだから、中の面積は変わらない。ただ縦に長さが伸びていくだけで、横幅は狭まっている。ってことは、1個のスポーツは縦に伸びるけど、隣に行くと、素人になっちゃうっていう。

これが一番、スポーツをたとえば若いときにやっていて、違うのをやろうと思ったときにできない理由だったりするんですよ。

 

あれっ

これは、漢字の反復練習や計算練習に通じるのでは

「その」技術だけを磨いて、果たして本物の力がつくのか、ということです

「その」技術だけでずっと勝負できるならいいけれど、

少なくとも、毎日毎日反復させられている小学生が中学生になった時に

気づくのです

なんだったんだ…あれは…

漢字練習と計算ドリルを真面目にやってきたけど、

中学校の勉強にはまるで応用が利かないじゃないか!と

それどころか、取り返しのつかない、「思考力の排除」「無力感の学習」というおまけ付き

自ら学び取る気力も、知恵と工夫も、

なにもついていない状態で中学生にさせられている子の多いこと

気づく子はまだしも、気づかずまだ待っている子がいます

何を練習すればいいですか?何を反復すればいいですか?

そして、テストの前にだけ詰め込んで、苦しい受験勉強に自ら飛び込んでいく

若くして、そのせいで心身を痛めている子も少なくありません

親子関係に亀裂が生じている例も

そして、

「こうやればいいんですよ♪」っていう、易しいノウハウを提供してくれる親切な塾に

飛び込んでいく

また、自分で考える必要のない生活をで選ぶしかないのです

その先、どうやって生きていくの?

 

まず1個は、自分の身体を思ったとおりに動かす、っていうこと。まず一番簡単なことでいうと、たとえば、目をつむって立っている時に、真横に腕を上げてくださいっていうと、アスリートとかでも、結構上にあがっちゃたりとか。目をつぶってやると、こうやってちょっと下がったりとかすることがあるんですよ。これってすごい問題なんですよ、アスリートにとって。

だって、スポーツをやっているときって、だいたい投げる時は自分の腕は見ていないでしょう?打つ時も、自分がバットを見てないでしょう?だいたいスポーツをやるときは、違う視線があって、自分の身体を動かしているんですよ。だから、見えていないものを動かそうとしているんですよ。これの状態(腕を真横に上げている状態)で、スポーツしていないのにずれているっていうのは、スポーツしたら必ずずれているんですよ。

結果はよくても、思った通りじゃないんですよ。だから、1個うまくいっても、違う技術をやると、またいっぱい練習しなきゃいけない。すると、スポーツやる時間が増えちゃうんですよ、練習する時間が。

これを短くするためには、真横に上げようとしたときに、真横に上げられればいい。(ここで、タモリさんの真横腕上げを実践、修正。)これは結構、誰でも直るんですよ。ただ普段そんなこと考えてもいないから、「ここがまっすぐ」なんて思ったこともないから、まっすぐはできない。

たとえば的を狙うスポーツなんていうのは、真横っていうのをいつも真横に構えていられたら、体調は関係ないじゃないですか。でもそれがわかんないと、今日は下がっていたりとか上がっていたりとか、いろんなことが起きる。持つところが変わっていたりとか高さが変わったりとか。

そういうのが1個ずれててスポーツを習得するのと、今みたいな1個基準があって、そこから考えてスポーツをするのとでは、やっぱり伸びるスピードがぜんぜん違うんですよ。

スポーツっていうのは、まず技術練習する前に、自分の体を思ったように動かす練習をしておくっていうのが一番大事で。僕はいろんなスポーツをやっているんですよ。10種競技とかやってるじゃないですか。10種目あるんですけど、技術練習はほとんどやったことがない。こういう練習、自分の身体を思った形にする練習ばっかりしていて、あとはフィジカルのトレーニングをしている。試合場へ行って、かっこいい飛び方をしているやつの真似をする。かっこいい飛び方を普段から「ああやってやるんだ」っていったら、「ああやってやるんだ」をできるようにしているんですよ。

これは、

まだまだ闇雲に、「やらされている」ところが多い中学校の部活動なんかにも

生かせる方法なんじゃないでしょうか

朝練、放課後練、土日も休みなし、で、

生徒たちが得ている物は本物の、将来にも応用が利く能力でしょうか

 

