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81.めくじらを立てない

この辺りでは秋に大運動会

子どもたちは真っ黒けになって毎日練習していて

「もう楽しくて楽しくてしょうがないんだよ」という1年生やら

「組み立て体操、まじしんどいんですよ~!」と愚痴る5年生やら

「毎日怒鳴られっぱなし…」と辟易している6年生やら

大きなイベントの前は学校もそれに向けて一生懸命なので

子どもたちもその波に乗ってあっちへこっちへ

くわえて3連休前だから、と莫大な量の宿題を出した先生がいて

また愚痴

 

本当に、子どもたちの生活はいったい誰のためにあるのか

子どもたちが自分の頭で考えて、心で感じて、自由に動く時間は

どれだけあるのか…

おとなが大きな声を出せば、

子供はとりあえずそれだけで萎縮して、

一瞬、言うことを聞いて注意されたことを正すかもしれません

 

たとえば

おしゃべりばかりしてかなりうるさい時

ふざけてばかりいて他の子に迷惑をかける時

「やめなさい!!」って大きな声を出せば、

一瞬やめるのかもしれません

運動会の練習でも、やれ並べ、やれ踊れ、やれ走れ…

当たり前ですが、そんな毎日なわけです

もうちょっと子どもたちが自主的に生き生きと動く運動会ってものを

工夫できないものかと

毎年、作られた運動会を見ながら思うのですが

そこまではともかくとして、

とにかく子どもたちの特性をもう少し大人は知っていなければならない、

と思う瞬間が多くあります

 

少なくともどんぐり学舎では

大人はわたしひとりですが、とにかく、できるだけ緩く、

自由気ままに、わたし自身もリラックスしてのんきに構えるようにしています

水面下ではじたばたしていても、実際には超ハードスケジュールで息が詰まりそうでも、

それでも、できるだけ子どもたちと教室にいる間はのんびりしているように努力(笑)

 

そして、いちいち細かいことにめくじらを立てません

 

忘れ物?貸してあげます

(次女が学校で忘れ物をしたら「二度と忘れないでね」と先生に言われたそうです。

ちょっと怖い言葉です。先生のおっしゃる意味もわかりますが、

そんな言葉をかけるより、忘れさせない方法があるし、

二度と忘れるな、というほどの忘れ物なんかほとんどないはずなのです)

なんにも気にしてない風に、なんでも貸しますよ

うっかり、忘れてしまったならば、です

明らかに毎回持ってくる気がないな、という場合にはきちんと話をします

 

おしゃべりが止まらないクラスには

「しゃべっててよくできるねえ!逆に難しくなっちゃうでしょうよ~」と。

いつのまにかそのクラスは自分たちから、「今からしゃべっちゃだめね!」とか決めて、

まあそれでもしゃべってしまうんですけど(笑)

わたしはもう「しゃべるな」と言う必要はないんですよね

 

床にばさばさっとモノを落としても

「あー、待って、いま考えてる途中だからあとで拾うね」と言う子や

「ちょうどいいや、終わるまで下に置いておくよ」と言う子

教室も机もせまいので、落とすのも無理はないか、と思うので

まあ、放っておきますがみんなそれぞれに工夫しています

わたしが拾ってやることはないし、

第一、中学生になってもまだばっさばさと落としている子はいないので

自分でそれなりに工夫しているんだと思います

 

わたしのことをなんと呼ぶか、ということも別にどうでもよくて、

以前からの知り合いの子は名前で呼んでくれるし、

せんせい、と呼ぶ子もいます

なんでもいいよ

と話しています

進学塾に勤めていた時、そうはいかなくて、全員にもちろん「先生」と呼ばれていましたが、

若くて年齢も近い生徒たちにそう呼ばれるのが本当に気恥ずかしくて変な感じで

卒業の日には必ず「明日からわたし、先生じゃなくて友達だから名前で呼んで」なんて話して

翌日から「さとこちゃーん」なんてメールが来たりするのですが、

それでも

大人になった教え子たちの中で、わたしを友達のように扱う子はいなくて、

いつのまにか

いつまでも

師弟関係は師弟関係で

ああ、こうやって子どもたちは、いちいち大人が指示をしなくても、勝手に自分たちで考えさせれば

わきまえていくんだなあ、と感じたりするのです

 

