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111.親が納得して、実行するということ

最近、塾生の保護者の方々や、友人、

そして、これを読んでくださっている方々からの

相談メールなどにお応えしながら

時々考えることがあります

 

それは中学生に話していることと共通していて…

 

中学生が「勉強のやり方がわからない」と質問してくることがあります

中学生の保護者の方と話すと、

「やる気はあるんだけど、勉強の仕方がわからないみたいで」

などとおっしゃることがあります

それで、ふたを開けてみると、

教科書の超重要語も図表も覚えておらず、説明しようにも材料が入っていない、という

カレーを作って、と頼まれてキッチンに入ってみたら材料がない、みたいな状況に

 

そりゃあ、漢字や英単語を100個とか200個とか並べられたプリントを渡されて、

1週間後にテストします、と言われたら

それを覚えればいいということくらいわかるのでしょうけれど、

教科書のここからここまでテストします、と言われると、

「どうしたらいいの!?」とお手上げになってしまう子が、年々、増えている気がします

文章を読んでも、自分の中で整理して解釈することや、わかりやすくまとめること

流れをつかむこと、その中で、自分が見落としがちな部分を強化していくこと

少なくともキーになっている(何度も出てきたりする)言葉の意味、理由、

そして、今の教科書はご丁寧に図式化されたわかりやすい参考資料が

近くに書いてあることが多いですから、

最低限教科書に載っているそれらは自主的に覚える

そんなこと、当たり前のことです

わたしなんて、教科書を2冊買って、1冊はじゃんじゃん切り貼りに使って、

まとめノートをつくり、資料写真の下にある説明の文言まで覚える努力をしました

誰に言われたわけでもありません

自分で考えた、自分のための方法です

勉強するというのはそういうことです

 

「勉強のやり方がわからない」と言う子のほとんどが

そういった、自主的な工夫を一度もしたことがないのです

1回目、自分なりにテストに臨んでみる

結果が返ってくる

納得できる科目、納得できない科目、自分の失点の傾向を知る

2回目のテストで努力と工夫をする

結果が返ってくる

納得のできない科目ではさらなる努力と工夫をする日々をすぐに始める

そして3回目…

ただ、そのくり返しで入試が決まった期日にやってきます

でも、慌てることはありません

積み重ねたものが、ありますから

 

勉強するのは自分です

努力と工夫の連続、それで入試を迎えます

自分が納得しないと、

返ってきた結果は意味を持ちません

対策プリントをこなしてとっただけの得点は、

自分の本当の実力とは違います

たぶん、試行錯誤してみた子と比較すれば、

対策プリントをこなした子の方が点数が高いかもしれませんが、

その後にそのテストがどう生かされていくか、

その子自身をどこまで成長させ、伸ばしていくか、比較してみると、

取り返しのつかない大きな違いが見えてくるのです

だからわたしは点数で生徒たちの上下を見ることはありません

点数が上がった、下がった、とは同じテストを何回も受ける訳じゃないから、

関係ありません

ただ、勉強した成果が出るのは嬉しいことですから、

それを次へのバネに、喜びも、悔しさも、活用してほしいのです

 

そんな中学生たちに、

わたしが話すのは、

とにかく「真似事じゃない、自分の方法をいち早く見つけること」

「それには試行錯誤を繰り返すこと

 質問力をつけ、自分のミスの傾向をつかみ、

 誰かに言われるからじゃなく、自分のために努力と工夫を厭わないこと」

「その領域に入っていくと、いくら勉強しても疲れない。つらくない。

だって、すればするほど、自分が高まっていくのがわかるから。

とてつもなく幸せな時間になります」

 

さてそこで、

勉強を「やらされている」子どもたちの表情を見たことがありますか?

と問うてみます

 

さてさて

どんぐり学舎にお子さんを預けていらっしゃる保護者の方々

そして、どんぐり理論をいいな、って思って、実践している方々

そんな幸せな時間を過ごせていますか

それとも、どことなく、「やらされてる」違和感を抱きつつ、

迷いやとまどいの中、子どもたちを無理矢理引っ張ってはいませんか?

 

中学生と、同じです

自分が、試行錯誤して見つけ出した方法なら、

きっと、毎日がハッピーで心地よいものになるでしょう

 

わたしは17歳でシュタイナー教育を知って、夢のような心地でした

29歳で糸山先生のどんぐり倶楽部を知って、「これだ!!」って思いました

佐々木正美先生や、山田真先生、毛利子来先生など、すぐには会えないけど

大好きな考え方で子育てを後押ししてくれた素晴らしいお医者さんたちの言葉も

たくさんの本を読んで、また、講演に出掛けて、ひとつひとつ、噛みしめてきました

我が県が誇る教育者、斉藤喜博先生についても猛勉強しました

(学校の先生じゃないとできないことだらけで、ただただ憧れるだけでしたが)

斉藤公子先生の保育論にも胸を打たれました

河添邦俊先生の赤ちゃんからの子育て論にも頷くことばかりでした

なぜでしょうか

こんなにたくさんの「先生」たちに影響されたわたしですが、

今は少しの迷いもありません

勉強すればするほど心地よく、

まだまだ知りたいことや、学びたいことがあふれかえっています

そんなに色々勉強すると、混乱しない?と思いますか?