「自分の身体を思った通りに動かす」ということは

スポーツに限ったことではありません

紙に字や絵を書く時も、わたしたちは脳で指令を出して書いているのですから

「腕を真横に上げよう」と思って真横に上げられることと、

「考えていることを紙に書こう」と思って書けることは

同じ事のような気がします

上手、下手はともかく、頭の中でイメージした通りに表現できる

…それは、体を動かすという表現であったり、言葉や絵にするという表現だったり

ということは、本当は、人間として当たり前にできていたはずのことなのではないでしょうか

それが、いろいろな人工的なもの、不自然なものによって、

いつのまにかできなくなってしまったのではないでしょうか

 

小学校に上がる前に、通知が配られました

「小学校のトイレは和式が多いので、和式で用を足せるように練習してください」

和式で用を足すために「しゃがむ」という姿勢が、できなくなっている子が増えていると聞きます

折り紙や、ノリやハサミ、定規を使って書く、などという作業をしていると、

どうしても思うようにならず、ぐちゃぐちゃになってしまう子も珍しくありません

 

小さな子どもたちの外遊びを見ていると、

小さな石や葉っぱをつまんだり、

虫や綿毛をつかまえようとしたり、

なかなかうまくいかないながらも格闘している姿が愛らしいです

遊び方が決まっていない分、自由で、しかも、工夫が必要です

 

遊びといっても、どこか遊具のある場所やテーマパークなどでアトラクションを楽しむとか、

ボタン操作で遊べるゲーム機とか、ただ眺めているだけのテレビやビデオだとか、

そんな遊びが中心だった子は、とにかく手先が不器用です

ボタン操作や、もしかしたらマウスや画面操作には長けているかもしれませんが、

所詮、プログラムにのっかって遊ばされているだけであって、

自らの頭脳を使い、指先を使いこなす工夫は不要ですから、

複雑な思考回路も構築されないし、体力も伸びません

 

川や山で子どもたちと遊んでいると、

絶対に思うようにならない「流れ」や「斜度」に、四苦八苦する姿を見ることができます

自分の足でどこまで踏ん張れば立っていられるか、

流されないよう、滑り落ちないように自分の体を維持するためにはどういう姿勢でいたらよいか、

うまくいかず、転んだり、痛い思いをして時には涙をつるしたりしながらも、

子どもたちは遊びたい一心でどんどん獲得していきます

部屋の中にいたら、そして、テーマパークや公園では、

絶対に獲得できない大事なちからを、どんどん、獲得していきます

 

ところで、

脳と体について、バレリーナの吉田都さんの言葉がとても印象的でした

バレエに限らず、楽器や語学、勉強までもが、「早く始めるのがいい」と

まだ考えている人は多いです

勉強に関しては、早期教育の危険性は結構叫ばれているのに、

まだまだ、幼稚園やその前から準備をしたがる人が多いですよね

吉田都さんご自身は、9歳でバレエを始め、

中学3年で全国舞踏コンクールジュニア部門第一位

高校2年、ローザンヌコンクールでスカラシップ賞を受賞し、英国へ

5年後にはロイヤルバレエ団の最高位プリンシパルに

以後22年間、最高位!

輝かしい実績に、「特別なひと」という印象はぬぐえませんが、

吉田さんご自身、子どもたちのバレエも見ていて、感じたそうです

(9歳って始めるの、遅いですよね、と司会の今田耕司さんに言われて)

「そうですね、でも、脳と体とのコーディネートができてくるのが

8歳、9歳とかなので、まあ、ちょうどいいんですよ。理に適っていると思います。」

(2015年8月のアナザースカイから)

