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230.大人に、従わなければならない子どもたち

連日、ワイドショーを賑わしている「指導者」と「選手」の問題は、

私たち、子どもに関わる全ての大人が真剣に考えなくてはならない課題を孕んでいます

 

それは、指導者、コーチ、教師に限らず、

親たちも同様です

 

初めて、この問題を知った時、

加害選手のした事実は重く受けとめなくてはならないひどい行為ではあっても、

それがもしかしたら指導者側からの指示に従っただけ、ということに、

それほど驚かなかった、というか、

基本的に、逆らえるわけないじゃない。と冷静に感じたのでした

 

それは、自分がかつて身を置いていた「体育会系」のいくつかの組織を思い出しても、

「こうしろ」と言われて、「なぜですか?」「本当にしなくちゃダメですか?」なんて反論は

ありえなかった経験もあるけれど、

(…まあそれが、反則行為や犯罪行為である場合、やはり、受け入れてはいけないのだけれど…)

大学生じゃなくても、スポーツじゃなくても、

私たちの身近にいる子どもたちの多くは、そんな風な、「逆らえない命令」に、

日常的に従っているという現実があるからです

 

たとえば「ランドセル重い問題」

昨年度、どんぐり学舎でも、塾生さんや、塾生さんの周囲の子たちに協力をお願いして、

1週間のうち数日間、ランドセルの重さを量ってもらい、体重との比率を計算して集計しました

(その結果はまた別の時に公表するとして…結論から言うと、「重すぎる」)

その後、国内外から情報が集まったり、報道されたりして、

つい数日前、朝日新聞で特集がありました

記事を隅から隅まで読みましたが、一番書かれていなければならない重要なことが

全く書かれておらず、驚きました

 

某海外の国では教材は学校のものだから、私物として持ち帰らない、

だから、リュックの中身はランチボックスだけ、とか、

また別の海外の国では、重すぎるので車輪つきのキャリーケースが必須だとか、

日本でも、重さ対策のために、教材を自宅用に別途揃えて、

持ち帰らなくても済むようにしているとか、

ランドセルに入れるA4ファイルの端を1センチ切るだけで、標準ランドセルに収まるから、

少しでも重くなってしまう大きめのランドセルを買う必要はない、とか…

 

いやいや、そんなことじゃなくて、当初から私が問題だと思っているのは、

「教材を持ち帰るかどうかの選択肢がない」ということなのです

昔風に言うと、「置き勉」は禁止されている学校がほとんどである、ということです

つまり、

子どもたちは、自分で「必要か不要か」を判断してランドセルの中身を厳選することはできず、

全ての教材を持ち帰り、全ての教材を持っていかなくてはならないのです

たとえば、「明日も算数があるけれど、宿題でこの本は使わないから今日は置いていける」などと、

自分で決めることはできません

 

もちろん、全国、全ての学校ではなく、実際に全ての学校に調査したわけではないので、

割合もわかりませんが、

私の周囲、つまり、わが子や、塾生の周囲では、こんな現状です

 

ついでに言うと、「忘れ物」に関しても、かなり厳しく指導されています

全部持ち帰り、翌日の準備も全部持っていくわけですが、

時間割表は昔のように科目だけ書いてある決まったものではなく、

毎週配布されるプリントで、全ての持ち物などまで明記されていますが、

これもまた、「何が必要か」子どもたちは判断することもなく、

書いてある物を忘れないように持っていくのです

忘れたら、厳しく注意を受けるのと、「忘れたから友達に借りに行こう」

なんていうことは許されないので、

泣きながら荷物を何度も確認する子がいる、という話も方々から聞いています

 

たとえば「中学校の定期テスト問題」

定期テストが近付くと、「テスト範囲表」というプリントが配布されます

科目ごとに、テスト範囲と、提出すべき問題集の範囲などが明記されていますが、

それだけではありません

目標点数、テスト前2週間ほどの勉強スケジュールと記録、

さらには「勉強の仕方」「ワークの使い方」などが書かれていて、

中には、その通りしなければならない、と

決められている学校もあります

勉強の方法さえ子どもたちが自分で考え、決める権利はありません

ほとんどの中学生は、日々、部活動に時間を費やし、宿題をこなし、

テスト前には言われたところまでの問題集を埋めて提出、

自分で自分の弱点を知り、対策を立てる暇などありません

 

