危ないから、と大人が判断して排除していった結果
子どもたちをとりまく環境は安全に、そして味気なくスリルもなく
子どもたち自身が身を守るワザを身につけるチャンスもなく
ひ弱で想像力に乏しいかわいそうな青少年を増やす結果となりました
刃物を使わないから刃物の恐ろしさもしらず
火を使わないから火の特性も怖さも味わわず
自分の手や足の力だけで登ったり降りたりぶら下がったりする場所も遊具も
ずいぶんと減らされています
1年生になった長女に
このタイミング
と思ってまずやらせてみたのが「つめきり」です
これまでかならず私が切っていましたが
長女の手指の発達状況をみてきて
今ならしっかりと全うできるかなと感じ
任せてみました
最初はおっかなびっくり
小指はこわいからあとでかぁかぁがやって。
左手で切るのは難しいから右手はかぁかぁがやってね。
なんて言いながらゆっくり、ゆっくり、切りやすい爪から切っているうちに
できるかも
やってみる
こつをつかんでとうとうすべての爪をキレイに切りそろえることができました
長女が赤ちゃんの頃からその傍らで仕事をしてきました
カッターやはさみ、コンパスなど、長女には日常近くにあるもので、
わたしもふたりきりの昼間の生活の中で、
長女の発達を見ながら
絶対に手の届かないところにおくか
少し手が届くようにしておくか
さわらせるだけか
使わせてみるか
本能的に刃物など危険な道具を与えてきました
次女と比べると手指の器用さがひきたつ長女は
1歳半くらいからはさみをそれなりに使うことができ
2歳くらいでコンパスで円を描きました
定規で線を引いて表をつくったり(わたしの見よう見まねでしょう)していました
同時に、はさみの持ち方や人に渡すときの作法、
そこいらに放置しないルールなど、刃物の怖さも教えていきました
4歳になる頃には包丁で簡単な野菜なら切れるようになり
今ではみじん切りや千切りが得意でどんどんやりがたります
正直、本当に助かります
1年生になって、筆箱に入れていく5本の鉛筆を毎日チェックして
先のまるまっているものをわたしがナイフで削っています
今はそれがしたくてしょうがない様子
もうしばらく削る様子をみせておいて、
夏休み頃になったらやらせてみようかと思います
やらせてみる年齢、月齢はその子によって様々で
何歳頃これができる、などという表は当てになりません
子どもと向き合って生活していると
遊びの中で、あ、そろそろ箸が使えそうかな
とか
そろそろ水の入ったコップを運べそうかな
とか
失敗させながらも挑戦させていくことができ
それをさせることでどんどんこどもは成長していきます
他人と比べる必要もなく、焦る必要もなく、
我が子としっかり向き合ってさえいれば、
不思議とそんな変な気持ちは湧いてこないのです
現に、長女と次女は全く違うけど、
次女に対する焦りなど、まったくありません
最近、本の家のおかあさんに勧められて読んだ本
子どもにはその子なりの適齢期があって
それを見定めるのが親の役目だということが
よくわかります
危ないから、下手だからとやらせないでおくと
将来どういうことになるのか、ということも…
この本は自閉症児の育児を本筋に書かれていますが
健常児を育てるうえでも全く同じことがいえて
それどころか健常児だからこそ「平気、平気」と見逃されているおそれがあると
筆者は書いています
当たり前の成長なんてない
なんのために人間として生まれてきたか
放っておいて育つなんてことはないのだと思いました
そして先日夜更けまで見入ってしまった映画
『パフューム ある人殺しの物語』(2006年ドイツ)
もまた
産んだからには子どもと向き合うべき
向き合わなかったらどうなるか…
あまりにも極端な例ではあるけど
すごく感じさせられた一本でした
この映画を見てそんな風に思う人はいないのかもしれないけれど…
ただのサスペンスだから…
でも
きっとそう、テーマはそうに違いないと
わたしは感じました
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