成功者がご自身の経験・実績を語れば、どんなことも全くその通りだ!って

納得するしかない証拠が揃っているわけで、

吉田さんの場合も、たまたま、習い始めたのが9歳だったけれど、

バレエダンサーとして大成功を収めた実績があるから、

「そのとおり!」と思うしかないのですが、でも、わたしは普段から考えていたことを

吉田さんがおっしゃってくれて、すごく嬉しかったのです

じゃあ、始めるなら9歳で始めた方が、吉田さんみたいに成功するのか?と言えば、

そんなんじゃないことくらい、誰にでもわかることです

何歳から始めるか、ではない、子ども自身が、吉田さんの言葉を借りれば、

脳と体のコーディネートができるくらいに、様々な体験を済ませているか、ということが

その後の人生にも影響する重大なポイントだと思うのです

わけもわからないまま、ただそのことだけを必死に習得させようと、

武井さん曰く「丸い力を楕円にする」トレーニングだけを続けていたら、

幅広い、応用の利く力はつかないし、自分の体を思うようにコントロールする練習にもならない

そして、おそらくどんぐり理論などご存じないと思われる吉田さんご自身が

体感していらっしゃる「8歳か9歳くらい」というところが

あまりにも一致しているではありませんか

 

余談ですが、とある楽器の教室の先生と話したことと、

とあるスポーツの指導者(2種類の某人気競技)と話したことをご紹介します

お三方とも、指導歴20年超えのベテランです

 

とある楽器の先生はおっしゃっていました

3歳から始めても、6歳から始めても、

9歳くらいまでにほぼ同じレベルになる子がほとんど

突出する子は何歳で始めても突出する(これは吉田都さんの例でしょうか)

3歳の子は、時間中、じっと座らせておくのがやっと

レッスンに集中できる時間も少なく、他のことで気を紛らせて、なんとか過ごさせる

(これは、歌を歌ったり、リズム遊びをさせる某教室の例でしょうか)

小学校に入ってから始める子は、話が通じるし、身の回りのことも自分でできるので、

レッスンに集中できる

正直、3歳からの3年間は無駄ではないかと思う

 

とあるスポーツの指導者も同じ事を言っていました

始める年齢は低年齢化しているが、早く入部した子がいい選手になっているかといえば

そんなことはない

いい選手になる子は何年生から始めた、なんて統計はとれない

低学年でも、見せて、慣れて、「できるように」なってはくるが、

自分で瞬間的に考えてプレイしているかどうかは

高学年からの動きでわかる

いい選手は瞬時の判断力と、それに付随する瞬発的な体力、そして精神力だから

低学年から始めても無駄ではないかと思う

 

で、共通しておっしゃっていたのは、

「それでも、少子化で、運営上、部員確保のためには、低年齢化はありがたい」

 

いま、多くの子どもたちは、

本当に大事な体験をしないまま、

表面的で、大人本意の、人間の本質を忘れさせてしまうような経験ばかりさせられて

いつか、

自分自身の頭脳と体で、自立して生きていかなければならなくなる時に

いったいどうやって生きていくのだ?と

危機に陥り、悩むことになるのに、

その時には当の大人たちは「自分でやりなさい」と急に突き放してくる

または、いつまでも幼児のようについてまわる

そばにいて、指示してやらないとなにもできないから

 

大人も、人間であることを忘れて、動物であることを忘れて、

機械だけをあやつって人工的な全能感に勘違いしています

 

プールが始まるからスイミングスクールに

中学で困らないように英語教室に

運動会が近いからランニング教室に

そんな広告や、周囲の親たちのざわざわを傍観していると、

節分だから恵方巻

土用だからウナギ

クリスマスだからチキンとケーキ

というスーパーの総菜売り場を思い出します

伝統行事だからじゃない、

スーパーは売り上げを伸ばすためにそれらにあやかって工夫しているだけ

各種教室も、同じです

 

子どもを育てるのは第一に家庭生活です

昔の子は、子ども同士で勝手に獲得できる環境があったけど、

今は、ない

家庭生活でフォローするしか、誰もしてくれません

(学校がしてくれたら最高なのにな!)

 

子育てに自身がないから教室に入れる…なんて考える前に、

親子で、ラフな格好で、野山に飛び出してみてください

動物の親子になったつもりで、

野山を駆け上がり、

川や海に飛び込んで遊んでみてください

どんなお教室より、

どんな先生より、

子どもは、親と一緒に本気で楽しみたい

子どもは自然の中に戻ると、親の手を離します

そしたらそっと、安全を見守りながら、

子どもが自然の中でもまれて強く賢くなっていく目を

見ていてください

 

やはり、ここでも、私たち親は、

無限大の幸福感を得られるのです

《2016年 5月19日投稿》

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