大人が無理矢理挨拶をさせたり、謝らせたり、というのもそうです

きちんとしている親御さんこそそういうところが気になるようで、

きちんとさせようとするのですが、そんなことは徐々に自分からするように必ずなるので、

どんぐり学舎の場合は大丈夫です

挨拶は確かに大事なことですが、目を見て、自分から声を発する以外は

あまり意味はないと思うのです

それより、黙っていてもにこっと笑ってくれているだけで

充分伝わります

わたしの娘たちも声を出してわかりやすい挨拶や反応をしないタイプで

大きな声でばりばりしゃべるわたしにとってはもどかしい限り、

注意したことも何度もありますが

実はわたしのいないところでは案外ちゃんとやってるらしいことや、

私と一緒だと気恥ずかしさからか声を出さないにしても顔は笑って相手を見つめていたりするので

まあ、大丈夫かな、なんて

…ていうか、わたしのせいかも!!??とか…

宮本算数教室の宮本先生も言っていましたが、

入塾早々きちんと挨拶ができて、受け答えがしっかりしている子は逆に不安だと

親に言われたとおりきちんとできるというだけで、

それになんの意味があるのか、ということだったと思います

要するに、表面だけでは意味がないということです

 

だから、わたしはいつも子どもたちの奥にある「ほんとう」を見つめます

言葉遣いや、態度の向こう側にある「ほんとう」を

荒れていても、礼儀正しくても、それは表面でしかなく、

その子の「ほんとう」はもっと奥にあるのです

子どもたちが「ほんとう」を出してくるのは、

周囲の安全と、安心を確認できて、

ここでは大丈夫だ、と思った時だと思います

一挙手一投足注意されてばかりの状況では

「ほんとう」を出せるはずなんかなくて、

「ほんとう」を出せなければあらゆる思考も能力も、

育つわけはなくて…

 

本当なら塾ではびしっとして、他でゆったりリラックスするイメージなのでしょうけれど、

学校でびしばしやられ、宿題で家に帰っても気が抜けない子どもたち

外で自由に遊べる環境も減り、

お金で遊びを買うしかない時代

表面的な礼儀作法や

表面的な勉強方法

厳しくしつければ子どもたちは習得するでしょうけれど、

それがそのこの「ほんとう」かどうか、

身近にいる大人は確認してあげなくてはなりません

「ほんとう」を押し込めてずっと過ごしていたら…

あとでどうなってしまうのか、

想像できませんか?

 

やっと3MXあたりまで進んだ高学年の子が

先日はなかなか思考が進まない

話を聞くと「運動会の練習で…」と疲れた表情

よーし、じゃあここから好きなの選んでいいよ

と体験授業者用のどんぐり問題ボックスを渡すと

嬉しそうに0MXを取り出してのんびり描き出しました

「あー  よかった!せんせい、次もこれがいい。

 運動会終わるまで、これでいい?」

「いいよ~ もちろん」

「やったー!」

 

行きつ戻りつ…

どんどんレベルアップするのがわかりやすいし、親御さんも嬉しいでしょうけれど、

子どもたちの中にはこんな風に調整しようとする瞬間もあるのです

ぼーっとして、なにやってんだろうな~と思っても

器をひっくりかえして大失敗しちゃっても、

めくじらを立てず見守ってください

叱られて、反省して学ぶことより、

自分のしてしまったことを真っ正面自分で受け止めることの方が

次への進歩になります

 

三連休、子どもたちとのんびり過ごせるといいですね

さて、わたしもおにぎり作ってでかけます

《2014年 9月13日投稿》

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