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82.遊びと学び

神奈川県でシュタイナー教育を柱に子育て、幼児教育、自然遊びなど、

さまざまなワークショップを展開なさっている先生のブログです

森へ行こう 「オモチャで遊ぶ」

わたしもずっと同じ事をひそかに主張してきていますが

周囲にはあまりにも「その遊び方」が普通だと思っている人が多く

あまりにも非国民的なので大きな声では言えませんでした…(←よわむしけむし…)

全く、そんなことを考えたこともない人は、

読んでびっくりするかもしれません

でも、ここに書いてあることはいま、子どもたちに起こっているあらゆる現象を

証明できる確固たる証拠と言ってもいいと思えます

 

このブログの中で書かれている

「遊び方が決まっているおもちゃ」

の実例として

ディズニーランド

レゴ

リカちゃん人形(的な)

などがあります

愛好家の方には衝撃的かもしれませんが

わたしがずうっと、子どもたちを通して感じていることは

こういうことなんだ、とはっきりここには書いてあります

 

遊び方=学び方

 

思い出してみてください

そして、今の我が子をよく観察してみてください

 

我が子がお世話になった保育園には

今はもういなくなってしまいましたが、厳しい(と思われていた)先生がかつて何人かいました

その先生の書くクラス通信には毎回と言っていいほど

「キャラクターは控えめに」

「テレビは見せない」

「ディズニーランドは控えめに」

などと明言してありました

わたしは、10代から憧れ、思い描いていた子育て生活や

独学していたシュタイナー教育と一致する部分があったので

入園してすぐでしたが

それらの言葉の真意がわかっていました

 

ところが、

周囲の園ママたちの間ではその先生は評判が悪く、嫌がられていました

わたしが代わって説明をしてあげたいくらい、その先生は言葉が足りなかったようにも思えます

結局、せっかく担任をされた園児の家族のどれだけに、

先生の真意が伝わったのか今ではわかりません

もったいないです…

わたしは当時も今の仕事は細々と続けていたので、

教育的なことを個人的に直接質問されたら自分なりに説明していましたが、

園ママたちの間に割っていって「それは違うよ」などと説教する勇気などありませんでした

 

だって、ほぼ全員が

ディズニーランドは大好きだし、

いわゆる「遊び方が決まったおもちゃ」をたくさん買っていたし、

キャラクターが大好きなのだから

 

その先生のように「控えめに」と言うなら、その理由を納得するまで説明しなくては、

同じように嫌われ、疎まれて終わりです

でも

これを読んで、説明を聞いてもなお、

たとえばどんぐり学舎が変なこと言い出したぞ、これはたまらん、とやめたくなったら

それはそれで仕方がないのかもしれません

だって、わたしはこの考えを持っているからどんぐり倶楽部の良質の算数文章問題を使用して

子どもたちのほんとうの能力を伸ばしたい、と決めたのですから

いま突然思いついたわけではないのです

 

それに、

ほぼ一致しているではないですか

さて、思い出していただけましたか?

我が子の様子を、観察していただけましたか?

 

遊び方が決まったおもちゃ

決まった遊びばかりをしてきた子は

勉強においても同じように「これはどうやるの?」と解き方を求めます

究極の「遊び方が決まっているオモチャ」はゲームですが、

テレビゲームじゃないゲームだとしても同じです

ルールがあって、それにのっとって遊ぶ遊びは、

それ以外のことはできませんから、時期と、時間を気をつけなければなりません

勉強のためによしと思われている「読書」でさえも

糸山先生は警戒せよ、とおっしゃっていて、

これも全く同じような理屈で子供の思考習慣を象徴しているな、と感じます

 

リンクしたブログにあるように、

幼児はブランコを例にとっても

ただ乗ってゆらゆら遊ぶということだけじゃなく、

砂を載せてみたかったり、バケツに入った水を載せてみたかったり、

立ったり、座ったり、逆さになったり、へんてこりんなことをやりたがります

そこが公園なら周囲との関係もあるでしょうから、

それらを全て容認するわけにはいかない場合もあると思います

でも、

させてみればいいじゃないですか

「そんなの無理!ルールはルール!」と思うなら

公園ではない場所で遊べばいいです

 

ちなみに我が家はどうしてもなぜか夫婦して

人工的な遊び場に興味がないので

幼児期に、家族で公園で遊ぶなんてこともほとんどありませんでした

赤ちゃんと日中ふたりで過ごしていた頃も、

公園に行っても制限が多すぎてつまらなくて、

なるべくなんにもない野原みたいな公園やら、

自然がそのまんま残っている公園やら、行くとしたらそんな公園を探しました

遊具のコーナーがあるとあえてそこを避けたものです

まあ、でも、公園で遊んだ思い出は普通より少ないと思います

 

子どもはたぶんその時期に、

「なんでも自分の自由に思ったままにやってみる」を多く経験するのだと思います

少し大きくなれば「そんなことしちゃだめなんだよ~」なんてお友達が言い出したり

テレビかなんかで見た遊びを模倣したり

泥や水は汚い、と嫌がったりするようになってしまいます

小学校高学年になっても喜んで泥水の水たまりに飛び込んでいく子はいません

(もしかしたら幼児期に経験していない子でやってみたい子は喜ぶかもしれません)

できなくなってしまうのです

 

もったいないなあ、と思うのですよ

 

ほら、よく、幼児の独特の言葉を紹介するコーナーがあるでしょう?

