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208.赤いもの、5つ

最近生徒たちとした「無料ゲーム」の中で、

『おんなじさがし』というゲームがあります

紙と鉛筆を使います

 

たとえば、誰かが「お弁当の中身」とお題を出して、

全員で、自分の紙に鉛筆で、

5つだけ、「お弁当の中身」に相当する言葉を書きます

誰にも見せないように、見ないようにしてひとりひとりで書きます

制限時間を、1分にして、書いてもらいます

 

時間が来たら順番に、

自分の書いた「お弁当の中身」をひとつずつ、発表していきます

 

たとえば、「たまごやき」と誰かが言います

「たまごやき」を書いた人は全員、手を挙げます

発表した本人も、手を挙げます

挙がった手の本数が、「たまごやき」の配点になります

自分が書いたものの名前の横に、配点を書いていきます

順々に発表、挙手をしていき、全員が、書いたものを言い終えたら、

自分の得点を計算し、発表します

もちろん、高得点の人が優勝です

もし、自分しか書かなくて、自分以外誰も手を挙げてくれなかった場合、

それは、1点ではなく、0点となります

それ以外は、挙がった手の本数が配点になります

 

つまり、大人的視点でポイントを説明するならば、

自分の家の定番でも一般的にはレアだと思われるおかずを書くよりも、

より一般的な、よりあるある的なものをたくさん書いておいた方が高得点を狙えます

まあ、やっているうちにそういうことに気づく子どもたちですが

「動物園にいる動物」

「テンションがあがる晩ご飯のメニュー」などなど、

子どもたちに決めさせると楽しいですよ

ぜひ、御家族で遊んでみてください

 

実際に子どもたちと、この『おんなじさがし』をやってみて、気づいたことがあります

私が「赤いものといえば」というお題を出したときです

 

さあ、みなさんも赤いものを5つ、思い出してください

あるあるかな、とか、一般的かな、なんて考えないでいいです

だって、制限時間は1分間ですから

 

ちっちっちっちっち…

 

書けましたか?

 

いちご

りんご

トマト

キムチ

パプリカ

唐辛子

郵便ポスト

消防車

止まれの信号

スーパーマンのマント

……

他にも思いつきましたか?

 

これがですね、びっくりするほど、子どもたちは思いついてくれませんでした

ゲームですから、わざと急かすのですが、

ほとんどの子が、1分間に1個か、2個しか書けなかったのです

まあ、実際、「待って待って!」なんて言うから2分くらいになってしまって…

たくさん書けた子も、「赤いクレヨン」とか「赤鉛筆」とか…

これは、ルール違反ですが、そういう逃げに走っていました(笑)

その時は、たいしたことじゃないかな、と気にも留めていなかったのですが、

毎日いろんな子どもたちとやってみて、

全体的な傾向を見つけてしまって、あとからじわじわと、疑問が湧いてきました

 

なぜこんな簡単なことが…?

 

毎日、ふとした時に思いだしてしまいました

なぜなんだろう

書こうとしているときの、子どもたちの表情なども思い出しながら、色々と考えていました

わが子も含め、何かを書かせようとすると、とっても控えめになってしまう子が多いです

自由に書いていいのに、間違ってもいいから好きに書けばいいのに、

どうしよう、何を書いたらいいのだろう…と躊躇するのです

 

文章を書くのとは違って、ただ、思いつく言葉を羅列するだけなのに、

多くの子どもたちにとってかなり困難なことなのだ、という事実を知りました

もしかして、何かのキャラクターとか、アイテムとかを書かせたら、

延々と書くのかもしれませんが、

「赤いもの」という漠然としたお題が、子どもたちを悩ませたのでしょうか

 

ゲームが終わってから、「血」「消防車」「ポスト」など、

子どもたちが書かなかったものを私が言ってみると、

「なんだ~そういうのでいいのか~」とため息をついていました

そういうの、ってなんだろう(笑)

何にも条件はつけていないけれど、勝手にどこかに線引きをしていたのでしょうか

 

