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67.関わらないで、関わっていく

少し前、

子どもの頃から大好きだった映画、スーパーマンの最新作を見ました

(今頃!?…ですが…専らレンタルで映画を見る習慣になっており…)

『Man of Steel』 (鋼鉄の男!?)

というタイトルで、かつて何度か映画化されたスーパーマンの、

そもそもの誕生秘話が主題の物語でした

 

まさに出産シーンからの始まりでしたが、舞台はもちろん「クリプトン星」

生後間もなくスーパーマンは地球に送られるのです

背景にはいろいろ複雑な問題があるのですが

わたしが興味を持ったのはスーパーマンが父と母を持つ、

自然出産による赤ちゃんだったということ

 

クリプトン星ではその時、赤ちゃんは全てコンピューターによってDNAをプログラムされた

完全なる人工的、機械的生産調整によってのみ生まれていたのです

学者のDNA、料理人のDNA、教師のDNA、芸人のDNA…

そんなの出てきませんが多分そういうことでしょう(笑)

そして、戦士のDNA。

結果的には、相手を滅ぼす目的のためだけにプログラムされた戦士のDNAを持つ敵と

自然出産で生まれた(…いわゆる、人の心を持った)スーパーマンの戦いになります

地球まで追いかけてきた戦士と、

地球や地球人を守るために戦わなければならないスーパーマン

戦いがだいぶ劣勢で痛々しい時、ひとりの戦士が言うのです

「お前は弱い。」

そう、スーパーマンは弱いのです

だって、人の心があるから、本気で相手をやっつけることには相当の覚悟がいる

でも、戦士は違います

そのためだけに生まれてきたのですから容赦なくどんどん攻撃してきます

一般人が犠牲になろうと関係ありません

 

最後の戦士と一騎打ちになったとき、

スーパーマンは意を決してとどめをささなければならなかったのです

人には人を滅ぼすDNAなど、本来組み込まれていないのだ

というメッセージがあるような気がしました

とどめをさしてもなお、晴れ晴れとしない、悲しげなスーパーマンの表情に、

私も晴れ晴れとはしませんでした

 

見終わってしばらく考えました

クリプトン星の赤ちゃんたちのように

わたしたちは人工的に作られたのではなく

あるがままの生物として生まれてきたはずです

ひとつの目的だけではなく、

持ち合わせた個々の特徴はあるにせよ、

育つ環境や、出会う相手、出会うものごとによって色々な経験を積み、感情を揺らし、

少しずつ自分の生き方を見つけていく、

決まった人生を辿るためではなく、

迷い、間違え、探しながら自分で自分の道を切りひらくように生きていくのではないかと

 

最近、いろいろな学年の子どもたちといっぺんに触れ合う機会が(仕事以外で)何回かありました

我が子だけでなく、色々な子どもが混在します

たぶん、今の子どもたちにとってそのような環境は普段の生活の中でもあまりない状況なのでしょう

だからなのか、たとえば

年上の子が年下の子を気にかけません

たとえば平等になるよう配慮したり、少しだけ手加減したり、ひとりぼっちでいる子を誘ったり

そういう気遣いが最高学年の子でもなかなかできる子はいません

自分勝手に、自分の知っている子だけといつまでもいます

 

ひとりひとり話すとみんなとってもいい子たちです

きょうだいがいる子もいますから、年下の子の扱いを知らないわけではないでしょう

 

でも、経験が少なすぎるのだと感じました

彼らもまた、年上の子と遊び、楽しく交わった経験があまりないのでしょう

 

それは大人が設定するものでも、教えてやることでも本来はありません

 

わたしたちが子どもの頃はいろいろな年齢の子がいっぺんに遊ぶこともよくありましたから、

「みそっかす」というハンデ制(これは方言でいろいろあるみたいです)や、

どうしたら全員が楽しめるかという工夫は、当たり前のことでした

野球やサッカーをしていた元男子に聞いてもやはり、

ちびたちのプライドを傷つけない程度の手加減や

やはり「みそっかす」でとにかく全員で遊んだと言っていました

メンバーが足りないよりましですからね(笑)

 