先日も福音館書店のフェイスブックで『母の友』の有名なその手のコーナーで

飛行機雲を見ていた子どもが

「飛行機には白いクレヨンがくっついているんだね」

と言ったという

そんなのが紹介されていました

どうですか

我が子がそんなことを言ったら、なんと返しますか

「いやいや、クレヨンがついてるわけないでしょ」(…最悪…)

「あれは排気ガスでね上空の気温は-0.6Xで…うんぬんかんぬん」(…最悪…)

まあ、それはともかく(正解は…一緒に見上げて「ほんとだね~!」くらいで充分。)

子どもって、そんなことを一瞬、本気で感じるのです

そして、それを言葉にするのです

それがその翌年には言わなくなっています

こないだまで言ってたのに~なぜ!?という寂しい瞬間もありましたよね

でも

それが成長です

それが自由な発想であり、自由な表現です

 

キャラクターは、

顔も表情もかたまっていて、大人がみんなして、その素性まで設定して作り上げた商品です

ぽいっとお人形だけ部屋にあるのならまだ、子どもは自分でそのお人形に自由な設定をするでしょう

でも、

ご丁寧にビデオでそのキャラクターの声を聞かせ、

動きを見せ、生活を見せ、ストーリーを見せた段階で、

子どもの想像力メーターはゼロになります

 

ディズニーに限定すれば

さらに、

ランドに行けば現物が待っていて、目の前で動き回っている

素敵な建物、素敵な町並みに自分もとけこんで、

まるで自分までキャラクターの一員になったかのよう

だから

夢の国なんでしょうけれど

実際には

自分の想像力、自由な夢を働かせる必要などは、ゼロ、全く必要ありません

 

わたしの知る限り、ディズニー好きなのは子どもではなくて、ほんとうは大人なのではないかと

思うケースが多いのは気のせいでしょうか

 

1歳や2歳の子を連れて行く家族、

赤ちゃんを抱えて行ってきて、「うちのこ大好きなんです」と

嬉しそうに話していた知人もたくさんいました

(わたしが大好きなんですぅ~とわかりやすく顔に書いてありました

 赤ちゃんぐったりしてました(笑))

でも一方で、

年間パスポートを買って通っている独身の知人(もちろん大人)

オリエンタルランドの経営方針に惚れ込んで裏の裏まで知り尽くして通う知人(もちろん大人)

いたれりつくせりのサービスや、通い詰めた人にしかないサービスなど、

深みにはまればはまるほど楽しいらしく…

キャストと呼ばれるスタッフや、夢の国を作り上げる企業努力については

わたしも興味を持ったし、「すごいな~」と思うエピソードもたくさんあります

でも、

結局有料の遊戯場です

たゆまぬ企業努力で、たくさんの人々を魅了する施設を作り上げている

すばらしい成功だと思います

大人が感動するのはそういう部分なのでしょうか

わたしも生涯一度だけ仕事で(300人の塾生引率の一員として)行ったことがありますが

その時点で興味が全くなかったのでふらふらと観察してまわり、

どこまで行ってもいわゆる「フェンス」のようなものが(野暮ったいものが)見つからないことや、

取っ手や金具など、あらゆる部分に「夢の国」の演出が細かにあしらわれているところなど、

ふむふむ~!これはすごい!と驚いたものです

 

全否定しているわけではありません

絶対だめ!って言いたい訳じゃないのです

要するに、そういうことを「拠り所」にするような子育てをしていると

普段の生活から

「与えられる遊び」や「遊び方の決まった遊び」でしか子どもは楽しめなくなり

いざ、勉強が始まれば「どうやって解くの?」「知らないからできない」「わかんない」と

かなり制限がかかった状態からスタート、というやっかいなことになりかねません

遊び方や暮らし方で身についたそういう思考は

案の定なかなか取り外すことはできません

どこから直していくか?

生活や、遊び方からではないでしょうか

 

そこは譲れない。

そこまでできない。

という親御さんの考え方が、

やはり子どもたちの自由な学びをどんどん狭めます

解き方を教えてくれる塾に通わせてトレーニングすればその時はできるようになるし

通信教材でテスト前の準備をすれば点数はとれるでしょう

そのまま中学生になった子どもは

ますます自力で学ぶことなんかできなくなっています

だからがんじがらめの塾に入れます

いたちごっこです

ストレスを抱えます

が、仕方ありません

自分で考えて学ぶ方法がわからないからです

自分のためにやるのだ、ということさえ、わからないのです

塾では解き方を教え、

テスト予想問題を配ります

テストの点数は稼いでくれるでしょう

それで満足でしょうか

教わった解き方をできるだけ覚えておいて、

それでとってきた点数は、今後のなににつながっていくのでしょうか

 

すべて同じです

最初にリンクしたブログの先生のお話は幼児期の相談からのものが多いですが

全てつながっており、全てに通じています

 

「どうしてできないの」

「どうしてこんなこともできないの」

「どうしてこんなに集中力がないの」

「どうして…」

 

すべて、つながっているんです

子どものせいにしちゃ、いけません

学びの始まる前から、始まっているのです

幼児の生活は全て遊びです

そして、遊びは学びにつながっています

与えない遊び、

決まっていない遊びをどれだけ経験したか

決まっている遊びに没頭させてしまったのならそこからすくい上げてやるのは

親御さんの使命です

親御さんが与えたのですから

《2014年 9月18日投稿》

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