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31.センス・オブ・ワンダー 一番大切なこと

かつて、『沈黙の春』から読み始めたレイチェル・カーソンでしたが、

一番好きなのはこの本で、何度読み返したかわかりません

たった60ページの本なので、すぐに読めてしまうのですが

読み返す度に

その時に必要なメッセージが見えてきて

時々

読み返しては確認している大切な一冊です

 

自然界の一員として

生物の一種として地球に暮らすわたしたちです

自然になんて興味がない、とか、

生き物や植物は好きじゃない、とか、

そんなことを言っている場合ではなくて、

すっかりおごり高ぶって自然界を汚し、壊して回っているわたしたちは

それでも静かに、変わらぬ態度で優しく出迎えてくれる自然界の命に対して

どんなにお詫びをしても

どんなに修復を試みても

足りない

その分だけせめて

間違った感覚を我が子に教えてしまうのだけは避けたいと思うのです

 

子どもたちの世界は、いつも活き活きとし新鮮で美しく、

驚きと感動にみちあふれています。

残念なことに、わたしたちの多くは大人になるまえに澄み切った洞察力や、

美しいもの、畏敬すべきものへの直感力をにぶらせ、あるときはまったく失ってしまいます。

もしもわたしが、すべての子どもの成長を見守る善良な妖精に話しかける力をもっているとしたら、

世界中の子どもに、

生涯消えることのない「センスオブワンダー=神秘さや不思議さに目を見張る感性」

を授けてほしいと頼むでしょう。

この感性は、やがて大人になるとやってくる倦怠と幻滅、

わたしたちが自然という力の源泉から遠ざかること、

つまらない人工的なものに夢中になることなどに対する、かわらぬ解毒剤になるのです。

 

覚えがありませんか

わたしたちはまだ、幼い頃今よりはもっと自然の近くに住んでいました

身の回りにもっと美しい自然がありました

1956年に書かれたこの文章の中でさえ、

大人になると自然という力の源泉から遠ざかる、とありますから

大切なのは子ども時代の自然との関わりなのです

子ども時代に「センスオブワンダー」を授かったら、

大人になってそこから遠ざかっても、「解毒剤」になるのだとカーソンは言うのです

「解毒剤」…飲みたい日、たくさんありますよね、大人になると…

 

「センスオブワンダー」を保つには、わたしたちが住んでいる世界のよろこび、

感激、神秘などを子どもと一緒に再発見し、

感動を分かち合ってくれる大人が、少なくともひとり、そばにいる必要があります。

多くの親は、熱心で繊細な子どもの好奇心にふれるたびに、

さまざまな生きものたちが住む複雑な自然界について

自分がなにも知らないことに気がつき、しばしば、どうしてよいかわからなくなります。そして、

「自分の子どもに自然のことを教えるなんて、どうしたらできるというのでしょう。

わたしは、そこにいる鳥の名前すら知らないのに!」と嘆きの声をあげるのです。

わたしは、子どもにとっても、

どのようにして子どもを教育すべきか頭をなやませている親にとっても、

「知る」ことは「感じる」ことの半分も重要ではないと固く信じています。

子どもたちがであう事実のひとつひとつが、やがて知識や知恵を生みだす種子だとしたら、

さまざまな情緒やゆたかな感性は、この種子をはぐくむ肥沃な土壌です。

幼い子ども時代は、この土壌を耕すときです。

 

「知る」ことは「感じる」ことの半分も重要ではない、

という言葉に大きく頷いてしまう瞬間が時々あります

ある幼児が、図鑑やテレビの科学番組などで得た「知識」を誇らしげに話していました

難しいものの名前を覚えていて、周囲の大人は驚き、親も感心していました

動物の生態、植物の実態、すごく興味を持って、いつも図鑑を持ち歩き、親は嬉しいですから

関連するテレビ番組を見つけては見せ、

DVDを借りてまで見せ、

知識はどんどん膨らんで、まるで小さな博士のようでした

でも、夢中で話してくれる彼の目に「センスオブワンダー」の光はなく、

心が躍っているようには見えませんでした

実際、彼は外に出るのを嫌い、本物の虫や動物に触れることを嫌がりました

両親は嘆いていましたが、当初ふたりして、まず知識ありき、で育ててきたことを反省していました

「感じる」ことと「知る」ことを同時に豊かに編み上げて、見事にそのまま育つ子もいます

でも、大抵の子は、そんな不思議なことはできません

どちらを優先すべきかというと

感じることであり、

感じることは強要できませんからまずはわたしたちが

「子どもと一緒に再発見し、感動を分かち合う」ということが大切なのです

知識を与える必要なんてありません

わたしたちにできることは、やがて芽を出す小さな種子のための

豊かな土をはくぐむことなのです

 

もし、あなた自身は自然への知識をほんのすこししかもっていないと感じていたとしても、

親として、たくさんのことを子どもにしてやることができます。

たとえば、子どもと一緒に空を見上げてみましょう。そこには夜明けや黄昏の美しさがあり、

流れる雲、夜空にまたたく星があります。

子どもと一緒に風の音を聞くこともできます。それが森を吹き渡るごうごうという声であろうと、

家のひさしや、アパートの角でヒューヒューという風のコーラスであろうと、

そうした音に耳をかたむけているうちに、

あなたの心は不思議に解き放たれていくでしょう。

雨の日には外に出て、雨に顔を打たせながら、海から空、

そして地上へと姿をかえていくひとしずくの水の長い旅路に

思いをめぐらせることもできるでしょう。

あなたが都会でくらしているとしても、公園やゴルフ場などで、

あの不思議な鳥の渡りを見て、季節の移ろいを感じることもできるのです。

さらに、台所の窓辺の小さな植木鉢にまかれた一粒の種子でさえも、

芽をだし成長していく植物の神秘について、

子どもと一緒にじっくり考える機会をあたえてくれるでしょう。

 

ね、急に外に出てみたくなりませんか?

