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85.体力も知力も人為的なものではなく…

10月13日の新聞記事を引用します

『子どもの体力 30年前ピーク   五輪 自国開催後は向上  ~国の調査50年』

 小中学生の体力が、1985年頃をピークに低下していることが、文部科学省が12日に発表した「体力・運動能力調査」でわかった。東京五輪のあった64年度から続く調査で、今回は50年間の長期的な傾向を分析。72年の札幌、98年の長野と、五輪が国内で開かれた後に向上する傾向があるという。

 調査は昨年5~10月、全国の6~79歳の約7万4千人を抽出して実施した。小学生では11歳、中学生は13歳がモデルとなった。

 13歳女子の「持久走」(1000m)は64年度は4分49秒49だったが、札幌五輪を経て85年度に4分27秒11でピークに。一時期は5分近くまで落ち込むが、98年の長野五輪の後に持ち直して2013年度は4分41秒88となった。11歳の「50m走」などでも85年度前後を境に下落し、98年以降に徐々に戻すような傾向が見られた。

 文科省の担当者は「オリンピックの開催でスポーツの気運が高まり、子どもの体力に良い影響を与えた可能性がある」と話した。

 ただ、11歳の「ソフトボール投げ」は一貫して横ばいか低下傾向だ。文科省は、子どもに人気のスポーツが野球中心から多様化したことを挙げる。

 一方、調査を担当した順天堂大大学院の内藤久士教授(運動生理学)は、85年度前後がピークとなったことについて、体力のある子とない子の差が開いたと指摘する。「80年ごろまでの学校は、運動の苦手な子に歯を食いしばって頑張らせる『根性型』の指導をしたが、徐々に『苦しければやらなくていい』となった。結果的に全く運動をしない層が現れ、平均を押し下げた」とみる。子どもの体格は向上しており、運動能力が高い子はさらにできるようになり、「二極化」が起きているという。

(2014.10.13 朝日新聞  1面)

 

あら!1985年に13歳って…わたしたちの学年です!ピークだったのかぁ…ふむふむ…

オリンピック自国開催との相関は気づきませんでした…

さすがに50年もの期間の分析ですから、そういう数字になったということで

それが正確な数値なら、

その影響が少なくともあるのかもしれないなあ…と読み取りつつ、

で、子どもの「体力」っていうのは、「体育の授業」や、

なんらかの「スポーツ」をすることで養われるものなのかい?

という素朴な疑問に対して触れられていないことに物足りなさを感じながら

「36面へ」という指示に従い読み進めました

 

『競争より「達成感」 教育現場、個人差を尊重』

運動が得意な子と苦手な子。小中学生の間で二極化が進んでいるという。競ったり、がむしゃらに頑張ったりするより、「達成感」を大事にしたい。学校現場では、それぞれの子どもの力に合わせた取り組みが広がっている。

 「最近は『何が何でも頑張る』ということが少なくなっている」。体育系の部活に携わってきた千葉県内の公立中学校長(55)は、ここ数年、そう感じている。3年ほど前に勤務していた学校では、体育の持久走で順位やタイムを競う方式がなくなっていた。20分間に走った距離を1人ひとりが毎回足し算し、自分の目標をどれだけ達成できたかを評価する仕組みだ。

 「無理をしてでも頑張る、という風潮は10年くらい前まで。『本人が気持ちよく運動できるようにしてほしい』という保護者の声は強く、学校現場もそうした方向で指導する流れになっている」と話す。

 神奈川県内のある公立小学校でも、持久走の大会が約10年前に、個人の記録会に変わった。一定のペースで走る方法を身につけるため、友達とペアになって互いにタイムを測ったり声を掛け合ったりしながら走る練習を採り入れたという。

 長年子どもの体操教室で指導している「自由が丘TFS幼児教室」(東京都目黒区)の飯田雅也室長(62)は、昔に比べて「諦めの早い子」が多くなったと感じている。「野球だけでなくサッカー、バスケットボールなど人気種目が増えたので、一つの競技に執着しなくてもよくなったのが要因だと思う。ある程度続けることも必要だ。」