もちろん、同じ学校の先生でも、同じ年代でも、

なにか、同じ組合にでも入っているわけでもない

わたしが勝手に一方的に興味を持ち、

勝手に一方的に「出会った」上記の先生方ですが、

わたしにとっては大きな共通した原点がはっきりと見えるのです

 

それは

「子ども主体。」

ということ

 

時には真っ向反対の意見を持った方の本も読みました

講演にも行きました

自分の考えが変わるのかどうか試しました

でも、変わらないんですね

そこで

わたしは思ったのです

 

それは、塾講師を10年やってきて、なにか違う…なにかもっと違う方法がある…と

産まれたばかりの長女を抱えながらもしょっちゅう考えていたあの頃、

新聞の新刊広告で『絶対学力』に出会って、糸山先生の言葉に衝撃を受けた時に思ったことです

ああ、この先生は、

わたしの迷いも悩みもとっくに素晴らしい理論で片付けて

しっかりと現実的で効果的な方法を示してくださっている

そして、それまで勉強してきた「わたしの好きな」理論、そして、

わたし自身の育てられ方、学び方、経験、全てと繋がって、

心から納得して、わが子へ、そして、塾生への実践となっていったのです

 

親御さんにお願いしたいのは、

どうか自分自身のセンサーを研ぎ澄ませ、アンテナをしっかりと張っていること

そして、どんなにいい方法だと知っても、

ご自分が心から納得しなければ意味がないのだということを

知ってほしい、ということ


結局、ただの真似ごとではダメなのです

急にいろいろを変えれば、子どもは納得がいかず、荒れるかもしれません

たとえばゲームをとりあげたり、テレビを消したりしたら、「なんで!?」って

でもそこで、なんと言いますか?

納得していれば、ご自身の言葉でちゃんと諭すことができる

納得しきっていなければ、お子さんを論破することはできないし、

まさかとは思いますが「聡子先生がダメっていってたでしょ!」なんて…

親の弱さをひけらかすようなものです

子どもには、お見通しです

小さいうちは力でねじ伏せられますが、いつか大きな反撃を受けるでしょう

 

テレビとゲームを制限して

なるべく自然遊びを

宿題の質を見極めて制限して

どんぐりの文章題を解かせたらわかる

…わあ~わあ~制限、制限で、大変だあ!からスタートする場合、

それまでが「異常」だったと考えることはできませんか?

 

低学年からの習い事は普通ですか?

個人それぞれがゲーム機を持ち、どこへでも持ち歩くのは、普通ですか?

家の手伝いや、ゆったりとした会話が成り立たないほどの宿題の量は、普通ですか?

子どもが何にも考えず、機械的に計算問題を書いたり、漢字を書いたりしている理由は、

考えたことありますか?

いつもスマホをのぞき込んで、

子どもがいても、会話をしていても、ついついスマホを触ってしまう

わたしたちの親は、そんなことしていましたか?

だって、

そういう時代を生きているんだもの

それが普通なんだもの

と、

ごまかしていませんか

気づいてください

麻痺してしまっている部分を、ほぐしてください

一番大事なことを、思い出してください

 

じゃないと、

いつまでも苦しいはずです

どんなに頭で納得したような気になっても、

心は動かないからです

 

それはまるで、

暴飲暴食してからダイエットサプリを食後に飲むような

糖尿病の薬を飲みながら甘いものを食べるような

甘いものを食べさせるのをやめないで歯にフッ素を塗るような

 

そんなことせず、根底から自分の足元を見て、

子どもより先に自分が勉強すればいいのです

教えてもらうんじゃなくて、自分から読み取る力を持っていけばいいのです

迷って、戸惑って、相談しながら、でも、一生懸命、放棄せず考える

そうすれば適当な噂や情報になど、流されることはありません

 

相手は純粋なのです

子どもは純粋なのです

わたしたちが強くなればいいのです

 

一番弱くて、

一番美しくて優しくて、

一番守るべき存在

わたしたちがけがすべきでない、大切な存在

そんな子どもたちと、わたしたちは暮らしているのですから

 

追記。

中学生と同じです

自ら学ぶ手伝いを、やっぱりわたしはする存在です

放っておくわけではありません

迷っている親御さんにとっても、

そんな存在でいることがわたしの使命なら、

わたしも自分が勉強してきたこと、経験してきたことを、

迷い、困って、苦しんでいる親御さんのなんらかのきっかけになるなら、

とことん、話し、なんでも、話し、

納得するまで、なんでも聞いてほしいと思っています

《2015年 6月29日投稿》

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