たとえば…まだまだ…

・給食は「三角食べ」を強要され、ご飯が口に残っている状態で牛乳を飲まされる

・漢字はもう覚えているのに何度も漢字練習の宿題が出される

・授業でよくわからなかったのに、宿題で計算ドリルが出され、やっていけないとペナルティ

・給食、掃除の時間は無言がルール

・特別教室、体育館や校庭への移動は無言で列を乱さず

・算数の筆算には定規を使わないと減点

・算数の繰り上がり、くり下がりなど、教師によって書き方に特徴があり、

 それに従わないと叱られる

 

小学生でこのような環境が「あたりまえ」だと思って中学校に入り…

 

・先生の授業は絶対。たとえ間違っていても、ほとんどの生徒は指摘できない

  (目にあまるので、一度指摘したことがあります。

  でも、別のベテランの自信満々教師のとある授業に関しては、

  指摘しきれないほどのミスが多発。

  質問するように言っても、生徒たちは「できるわけない」と口々に。)

 

・外部講師を招いての講演などに行くと、保護者の後に生徒が入場してくるのですが、

 入場直後から一切私語はなし

 始まるまで10分以上、誰も何も喋らず、身動きもほとんどしません

 「気持ち悪いなあ…」と思っていると、講演が始まり、

「こんなのおかしい」と冒頭から講師の方が指摘

 「中学生ならもっと自由に過ごして、会が始まったら耳を傾ける、というくらいでいい。

 聞きたいな、っていう話なら自然と静かになる。先生達、どう思いますか?」

 わたしも一緒になって、生徒の周囲や後方を見渡すと、なんと、先生はほとんどいませんでした

 つまり、保護者の希望者と生徒全員に聞かせる外部講師の講演会を、

 先生達は聞かないのです

 

・とにかく怒鳴る、威圧する、私が目撃した場面だけでも、生徒に有無を言わせず、

 とにかく大の大人が大声で、怒鳴り散らします 

 中には、生徒たちの出身小学校の名前を出して馬鹿にして、罵倒する教師もいます

 少しは反抗的な態度を表す子もいますが、ほとんどの生徒は殻に閉じこもります

 そして、「いい子」を演じます

 それしか、穏やかな中学校生活を送る術はないから

 子どもたちの、生存本能でしょう

 

 

小学校から始まっている「大人の命令は絶対だ」という生活の中で、

子どもたちは、学んでいきます

まず、自分で工夫して考えることはしなくなります

長女が中学校に入学した時、

担任の先生に、

「指示に従うのではなく、自分で勉強することを見つけて、

自主的に勉強することが望ましい」と言われ、

「でも、先生、小学校では自主的に勉強するのではなく、

宿題を出されて、それをやらなければならないんですよ」と言いました

※長女は宿題免除でしたが、一般論として

中学の先生の多くは、漢字練習や計算ドリルをたくさんこなせば勉強ができるようになる、

なんて思っていませんが、小学校の宿題の実態はよく知らない方が多いようです

「あれだけがんじがらめだった子たちが、中学生になって急に自主的に勉強し出すでしょうか」と

その話を続けました

「だから、わからなくなって、1年生の最初から塾を探すのでは。

部活と、塾と、ゲームで、結局、一番大事な学校の授業中に眠くて、疲れていて、

集中できないという事態になっているのでは。」と

 

その後、中学校もかなり「がんじがらめ」であることを知ることになるのですが…

 

卒業式、

水を打ったように静まりかえった体育館は、「あの」講演会の時と同じでした

彼らの卒業式なのに、先生の「礼!!」という怖い声が響き渡り、

その声に反射するかのようなスピーディな反応で、

生徒たちは同じ角度で頭を深々と下げていました

 

ひととおりの儀式が終わり、親たちだけのPTA退会式?のようなものにうつった時、

「生徒たちが立派でした」と先生は言っていたけれど、

私の頭の中では尾崎豊の『卒業』が鳴り響き、ガラスを割る音が聞こえてくるようでした

誰も、ガラスを割る子なんていない、

そんな気持ちさえとっくにおさえつけられている子どもたちです

でも、消えているわけではない、みんな、心の奥に持っているのです

 

だから、スマホを手放さないんじゃないかな

だから、SNSでつながりたいんじゃないかな

 

20歳になっても、命令に従って罪を犯した彼のいた世界は、

この延長なんだろうな、と思ったのでした

 

子どもは、悪くない

大人が、この世界を作っているのですから

 

そんなつもりはない?先生は、親は、いつも子どものためを思って…

そこに乖離はないですか?

大人の勝手な都合はないですか?

 

話を聞いてあげるのは、大人のほう

誤解があるなら解いてあげるのは、大人のほうです

 

だって、私たちは「おとな」なんだから

《2018年 5月31日投稿》

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