 東京都小学校体育研究会の会長を務める港区港南小学校の古家真校長も、「子どもたちが粘れなくなったことが握力や持久力の低下につながっている」とみる1人だ。「子どもが頑張るには他者に認めてもらうことが必要。核家族化や地域の人間関係が希薄になり、ほめてもらっていないことも影響しているのではないか」と分析した。

 こうしたなか、厳しい鍛錬を生徒に求める学校もある。台東区立忍岡中学校では毎年1月中旬の一週間、「耐寒訓練」として全生徒が柔道、剣道、マラソンのいずれかを選んで午前7時から1時間練習に取り組む。小寺正樹校長は「生徒は意図的にかけた負荷を乗り越えることで成長し、たくましくなっていく」と話している。

(2014.10.13 朝日新聞 36面)

 

やはりこちらを読み進めても、それなりの現場経験者の方々の「分析」を読んでも、

やっぱり共感できるご意見はなく、なかなか頷けません…

まあ、確かに、体育は冬でもブルマだったし、

部活中は水も飲めないからトイレの手洗いの水をこっそり飲んだり、

今では考えられないような厳しい状況を、特にそうとも思わず普通に過ごしてきたわたしたち世代です

分析されている方々はそれぞれ

ご自身の経験した場所と、そこでの定点観察から子どもたちの変化を、

主に述べていらっしゃるわけなのですが、

でも実は、もっともっと基本的なことはそこじゃあないんですよ…って

心の中では気づいていらっしゃるのでしょうか

気づいている、と言ってください

わたしなんかにもわかるこんな簡単なこと

なんでしょう、禁句でしょうか?

それに触れるのはタブーなんでしょうか?

簡単なことではないですか

子どもの体力は体育の授業やスポーツで養われるわけではありません

それは+αであり、特殊教育です

 

子どもは歩き、走り、遊び、追いかけ、登り、飛び降り、回り、転がり…

投げ、拾い、受け止め、浴び、よけ、汚し、汚され、声を出し…

好きなように、自由に体を使って遊びながら体力をつけていくのです

 

小学校に入って、体育の授業で育ててもらう力ではありません

お金を払って、クラブに入会してつけてもらう力ではないのです

 

娘たちの保育園は、よく歩く保育園でした

2、3歳児でも5㎞くらいは平気で、しかも遠足のときだけなどではなく、

日課の散歩としてよく歩かせてくれました

年中、年長になると、大人も顔負けの登山道を登りきる子に育っています

そのビジョンをもって、日頃の保育をしてくださっているのだと思います

運動として「歩く」というトレーニングをしているようには見えず、

本当にただの「散歩」なのです

綺麗な花があればみんなで顔を近づけ、

おもしろい生き物がいればみんなで見て、

知っているおうちがあればみんなで挨拶したり寄りこんだり(笑)

そんな風に自然に、歩くのを楽しんでいるように見えました

 

群馬は車社会で、ちょっとそこまで、という場所でも車で行かないと不便に感じます

子どもたちはそれに乗っかって、たとえばそんな保育園を出た子だって、

いつの間にか歩かなくなります

 

夫は同い年ながら住宅街で育ったわたしの隣町の農村で育ったのですが、

話を聞けば聞くほど豊かな幼少期に思えます

家の中で遊ぶなんてことはなかった

外の方がおもしろかったし、遊ぶ場所や、ものはいくらでもあった

あぜ道、水路…舗装されていない自然な水路には生き物がたくさん

虫取り、神社で野球、おにごっこ…

負けずにわたしも

道路に蝋石で描いた迷路、缶蹴り、高オニ、公園で蹴り野球、鬼ごっこ、木登り

団地の友達のところにあそびに行き、階段の上から紙と紐で荷物用エレベーターを作って上下…

やはり

家の中で遊ぶことなんかなかった

そして、大人に頼んで遊ばせてもらうことも

 