そんなに遠くに出かけなくったって、

靴を履き替え、上着を用意しなくたって、

わたしたちは子どもたちのセンスオブワンダーを磨くことも、自分たちの感性を取り戻すことも

できるみたいです

 

子どもといっしょに自然を探索するということは、

まわりにあるすべてのものに対するあなた自身の感受性に

みがきをかけるということです。

それは、しばらくつかっていなかった感覚の回路をひらくこと、つまり、

あなたの目、耳、鼻、指先のつかいかたをもう一度学び直すことなのです。

 

わたしは幸いにも、子どもたちと一緒に時間をすごす仕事を長くやってきましたから

子どもたちのそのまんまの感性に、心を洗われるような経験を何度もしています

子どもの感性の育ちを邪魔し、傷つけるような大人にだけはなりたくなかったので、

我が子を授かるずうっと前から、

子どもたちの視線の先を静かに追ってきました

おかげで、「まわりにあるすべてのものに対する感受性に磨きをかける」という部分では

きっと、恵まれた環境にあったのだと思います

だから、我が子との暮らしが始まると、

日常の生活で彼女たちのセンスオブワンダーが育つのを楽しみました

 

テレビは見ず、家の中でも車の中でもCDなどはかけませんでした

すると風の音、鳥の声、家の近くを走る車や宣伝カー、毎週決まった時間に通るお魚屋さん

子どもたちは毎日違った音を発見しました

家の中の照明は白熱球の色に揃え、暗めにしていました

シュタイナー教育を勉強した時に乳児に心地よい色、幼児に優しい色、などあったので

意識して、どぎつい色やデザインのものは避けましたが、

小学生になった現在ではありとあらゆる世の中のものが雑多に目に入るのもいいなと

整然とはしてありますがいろいろ好きなように集めたものを並べて楽しんでいます

わたしは、キッチンや書斎など、わたしのスペースをわたしの感性で整えていますから、

そこはそこで彼女たちになんらかの影響は与えていると思われます

遊び場

いまだかつてDランドなどのテーマパークに行ったことのない我が家です

山や、川、海や島、行きたい場所がありすぎて、そういう場所に割く時間もお金もないのを

子どもたちはよくわかっています

山は斜面で、子ども用に安全な道などないし、

大人と同じ道を自分なりに工夫してクリアしなければ登れません

川はとうとうと流れ、

やはり子ども用に安全に整備された場所もなく(そういう川もありますが、我が家では行かないので)

気を抜くと危険なこと、ここまでくれば安全なこと、

子どもたちは身をもって学び、ぎりぎりのスリルを味わい、楽しみます

休むことなく歩き、泳ぎ、走り回り、紅潮した顔で帰りの車に乗り込み

ことん、と眠って起きても疲れを知らない子どもたちです

 

庭仕事も木工も料理も、日常的に必要なこととしてわたしたち親は淡々とこなすのですが

子どもたちは特に外出しないそんな日はわたしたちの周囲を駆け回りながら

自分たちの庭を楽しんで育ってきました

 

特別なことをしなくても

お金をかけなくても

わたしたち大人が自分自身の感受性を取り戻しさえすれば

子どもたちは素直にそこについてきてくれる

そう思うのです

 

先日中学生の授業が終わって外に送り出した夜中、

外で待っていたお母様が 「あっ、止まっちゃった」

我が家の玄関先の茂みのあちこちから聞こえる虫の声をじっと聴いていたのです

わたしがドアを開けた音で虫が鳴くのをやめてしまったのですね

「しばらくじーっとしていると、また聞こえるの。」

あっちにも、ここにも、と指さして微笑んで。

 

こういうお母様に育てられているこの子のセンスオブワンダーは

きっとキラキラ輝いているんだろうなぁと感じました

中学生になり、高校生になり、大人になって足元の虫になんか興味もなくなり、気味悪がり、

自分のことで精一杯で、悩んだり苦しんだり、いろんなことが待ち受けているかもしれないけど、

必ず、幼い頃豊かに育った子はふっと立ち戻れる思い出があり

それが日常のなんでもない、ただ一緒に空を見て、草を見て、虫の声をきいて、

微笑みあったことだけ

そんなちっちゃなことがいっぱい、いっぱい、あればあるほど

そう、その子は大丈夫なんだろうなあ、と思うのです

 

引用すればきりもなく、前半部分からここを抜粋するのにも相当悩むくらい

どこをとってもいい文章です

これを読むだけで、感受性が取り戻せるような気がする一冊です

《2013年 10月9日投稿》

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