子どもたちのまわりに、

透明のバリアのようなものが見えることがあります

子ども自身が発しているというより、誰かによって包まれてしまっているような

 

もっと自由に

もっと伸びやかに

子どもたちの好きにさせてみる、という試みはいかがでしょうか

 

それでも私は、「好きにすればいいのに」と、

小さい子どもたちをできるだけ開放しようと試みた日の夜に、

ものすごく制約のある入試問題に対峙する中学生と勉強している日々です

時間内に難問を解かなくてはならない、

大量の設問に即答するために、とりあえず覚えなくてはならない、

そんな、「学ぶ喜び」とはほど遠いことを、しなければなりません

じっくり考えたい生徒と、じっくり長時間かけて数学の難問を解いてから、

「それでも、実際にはこれを5分で解かなくてはならない。だから、

もうちょっとシステマチックに解けるように練習しなければ」とアドバイスしなければなりません

長時間かけて解けたとしても、高校側にはその思考力は見えません

充分な思考力を備えていたとしても、

試験に臨む場合には、それなりのテクニックや手順が必要なのです

 

1,2年生の間に自分で試行錯誤して、

「試験」というものがどういうものなのか、経験したあとで、

3年生になって、入試に向かうためのスキルを身につけていきます

 

自由に自分の好きなように考えていいよ、と小学生に話したその日の夜、

中学生には、この問題はこう解くべきだ、と考え方を整理させなければならないことは、

矛盾しているのでしょうか

 

いいえ、

実は、これは矛盾していないのです

むしろ、

小学生の時に、教科書通り(だけ)じゃなく、自由に考える習慣があり、

間違いや評価を恐れずどんどん発想を表現できる経験を積んだ子は、

6年生になってから小学生内容を一気に復習すれば簡単に理解できるし、

中学生になってからの勉強の進め方も、自分で工夫してクリアしていきます

自分の受験する高校の入試問題を見れば、

どの程度の実力が必要で、どのように勉強をしていけばよいか、

判断することもできるでしょう

 

大事なのは、「言われたことだけをする」という状態ではないということです

たくさんの制約の中で、過ごしていない、ということです

だから、「よかれ」と思われる「習い事」でも危ういんですよ

制約のない習い事は少ないですから…

 

『おんなじさがし』をしてみる前に私がイメージしていたのは、

1分間で5個どころか、書ききれないほど思いついてしまうよ!という子どもたちの姿でした

でも、実際にそういう子はひとりもいなくて、

みんな、大変苦しんだ上でやっとのことで5つ、もしくは、5つに達しない状態でした

 

子どもたちが悪いのではありません

子どもたちが劣っているのでもないのです

だって、子どもたちは知っています

赤い色をした色々なものを、見たことがあるはずです

子どもたちの脳にはインプットされています

とりあえずアウトプットしてみる、という勇気がないだけです

 

子どもたちがアウトプットしようとすることを、

止めないでください

間違っていても、失敗しそうでも、へんてこりんでも、

まずは出させてみてください

何でも思いついていいし、何でも考えてみていい、って受けとめてあげてください

 

ここだけの話、私の次女が冬休みの宿題の作文を書いているのを見てびっくりしたのです

すごく嫌そうに書いていたのですが、できあがった文章を読んでみると、

いわゆる、先生が訂正しなそうな、無難に及第点がもらえそうな、

それはそれは彼女らしくない文章でした(次女に言わないでください(笑))

まあ、作文の話になるとまた別の話題になってしまうので、それはまた別の機会に…

 

でも、子どもたちが、何を恐れて表現しないでいるのか、

とても興味深く、また、危険性さえ感じました

表現はなにも、言葉だけではなく、

うまく言葉で伝えられないからと評価されないのもおかしいのですが、

それでも、

私たちは言葉を使う生物で、こうして、言葉で誰かに気持ちを伝える手段を持っているのです

 

書き言葉を使うようになった歴史は浅いけれど、

まずは会話でやりとりならできるはずなのです

 

しりとり

連想ゲーム

やはり、子どもたちとやってみると、びっくりするほど、語彙力が低下しています

先ほど、久々に書店に行ってみたら、

「小学生までに覚えさせたい言葉1000」というようなタイトルの問題集が並んでいました

問題集をさせても、表現力には実はつながりません

子どもたちは何を見て、言葉を使うようになると思いますか?