今は、あぜ道に入れば通報され、水路は舗装され、虫取り小僧が競って集まった大きな木は

いつのまにかなくなってしまった

公園では「してはいけないこと」が増え、このあたりではまだ見かけませんが

都会では「ボールを蹴らないで」「大声を出さないで」という注意書きのある公園もあるとか

子どもの水遊びの声がうるさい、と水遊び場の水道を撤去してしまったというニュースもありましたね

「保育園建設反対」運動の話も聞いています

中学校の吹奏楽部は近所からの苦情に備え、窓を閉め切って練習するところもあるそうです

…遊び

から逸れてしまいましたが…

子どもはそうやって自由に遊べる場所を奪われて、

基本的な体力も、基本的な人間関係を築く経験も、そして、思考力でさえも

奪われてしまった、と分析して意見する方はいらっしゃらないのでしょうか

「達成感」のために鬼ごっこをしていたわけでも、

「誰かに褒められたくて」走ったのでもなく

「諦めが早く」「粘り強くない」のは、体育の授業や部活の指導の変化が原因ではありません

楽しいから

子どもの原動力はそれしかありません

集中力がないんです…と嘆いて相談してくる方がいますが決まってこうおっしゃいます

「好きなこととなるとものすごい集中力なんです」

 

そんな記事を読んだ翌日、授業のあとに生徒たちと鬼ごっこをしながら考えていました

記事を読んだ後夫婦で話していたとおり、「鬼ごっこ」という運動のなんと多様なこと

急ブレーキをかけるグリップ力、急激に方向転換をする反射神経、

フェイントをかけながら鬼をすり抜けるスリルと駆け引き、

ハンデのつもりで草履で参加していたわたし、かなり体力を消耗しました

 

れっきとした指導者がついたプレイパークが人気とか

自由に遊べる遊び場が人気とか

お金を払ったり、車で遠くまで行ったり、会員登録したり、

結局は「自由な遊び」もそうやって手に入れる時代

 

あーあ、わたしに広大な農場のような土地があったら…

 

そして数日

今朝の新聞のコラムでようやく少し肯ける内容が

 

こんな条文があるのかとびっくりした。東京都千代田区が去年制定した「子どもの遊び場に関する基本条例」である。その前文は、小学生同士のおしゃべりから始まる▼「お父さんやお母さんが子どもの頃は、もっと外で遊んでいたって聞くけれど、今はあんまり外であそばないね」「家でテレビを見たり、ゲームをすることが多いなあ」「たまには外で思いっきり遊びたいよね」▼条例づくりにあたり、区内の小学生の声を実際に聞いて盛り込んだ。都会の真ん中には原っぱも空き地もないが、彼らに「外遊び」を満喫してほしい。条例を受け、区内の公園や広場4カ所をボール遊びのために日時指定で開放した▼遊び方は世代によって変わり、運動能力に影響する。そのことをよく示す調査結果を、文科省が先日発表した。ソフトボールを投げる力の低下が目立つ。東京五輪のあった1964年の10歳男子は約30メートル、25年後の89年の10歳は約28メートル、そして去年の10歳は約24メートルだ▼遠くに投げるにはコツがいる。野球一辺倒だった我が世代に比べ、いまの子は経験が少ないせいではないかと文科省は見る。サッカーをはじめ他にも楽しい球技があるし、近隣への配慮といった理由でキャッチボールを禁止している公園も少なくない▼打球があらぬ方向に飛び、民家のガラスを割った経験のあるご同輩は多いのでは。叱られもしたが、謝り方も学んだ。あれはあれで人生の勉強だった、などと言うともっと叱られそうだが、牧歌的な時代ではあった。

(2014.10.16 朝日新聞 天声人語)

 

牧歌的か…

そんな環境でこそ

子どもは全ての力を自分たちで育てていくのにね

大人が学校に「本人が気持ちよく運動できるようにしてほしい」なんて

注文をつける必要なんかないくらい、

どんなことも楽しんでしまえるたくましい子に育つのに

それは体力に限ったことではありません

知力も全く、同じ事が言えます

 

子どもは楽しんで育つもの

小さい頃にいかに自由に楽しんだか、なんの評価も制限もされず、

大人の監督や指示を受けず、自分たちで楽しむこと

そうして自然に身についた知力や体力が

いずれ夢のために「努力」しなければならないとき

歯を食いしばらなければならないとき

粘り強く苦しくても簡単には諦めたくないとき

発揮されるのです

 

牧歌的な環境を、こどもたちに!

《2014年 10月16日投稿》

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