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137.3つのヒントがわたしに考えさせたこと

「宿題はどこまでがダメで、どこまではよいのですか?」

「テレビは、どこまでがダメで、どこまではよいのですか?」

「読書は…」

 

わたしに寄せられる質問の数々

できるだけ丁寧に答えようとしてはいますが、

わたしが丁寧に答えれば答えるほど、

相談者は自分の頭と心をつかわなくなる、と知っています

それは、中学生の勉強と同じで

 

自分の頭と心を

動かさないまま行動に移しても、

結局実にならないし、なんの効果もありません

 

あれこれ試行錯誤して、いろいろ試してみたんだけど

今のトコこんな感じ、どうかな?って聞かれれば、

うむ、なるほど、いいんじゃないですか?

とか、

軌道修正してはどうですか?

とか、

適度なアドバイスができるかもしれません

 

とにかく、それぞれ、みんなが

大人も、子どもも、自分の頭と体、

そして心を揺らしながら生きていけばいいのです

 

なんにも考えず惰性で物事を進めるのではなく、

人間としてどうか、と少し立ち止まるだけでいいのです

 

ここのところ毎日、「そうだよ、そうなんだよ」と声に出して言ってしまうくらい、

わたしのまわりにヒントのようにちりばめられるあれこれを、

これから数回に分けてご紹介しようと思います

 

1つめはTED

Robert Waldingerさんの

「人生を幸せにするのはなに?最も長期に渡る幸せの研究から」

子育てに特化した話ではありませんが、

わたしには、すべて、子育て、教育に対するヒントのように聞こえました

次回、全文を紹介しながら、わたしなりの解釈と感想を書かせてください

 

2つめは

羽仁もと子さんの本『おさなごを発見せよ』

子育ての先輩から教えてもらった本です

あまりにも当たり前で、

あまりにも素晴らしいのに、

現代の親たちの多くが忘れているたくさんの大事なことが書かれています

これは全文紹介できませんが、どうしても紹介したい部分があるので、

その次に書かせてください

 

3つめは

武井壮さんの話「スポーツが短期間で上達するコツ」

です

武井さんの話にはいつも感心し、納得してしまいます

糸山先生の話にも似ています

全くジャンルが違う、と思われるでしょうか?

でも、糸山先生も似た理論で、ご自身が学生時代に、スポーツを究めていらっしゃいます

 

以上3つ、すべてに共通するのは、

わたしたちは、親として、人間として当たり前の成長を遂げる環境、チャンスを、

子どもたちに与えられているか?ということです

 

すごく、すごく、単純な比較で、

(なかなかわが子の話をここに書くのは難しく感じている現役母なのですが)

どんぐり問題の、最初に多くの子がつまずく

「赤い花は白い花より6本多く、全部で24本」というような、

いわゆる和差算で

うちの娘たちはつまずいたことがありません

最初に、自分の娘とだけどんぐり問題をしていた時には気づきませんでしたが、

その後、ほとんどの子がこれ系の問題を「わからない」とお宝にするのを見てきて、

なぜだろう?と考えました

数学的センスとか、知識の量とか、語彙力とか、そういうのとも違います

ただただ、これにつまずかない子は、書いてある文を率直に絵図にするのですが、

どっちが多いとか、何本多いとか、それでいて全部で24本とか

ただ問題文のくり返しになってしまいましたが、ただただ、素直にそのまま描いているだけなのです

描き上がれば「では白い花は何本?」なんて聞かれても絵に描いてあるのです

語彙力といえば語彙力なのかもしれませんが、

わたしの娘に関していえば、

生まれた時からしばらくの間

そうですね…7歳くらいまでは「生声」をなにより尊重して育てた点が大きいのでしょうか

テレビ・ビデオ・ゲームがないのはもちろんのこと、

音楽を聴くCDも、アラームなどの電子音も避け、携帯電話は子どもの前では触らず、

ただただ、生声、生音を意識して育てていました

絵本、手遊び、自然遊び、お風呂の中も、食事中も、お散歩中も、

いつもおしゃべり

それはもう、発語前から、そして一語文時代から

歯を磨くのも、おむつを替えるのも、全部、歌(作詞作曲:ほぼ、わたし。古い名曲もあり)

まさに、子どもの世界にある音は、家族の声と、自分の声、

そして、家の周りの物音だけでした

少なくとも家の中では私たち親の声しかしないわけですから、

些細な言葉の違い、意味などに興味を持つのは当然です

姉妹になり、ふたりでのごっこ遊びや会話などを聞いていても、

細かい言葉の遣い方を自然にマスターしているのに驚いたものです

習い事もせず、お教室にも入らず、ただただ、毎日のんびりすごしていた子どもたちです

それでどんぐり問題を始めてみたら、

年長さんでも、和差算の問題もすんなり読み取れていた、ただそれだけのことで

そして、わからない、難しい、と思った時にも

機嫌が悪くなったりやる気がなくなったりすることもなく、

いつまでも考えることを楽しんでいたり、

いったんノートを閉じたのに「もう一回考えてみていい?」などと

食事の後きゅうに言い出したり

そんな様子も特徴的でした

もちろん、お宝に入ったまま忘れ去られている問題も今ではたくさんあるのですが…

 

右腕を

地面と平行にあげよう

と思って目を閉じてぴったりそのようにできるか、ということ

…これは武井壮さんの話に出てきますが…

自分がイメージした通り体を動かせるか、ということは

自分が読んで、イメージした通り絵図を書けるか、ということと同じで、

「それが苦手なんです」

という場合は実は致命的なわけで

下書きもせずだいたいの枠を書いてフリーハンドで表を作ったり

中学生用の無地の数学のノートに空間図形の見取り図を正確に描いたり

そういうのが訳なくできるわたしはただ、

何十回、何百回、何千回と線を引いていて、

その感覚を自分でつかみとったからであって、誰かに教わったわけでもない

自分から、上手な人を真似てつかみとったものもあるし、

自分で開発した方法もある

それは、みなさんそれぞれ、

たとえば車の運転だとか、料理だとか、仕事の書類を整理するのだとか、

そういうところで発揮されていることはあると思うのです

 

子どもが、

自分の頭と体と、そして心を

人間として一生懸命育てているとき、

手を伸ばして実際につかむのではなく、

ぴこっとボタンを押して画面上でつかむという経験を先にしてしまったら

目と目を合わせて話したり、笑ったりせずに、

ぴぴっと画面上のメッセージを絵文字かなんかつけて

送信し合うコミュニケーションを覚えてしまったら

それは

子どもが人間として成長する

生きるために成長するための

大事な過程をすっとばしてしまったことになるとわたしは考えます

 

わたしは

極論が好きではないです

じゃあ、なにもかもダメってこと?

こういうすごい人だっているじゃない

あれもだめ、これもだめ、って窮屈じゃない?

どれもこれも、極論です

どんな教育を受けようと素晴らしい能力を自分で発揮する人もいます

親がどんなでも、素晴らしい成長を遂げた人もいるでしょう

でも

やっぱりそれは極論でしかありません

「すごい人に成長した」と知れ渡るくらい、それはレアなケースと考えてください

それに、

子の成長に弊害があるとわかっていてみすみす

その環境を改善することなく生活し続けることは

親としてどうなのだろうか

 

これからできるだけがんばって3日間で

以上3つのわたしがここ数日でもらったヒントについて

ご紹介しようと思います

《2016年 5月16日投稿》

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