それは、子どもたちが、これまでのところ、どうやって言語を獲得してきたか考えれば

容易にわかります

 

私たち大人の、発する言葉、会話からです

言葉そのものも、言い方も、私たち、身近な大人から、子どもは獲得して成長してきました

だから、

関西で育った子は関西弁を話すでしょうし、

私の子どもたちは群馬弁を聞き慣れているし、話しているのです

 

問題集を買う前に、

国語力を高めよう、なんて目論んで本を読ませる前に、

言葉で伝えるという当たり前の手本を、大人が見せればいいのです

 

車の中ではステレオは切りましょう

家の中でも音の出る電子機器は切りましょう

それだけで、会話が増えます

親のひとりごとだって子どもは聞いています

ひとりごとバンザイ!適当に語りましょう(笑)

スマホを見つめて誰かと会話するのは子どもの前では控えましょう

画面だけのやりとりで、感情が動く手本をわざわざ見せなくていいです

 

運転しながら、散歩しながら、感じたことを言いましょう

「あれ、こんなところに新しいマンションが建っている」

「なんだろう、あの行列は…」

「確かこの辺りで前に野良猫を見たよね」

何気ないそんな言葉が、子どもの語彙力を増やします

 

…文章に書くとなんて陳腐なんでしょう

そんなことを伝えたいわけではないのに…

 

わたしはただ、子どもとの暮らしを楽しんでほしいだけなんです

それでもって、私の立場的に、ちょいとアカデミックなことを言い足しているだけなんです

 

それで、実は…

生活の中で体も、頭も、ほとんどが育つ子どもたち、それなのに、

作文が書けないとか、国語ができないとか、成績がどうこうとか…

あとで、その当事者の、親御さん自身に責められる子どもたちを、もう見たくないからなんです

 

だから、いろんな意味で、発想を変えてほしいのです

今、楽しんじゃって大丈夫なんだってことを伝えたいのと、

今から、小さくまとめちゃうとあとで大変ですよ、って忠告をしたいのと、

子どもたちは、私たちが思うよりずっと、多くの制約の中で生きている、

それなのに、自由に表現させようとすることは困難なことで、

でも、実際に、「入試改革」とかいって、これからの「試験」は、

思考力とか、表現力とかを問う問題に変わってくるとかいうのですから!

 

○○してはいけない、というしばりだけが子どもたちへの制約ではありません

お店の駐車場や駅のホーム、エスカレーターでは自動音声が話しているし、

車に乗れば目視は不要なほどの最新装備

学校では物の貸し借りや、他のクラスへの出入りはしないのが当たり前

物の置き方、積み重ね方も決まっていて、子どもたちは当たり前に守っている

考える必要などなく

 

考える、必要がない生活なんです

 

それなのに、思考力をどこで育てようというのでしょうか

 

家庭で育てましょう

心豊かな、賢い子どもを育てましょう

世の中が変わっても、人間は、この能力を失うわけにはいきません

言葉を使い、思考力を駆使して生きていく

機械が発達すればするほど、それを使いこなせるのは結局、

本物の思考力がある人だけで、

他の人は、機械に振りまわされて生きていくことに、なるのではないでしょうか

 

子どもとの暮らしに、電子音は要りません

さ、しりとりして過ごしましょう

お料理しながらでも相手ができますよ

新聞を読んだりテレビを見たりする前に、

子どもと『おんなじさがし』をして遊んでみてください

2人でするなら、いくつ一致するかで相性診断♪みたいにしても楽しいですよ

《2018年 1月9日投稿》

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