ルールの解釈が違うとけんかになったり、

でもまた次の日には同じメンバーで遊んだり

小さい子が転んで泣くとみんなで水道に連れて行って洗ったり家まで送っていったり

いつもと違う場所で遊んでいるとそこをホームとしている集団とにらみ合いになったり

子どもなりに小さな社会でいろいろ味わって、

理不尽なことも不合理なことも無駄なことも馬鹿なことも

たくさんたくさん経験したものです

 

わたしたちの親世代などもっとでしょう

もっともっと子ども向けでない時代に

もっともっと大人に放っておかれて遊んだことでしょう

 

でも、今の子にはその経験があまりにもないのです

放課後とおぼしき時間帯に外に出ても、

昔の子のように遊んでいる子はいません

休みの日は大きな公園などにたくさんの子どもたちがいますが、

たいてい親と一緒に遊んでいます

子ども同士をみかけても、2人とか3人とか、

それに、ゲームを持ち寄っているケースも多いです

 

こうして現代の子どもたちは

後天的にプログラムされてしまうのだと思うのです

本来持っているはずの(そう、ありのままのDNAであるはずですから)人間らしさを

こうして奪われ、上書きされてしまうのだと

親と一緒に遊んでばかりでは

大人の合理的で無駄のない、しかも理不尽なことなどありえない状態で

ともするとあつらえられたような環境で

いつも決まった相手とでは遊び方も対し方もパターン化し

初めて出会った年下の子とどう接したらいいか試すこともせず関心も持たず

 

そして、

大人になっていくのです

周囲に関心も持たず

気配りもできず

決まった場所で決まったことなら上手にできるけれど

ミスした時

トラブルに陥った時

工夫することはプログラムされておらず

相手を思いやることも

誰かに大切に扱われることも

プログラムされておらず…

 

大人が設定してやることでも、教えてやるものでもない、とさっき書きました

でも、わたしたちが子ども時代から問題になっている

「子どもが自由に遊ぶ場所が減っている」件、

こればかりはどうにもならず、

だから、子どもはみんなでわいわい遊ばなく、遊べなくなってしまい、

サッカーをするにも野球をするにもお金を払い会員登録が必要で

(そうじゃないと思い切りボールを蹴る(投げる)場所さえない)

遊ぶ場所がないからゲームで暇つぶしをさせ

工夫することも考えることも放棄した子からはやる気も見えず、

だから勉強が心配で塾に入れ

ますます自由時間はなくなり

人ともみ合い、触れ合う時間も経験もどんどん減り

どう対処したらいいか(プログラムは上書きされて)わからず

いじめ

引きこもり

そして先日の、ミスを虚偽でもみ消そうとした旅行会社の彼のような失態

 

全部つながっていると思うのです

わたしたち大人は、

設定していると思わせずになんとか設定し、

教えているのではないけどなんとか教えて、

子どもたちを放っておきながら自由に育てることがこんなに難しい今の時代に

それでも諦めずに心がけなければならないのです

 

少なくとも親が自ら

子どもたちの自由時間を奪うようなことをしてはならないし、

子どもたちの人間関係に水を差すようなことをしてはならないし、

親の身勝手で子どもを振りまわすなんてもってのほかなのです

 

子どもはたぶん、子ども同士での時間の中でだけ、

社会に出てからの多くをプログラムしていけるのだと思います

大人がひとりいるだけで、問題解決は委ねられてしまいます

子ども同士の中で、

初めての場所、初めての相手にどう対処するか

弱者、強者とのバランス

相手を尊重すること、そして助けること、

ミスした時、トラブルに陥った時、

プログラムされていれば

つまり経験が刻まれていれば

いずれ訪れるなんてことない誰にでもあるような問題はクリア

でも、経験値がなんにもない人にとっては大問題であり、

死活問題にさえなってしまうのです

 

親としてなにがしてやれるでしょう

関わらないで、関わっていく

現代の子どもたちを抱えるわたしたちの最大の課題です

とにかくそういう経験値を増やす、あらゆることをプログラムする意識で、

子どもの体と心があらゆることを体験することをイメージして、

わたしたち親はなんとか水面下で努力して環境をつくり、

手出しはしない方が、きっといいのです

《2014年 5月8日投稿》

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